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18/31

もっと分かりやすく言わないか?

 二人と別れて体が火照っている。まだ温かいはずの夏の夜風も俺の頬にはまだ冷たい。

 鼻歌を歌いながら家に帰った。

 秋子が帰っていた。


「あ、お帰り。これ、食べてるよ。ありがとね」


 俺が作っていった卵巻きと炒飯を食べながら秋子がテレビを見ていた。

 久しぶりに友達と遊べたので上機嫌だった俺は秋子に声をかけた。


「いつもありがとう」


「なによ急に」


 言いながらも秋子が堪えきれない笑みを会話ではぐらかす。


「今日は、バイト?」


「休みだったら友達と遊んできた」


「あらそ、楽しかった?」


 頷いて自室に戻る。


 今日やることはシンプルだ。

 地毛であることを証明するための写真をコピーする。その後に書類をシュレッダーにかけるだけでいい。


 少し早く寝られそうだ、と思っていただけにぎょっとした。


 机の上に置いてあったはずのアルバムがない。

 記憶を辿っても自室の机に置いたはずだ。

 机の下やベッドの下も探してみる。

 アルバムはかなり大きい。そうそう見逃すはずもない。


 秋子が片付けたのかもしれない。だが、部屋には微かに嗅ぎ覚えのある香水の匂いが残っていた。


「母さん、アルバム見てない?」


「アルバム? 知らないけど」


 だとすると莉奈が持って行ったのだろう。

 莉奈はうちの合い鍵を持っている。香水の匂いも残っていた。

 どこかで俺が先輩に地毛を証明しなければならない話をきいていたのだ。廊下で天音先輩と話していたのをきかれていたのかもしれない。


 莉奈は俺のやっていることを無駄だと思って静観しているわけではなかった。もっとも俺にダメージを与えられるタイミングを見計らっていただけだ。

 これは莉奈を過小評価していた。

 こんな夜中に莉奈の家に押しかけていくのも悪い。

 莉奈も確信を持ってやったことならばアルバムを返そうとしないだろう。

 アルバムがなくても他に写真くらいはあるはずだ。

 悲観するほどのことでもない。


「母さん、俺が小さい時の写真ない?」


 秋子の食事する手が止まった。


「何に使うつもり?」


 警戒したような声。不審がられているようだ。だが、俺に隠し事はない。

 あるとしたら秋子の方だ。


「地毛証明するのに必要でさ」


「なんだ、そんなことか」


 秋子がまた箸を進めた。


「アルバムあるでしょ? それから使えば」


「それなんだけどさ、アルバムも見当たらなくて」


 莉奈がとったことは伏せておいた。秋子は俺と莉奈が敵対していることを知らない。それにこんな事で気を煩わせたくなかった。


「ま、ちょっと待っててよ」


 ゆっくり酒を飲みながら秋子が食事に戻る。

 急かすのも悪い。部屋で書類をシュレッダーしながら待った。

 ノックがして扉が開く。

 申し訳なさそうな秋子の顔。会話をする必要さえもなさそうだ。


「ごめん、なかった。どっかやっちゃったのかな」


「他に写真はないの?」


「他の、ね」

 苦々しい顔で秋子が扉に寄り掛かった。


「その写真ってさ、急ぐ?」


「明日までには持って行かないと駄目なんだけど」


「明日ぁ!?」


 どうしよ。苛立たしげに明子が頭を掻いた。

 雲行きが怪しい。


「どうにかならないの。あんたの学校って別に地毛が黒じゃないと駄目とかそういうことなくなかった?」


「そうだけど、必要でさ」


「そっか」


 また、秋子が頭を掻いた。だが、それは先ほどのとは違い心の中にある問題を一生懸命どこかに押しやろうとしているように見えた。

 秋子が時計を見る。家事を一通りこなしたら寝なければならない。秋子には仕事がある。


「アルバム探してる時間もないしね」


 分かった、と秋子が一人合点した。


「じゃあ、待ってて」


