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ちょっとした冗談

 どうしてもといって持ちたがる四角に書類を半分渡した。


 教室まで運んだ。吹奏楽部は練習していないようだった。


「いつもはどうしてるの?」


「持ち帰れるようになるまでこれで処理するんだ」


 机の上に手動シュレッダーを出す。


「これで? この量を?」


「そう。で、鞄に入る量になったら持ち帰って作業する」


「かなり時間がかかるんじゃないの?」


 心配しているのか四角が俺の顔を見る。


「バイトとかしてる?」


「してるけど間に合うよ」


「ええ、そんなの絶対一人じゃ無理」


 そう言われているが俺は一人でやってこられた。


「どうせ燃やすんだし燃やしちゃわない?」


 気軽に言うがそういうわけにはいかない。


「会長にシュレッダーで処理するように頼まれてるんだ」


「この量だよ?」


 途方に暮れていても片付かない。

 いつものように作業に取りかかった。

 紙をシュレッダーに咥えさせてハンドルを回す。


「真面目だね」


「見てても面白くないだろうし、帰ってもいいよ。時間かかるから」


 いつまでも引き止めるのも悪い。

 四角が俺の机に屈み込んだ。


「手伝おうか?」


「シュレッダーが一つしかないからさ」


 やんわりと断った。


「待ってて」


 四角が鞄をごそごそやった。ハサミを取り出した。パン屋でトングをかちかち言わせるように開いて閉じてを繰り返す。


「任せてよ」


「でも、これはシュレッダーじゃないと」


 言いかけて、やめた。電動シュレッダーが壊れたばかりの頃、俺もハサミで切った。

 手伝ってくれるのは正直に言って嬉しい。

 こういう生活を続けて気付いたが、睡眠はなによりも重要だ。手伝って貰えて五分でも早く寝られるのなら、それでもいい。

「助かるよ」


 四角が俺の机に未可子の机をくっつけた。


「この机誰の。中が滅茶苦茶汚いけど」


 彼女の言うとおり、未可子の机にはプリントやら教科書やらがぱんぱんに詰め込まれてある。生ものが中で死んでいないか心配だった。


「ハサミ、代わろうか?」


「いいよ。私から手伝うって言ったんだから」


 作業と言ってもとても単純だ。俺はハンドルを回すだけでいい。一時間でも作業すればどんな素人でも見ずに出来るようになる。


 ハサミで上手く出来るだろうか、と四角を見たが、彼女は俺が思う以上に器用だった。

 四つ折りにした紙を縦に薄く短冊のように切って行く。

 それからゴミ箱の上で横に切る。細切れになった紙が雪のようにゴミ箱に降り注いだ。


 俺は素直に感心した。


「タマネギ切ってるみたいだな」


「へー、笹川くん料理出来るんだ?」


「分かるか?」


「分かるよ。料理できない人はこんな風に紙切るのタマネギ切るって言わないから」


 ふふん、と得意げにどんどん切っていく。

 ハンドルを回すよりも楽しそうだった。

 手慣れた手つきで紙をばらばらにしている。


「バイト先はやっぱ飲食店?」


「レストランだ」


「チェーン店?」


「個人経営の店だよ。雰囲気がよくて居心地が良いんだ」


 居心地が良い。

 そういったとき、どういうわけか文香さんの顔が浮かんできた。

 そうめんのようになった紙をゴミ箱に捨てる。


「へー、行ってみたいな。笹川くんの働いているお店」


「でも、高いぞ。ハンバーガーが一個二〇〇〇円する」


「それ、嘘でしょ。もしかして」


 探るように四角が言う。


「私に来て欲しくないの?」


「嘘じゃない。来ても良いけど家にお金を取りに帰ることになるかもしれない。たまに大学生のカップルが来て真っ青になってるから」


 店名を教えると、四角は納得したようにあ-、あそこか、と声を上げた。


「高いけど味は良いって評判のとこだね。どういうお店なの?」


「基本的には洋風だな。パスタも得意だけどアメリカのダイナーみたいな料理も出せる。店にはジャズがかかってたりロックがかかってたり。店長の静夫さんの気分で」


「なにがオススメ。とにかく安い奴!」


「だとしたら椅子かな」


「椅子?」


「一番安い。チャージ料五〇〇円」


「高い! 高いよ。ジュース三本買えちゃうじゃん」


「ファミレスなら座るだけで腹一杯だな」


 二人で笑い合った。

 笑い涙がでたのか四角が手の甲で目尻を拭う。


「あー、おもしろいな。笹川くんがこんなにおもしろいなんて知らなかった」


「四角さんといると、自分がおもしろい人じゃないかと勘違いするな」


「どういう意味?」


「よく笑ってくれるから」


「それは」


 四角が言葉を切る。喉を鳴らし、もう一度言い直す。


「それは、笹川くんと一緒にいるからかも」


