かもかも言い過ぎ。あんた鳥?
挨拶運動は今朝もやっている。
天音先輩は腕章はくれなかったし、目もあわせてくれなかった。
だが、俺は先輩の隣に立って挨拶し続けた。
教室に行くなり未可子が俺に駆け寄ってきた。
「あんた大変なことになってるよ」
昨日のことはまだ、心にずしんと響いている。だが、取り乱してはいけない。
「これこれ」
未可子が差しだしたのは携帯だ。
莉奈が未可子に送ったメッセージが記されてる。
それを見て俺は目を疑った。
「これ本物か?」
「じゃなけりゃうちもこんなに騒がないし」
莉奈の本気はどうやらただものではないらしい。
メッセージの内容は、俺が莉奈と別れると一方的に切り出したこと。
別れ際に強制的に関係を迫られ、勢いに負けて体を許してしまったことがである。
これが、全国模試でも上位の国語力で書かれてある。
加えて、次の獲物を探しているから気を付けて、ともあった。
しかも、友達だから打ち明けたから黙っていてほしい、と公表しないように釘まで刺してある。
「いやーうちもさ、初めて見たときは信じそうだったわ」
「俺はこんなことしない」
「あんたのこと分かってる人なら絶対大丈夫。貴也とかうちとかならね。でも、もしあんたのことあんまり知らない人が見たらヤバいんじゃないの。例えば、会長さんとか」
このメッセージを見て、どうして天音先輩があれほどにまで俺を毛嫌いしたのかが分かった。
天音先輩の中での俺は、俺のことをひたすら好きだった親友を一方的に振った男だ。しかも挙げ句に体の関係を強要した。さらに次の獲物として自分を狙っている。
そんな存在として俺は認識されているのだ。
想像以上のやり口だった。
俺が想像していたのは、もっと手心のあるようなちょっとした嫌がらせだ。
上履きに画鋲を入れたりだとか、俺の弁当に血を混入させるだとかそういう類いの。
まさか、自分を傷つけてまでも俺に致命傷を与えようとするとは。
「これ、莉奈は大丈夫なのか」
「そうだよね、こんなことをしても本人が傷つくだけなのに」
未可子の目にも涙が浮かんでいる。
どうしても俺を傷つけて元の関係に戻りたい莉奈の悲壮な覚悟が伺えた。
莉奈だって楽しくてやっているわけではないだろう。
「これ未可子以外には?」
「今のところ仲のいい人にだけしか送ってないと思うけど、もしこのまま対決するつもりだったらどうなるかわからないよ」
莉奈に友人は少ないため、今はあまりダメージがない。
こんなメッセージが学校中に広まってしまったなら今の比ではない。
最悪だ。
この学校が創設されて以来の極悪人として俺は語り継がれてしまう。
御劔のことも気がかりだった。もし、あいつにこの情報が知られてしまったら。想像するだけでゾッとする。
昨日御劔に潰してやると言われたばかりである。
そうはならないように、策を講じなければならない。
「てめぇこの野郎!」
突然の怒声に振り返ったときにはもう俺の顔に拳が突き刺さっていた。
机や椅子を巻き込みながら俺は倒れていった。
「お前よくもお前なぁ!あいつがどんな気持ちでお前を!」
なにやらわめき散らしているのは貴也だ。貴也は倒れた俺に蹴りを浴びせていた。
力と体重の籠もっている本気の蹴りに俺の体がくの字に曲がり、声も漏れる。
「ちょっと馬鹿、落ち着きなさいよ」
未可子が教科書で貴也の頭を強くはたいた。
○
一時間目の休み時間。
「すまん」
貴也が両手をぴったりと閉じて俺に謝っている。
「あんたが莉奈のメッセージ信じてどうすんの。うちら、祐介の味方でしょ」
「ほんとうにすまん。すまん。俺は俺が恥ずかしい」
先ほど貴也が俺に殴る蹴るの暴力を振るったのは他でもない。
あの莉奈のメッセージが貴也にも送られていたからだ。
それを真に受けた貴也が怒り心頭のままに俺を殴りつけたのがことのいきさつである。
回りの生徒には二人で流行っているノリだと未可子が辛うじて誤魔化した。悪評は広がっただろうが、背に腹はかえられない。
貴也にメッセージが送られた時刻は、計算されていた。
