これは何かの間違いです
イルデはそっと私を抱き起こした。隣に座ったかと思うと、私を自分の膝に引っ張り上げた。後ろから抱きしめられ、耳に息がかかる。
「反省しています。……僕は全てを諦めて、神殿に逃げ場所を求めていたにすぎません。それなのに、あなたを修道院へ行かせたくないと思いました。どんな手を使ってでも止めて、誰にも知られない場所であなたを……」
耳元で話されてくすぐったい。わざとか?わざとなのね?
「あなたを汚して、神の傍に仕えようなどと思わないように、僕に溺れさせたいと」
「……ぅあ、……や」
言葉が出て来ない。どうしよう。
イルデの変なスイッチ押しちゃったみたい。
「あなたを閉じ込める場所を探しているうちに夜になってしまいました……フフッ」
フフッ、じゃないから。
そこ、笑うところじゃないし。
閉じ込めるとか、物凄くさらっと危険な発言してますよね。仮にも神官志望でしょ?
「矛盾していますよね。大神官になりたいと言いながら、こんなにもあなたを欲しているなんて」
いつの間にか制服のリボンが外され、広げられた襟元をイルデの指が伝う。くすぐったくて身体を硬くした瞬間、首筋に柔らかい何かが触れ、少しの痛みの後で離れた。
心臓がうるさい。
何なの、何なの、何なの――!!
仮にも神官志望が……ん?神官になったら、こんなことできないわよね?
学生のうちに経験できることはしておきたいってこと?
神官になる名家のお坊ちゃんが娼館で脱・童貞してたって噂になったら困るから、手近な私で済ませようって?ビッチの噂で嫁の貰い手もないだろうから構わないだろうってこと?馬鹿にするな!
イルデの指が私のお腹を撫でる。ブラウスのボタンが全部外されている。何という手際の良さだ。最早、初めてではないんじゃないかとさえ思ってしまう。
「……イルデ、やめて」
「リナ?」
ぴたりと不埒な手が止まる。
私の声が冷たいと気づいたのだろう。顔を覗きこんできた。
「私、あなたを受け入れられないわ」
「受け……あっ、そ、そこまではまだ……」
イルデの腕を退かして向かいの椅子に座る。全開になった胸元が寒い。襟を寄せて自分の腕で身体を抱きしめると、イルデがごくりと喉を鳴らした。
「……どこ見てるのよ」
睨み付けると叱られたと思ったのか、膝を抱えて小さくなった。
「神官になるのに、ダメじゃない……」
イルデに都合のいい女だと、手頃な相手だと思われている。ずっと温めてきた友情は何だったのだろう。
「友情が壊れちゃう……」
「リナ、僕は……」
「修道院に行かせてくれないなら、私、セレドニオ殿下の妃になるしかないの」
最後の切り札を使った。
この国の次期最高権力者、王子の妃になる予定の令嬢に手は出せまい。
イルデは私に伸ばした手を引っ込めて、息を詰めて瞳を揺らした。
妃になんてなれるはずがない。
私の運命は決まっている。王子の婚約者になったら、悲惨な未来しかない。私と関わったと分かったら、大神官になるイルデの経歴にケチがついてしまう。
「……お父様から、殿下が私を婚約者に望まれていると聞いたの。だから」
「だから、僕を捨てるんですか?」
「捨てる?何を言っているの、イルデ?」
むしろあなたは、断罪される私との関係を知られたくないと思うはずだわ。
「殿下はあなたを愛していません。少しお気に入りってだけで、あなたを簡単に手に入れようとする……横暴で、傲慢で……憎い」
ギリッと奥歯を噛んだ音がした。
美人のイルデが怒ると怖いのは昔からだけど、怖い。物凄く悪い顔してる。
ガラガラガラ……。
馬車が猛スピードで走ってくる音と、馬の蹄の音がした。
ガタガタ!
馬車のドアがこじ開けられ、うちで一番力自慢の従僕が驚いた。
「お、お嬢様?……と、イルデフォンソ様!?」
◆◆◆
馬車が二台あったので、イルデはそのままアレセス家へと送られていった。強制送還と言ってもいい。私はお母様とアナベルに両脇を挟まれて馬車に揺られている。横に二人掛けですよね?きついんだけど、お母様?
「……リナちゃん」
落ち着いた声音にドキリとした。お母様が怒っている時の声だ。
いつもふんわりほわほわした頼りないお母様が、時々凛とした声を出したら要注意。お小言の前兆だと思っていい。
「何ですか、お母様」
本当は聞きたくない。相槌だって打ちたくない。そっとしておいてほしい。
「こんなことは言いたくないのだけれど……卒業まで待てないの?」
「は?」
「お父様に、学校をやめたいと話したそうね」
やめたい。うん、できればやめたい。お父様が許してくれたら。
「はい。でも、お父様が……」
「だからって、イルデ君と……こんなところで……」
お母様の視線の先……わあ!
そうだ、ブラウスの前が全開だったんだ!
「えっと、これは、何かのまちが」
「過ちはいけないわ。リナちゃんは正式デビュー前なのよ。なのに、卒業前におめでたなんてことになったら……」
はあ!?
驚きすぎて声が出ず、顎が外れそうなくらい口が開いた。
「今後、イルデ君と二人で会うことを禁止します。いいわね?」
「……はい」
お母様は誤解しているようだ。私が卒業を待てずに、イルデを誑かしたとでも思っているのだ。違うのにぃっ!
俯いてブラウスのボタンをはめていたら、隣のアナベルがそっと耳打ちしてきた。
「お嬢様、首のキスマークが見えますよ」