 戻ってきた秋子の手には手帳があった。今まで秋子が手帳を使っているところを見たことがない。

 手帳を開いた秋子が、一枚の写真を手渡す。


「これって」


 俺は写真と秋子の顔とを交互に見やった。


「そう、それがあなたのお父さん」


 それが父だと言われてもぱっとしない。

 写真の俺を腕が包み込んでいた。だが、腕が写っているだけだ。もともとは顔もあったのだろう。

 だが、俺を中心にして切り取られていた。


「どうして」


 俺は、どうしてこんな風に切ったのかをききたかった。だが、秋子はそうは答えてくれなかった。


「なんとなくいつ見せたらいいか分かんなくてほっといたんだよね。でも、地毛証明これで大丈夫だよね?」


 写真は俺が小さな小さな赤ちゃんの頃の写真だった。

 顔も知らない父の胸に抱かれて眠っている俺の写真だった。どことなくふてぶてしい顔が自分の幼少期ながら憎たらしい。


「あと、これも」


 渡された写真を見て俺は笑ってしまった。

 秋子の証明写真だ。秋子がまじめくさった顔で写真にすっぴんで写っている。これを見るといつも笑ってしまう。運転免許証にもこの写真を使っているはずだ。


「ちょっと笑わないでよ。証明写真でも美人でしょ?」


「はいはい、美人美人」


 あまりにおもしろいので笑っていると秋子が取り上げようとする。それをかわす。


「なんでこれを?」


「ほら、親が金髪だと分かって貰えるかもしれないでしょ? 証明写真なんて地毛でとるもんだから」


 不要だと思うが、受け取っておいた。


「ありがとう母さん」


 話はそれで終わったはずだが、秋子は部屋から出て行かなかった。


「お父さんのこと、知りたい?」


 ほんとうはききたい。どんな人で、どんな仕事についていたのか。父が俺と秋子のことをほんとうに愛していたのかもききたかった。

 だが、教えてくれと頼まないと教えてくれないようなことならば。

 不要な考えを頭から追い出した。

 もう時間も遅い。


「いや、いいよ」


「そ、じゃあ。おやすみ」


 ぱたん、と扉が閉まった。




 ○




 未可子が腹を抱えて笑った。


「そんなにおもしろいか?」


「だってこの顔」


 ふてぶてしい俺の顔を指さして未可子が笑う。


「いや、しかしこれがこれになるとはな」


 写真と俺とを見ながら貴也がはぁ~、と感心する。


「こんな可愛い子がこんなになぁ」


「貴也も小さい時俺と同じでこんなだったんだぞ」


「俺はこんな苛立たしげに寝てねぇよ。こう、今みたいにクールな顔で寝ててな。そりゃあ、皆にこいつは男前に育つって言われてたもんよ」


 貴也主催の赤ちゃんの頃の俺はこんなにすごかった選手権に未可子が水を差す。


「昔がよくても今がね-」


「う、うるせーな」


 明るい空気に自然と笑みが浮かぶ。


「ま、これで地毛の件は大丈夫でしょ」


 未可子が太鼓判を押す。小さい頃の写真も見せた。髪もちゃんと写っている。

「この手は祐介の父ちゃんか?」


 悪意なく貴也が写真に写る俺の父の腕を指さす。



「ちょっと」


 未可子が貴也の脇腹を突く。俺が父なし子だということは未可子も知っている。


「んだよ、気になるからしかたないだろ」


「あんたがモテないのほんとそういうところだからね」


 そう言われて貴也は釈然としていなかった。だが、まずいと感じていたらしい。

 わざとらしく話題を変えにかかった。それはありがたかった。


「でもま、祐介の父ちゃんだからきっと格好良くていい人なんだろうな」


「ま、それはなんとなく分かるかも。絶対ダンディー。だって秋子さんの旦那さんでしょ。秋子さん美人だから旦那さんかなり格好いいとみた」


 と話が盛り上がっているところに秋子の証明写真を挟み込んだ。


「ぶふっ」


 貴也が吹き出す。


「ちょっと失礼だよ」


 言いつつも未可子も顔がにやけている。

 二人はたまに家に泊まりに来ることもあるので秋子と面識がある。

