思い立ったが吉日
「……修道院、ねえ……」
腕を組んだアリアドナ先生は、こめかみに指を当てて天井を仰いだ。
「先生がご存知のところで、どこか教えていただけませんか?」
「それを私に相談する?」
だって他に相談しようがなかったんだもの。ビビアナ嬢は修道院の話をすると、
「そんなに深刻にならなくてもいいのよ」
って宥めてくるだけだし、バルドゥイノ先生は私から逃げ回ってるし。
クラウディオと話したらまた噂になるから無理だった。
生徒の悩み相談って、保健の先生の出番だよね?ってんでアリアドナ先生にご相談。
「……少し、時間をもらえないかしら。調べて連絡するわ」
「本当ですか!?ありがとうございます、先生!あ、家族には内緒で……」
「ええ。内緒なのよね、……ご家族には」
アリアドナ先生は色気たっぷりに微笑んで、私を医務室から追い出した。
◆◆◆
翌日、アリアドナ先生から修道院の名前と場所を教えてもらった。
「……セレーナ修道院?」
「そうよ。私の知り合いの知り合いの……まあ、ざっくり言って知り合いがそこに伝手があってね。あなたを受け入れてくださると思うわ」
思う?
この期に及んで不確定なの?まあいいや。
昨日の今日でここまで探してくれたんだから、先生に感謝しないとね。
「ありがとうございます、アリアドナ先生!」
「どういたしまして」
医務室から出て、私は迎えの馬車に乗った。
お邸の自分の部屋もそのままにしてきてしまったけれど、お父様やお母様に手紙も書かないでしまったけれど、行くなら早い方がいい。
「寄りたいところがあるの。いいかしら?」
御者に行先を告げる。どうやら、私が修道院に用事があるのが信じられなかったらしく、何回も聞き返された。
……悪かったね、信仰心ゼロで。
◆◆◆
しばらく馬車に揺られ、窓から景色を眺める。
辺りは夕焼けに包まれ、遠くに王都が霞んでいる。
――遠くまで来てしまったわ。もう、引き返せない……。
ガタン!
突然馬車が揺れた。
「キャッ!」
椅子から転げ落ち、お尻を摩って椅子に戻る。
「何かあったの?車輪は大丈夫?」
「お嬢様、決してお出になってはいけません」
「……え?」
小さな窓から前方を窺う。並んでいる馬の向こう側に、一頭の黒い馬が見えた。
誰かいる?
進行方向に邪魔な馬がいて止まったの?
『お出になってはいけません』って何?
気になって様子を見ていると、御者に短刀が突きつけられた。彼は両手を挙げて後退し、馬車の御者席から転げ落ちた。
え!?ちょっと、守ってくれないの?
今日に限って従僕を連れていない。帰りにこっそり買い食いでもしようかと思っていたから、口うるさい侍女もいない。御者がいなくなったら、私は完全に一人っきりだ。
代わりに黒いマントの男が御者席に乗った。つばの広い帽子をかぶっていて顔が見えない。
ピシャリと鞭の音がして、謎の男と私を乗せて、馬車は再び走り出した。
◆◆◆
ガラガラと車輪の音がする。
どうしよう、私、誘拐されてるの?
御者は転がり落ちたまま上がって来なかったし、御者席には謎の男一人。
うまくやればやっつけられなくはないけれど、何せ、武器になるものがない。服装は学校の制服だから、凶器のピンヒールもなければ、トゲトゲがついた髪飾りもない。
次に何かあったら戦えるように、ポケットに十徳ナイフでも忍ばせておこう。
……次があればね。
次なんてないかもしれない。
この誘拐犯がお父様に身代金を要求して、無事に金貨と交換されるとは限らないものね。金貨を手に入れたら用済みの私は殺されるかも。殺される前に、誘拐犯一味の慰み者にされたら……結局娼館行きと変わらないわ。
目的地は分からない。馬車はかなり急いでいるみたい。ドアを開けて逃げてもかなりのダメージは必須ね。少し馬が疲れた頃に思い切って飛び出そう。
馬車のスピードを気にしながら、車輪の音に耳を澄ませていると……。
……あれ?
なんかこの景色、さっきも見た気がする。
うん、間違いない。あの建物の屋根、コロネみたいだなって思ったもの。
もしかして、この馬車……同じところをぐるぐる回っているの?
◆◆◆
はっと意識が戻った時には、馬車はどこかに止まっていた。
ぼんやりした視界に見覚えのある顔がある。
「……ど、して……?」
「誘拐されて寝ているなんて……どれだけ危機感がないんですか、あなたは」
私を非難するイルデの瞳は悲しそうだ。……悲しい、のは分かったけど、この状況は?
外は真っ暗。私とイルデは馬車の中。
馬車の座席に押し倒され、両手首はイルデにがっちりホールドされている。
「えっと……御者がナイフを……で、落とされて」
「リエラ家の御者を落としたのは私です。代わりに私の馬を置いてきましたから、心配はいりません」
「はあ……」
表情を強張らせたままきっぱりと言い切り、イルデは上から私の瞳を覗き込んだ。銀の髪がさらりと落ちた。
「修道院に……行こうとしたのですか?」
げ。
バレてる?
さっき御者が喋ったのかな?
方向でバレたとか?修道院は山奥だから、他に用事もないだろうって?
「あー、えー、ん?」
「誤魔化そうとしても無駄です。私の目を見て、違うと言えますか?」
「違くないけど、ね、ほら、たまには……」
「信心の欠片もないあなたが、修道院に行って何をするんです?修道女が務まるわけがありませんよね」
「くっ……」
痛いところを突かれた。叔父さんが神官で、毎週お祈りを欠かさないイルデは、私とは育った環境が違う。
「イルデなら神官になれても、私はダメだっていうの?」
「えっ……」
長い睫毛が揺れた。イルデは動揺している。チャンスだ、押せ!アレハンドリナ!
「イルデが良くて、何で私がダメなのよ!そんなのおかしいわ!」
「あの……リナ?」
「ビビアナ様から聞いたわ。神官になって神に生涯を捧げるんでしょ?いいわよね、自分は俗世間から離れちゃえば楽だもの。残された私がどんなに辛い目に遭うかなんて思いもしないんでしょ!」
王太子と婚約して、ヒロインに取られて婚約破棄されて、家は没落して路頭に迷うか、娼館に売られて、キモい奴らの相手をさせられて……。
辛い、辛すぎる!
「私がっ……死ぬより辛い目に遭うのに、イルデは神殿の奥でしブッ」
話の途中で抱きつくな!
「リナっ……」
押し倒した姿勢のままで私の背中に腕を回し、イルデは私の首元に顔を埋めた。
「あなたが、それほどまでに思いつめていたなんて……僕は何て愚かだったんだ……」
「そ、そうよ。イルデが悪いんだからね!」
もっときちんと王子を誘惑して、ソッチの道に目覚めさせていたら、私に婚約話なんてこなかったんだから!




