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宇宙みたいなんで

 今日も遅刻だ。

 叱責を覚悟しながら厨房へ向かった。

 静夫さんには特に怒った様子もない。


 その理由は閉店後に分かった。

 店からあがる直前に静夫さんが俺に言ったのだ。


「お前、部活動の助っ人やってるんだって?」


 なぜそんなことになっているのか分からなかった。

 静夫さんが眉をひそめる。


「どうした?」

 静夫さんの後ろで文香さんが頷け、頷け、と何度も下を指さしていた。

 口を動かしてからようやく声が追いついた。


「そ、そうなんです」


「店の方は掃除だけでもいいから頑張れよ。初めは見てくれが悪かったから監視してたが、真面目だしこのくらいは許してやるよ。レジの金も無事だしな」


 そう言うと静夫さんは店を出て行った。

 ひひひ、と笑いながら文香さんが俺を手招きしてカウンター席に誘った。


 とはいえサボるわけにはいかない。

 掃除を一通りすませた。

 文香さんがまかないを作ってくれた。


「ちょっとお父さん騙しちゃった」


 悪戯娘のように笑って文香さんがパイプを咥えた。


「なんて言ったんですか」


「部活の助っ人で忙しくなるって君から連絡が来たって言ったらそれであっさり。わかった、だってさ」


 ふー、と文香さんが煙を吐く。


「私がピアスつけたときはあんなにあっさりとは分かってくれなかったのにな」


「文香さんは実の娘ですから、そりゃ心配しますよ。大切な人にほど変わって欲しくないものです」


「生意気なことをいう高校生だね」


「そうですかね」


 言われてみると生意気だったかもしれない。


「お父さん、君を結構気にかけてるんだぞ。一昨日家に帰ったらどうして泣いてたんだ、って私にきいてきたんだから。新しく息子が出来たみたい。笑っちゃった」


「泣いてるの見られてたんですね」


 楽しそうだった文香さんの眉毛が外側に垂れ下がる。


「ごめん、お父さんにも見てないことにしてくれ、とは言われてたけど」


「男には辛いんですよ」


「それお父さんにも言われたけど私女だからよく分からないわ」


 はは、と文香さんが笑って、パイプに息を送り込む。


「で、今日の遅刻も会長さん?」


「はい。明日からは大丈夫です。なんとかするんで」


 文香さんがパイプから口を離した。


「私が大学生だったときにさ、研究のしすぎでもう何日も家に帰ってない子がいてさ。私と同級生の女の子なんだけど、シャワー浴びて仮眠するねって私にいってそれきり起きてこなかった子がいるの」


 起きなかった。というのはきっとそういうことだろう。


「実話、ですか」


「そう、実話。あんまり仲はよくなかったけど、葬式には出た。過労で心臓が止まっちゃったんだってさ。もう何週間も睡眠時間削ってたのよ。シャワー浴びてちょっと眠たくなって、やっと休める、なんて安心したら心臓も止まっちゃったんだろうね」


