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あと、五回だ

 放課後、図書室へ訪れた。


 そんな俺を呼び止める誰かがいた。


「ねぇ、祐くん」


 莉奈だった。

 莉奈は俺を廊下へ誘った。

 誰もいない廊下。

 静まりかえった廊下でもなお消え入りそうな声で莉奈が言う。


「もう、やめにしない? 私、もう祐くんを傷つけるの苦しいよ」


 気で傷ついている莉奈の声。

 俺を傷つけるのは莉奈にとっても苦しいはずだ。俺の中の甘さが頭をもたげる。それを押し殺した。

 ささやかな優しさを悟られないよう余裕な態度を取った。


「敵に弱いところを見せると不利になるぞ」


「私ね、もっとひどいことを思いついてるの。もう、祐くんが学校に来られなくなるような。でも、そんなことをしたら皆傷ついちゃう。きっと秋子さんにも迷惑がかかるだろうし、私のお父さんもお母さんも傷ついちゃう。もちろん、私も」


「だったらやめたらいい」


「やめたら祐くんも早月ちゃんと仲良くなろうとするのをやめてくれる?」


「知ってたのか」


「知ってるよ。祐くんのことを一番知っているのは私だもん」


「一番俺に優しくしてくれるのも莉奈だもんな」


 罰が悪そうに莉奈が顔を背ける。


「そんな皮肉言わないで」


「皮肉じゃない。朝、チャイムならしてくれたの莉奈だろ」


「なんで」


「そんなことするの莉奈しかいない。俺が遅刻したの心配していつもの時間にチャイム鳴らしたんだろ」


 暗い莉奈の目にも罪悪感が見え隠れしている。

 莉奈の沈黙は、はいそうです、と言われるよりも説得力のある肯定だ。

 どこかがおかしい。莉奈は普通の女の子じゃない。だが、それは俺を心配しすぎているからだ。


「私が嘘ついたってどうして早月ちゃんに言わないの?」


「莉奈を嘘つきにしたくないからだ」


「でも、そうしないと誤解されたままだよ?」


「それでも俺を信用して貰う」


 莉奈の眉毛がつり上がる。


「どうして私に有利なことばっかりするの?」


 まるで自分事のように苛立たしい表情で莉奈が声を荒げた。


「本気ならもっとちゃんと許されようとしてよ」


「莉奈」


 莉奈の頭を撫でた。


「莉奈が、俺にそうしてくれたからだよ。莉奈に友達が少ないのは俺と一緒にいる時間を作るためだろ。そんな莉奈に出来た友達に俺は、莉奈は嘘つきですなんて言えないからな」


「どうして祐くんは私を嫌いにならないの?」


「莉奈が好きでいてくれるからだ」


 辛そうに莉奈が唇を噛んだ。


「諦めてよ。私と祐くんなら誰もが羨むような恋人になれるんだよ?」


 そういう日々も良いかもしれない。

 莉奈の有り余る好意を受け止めて安穏と過ごす日々。

 ちょっとしたオリジナル料理に注意して、たまに別の女の子と話して莉奈に嫉妬され愛されているんだな、と思う日々。


「それも悪くないけどな」


 莉奈が一歩下がった。


「まだ、諦めないんだね」


「ああ」


「だったらこれからも、祐くんのことを傷つける。ひどい方法で傷つける。祐くんが私のところに帰ってきてくれるまで」


「ああ、かかってこい」


 ファイティングポーズを取って見せた俺に、ふふ、と莉奈が笑う。


「私は絶対に手加減しないよ。手加減できるほど、祐くんのこと嫌いじゃないから。気を付けた方が良いよ。私がいつ、どこで祐くんを見ているか分からないよ。ううん、見てるだけじゃないかもしれない」