 バイトが休みになった長期休暇の時などは莉奈も一緒に止まったものだ。


「でも、秋子さんがこんな顔してるって想像したら笑えてきてさ」


「すっぴんの証明写真でもこれって秋子さんめちゃくちゃ美人なんだからね。憧れちゃう」


 俺もこのおもしろそうな流れに乗る。


「写真に苦労してると言うことも違うな」


「ちょっと祐介。それ、私への悪口?」


 楽しい会話はチャイムで一度打ち切りになった。




 ○





 生徒会に出席した俺は、ファイルを取り出した。

 そこに俺の地毛を証明する写真が忍ばせてある。

 それを誰にも盗まれないように机の上に置き、両手でガードした。

 そこで声をかけられた。


「あの先輩」


 山下と日村だ。


「またなにかあったのか?」


 山下と日村が互いに顔を見合わせて山下が言う。


「そういうわけじゃなくて、ただ先輩にお礼を言いたくて」


「お礼?」


「はい、いつも先輩に助けて貰ってますから」


 意外な申し出だった。


「そこまでのことじゃ」


「それでもお礼が言いたいんです」


 日村が声を強くした。

 言い出すのも苦しそうに山下が申し訳なさそうにしている。


「実は俺と日村さんは髪を染めようと思ってて」


「したいのか?」


「いやですけど、生徒会長が言うことですから。でも、私たち先輩に庇って貰ってたから一言言わないと駄目かなって」


 俺は笑いを堪えきれなかった。

 なぜなら、今日は天音先輩が御劔を連れてきて皆の前で髪の色で生徒会からいなくなる必要はないと宣言する日だからだ。

 天音先輩の気が変わらなければ泣きを見るのはこの二人でも俺でもなく、御劔一人だけだ。

 笑みを浮かべるに怪訝そうな眼差しを向ける二人に言う。


「お礼を言ってくれるのは嬉しいけど、それは生徒会の後までとっておいた方がいい」


 二人はまだ不服そうだった。

 俺が待っていたほうがいい、とさとすようにいうのですごすごと自分たちの席に戻っていった。

 天音先輩が入ってくる。全員が立ち上がった。


「立たなくていい」


 天音先輩が言う。

 座った。天音先輩の後ろには御劔の姿がある。

 俯いているので顔はよく見えない。二人が登場して、生徒会室は一瞬ざわめいた。

 生徒会会議が会長と副会長揃って行われることはそうそうないし、今日は会長を含めて行うという告知もなかったからだ。


「もしかしたら創設者祭のことかもね」


 そうささやく声も聞こえる。


 創設者祭は夏休み前の一大行事だ。

 期末試験も近いのにと不評を買っているが日頃から勉学に勤しんでいれば困らないはずだ、という校風と、楽しい催し物だからという理由で毎年続けられている。

 すでに実行委員会が発足して活動しているが、実行が近づけば生徒会執行部もこれまで以上に忙しくなる。


 天音先輩が教壇に立つと同時にささやき声が止んだ。


「今日は私の不手際と副会長の不手際を皆に謝ろうと思ってここへきた。まずは副会長、昨日、なにを言ったのか皆に思い出させてくれないか」


 優しく天音先輩が御劔に促した。児童に謝らせる小学校の教師のようである。


 御劔が顔を上げる。その唇はわなわなと震えていた。恥ずかしさもあるだろう、だが、俺には怒っているよう見えた。


 こんな場面に晒されるのも初めてなのだろう。だから、建前でも申し訳なさを主張することも知らないし、なんらかの感情の後ろに怒りを隠す術も知らないのだ。

 怒りを覚えた動物の毛がどうしても逆立ってしまうように、御劔もまた感情が毛羽立っている。


「昨日、私は生徒会執行部の秩序維持のため、また私の思う綱紀の実現とその粛正のためにある提案をしました」


「もっと分かりやすく言わないか?」


 感情を伴わない声で天音先輩が注意した。

 屈辱のせいか御劔の声が正常な抑揚を失った。


「生徒会執行部を私の望む組織にしたく、私はある提案をしました。その提案とはご存知の通り、髪の色という先天的な要素を理由にして該当生徒を執行部から追放するような提案です」