 なんてことのないように言っていた。だが、文香さんの目にはなにか思うところがあるようだ。

 パイプから煙は立ち上っていなかった。


「それは、気の毒なことですね」


「そう、誰が見たって気の毒。まだ人生を半分も生きてないのに頑張りすぎて死んじゃうなんて馬鹿らしい。あんまり頑張りすぎるのもよくないよ? ほどよく休まないとさ」


 文香さんが俺を心配してくれている。そう思うとが胸にじん、とした。

 その感動のせいで思いついたことをふと、言ってしまった。


「文香さんと一緒にいると癒やされます」


「なにそれ」


 文香さんの声が上ずる。

 薄暗いせいでよくわからなかったが、文香さんの顔が火照っているように見えた。


「文香さんって宇宙みたいなんで」


「なにそれ」


 声のトーンが一つ落ちた。


「あーあ、火が消えちゃった」


 そう言って、文香さんが灰を掻き出した。マッチを擦り、残った葉にまた火をつけた。


「なにか不味いですか?」


「だってさ、宇宙ってなに」


「ほら、宇宙って考えると途方もないじゃないですか。だから空を見たり、宇宙を思ったりすると小さい悩み事とかどうでもいいなって思えるんですよね」


「君、精神を宇宙レベルでやられてるぞ」


「そうですかね」


 まかないのパスタをフォークに巻き付ける。

 今日はアサリのあっさりパスタだった。渋い感じのメニューが多いが、一つだけ駄洒落っぽいので覚えていたのだ。

 パスタを口に運んで、あさりを突き刺してまた、口に運ぶ。

 その名の通りあっさりしている。

 ただ、あっさりしているだけではない。

 欠かしてはいけない旨みはしっかりと含まれてある。


「それに宇宙って綺麗ですから」


「遠くから見たら、ね」


 こんなパスタならいくらでも食べられそうだった。


「でも、悪くないか」


 と文香さんが独り言のように呟いた。


 文香さんがパイプをぷかぷか吸う音と。

 フォークが皿にあたるかつかつ、という音。

 この二つが他に誰もいない店内に静かに響いていた。




 ○




 目覚ましに叩き起こされる。

 眠たい頭を胴体にのっけてフライパンでスクランブルエッグを作る。

 出来れば秋子と一緒に食事を取りたかった。

 それには秋子が起きる時間が早すぎる。

 バイトが終わって家に帰って寝る準備が整うのが十一時。

 そこからシュレッダーでちまちまやっていると寝る時間もない。


 だが、ここで眠るわけにはいかなかった。

 ただでさえ悪い成績を落とせない。


 御劔には成績が悪いことを見破られている。

 小テストや抜き打ちで悪い点数を取ればすぐにそこを責めにかかる。

 生徒会から追い出されるだろうし、それよりもおそろしい措置はバイト禁止だ。


 バイト許可は赤点ギリギリの点数を辛うじて維持して確保していた。が、御劔に睨まれた以上、ギリギリのままでも平気だとは言っていられない。


 苦手な数学を重点的に学習する。

 まだ、俺を信じてくれていた天音先輩に貰った参考書。それを頼りに勉学をすすめた。

 他の教科の手も抜かない。


 公式を一つ覚える度、英単語を一つ覚える度、天音先輩の信頼が少しでも取り戻せる。

 そう思うと不思議と眠気も感じなかった。


 顔を上げると夜中の三時だった。

 床に入って眠ろうとしても頭がさえていた。

 ようやく夢が見られた。

 そうおもうと目覚まし時計が音の金槌で俺の頭を殴りつける。


 弁当を簡単に作ってからシャワーで寝癖を直す。

 人格を疑われないように髪形を整える。

 働いている秋子の代わりに洗濯。最近は、乾燥機の世話になりっぱなしだった。


 くつろぐ時間もなしに家を出る。

 睡眠不足のせいか脈拍が飛ぶ。それでも遅刻はしない。

 朝の空気を吸っているといつの間にか、目が覚める。

 脈拍も落ち着いてくる。

 歩いたおかげか、日光のおかげか、校門に辿り着く頃には気分もよくなっていた。


 天音先輩に挨拶をした。


「おはようございます」


 朝の風よりも冷たい天音先輩の目が俺に止まる。


「一回目だな」


 しまった。

 腕章も貰えなかった。

 挨拶くらい見逃してくれてもいいんじゃないか。

 そう問い詰めると二回目の判定をとられてしまうかもしれない。


 挨拶運動を続け、遅れてやってくる御劔と天音先輩がたまに会話をするのを聞いた。

 俺に会話の内容は聞こえてこない。

 ふと、御劔が俺を見て笑ったような気がした。




 ○





 授業中も寝る時間ではない。

 眠気に襲われたら太ももを思い切りつねり上げる。授業中の居眠りから悪評が広がることもある。

 そうなると天音先輩に誠実だと思って貰えなくなる。


 放課後は六時まで図書室の前で待つ。

 ここでも足踏みをしたり、頭を振ったりして眠気を追い払う。


 その日も図書室の外で待っていた。すると、トイレから目を拭いながら出てくる女子生徒の姿を見つけた。

 図書室の扉に掛けようとした手がなにかをためらっていた。


 眠気を追い出すには会話が一番だ。

 俺は声を掛けた。


「どうかしたんですか?」


「え」


 振り返った女生徒。見たことのある顔だ。

 四角華。

 そういえば図書委員をやっていると言ってた。


「あ、あなたは」涙を拭った四角が俺を睨む。「最低の人ですね」


 四角とは因縁があった。

 貴也がナンパしていた。それに止めに入ったのが俺だ。そのせいで莉奈のスイッチが入った。莉奈の企みにより俺は貴也の白馬の王子様作戦に加担した共犯者になってしまった。

 それを四角が天音先輩に伝えたらしく、俺の印象はさらに悪くなった。


 だが、四角も莉奈に勘違いさせられた被害者だ。

 憎むべき相手ではない。


「どうして泣いてるんだ」


 四角の口がもごもごと動く。だが、本音は語られない。


「あなたには関係ありません」


 あれほど入り辛そうにしていた図書室に四角が飛び込んだ。

 逃げられてしまったようだった。




 ○




 天音先輩には几帳面なところがある。

 なにも俺には言わない。だが、書類は必ず手渡す。

 机の上に放置したりはしない。


 その日も、書類を手渡しして貰った。

 失敗を受けてからは大きめのリュックを用意した。それでも入りきらないので、シュレッダーにかけて数を減らす。

 残りを詰め、バイトへ。

 働いて家に戻る。

 秋子の作ってくれた夕飯を食べる。

 洗濯物をたたむ。


 眠りそうになったところ、秋子の声で起きた。


「祐介、なんでこんなに紙があるの?」


 リビングで俺が洗濯物を秋子と一緒に畳んでいる途中だ。

 紙のクズが満載されたビニール袋を秋子が缶ビールの尻でさす。


「生徒会の活動だよ」


「ふーん、あんたちゃんと寝てる?」


 心配はかけない。それは俺が俺に課した決まりだった。


「寝ているよ」


 秋子はたった一人で俺を育てている。

 学費を払いローンを払う。

 俺のバイト代があってもいっぱいいっぱいだ。

 秋子は酒を飲む。だが、嫌いなはずだった。

 ここでよけいな心配はかけられない。


 他の学生が寝ているような時間。

 持ち帰った書類をシュレッダーでばらばらにする。

 書類には個人情報が含まれているかもしれない。

 ただ、適当にやるだけではだめだ。


 そんな生活をもう二週間は続けていた。




 ○




 放課後、天音先輩から書類を受け取った。

 今日はそれほど量が多くない。シュレッダーで減らさなくてもいい。

 気分が上向く。


 玄関から出て、少し歩いた。

 妙な声が聞こえた。

 グラウンドで運動部がかけ声を出している。

 だが、それとは種類の違った声だ。

 単なる話し声ならば気にもならない。だが、ところどころ勢いの強い声がある。


 耳を頼りに歩いていった。

 壁や用具用のプレハブで死角になるような場所がある。

 そこに何人かの生徒がいた。

 女の子が一人、壁に追い詰められて頭を抱えてうずくまっていた。

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