「それは」


 莉奈が時計を指さした。


「時間だよ」


 もう、六時だった。

 目を戻したとき、莉奈は魔法のように消えていなくなっていた。




 ○




 図書室から出てきた天音先輩に声をかける。

 いつもよりも書類が多そうだった。


「手伝いますよ」


 勝手に書類の上の一部をかすめ取る。

 厳しい視線に身がすくみそうだった。


「お前、二度と私の前に顔を見せるなと言ったはずだが」


「すみません。でも、手伝いたいので」


「いまさら点数稼ぎか? だったら、莉奈に謝った方が少しでも良いと思うがな」


 両手が塞がっている都合上、天音先輩は思うように身動きが取れない。

 切りつけるような天音先輩の視線に晒されながら役に立つことを考えた。

 天音先輩が借りてきたプリント室の鍵を拝借した。先回りして開けておく。


 慎重に次に話すべきことを定めていった。

 許して今回だけで貰おうとは思っていない。今までの俺の評価を思い出して欲しい。

 こういう厳しい視線こそ、実際のところ俺には希望でさえもあったのだ。


 髪が金色で肌が地黒。

 このコンボのせいでチャラ男に見えてしまう俺は普通の人よりもずっと、真面目に生きてきた。

 だからこそ、天音先輩の怒りようは俺にとってはすがるべき蜘蛛の糸だった。


 俺のことを心底から嫌っていたら、あんなに取り乱したりはしない。

 意外だったからこそ、失望されたのだ。


 さっさと書類をシュレッダーにかけて天音先輩は俺よりも先に退出するつもりだ。

 黙って不機嫌を顔に浮かべて書類をシュレッダーにかけている。

 シュレッダーが紙を飲み込み細切れにする音に負けないように俺も声を出す。


「毎日、大変ですね」


 返事はない。


 なにか天音先輩から返事が貰えるようなものを探さなければならない。

 怒っていて、無視したい相手から振られても答えても良いと思うような話題。

 頭をひねったが、思いつかない。外見とは裏腹にそういうこととは縁遠い人生を送ってきたのだ。


 なにか切欠はないか。

 すがるように天音先輩からほとんど奪い取るようにして掴んだ書類に目を通した。

 どうやら、一昨日俺が手伝ったのとはまた別の書類のようだ。


 生徒会の活動とはほとんど関係なさそうな内容が書いてある。

 勉強が上手く行きません、や、志望校が決まりません、または彼女、彼氏ができません、というような恋愛相談のようなものまである。


「また、仕事、増やしたんですか。こんなの俺みたいな庶務に任せとけば良いじゃないですか」


「お前には関係ないだろう」


 天音先輩から書類を奪ったせいで早く終わりそうだ。

 だが、返事があった。


「関係ありますよ。俺は、先輩の手伝いがしたいんです。先輩に伝えた思いは本物です」


「だったら、莉奈にしたことも本物か? お前はつくづく見下げた奴だな」


 不快なものを見る目で天音先輩が俺を見ている。が、それだけではない。怪訝さもあった。

 軽蔑と猜疑。

 俺は下等な人間だと見下されながら、さらに行動の意図をすべて疑われている。

 それが今の天音先輩に見える俺の全てだ。


「どうした、否定しないのか?」


「先輩には俺を信頼して欲しいんです」


「あんなことをしておいて、一体全体どこを信頼しろと言うんだ?」


 シュレッダーが紙を飲み込む速度がいつもより速い気がする。

 もう三分の一も残っていない。


「俺は、否定も肯定もしません。ただ、先輩には俺の行動を見てそれが正しいのかどうかを、俺が誠実かどうかを判断して欲しいんです」


「誠実?」


 ぎろ、と天音先輩が俺を睨みつける。


「お前のどこに誠実さがある」


「それは」


「四角という女子から聞いたぞ。お前は、友人の藤木という奴と一緒に女性をひっかけるナンパ行為をしているらしいな」


 藤木。貴也の苗字だ。四角の何も聞き覚えがある。貴也がナンパしていた女の子だ。


「俺がそんなことをする人に見えますか?」


「見えるとも。信用して欲しいのだったら髪くらい地毛にもどせ。誠実だの信頼だのと言っているが、できる限りの努力もしない。お前は私が一番嫌いな人間だ」


 反論をしようと口を開いたのと同時にシュレッダーが止まった。


「あとはやっておけ。少しでも誠実に見られたければ、な」


 吐き捨てるように天音先輩が言う。取り合うそぶりも見せずに、プリント室から出て行こうとする。


 俺には引き止める権利はない。そのまま見送った。

 だが、何も声をかけていないのに先輩が立ち止まった。


「おい」


 俺に呼びかける。


「これからもこんな風にするつもりか?」


「いけませんか?」


「駄目だ」


 もう話したくない。天音先輩の気持ちが伝わる端的な拒絶だった。


 だが、俺には語るべき言葉がない。

 天音先輩にこんな俺を許して欲しいと語る言葉がない。


 言葉にも乾いた俺に慈悲の雨が降り注いだ。


「だが、寛容さは生徒会長になくてはならないものだな」


 天音先輩が顎に手をやって考えた。


「あと、五回だ」


「五回?」


 何の回数だろう。

 その疑問に天音先輩がすぐに答えた。


「お前が私に話しかけていいのはあと五回だけだ。それを忘れるな」




 ○




「すみません、遅れました」


