一矢報いてやりますか
「眠れない……」
ふうと溜息をついて、ベッドに転がった私に、アナベルがホットミルクを持ってきてくれた。
「ぐっすりお休みになられますように、温かいものをお持ちしました」
「ありがとう、アナベル!あなたって最高ね」
姉のようなアナベルはにこにこして私を見ている。
「今晩は微動だにせずお休みになられますよう」
「……」
それを言うかな?
ランプを二つも壊した前科ありだけど、釘刺さなくてもよくない?
「お嬢様は何か……お悩みなのですか」
鋭い。
流石、デキる侍女は違うよね。
「ふう……うん、そうかも」
可哀想な顔をしてみる。きっと快く相談に乗ってくれるかもしれない。
「珍しいですね。明日はあられでも降るのでしょうか」
「……」
だから、そこで天気予報は要らないっての!
「聞いてくれる?アナベル」
「何でしょう、お嬢様」
「今まで何とも思ってなかった……はずの人に、キスされたり、身体を触られたりするのって、どういうことかな?」
「は?」
「あ、だから、その……」
「お嬢様にそのような真似を……イルデフォンソ様とは、『合意の上』ではないのですか?」
合意かどうかって訊かれると何とも言えない。私が目を伏せて黙り込むと、アナベルはきりりとした表情に変わった。
「ご心配には及びません、お嬢様。私からそれとなく奥様にお伝えして、お嬢様の不安を取り除いて差し上げます。では」
「あ、ちょ……」
ミルクのカップを置きっぱなしにして、アナベルは大股で部屋を出て行った。
◆◆◆
ダメだ、ありゃ。
変な誤解をしているに決まってる。
アナベルは私がイルデに襲われたとでも思ったのだろう。すぐにお母様が飛んできた。
「リナちゃん……ごめんね、リナちゃん」
私を抱きしめておいおいと泣いている。お気に入りのネグリジェにお母様の涙と鼻水で染みができそうな勢いだ。
「お母様、誤解で」
「いいのよ、お母様には本当のことを話して頂戴。あなたが幼馴染のイルデフォンソを庇うあまりに、本当のことを言えないのは分かっているのよ」
分かってませんよ、お母様。
とりあえず、襲われて……ないよね?
気づいた時にはボタンを全開にされてお腹撫でられてたけど、首にキスマークつけられたけど、襲われたのとは違う……と思う。
でも、お母様は信じてくれなさそう。二人で会うなと言われただけでなく、このままではイルデは死ぬまで当家に出入り禁止になる。ろくに友達がいない私には、数少ない友人の一人なのだ。会えないのはつらすぎる。
――ん?
会えなくて、つらい?
別に、イルデに会わなくても、生きていけるんじゃない?
あいつと話さなくったって、死ぬわけじゃないし。
あいつの顔を見なくったって、息ができなくなるわけじゃないし。
あいつが他の誰といようと、私には関係ないし。
あいつが愛する令嬢に告白してうまくいってもいかなくても、私には関係ないし。
「リナちゃん?」
「お母様……イルデフォンソには、好きな方がいるの。その人のことがとっても好きだけど、好きだって言えないから私を……」
「その方はどちらのご令嬢なの?」
「さあ?」
「私は知るべきだと思うわよ。リナちゃんをその子の身代わりにして、こんな真似をしたのなら、イルデフォンソが彼女に告白する前に、彼の素行の悪さを教えてやりなさい」
なんと!
お母様、超悪い顔してる!
「未婚の令嬢に……私の大切な可愛い可愛いリナちゃんに、不埒な真似をした罰です。愛するご令嬢に徹底的に振られるといいのよ!」
「奥様、素晴らしい作戦ですわ!」
アナベルが手を叩いた。
「今こそ悪い男に鉄槌を下す時よ。弄ばれてばかりいないで、反撃しなさい」
「ちょっと待って、お母様。好きな人をどうやって訊くの?名前が分からないと、その子に連絡しようもないでしょ?」
「……」
「……」
自信満々の顔をしたお母様とアナベルは、顔を見合わせて無言になった。
「イルデフォンソに直接訊くしかないわね」
「または、イルデフォンソ様のご学友にお尋ねになるとか」
「ご学友、かあ……クラスの子に訊いてみようかな」
◆◆◆
翌日。
休み時間にこっそり、二年生の教室を見に行った。髪の色が目立つから、頭からショールを被っている。これでバレまい。ふっふっふ。
さて、イルデの友達は……。
「何をしているんですか、リナ」
びっくぅ!