俺の家へ直接貴也が殴り込まないように、また挨拶運動中に殴り込まないように時間を工夫してある。
謝りっぱなしの貴也にはパックのフルーツ牛乳を奢って貰った。これでチャラだ。
俺たちは自販機の置いてあるコーナーでたむろした。
ここは飲食が可能になっていて簡単なテーブルと椅子もある。
フルーツ牛乳を飲むと口に染みそうだった。血も出ていないのでどこも切れていないのだろう。これなら腫れずにすみそうだった。
「にしてもさ、これちょっとやりすぎだと思わないか」
「うちもそう思う」
眉を曲げる貴也に未可子が同意した。
貴也に送られたメッセージは未可子に送られたものと内容は一緒だった。
だが、書き方が変えられてある。
「私たちで守ってきた人に、いきなり裏切られた」という文や「十年も思い続けた私たちの気持ちは、一秒たりとも祐介の心に染みこんでなかった」と未可子には送られていない文章が記されてある。
この効果は絶大だった。俺、つまり笹川祐介を信じたのに裏切られた私たち、という構図が巧みに作られてあった。
「弁解するわけじゃないけど、嘘だと思っても祐介に腹が立ってくるからな」
言い訳でも冗談でもなさそうな貴也の感想に未可子が肯く。
「貴也は決して軽はずみに人を殴るような人間じゃないしね。たしかに、女好きで頭も軽くて少々馬鹿なところもあるけど」
「未可子、お前は俺を褒めてるのか?それとも貶してるのか?」
「それだけ、莉奈の力が強いってことじゃん。文章だけで人を殴らせるって、もし莉奈が面と向かって誰かに話してたらそれどころじゃ」
そこまで言って未可子が何かに気付いた。
「ねぇ、莉奈ってたしか会長と友達じゃなかったっけ?」
俺は力なく頷いた。
「会長って生徒会長か?なんで会長が出てくるんだ?」
「馬鹿、祐介は会長に片想いしてんの」
「まじかよ、お前が?」
猿のようにはしゃいでいた貴也だったが、徐々に状況の不味さに気付いてきたようだった。
「てことは、莉奈はあの嘘メッセージを直接、面と向かって会長に伝えったってことか?」
「そゆこと。文章だけじゃなくて、表情や仕草も込み込みでってこと。ねぇ、あんた会長さんと話したのいつ?」
「昨日だ」
「それでどうだった?」
俺は首を横に振る。
さすがに詳細まで語る余裕はまだない。
未可子の手が俺の肩に置かれる。
「どんまい」
「んだよ、まだ祐介が負けたって決まったわけがねぇだろ!」
尻上がりに貴也が意気込む。
「あんたが読むだけで親友をぶん殴っちゃった文章を、莉奈が完璧な仕草と演技で会長さんに伝えたんだよ?しかも会長さんはあんた以上に祐介のことを知らないわけだし」
「そんなにこするなよ」
「どっちにしろ、そんなものもう駄目っしょ」
「駄目ってことはねぇと思うけど」
言いながらも貴也の声は今度は尻すぼみになっていく。
「まぁ、可能性は薄いな」
と、貴也はついに認めた。
未可子が俺にたずねた。
「で、告白はしたの?」
「ああ」
「まぁ、タイミングが悪かったのよ」
未可子の声は暗い。
貴也が俺を励ますように喋りだした。
「俺はさ、同性ながらも祐介のこと結構格好いいと思ってるし、それに莉奈だって悪い子じゃないと思うぞ?こんだけ滅茶苦茶なことやるのもさ、裏を返せば、お前のことをそれだけ諦めたくないってことだろ?」
「そうだね、このまま莉奈っちと張り合って別の子にアプローチしてもすぐにやられちゃうだろうし」
未可子も貴也ももう諦めムードだった。
次や、これからの話ばかりをしている。
言外に莉奈とくっつけとも言っている。
だが、そんな風に言ってくれるのは、俺もそうやって諦めていると皆が思っているからだ。
状況は悪い。底なし沼に頭から突っ込んでくるぶしまで埋まっている。
そんな俺を引きずり上げてくれるのは莉奈しかいない。そういう状況を莉奈が作り上げたのだ。
だが、俺の腹は決まっている。
「俺はこのままだ」
「このままって、次の子は見当ついてるの?」
フルーツ牛乳を飲み、誤解を与えないように言葉を選んだ。
