Case04...同類
三日前。
時計は真昼を越えて二周程回った辺り。
夏期休暇という事で他人に会う理由もなく済んでいた俺は、厄介な課題を休暇序盤に終わらせるべく机の上にあるノートに向かってペンを走らせていた。
窓の外からは風が強いのか、木の葉が擦れ合う音やどこかの家の風鈴の音が響く。
しかし、そんな涼しげな音を掻き消すかのように蝉の群れが合唱を歌い続けている。
「…さすがに暑いな」
そう思ってもエアコン等といった設備は家にはない。
仮にあったとしても一人暮らしの身としては余分な出費を避ける為にも使うことは躊躇われる。
「…集中できない」
家賃もそこそこのボロアパートの一室。
他人との接触は避けられても、生温い風と共に流れ込んでくる窓からの雑音は遮断できない。
鳴り止むことのない蝉の大合唱に我慢できなくなった俺は、気晴らしを目的に散歩に出る事にした。
30度近くある真夏の屋外といってもやはり休日。
人気の多い大通りや商店街は避けて住宅街近くの川沿いを歩き、木製のベンチへと腰掛けた。
家を出る時に時計を忘れてきてしまったのだが、流れる風に乗ってくる食べ物の匂いで今が昼時なのだと認識する。
静かになびく柳の葉。流れる水の音。どこかの家の風鈴だろうか、吹く風に乗って聞こえる涼やかな音色。自分一人の河川敷。
その全てが今の自分にとっては心地よい。
誰の雑音も無い。自然の音だけが耳を、目を、頭を侵食する。
「たまにはこういうのも悪くないな…」
久しぶりの場景だからか、不思議といつもの自分には似つかわしくない声色、感情で独り言をぼやく。
「本当に。たまにはこういうのも悪くないね」
「あぁ・・・は?」
「あら?どうかした?」
突如として後ろからかけられた声に内心とても驚きながら振り向くと、目の前には祭りやモールなどで見かけるウサギの形をしたピンクの風船。
「ちょっとどこみてるの。下よ下」
ちょうど腹の高さから発せられた不機嫌な声に言われるがまま視線を下げれば、シンプルな花の髪止めを黒髪につけた女の子が立っていた。
よく見て中学校…悪く見て小学校くらいの彼女は、僅かながらに頬を膨らませて『怒ってますよ』オーラを出しているにも関わらず、俺の座っているベンチの隣…石でできた水道に腰かけ―――
「レディが立っているのに、席も譲らないのかしら?」
それがさも当然といったような感じで言ってのけた。
特に譲る理由も譲らなきゃいけないという決まりもないので(理由はあるが)我関せずを貫いたが、それを無言の肯定と受け取ったのか。彼女は膨らませた頬を笑みでかき消し、俺の言い分など聞く耳持たずして残り少ないベンチのスペースに入り込んだ。
「ねぇねぇ、今の私達ってどんなふうに見えるかな?」
出会ったばかりだというのに妙にハイテンションな女の子。
どうといわれても、河川敷のベンチに佇む男女二人。
普通なら仲睦ましい関係とでも思われるだろうが、相手はガキ。
故に考えられることは…
「良くて兄弟か親戚の子を連れたお兄さん。悪くて誘拐犯と人質か」
「えーそれってヒドくない?これでも高校生だよ?」
「それは言わなきゃ分からないと思う」
「それもヒドいね」
自称高校生の少女は、こんな単純な受け答えにもとても嬉しそうに微笑む。
そして俺も、こんなに近くなのに正常。
「キミもなのか?」
「お兄さんもだよね」
真後ろに立たれても感じない。近距離で話しても見えない。
彼女もそうだといった。要するに《お仲間》。
「正直驚いたんだぁ。今まであってきた人みんな聞こえてきたのに、お兄さんからは何も聞こえないんだもん。ねぇねぇ、お兄さんはどんなヒトなの?あ、ちなみに私は心の声が聞こえるの」
心の声が聞こえる―――超能力と呼ばれるものの中でも特に知れ渡っているであろうテレパシーの一種。
どの超能力にも言えることだが、普通の人間の感覚からすればとても魅力的なものだと思うのだろう。
しかし実際のところは「自分で制御ができなくて、日々人の心の中を覗き込んでいるようで気持ち悪いとしか思わない」というのが普通。彼女もそれとほぼ変わらない返答を返してきた。
だが今の状況は違う。
俺が彼女の人生が見えないように彼女も俺の心の底を感じることができない。
そんないつもとは違う感覚だったからこそ、こうして声をかけてきたのだろう。
俺の《力》の事を聞いても彼女は特に驚くことはなく、むしろ
「それはどんなものなの?」
とか
「どういうふうに感じている?」
などといった質問を嬉々として会話に混ぜてきた。
俺も他人の様子を伺う事のないそんな会話が新鮮でつい話し込んでしまい、気がついたら辺りはすっかり暗くなっていた。
「でもよかったよ。おんなじ境遇の人に会うなんて絶対ないって思ってたからさ」
「俺も同感だ、こんなふうに話したこともなかったし。よかったらまた話できないかな?」
俺がそう切り出したのは当然のように思えた。
二度とないかもしれない出会いと会話。新鮮すぎて手放したくないと思ってしまうのはしょうがないことだと思う。
だが彼女はそんな問いに喜ぶことはせず、ただじっと前を見つめたまま動かなかった。
「…正直さ、それはすごく嬉しい事なのかもしれない。けれどそれが《新しい事》なんだって思うと、それに慣れちゃうのはダメな気がする」
「…言いたい事は分かる。今まで過ごしてきた《普通》が普通じゃなくなるって事」
「そう。だからこれからずっと会うのは止した方がいいかもって思うの。同じ境遇の人間がいるって事が分かっただけでもずっと気が楽になるし」
そう言って彼女はベンチから勢いよく立ち、軽く伸びをする。
今まで築いてきた自分を崩したくないからこそ、イレギュラーなこの出会いを日常に入れないようにする。
そんな考えは俺の頭にはなかった。彼女の方がずっと大人なのかもしれないと思うと、少しだけ悔しくなった。
「分かった。だったらお互い名前を教えるのもなしで。あぁ、こういう人がいたなぁって思えればそれでいい」
「そういう事。お互い良い時間を過ごしたね、お兄さん」
「その言い方だと、すごくいやらしく聞こえる」
「へへっ、同感」
つまらない冗談を言い合ってから一呼吸、彼女は持っていた風船を俺に差し出してきた。
「お兄さんの力ね。サイコメトリーっていうんじゃない?自分の事について調べることもいい勉強だよ?」
「そうだな、今度調べてみるよ」
「よろしい。じゃあ元気でね」
「あぁ」
そのやり取りを最後に、彼女は夕暮れに染まる河原沿いの並木道を元気よく走って行った。
―――――※―――――
「自分の事を調べる、ねぇ…」
それから三日後。
俺は机の隅に追いやられた参考書共を尻目に、新しく机上の主となったオカルト本の山を読み漁っていた。
自分の事についてなんて熟知しているものとばかり思っていたが、改めて調べることで知らない単語などがどんどんでてきた。それが役に立つか、為になるかは別としても。
部屋の脇に置いてある、ガスも抜けてしまい萎んでしまったピンクの風船。
それを持っていた彼女の言葉。
色々と勘に障ることもあったような気がするが、たまにはこういう事も悪くないと思ってしまう自分がいた。
まったりと執筆しようと思うとやたら時間がかかってしまう。。。
女性の言葉づかいや描写といったものが難しい。
長編作の構想が微妙に固まってきたのでそちらに力をいれるかも。