びっくりしすぎて背中の筋肉がつるかと思った。
後ろからいきなり声をかけてくるんだもん。
「えっと……」
振り向けない。どうしよう、私だってバレてる?
「ひ、人違いじゃありませんこと?ほほほほ……」
「ショールの下から赤黒い髪が見えていますよ。スカートの後ろが変にひっくり返っていますし、ブレザーの裾もめくれて……こんな無様な姿をして平気なのはあなたくらいのものです」
「し、失礼ね!」
振り返ってデコピンでもしてやろうと睨み付け……られなかった。
ふわり。
これ以上ない優しい微笑を浮かべたイルデが、ぎゅっと私を抱きしめた。腕の中に囚われて呼吸が止まる。
「……あなたから来てくれるなんて」
何の用?とでも続けるつもりかな。
私はクラスメイトに会いたかっただけなんだけど。
「リナ……」
キラキラキラキラ……。
ああ、イルデの周りに星が見える。目の錯覚?攻略対象キャラだからかしら。
彼のクラスメイトは遠巻きにして私達を見ている。腕を解いてご学友とやらに話を訊ける気がしない。
「腕を解いてくれる?」
「あ……すみません。つい、嬉しくて」
直接は訊きたくなかったな。でも、ま、いっか。
「ねえ、イルデ」
「はい、何でしょう、リナ」
にこにこ。うわあ、笑顔垂れ流し、大サービスじゃない?訊きにくいなあ、もう!
「あのさ……前に言ってた、好きな人って誰?」
「……は?」
「だ、だから、イルデは愛してる人がいるって言ってたじゃない?」
「言いました……が……何故?」
何故だと?
理由か、理由があれば教えてくれるってわけか?
「あーと、んー、イルデの好きな人と、ちょっと話がしたいっていうか」
忠告するんだから、話よね。話すだけだもん、構わないわよね。
「話……」
じろり。
イルデの視線が冷たくなり、私を睨んだような気がした。
警戒されてる?幼馴染にあることないことバラされると思ってる?
そりゃあ、ちょっとは話のタネにさせてもらうわよ。ムカデを見ておもらしした件とか、詳細に教えてやってもいいわよね。
「やだなー。そんなに睨まなくてもいいじゃん」
「……私の話が、伝わっていなかったのだと、よぉく分かりました。で?私が思いを寄せるご令嬢と、あなたはどんな話をすると言うのです?」
「話って、イルデのことくらいしかないよ」
「私の話?」
鋭い視線が突き刺さる。壁際に追い詰められている。あ、壁に手ついてる……。
なんか怖い、無理だ。
お母様、アナベル、ごめん。私、ここで全部吐いちゃうわ。
自供するからカツ丼でも出してくれないかな?食堂のポテトでもいいや。
「あのね……」
ドクン。
うお、何でここで心臓がバクバクいうかな?
イルデが睨んでるから?睨んでるくせにちょっと笑ってない?
「その子に言おうと思ったの。イルデは私と……キスしたことがあるって」
「そうですか」
流された!?
平然とした顔でスルーですか?
「キス、だけじゃなくて、身体をさ、わられ、たり……したって……」
言いにくい。恥ずかしくて言えない。
愛するご令嬢に、「私、イルデに触られました」って言いにくいよな。聞いたら、最後までする寸前でやめたって思われそう。こっちのダメージが大きすぎる。
「言って、どうするんですか?あなたの話を信じるとは限らないでしょう」
「うう……」
「エミリオならともかく、私がそんな真似をすると、誰が信じますか」
品行方正な優等生が万引きしたようなものだ。女たらしのお兄様とはわけが違う。
「しっ、信じなくてもいいもん!私が教えたいだけなんだから。私はあなたより先に、イルデとキスしたんだって」
睨み返してやると、イルデは目を細めて頬を染めた。
――えっと?何、デレてるの?
「リナ……」
「イルデ、どうしたの?怒ってたんじゃ……」
「怒ってなんかいませんよ。そう見えたのなら申し訳ありません。……あなたの言動に少し苛立ったのは事実ですが」
やっぱりキレてたんじゃん。
「とても幸せな気持ちになりましたから、見逃してあげます」
脳内お花畑状態なのに上から目線か。大丈夫かな、心配になってきた。
「イル……」
「アレハンドリナ、ここにいたのか」
廊下を颯爽と歩いてくるイケメン一名。何かふっきれた顔のルカだ。
「どうかしたのですか、ルカ」
「殿下が呼んでる。生徒会室だ」
訳も分からず背中を押される。私が数歩歩きだしたところで、
「おっと、お前は行くなよ?」
ルカはイルデの腕を掴んだ。