 手動シュレッダーがしょりしょり、と音をたてる。長い間を埋める言葉も思いつかず、唇を舐めた。

 ハサミを使う四角の手が止まっていた。


「ねぇ、笹川くんは私と一緒にいてどう思う?」


「どうって」


「居心地いい?」


「悪くはないな」


 笑って返すが、四角の顔には笑顔はなかった。


「もしさ、もし私が笹川くんと一緒にいて居心地がいいって言ったら、嫌?」


「嫌じゃないけど」


 四角がごちそうを目の前にした人のように唇を潤わせた。


「じゃあさ、付き合ってみる?」


 どういう意味かが初めは理解できなかった。

 だが、微かに潤んでいる四角の目を見て、その意味がよく理解できた。


「それは」


「よくない? 私と笹川くん、一緒にいてそんなに嫌じゃないんだったらもっと一緒にいてみない?」


「魅力的な申し出だけど」


「断るんだね」


 頷いて良いのかが分からなかったが、俺は頷いた。


「ごめん」


「彼女いるの?」


「いない」


「好きな人は?」


 答えるのを迷ったが、結局答えることにした。


「いる」


「当てて見せようか」


 四角が腕組みをして考えた。

 それが俺には無理して明るく振る舞っているように見えてしまった。


「私に勘違いさせた子でしょ」


 莉奈のことだろう。


「外れだ」


「えー、絶対嘘だ」


 四角が笑っていた。

 俺は四角が泣き出すのかと思っていた。


「大丈夫か?」


「もしかして、泣くの心配してる?」


 頷いた。


「ずばり言おう!」


 四角が俺の飼い主のように指を突きつける。


「笹川くんは自信過剰」


「振ったから泣くかと思って」


 顎に指を当てて四角が考える。


「てことは、笹川くん振られると泣いちゃうタイプでしょ」


 その通りだ。


「よく分かったな」


「私は、ちょっと私に気を許してくれるとこんな風に威張っちゃうタイプ」


 椅子の上に四角が両脚を揃えて丸まった。


「皆に見破られちゃうから私は一人。笹川くんもなんとなく気付いてたでしょ」


 会話から逃れるために俺はシュレッダーを回し続けた。

 紙をつがえて、ハンドルを回す。それしかしらない子供のようだった。


「ねぇ、もし笹川くんに好きな人がいなかったら私と付き合ってた?」


「多分な」


「なんだかそうきくと悔しいなぁ」


 スカートに顔を埋めて四角はそのまま動かなくなった。

 ところどころ嗚咽が聞こえる。肩も揺れていた。

 そんな彼女をみて湧くはずの罪悪感が湧かない。

 自分が不思議だった。

 軽口の延長のような言葉をかけても大丈夫そうだった。


「やっぱり泣いた」


「これは振られたから泣いてるんじゃなくて、タイミングさえ合えばもしかしたら付き合えてたかもしれないから泣いてるの」


 本をよく読むせいだろうか、よく分からない言い回しだった。

 希望に泣かされた、といったところだろう。

 ここで謝ると、また自信過剰だと言われそうだったので止めた。

 

「あー、泣いた泣いた」


 四角が顔を上げた。

 こんなに勢いのある子だとは思わなかった。委員会の仲間にいじめられて、貴也にナンパされたのを怖がっていた女の子の面影はどこにもない。


 文学少女というよりは、彼女の座っている椅子の持ち主である未可子と同じ人種に見える。人の中身は、外見どころではなく趣味でも計り知れない。


「ねぇ、笹川くん、私にもっと手伝わせてくれないかな」


「手伝うって何を?」


「笹川くん、もっとおっきなもの背負っているように見えるから」


「それは、俺と四角さんじゃ、無理だよ」


 そういう場所に立ち入れるのは恋人か家族くらいだろう。

 もしかすると恋人にも難しいかもしれない。


「あーあ、手伝いたかったな。笹川くんの誰も知らないお仕事」


「なんか、殺し屋見たいじゃないか?」


「それ、楽しそう。二人で夜のお仕事。こう言うといかがわしいね」


 と四角が笑った。


「でも、気持ちは分かる。俺にも、手伝いたい人がいるから」


「今度こそ当てて見せようか、その人生徒会長でしょ」


「どうして分かった?」


「笹川くんの知り合いの女の子その二人しか知らないし」


 そういうことか、と肩を落とす。


「でも、生徒会長か。だったら私が負けたのもなんか納得かも」


 もう、バイトの時間だった。

 立ち上がって、シュレッダーの蓋を開けてゴミ箱に逆さにした。

 筋のような白い紙がゴミ箱にぱさぱさと落ちていく。


「私が手伝いたいって訊いたとき迷惑だった?」


「いや」


 迷惑と言うよりは、困惑だった。

 そんなことに立ち入らせて良いのか、という迷いもあった。どことなく面倒を避けたい気持ちもあった。なによりも誰かに弱みを知られることに臆病になっている気持ちがあった。


