Case01...絶望
朝。
カーテン越しに瞼を刺激する淡い光。
枕元で五月蝿く鳴り響く電子音。
手探りで音の発信源を探り当て乱雑に放り投げる。硬い物同士がぶつかる鈍い音を最後に煩わしい電子音は鳴り止んだ。
しん、と静まる室内。
もぞもぞと布団から顔を出し、手元に転がっていた携帯のディスプレイを覗いた。
《AM08:15》
普段よりだいぶ早い起床時刻。アラームが壊れたのかと疑ったが、大事な講習があるのを思い出し、気だるい身体をちょうど良い温度に温まっている布団から引っ張り出す。
足元に散乱する雑誌やゴミを払い除けながら脱衣所へ。寝癖だらけの髪の毛に霧吹きで水気を与え、ブラッシング。その後軽くドライヤーで乾かし終了。
白のスウェットを脱ぎ散らかし、紺のダメージデニムに白のTシャツ、上からチェックのシャツを羽織って外に出た。
雪が溶け、だんだんと暖かくなってきた小春日和。人通りの少ない道を選んで高校へと向かう。
別に人と付き合うのが嫌いなわけじゃない。世間的に言う「陰湿な人間」でも無いつもりだ。
けれども、俺はそういった人間を演じ続けている。そうしないとやっていけないからだ。
俺は他人の過去・未来を視る事ができる。それは自分では制御できない。視える時はその人間の一生全てが走馬灯のように視えるし、視えない時は断片的にしか視えない。視えた時の数秒前と後くらい。共通するのはその人間からの視点で視えるという事。
といってもそれだけならこんな風に裏道を一人で歩く必要はない。
力にはそれ相応のリスクが伴う。
俺は他人のソレが見える度に、時間差で激しい頭痛を起こす。知恵熱の延長線上だろうか、原因は分からない。ただ、それは視えれば視える程痛みも強くなる。一度だけ凄く視えた時期があって、その時は耐え兼ねない痛みに自殺しようとも考えた。
それでも俺は生きている。死が怖いというのもあるが、それ以上に、過去に一度だけ視た「俺に関わった人間の涙」を現実にしたくないと思ったから。
今日は人に会うことも無く高校についた。
解説力も人気も日に日に右肩下がりの禿講師の話を延々と受ける。その間も断続的に視える色々なモノを意識の外に追い払うので精一杯。
そうしているうちに授業は終わり、帰宅する時間となった。
今朝と同じように裏道を帰ろうとしたのだが、「工事中」という立て看板に阻まれ、仕方なく大通りを行く事とした。
俺にとって外に出て人混みに行く事ほど不快なものはない。
一歩進む度に脳内にポツポツと浮き出る断片的なフィルム。それを必死で意識しないように帰り道を進んで行く。
そうやって大通りを抜けて、近くの公園まで差し掛かった時
「「お前は何をやっても使えないなぁ」」
「「ホント駄目だな。あっちで作業してろ」」
「「もういい、お前要らない。明日から来なくて良いから」」
それは突然視えた。
どこかの料理店の厨房だろうか。
一人の人間が時間を置いて色々な場面で、色々な人間に罵倒されている場景。
そして場面は飛んで公園へ。
―――目の前で遊んでいる子供達。これは今日の夕方?ついさっきか?
「「俺は使えない人間…」」
―――恐らく自身の声だろう。男らしい野太い声が己を罵っている。
「「俺は要らない人間…」」
―――徐々に弱まっていく声。ブツブツと何か言いながらベンチを立つ。視線の先には近くの
廃ビル。動き始める足。
俺は最後に呟いていた言葉の意味を理解する前に廃ビルへと走った。
目の前に広がるのは今日までずっと住んできた街。
ビルの合間に見える太陽は紅く燃え、最期を飾らんとばかりに美しかった。
あと一歩でも踏み出せばその肢体は宙に舞い、そして散るだろう。
その一歩の勇気を出せずに男はポールにしがみついていた。
「なぁ、あんた死ぬのか?」
誰もいないはずの廃ビルの屋上、突然かけられた声に驚いた男は幅30cmと無い足場で振り向き、入り口の方に身体を向けた。
年齢はだいたい30後半だろうか。脂分が無くパサパサとした頭髪。皺の入った頬。
その両の目は今にも消え入りそうで儚かない光を宿していた。
「なぁ、死ぬのか?」
俺は同じ問いかけを繰り返す。
男は俯いたまま黙っていた。
「リストラっていうのか?そんなものでアンタは自分の人生を断つのか」
その言葉にピクリと反応し顔を上げた。何で分かるんだ―――とでも言いたげな顔。
同時に憤怒の―――いや、色々な感情が入り混じって今にも泣き出しそうな表情を俺に向け
た。
「見ず知らずのアンタなんかに何が分かる!こんな歳になって、借金も、ローンだってあるの
に…クビだと!?この先どうしたらいいんだ!!」
心からの叫び。それは俺に向けられた言葉なのだろうか。それともこの理不尽な世界に向けられたのだろうか。
「俺にアンタの心は分からない。アンタが本当に死にたいって言うなら止めはしない。だけ
ど、アンタが死ぬ事によって悲しむ人間がいるって事は忘れちゃいけない」
そういってポールにしがみついている男の手を掴む。
「悲しむ人間!?そんなのいる訳がない!両親は勘当しているし女房は愛想尽かしている!」
「それでも、心ではアンタを必要としている。絶対に。これが証拠だ」
そういって握る手に力を籠める。
俺の力の断片。肌に触れる事で他人に映像を視せる事ができる。
俺の視た映像―――この男の未来。飛び降り、頭蓋骨陥没の即死。病院の一室で顔をクシャクシャにして泣きながらしがみ付く女性。妙齢の夫婦。そんな場景を男の脳内に鮮明に映し出した。
どれだけの時間が経っただろう。
気付けば男は映像内の女性のように顔をクシャクシャにして泣いていた。
男に対する家族の思い―――人の心なんて分かるはずがない。
それをさも知ったかのように言い、己の脳内だけで判断する。そんな事は至極悲しい事だと思う。
「これだけ思われているんだ。もう少し頑張っても良いと思う」
泣き崩れている男の肩に触れ、そっと言い聞かせる。人に必要とされていると知った今なら間違いは起こさないだろう。
「…料理をしていたんなら自分で店を開けばいいんじゃないか?好きなを仕事にするのは良い
と思うよ」
肩に触れた時に視えた、男の幸せな未来の映像。
そんな未来に少しでも早くなれるように助言をして、俺は重たい鉄の扉の向こう側に消えた。
太陽は既に沈み、窓から漏れる光に照らされ食欲をそそる香りが辺りを漂う。そんな住宅街を通り抜けた先にあるマンション。
その近くのバス停で、俺は激しい頭痛と闘っていた。
力を使役した後に来る時間差の反作用。
いつもの俺ならこんな事になるのを予想して、あんな厄介事に首を突っ込む事はないのに―――。
そんな事を思いつつも、心のどこかでは安堵感や達成感を感じていた。
―――――※―――――
次の日の朝。付けっぱなしのテレビから聞こえるキャスターの声。少なくとも俺の耳には自殺という単語は聞こえてこなかった。
それからしばらくして、駅前にあった空き店舗に小料理店がオープンしたらしい。
熟年夫婦が経営していて、とても美味しいと評判だ。
そんな情報をテレビのグルメ特番で取り上げているのを聞いて、たまには外食も悪くないかなと思った。
見直し後修正、再投稿しました。
まだまだ未熟な所多々あるのでご指摘・ご感想等をいただけたら幸いです。