「なにやってんだ」


 野菜を切りながら静夫さんが平坦に注意する。


「すみません」


 遅れた俺の代わりに文香さんがホールで接客していた。

 文香さんに頭を下げ交代する。その際に、文香さんがぺろっと舌を出して俺をからかった。


 あのあと、シュレッダーで書類を片付けていた。順調に終わりそうなペースだった。

 だが、途中で機械が詰まった。

 先生を呼んだが、結局直らずじまいで業者を呼ぶとのことだった。


 だが、シュレッダーが壊れたからといってやめられない。天音先輩から奪うようにして取った仕事だ。責任をもってこなしてきた。

 シュレッダーが壊れてもまだ手がある。

 ハサミを借りて手作業で書類をばらばらにして、片付けたのだ。


 おかげで思った以上に時間がかかってしまった。

 そのせいでバイトに遅刻してしまったのだ。


 静夫さんが帰ってから文香さんが俺にまかないを作ってくれた。


「それで、どしたの今日は」


「ちょっと用事で」


「会長絡み?」


「はい」


「へー、そっか」


 文香さんはあまり深く訊いてくれなかった。

 それに安心した。




 ○




「ごめんね、シュレッダー壊れちゃってて」


 プリント室の鍵を借りに行った天音先輩に先生が謝った。


「代わりにこれ、使ってよ」


 書類の上に置かれたのはハンドルのついた箱である。

 側面には金属の刃がついている。

 手動シュレッダーのようだ。


「おい」


 職員室を出るなり、天音先輩が俺に呼びかけた。

 むこうから呼びかけてきたのでこれは五回のうちの一回にはカウントされていないだろう。


「まさかお前、壊したな」


「そんなことしませんよ」


 先輩とは一緒に居たい。だが、そのためにシュレッダーを壊すようなことはしない。

 そんなことをすれば信頼を失うだけだ。

 きっぱりと否定した。


「どうだかな」


 どっかりと俺の書類の上に先輩の持っている書類が重ねられる。

 姿勢を崩さないように腰を入れた。

 書類の頂点に手動シュレッダーがちょん、と置かれる。


「私の代わりにやっておいてくれ。手伝いたいんだろ。今更後悔しても遅いからな」


 そう言うと返事も許さずに背中を向けて去って行く。

 天音先輩の綺麗になびく髪。俺はそれを無力感を伴いながら見送った。


 残ったのは両手にずっしりと重たい書類。

 俺は途方に暮れた。

 こんな量一人で出来るわけがない。

 持っているだけでも足腰にくる。


 多めに仕事をふって諦めさせようとしているのだろう。だが、逆を返せば先輩に試されていると言うことになる。試練を乗り越えれば、なにか得られる物が取り返せる物があるかもしれない。


 とはいえ電動シュレッダーでも遅刻しそうだ。それなのに手動シュレッダーを使わざるをえない。

 これでは絶対にバイトには間に合わない。


 天音先輩は図書室が閉館する六時まで作業している。

 バイトが始まるのが七時。

 学校からならバイト先まで二〇分かかる。

 四十分でこの量はどう考えても不可能だ。


 何か策を考えなければならない。


 だが、まずは今日を乗り越えなければ。

 ここで出来なければ持ち帰るだけだ。

 鞄に押し込んだが、書類があまりにも多すぎる。


 だったら、鞄に入りそうになるまで手動シュレッダーで作業するしかない。

 焼却炉で燃やす、捨ててなかったことにする。そういう選択肢もある。

 しかし、俺が天音先輩からは預かった仕事は一つだけ。

 シュレッダーで書類を処理する。それだけだ。


 それ以外の方法で処理をして、もしなにかあったらそれは俺の責任だ。

 隙を見せると御劔や莉奈につけ込まれる可能性もある。


 なんとか自分の教室にシュレッダーと書類を持ち込んだ。


 教室で練習していた吹奏楽部の生徒がぎょっと目を剥いた。

 作業していると、その生徒の先輩らしい人が「すみません」と声をかけてきた。

 黒く長い髪が揺れていた。


「この教室は部活動で使っているので出て行って貰って良いですか?」


 もっともな言葉だ。だからといって引き下がるわけにはいかない。俺にはここしかない。


「これをシュレッダーにかけるだけで静かにするのでいさせて貰えませんか、お願いします」


 頭を下げて頼む。


「委員会ですか?」


「そんなところです」


 すると先輩らしい生徒が平気? と後輩に視線をやる。

 後輩が何度か頷いた。

 それから吹奏楽部のトランペットの練習音に晒されながら、なるべく音をたてないよう、静かにハンドルを回した。


 三十分もするとその生徒もいなくなった。

 遅刻のリミットまであと十分もない。

 書類はまだ鞄に入らなかった。


 遅刻を覚悟した。


 店には電話がない。

 スマホで文香さんにメッセージを入れた。


『今日も遅刻しそうです』


 しばらくして、『わかった』とだけ帰ってきた。

 

 結局、書類を鞄に詰め込められたのはそれからずっと後だった。


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[一言] 色々な選択肢が視えます。 頑張ってください。
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