「俺が好きになったのは天音先輩だ。だから俺は天音先輩だけとしか付き合わない」
「で、でもよ。それはさすがに」
貴也が苦い顔をしている。状況は貴也にも見えているのだ。
このまま戦っていると俺は決して無傷ではすまない。
それどころか、一生引きずるような大きな傷を背負うことになるかもしれない。
それが莉奈の狙いなのだ。
莉奈は俺を再起不能にし、一生俺を飼うつもりでいた。
そうすれば俺は一生傷つかない。いいこともあるだろう。だが、そうなると俺は天音先輩に助けていいか、とは二度と聞けない。
あんなに完璧な人なのに、どういうわけか俺にはあの人がどこかもろく、弱く見える。だからこそ、支えたかった。誰よりも近い場所で。
大方、未可子も乗り気じゃないだろう。
だが、俺は一人でも、誰も俺の手を貸してくれないとしても戦うと心に決めていた。
未可子が口を開いた。
「じゃあ、徹底的にやりましょ」
「でも、未可子それじゃ、祐介がよ」
「肝っ玉が小さいわね。祐介がやるって言ってんのにあんたが水さしてどうすんの?」
未可子の言葉に目頭が熱くなる。
まだ、俺には仲間がいる。可能性だってゼロじゃない。
ゼロに近いだろう。ゼロじゃないなら俺は突き進む。
「それにいっぺん告白したのにフラれちまったんだろ? 俺なら諦めるけどな」
「だからあんたには莉奈がいないのに彼女が出来ないんでしょ。肝心なところで臆病になって自分を守りに逃げちゃうんだから」
貴也が口をぱくぱくさせていた。
「今俺ものすごく傷ついたんだけど」
「ごめん、でもうちもそうやって自分だけじゃなくて他の人を傷つけた人、知ってるから」
真剣なトーンでいう未可子に貴也はかける言葉もなさそうだった。
貴也は俺に話題を戻した。
「てことは、祐介はもう一回会長と話しに行くんだな。でもよ、そうするにしても誤解だって俺たちが証明した方がいいんじゃないか?」
「そうだね」
それには未可子も賛成していた。このまま天音先輩に話をしに言っても俺のイメージは最悪なままだ。
そんなことをしても焼け石に水で終わる。
誰が何を言うかで物事の信憑性は変わる。俺はこれまでの人生でそのことを嫌と言うほど実感していた。
だが。
「誤解の証明はしない」
「はぁ?」
未可子はあからさまに俺の正気を疑っていた。
「あんた本気? うちらが証言してあげようっていってんのに」
「それだと莉奈が天音先輩に嘘をついたことになるだろ」
「嘘をつくもなにも莉奈が会長さんに嘘ついたのは事実じゃん」
「でも、俺は莉奈と天音先輩との仲を裂くような真似はしたくない」
はは、と未可子が乾いた声で笑った。
「うちらが証言してもぶっちゃけ駄目なものは無駄なわけ」机にがぶりよって、未可子が俺の目を覗き込んだ。「その状況で、嘘を嘘だと暴かずにクズみたいな男のままで会長さんに会いに行くってこと?」
「そうだ」
「それで会長さんがあんたを許したら会長さんが最低な人になっちゃうじゃない」
「天音先輩は俺を許しはしないと思う。だけど、何度もいけばいつか俺のことを信頼してくれるかもしれないだろ。そしたら、あれは嘘だったかもしれないと思ってくれるかもしれない」
「かもかも、言い過ぎ。あんた鳥? そんなこと絶対不可能だから」
「どんなことがあっても俺は天音先輩に助けていいですか、と自然にきける存在になる」
貴也と未可子は顔を見合わせていた。
俺は二人がきいてくれているかも分からないまま続けた。
「先輩が一度は俺のことを信頼してくれた。だったら二回目もある。きっと天音先輩は俺のことを信じてくれる」
「なんでそんな風に信じられるの?」
「先輩が一度は俺を信頼してくれたからだ」
「それって……」
そこから先を未可子は言わなかった。
あまりにも馬鹿げているからだ。
自分で言っていて馬鹿だなと思う。
一度先輩が信じてくれたという証拠もない。
今の俺は下手をうたなくても思い込みの強いストーカーだ。
息を吹きかけて生かそうにも火種はもう小さすぎるのかもしれない。
その自覚はあった。
だが、進まなければ道はない。