「そのためになにをした? 御劔副会長」


「副会長にあるまじき行為です」


「それをはっきり言わないと謝罪にならないだろう」


 御劔が歯の隙間から熱い息を吐く。


「私は、会長の許可を極度に歪曲し、私的な目的を果たすための口実として利用しました」


「つまり?」


「昨日の提案の根拠は私のねつ造です。作り話です」


 生徒会室にざわめきが広がった。不正をしているとは誰も知らなかったし想像も指定なったのだろう。

 御劔は外面はいい。だからこそ、御劔の潔白を信じている生徒は多い。このざわめきは御劔がいかに信頼されていたかという証拠でもある。

 だが、このざわめきは波のように消えてしまうだろう。御劔の信頼も引き波が一緒に連れて行ってくれる。


「このたびは申し訳ありませんでした」


 歯の隙間から絞り出すように謝罪し御劔が頭を下げた。


「私からも謝ろう。生徒会の会長として学校全体を守らなければならないのに、執行部のことをないがしろにし、横暴を許してしまったのは私の責任だ。よく話を理解せず許可を出したことは許されることではない。すまない」


 天音先輩が御劔の隣で頭を下げた。

 御劔がずっと頭を上げないのは、反省からではないだろう。

 天音先輩が頭を上げる。


「これからは私が約束する。執行部でも、この学校全体でも、髪の色を理由にして生徒に不利益を生じさせることは私が許さない」


 そこでようやく御劔が顔を上げた。

 悔しさに表情を歪めているだろうと思ったが、無表情に近かった。

 犯した過ちに気付いたのか、なにやら悲しげな表情さえも浮かべている。


 すぐに怒りの眼差しが俺を捉える物と思っていた。それだけに、冷たそうな視線で御劔が生徒会室全体を見渡したのをみて俺は思わず背筋が寒くなった。


 なにかおそろしい復讐が待っているのではないか。そう思わずにはいられない。


 山下と日村がこちらに笑いかけている。目配せを返した。


「ありがとうございます」


 声に出さず、口の形だけでそう伝えてくる。


 それを見るとなんだか、ほっとした。

 生徒会の庶務だが、初めて生徒のために何かをした、という実感が湧いてきた。こういうのが学校への貢献だろう。

 嬉しくて眠気なんて吹っ飛ぶ。

 そう思っていただけに俺は、何の抵抗もなく、思っていたよりも呆気なく眠気に意識を刈り取られてしまった。



 ○





 体が寒い。口の渇きに唇を動かして、目を開ける。

 もう辺りは真っ暗だった。

 バネでも仕込まれているのかように俺の上半身が勝手に飛び起きた。


 生徒会室の時計を見る。


 真っ暗だったが、蓄光の針が光っていた。それをみるにもう七時半だ。


 生徒会の会議で眠ってしまってからずっと寝ていたのだろう。

 日々の睡眠不足のせいだ。

 きっと天音先輩も図書館での作業を終えて引き上げてしまっただろうし、バイトも遅刻だった。

 それだけならまだしもだ。机のどこを探しても俺の地毛を証明する写真の入ったファイルがない。


 もしかして、莉奈に。


 すぐ莉奈を疑ってしまう卑怯な自分が嫌になった。

 とりあえず明るくして探さなければ。

 椅子から立ち上がった俺は、なにか妙な音に気がついた。

 しゃり、しゃり、と異音がする。どことなく聞き覚えのある音だ。それが教壇のほうから聞こえてくる。


 音をたてないようにゆっくり立ち上がって、猫足で出口の方にあるスイッチに手を伸ばした。


 教壇の方を見ながら電気をつける。


 俺は思わず悲鳴を上げた。

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