 もしかしたら天音先輩もそういう気持ちなのかもしれない。


 俺はこんな天音先輩の気持ちを乗り越えられるのだろうか。

 今更ながら、不安になってきた。俺はあまりにも、莉奈の好意に馴れすぎていた。だからこそ、自分の好意に無頓着になれた。

 だが、こうして四角に言い寄られて、急に不安になった。

 俺以外の人間は、もしかして好意を向けられることを嫌っているんじゃないか。


「どうしてそんなことを訊いたんだ?」


「後学のために、ね」


 さっきまで泣いていた四角はもう笑っていた。


「もう、次の人を目指すのか」


「固執しすぎはよくないと思うから、私。買った本も冒頭だけ読んでだめならそのまま積んじゃうし。それに傷ついた仕草をし続けるのも悪いでしょ?」


 きっと俺が罪悪感を抱かなかったのは、四角がそういう風に振る舞ってくれていたからだ。

 気遣いのできる女の子だった。彼女の回りにいる人はその気遣いに気付いていないだけなのだろう。


 じゃあね、と四角が手を振った。


「今度はただの友達としてお話ししたいな」


「何回かカウントするからな」


 四角が首を傾げた。


「それってどういう意味?」


「ちょっとした冗談だよ」




 ○




 まかないを食べながら文香さんにたずねた。


「もし俺がお店以外のことで文香さんのこと手伝いたいっていったらどう思います?」


 雑誌をめくりながら文香さんが聞き直した。


「どういう質問?」


「ちょっと思ったんです。俺のしてることってちょっと身勝手じゃないかって」


 文香さんが上目遣いで俺のことを見た。


「鬱病は他人の心が見えすぎるからなるんだって筒井康隆が言ってたよ」


「誰ですか、その人」


「はー、若者の本離れは著しいわね」


 嘆いてファッション雑誌のページを摘まんだ。

 あ、そうだ、と思いだしたように言う。


「明日、バイト休みだから」


「なんかあるんですか?」


「お父さんの定期検診」


「ひどいんですか?」


 文香さんが笑った。


「ただの健康診断だよ」




 ○




 テストが返ってきた。

 数学の教師が点数を発表した。


「最高点は笹川の九十八点だ。拍手」


 教室中で拍手が起きた。


「抜き打ちできゅーぱちはやばいっしょ」


 未可子が感心しきった顔で拍手をしていた。


「どうやったの? カンニング?」


 返ってきた俺の答案をぺらぺらめくっている。


「特別なことはしてないよ。毎日勉強するだけさ」


「なにそれ、腹立つわ。あんた数学苦手だったでしょ」


 そうだ。俺が中間試験で取った点数は六七点。

 平均点が七六だったので、良いとは言えない。惜しくも満点は逃していた。抜き打ちと言うこともあって甘めに作問されていたおかげで、これだけの高得点が取れた。本テストではこうは行かないだろうが、俺には大きな進歩だった。


 黒板に書かれていく解答を見て未可子が、あ、と声を上げた。


「ここ、採点ミス」


 数学の抜き打ちテストは一〇〇点になった。


 英語の小テストの成績も悪くはない。

 数学では最高点を取り、小テストも上々の結果。

 毎回こうなら成績は上向くはずだ。

 これが俺に出来る最大限の努力だ。


 御劔につけいる隙を与えなければ、まだチャンスはある。

 気を抜いてはならない。

 ここは進学校だ。出せる力をすべて出し切らなければ誰かに負ける。




 ○




 三回。俺が無駄にした会話の数だ。

 挨拶をして一回。残り二回は四角を助けるために使った。天音先輩との関係を進展させるために一回も使っていない。

 天音先輩の慈悲がなくなったら、俺は本格的に天音先輩と話せなくなる。

 事務的なことでしか俺と会話もしてくれないだろう。もしかすると、書類の処理さえも俺の仕事ではなくなるかもしれない。


 俺の全身は、心は天音先輩のために燃えている。

 もし、天音先輩の慈悲がなくなったら、俺の体は俺自身の熱さで焼け落ちてしまう。

 そうれこそが、莉奈の作戦だ。


 だからこそ、あとの二回は大切にしなければならない。

 もっと天音先輩に俺の誠実をアピールするような、もっと俺らしさが伝わるような使い方をしなければならない。


「おはようございます」


 挨拶運動。

 今朝も例の如く、終わるギリギリに御劔がやって来て、天音先輩と話していた。

「早月」


 御劔が天音先輩をそう呼ぶ度に、苦しかった。胸が熱く、辛くなる。



 きっと明日は今日よりもよくなる。

 そう思うことでなんとか乗り越えていた。だが、明日どころではない。

 朝よりも放課後が重々しく燻っていた。 

 放課後、教卓に立った御劔が得意げに宣言したのだ。


「というわけで、髪が黒以外の生徒は生徒会から出て行って貰います」




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