寝たふりなんてするもんじゃない
「アレハンドリナ……あなたを愛しています」
小鳥が囀る春の木漏れ日が眩しい庭園で、『彼』は跪いて私の手を取った。
「どうか……私と結婚してください。愛しい人よ」
風が吹いてざわざわと木の葉が騒ぐ。私の錆色の髪が揺れ、彼の髪も……。
ん?
あれ?おっかしいなあ。目が悪くなったのかな。
さっきまで彼の髪は茶色だった気がするのに……銀色に変わってるんですけど?
「……リナ?」
ぎく。
嫌だなあ……声まで、聞き覚えがある声に変わってる。
「後先考えずに行動するあなたらしくないですね。さっさと決めたらどうなんです?」
顔を上げた『彼』は、お綺麗な顔を歪めて私を見た。
うわあ、怒ってる!?
「イルデ!?私と結婚なんて、あなた、愛するご令嬢はどうしたのよ」
「彼女は神のような存在です。私ごときが触れていいわけがないのです」
「で?」
「あなたで我慢します。断る理由はありませんよね。どうせ他に縁談もないでしょうから」
「なっ……」
何だよ、我慢って!腹の立つ!
自分はイケメンだから選ぶ側だってか?
下を見てふるふると震えていると、イルデが立ち上がる気配がした。
「知っていますよ、リナ。……あなたは私が好きでしょう?」
好き?
「好きって、は?誰が、すすす、好きなんて」
心臓が別の生き物みたいだ。
侵略してきた地球外生物みたいに、うっかり口から出そう……ってうわぁ、出た!
グワァアー!!
何か緑の奴、出た!口から――!
◆◆◆
……。
……ううん?
よかった、夢だった。
地球外生物に身体を乗っ取られなくてよかった。
他にも誰か出てきた気がするんだけど、覚えてないな。まあいいや。
バルドゥイノ先生は恋人がいたのに私に手を出そうとしたのだと知り、いくらイケメンでも許せないなと、すっきりしない気持ちでいろいろと考え事をしていたら、いつの間にか寝てしまったらしい。目覚めると医務室の中は薄暗くなり、窓から差し込む夕日が室内を橙色に染めている。
お母様、いつ迎えに来るのかな?
「すみません!遅くなりました!」
耳に飛び込んできた声は、お母様のものではなかった。
数年前から低くなって、その時はヘンだと散々笑い者にしたけど、今では一番耳に馴染んだ優しい声。
迎えって、イルデのことなの?
イルデは先生と何か話している。多分私の怪我のことだろう。
どうしよう。不注意だったと叱られる?ってか、クラウディオにお姫様抱っこされたのを皆に見られたから、どういうことだと問い詰められそうだ。
よし。
ここは必殺狸寝入りの術だわ。イルデも寝ている人間に暴言は吐くまい。
枕に力なく腕を預け、私はそっと目を閉じた。
ゴソゴソ……。バサバサ……。
カーテンが開けられた音がした。
「リナ……どうしてあなたはっ……!」
ああ、これ。いつものパターンだわ。プチ説教モードのイルデよね。
やれ令嬢らしく振る舞えだの、少しは落ち着けだのって、切々と訴えて来る気だわ。
完全に無視しようと、私が耳をシャットダウンした時、目の前が暗くなった。
「……寝て、いるのですか?」
……影?
夕日がいっぱいの部屋で、私の上にどうして影ができてるの?
カーテンを開けたら眩しいくらいに照らされたのに。
頭の中に「?」が浮かぶ。
と、何か生温かい感触が唇に……。
……。
……。
……?
思考停止。
「はあ……っ」
唇が離れて、イルデの艶めかしい吐息が聞こえた。
ほんの数秒のはずなのに、何分にも何時間にも感じた。時が止まったみたいで。
唇が離れる…………って「唇」!?
これって正真正銘のキスじゃない?しかも、現世で初めての。
いつか素敵な殿方をとっつかまえて、超がつくほどロマンチックにファーストキスをと思っていたのに、寝たふりこいてて、学校の医務室で幼馴染に奪われるとか、間抜けすぎる!
ロマンチックのかけらもないじゃない!
しかも、さっきのキス……こう、触れるだけ、じゃなかった気がする。
唇を唇ではむはむって、うわ、手慣れ感すごいんですけど?
初めてなら触れるだけが限度でしょうよ。いきなり何してんのよ、この痴漢が!
いたいけな少女の寝こみを襲って唇を奪うとは、言語道断!
攻略キャラだからって、ちょっとやそっとじゃそっくりさんが見つからないレベルの美形だからって許されないわよ。
ぱっと瞳を開け、腹筋を使って起き上がる。
驚いたイルデは椅子ごと後ろにひっくり返った。
「あ、あああ、アレハンドリナ?」
「イルデフォンソ……あなた、何をしたの?」
「な、何って……」
期待した目でこちらを見るな。私に言わせたいのか?もじもじするな、乙女か、己は。
「代わりに答えてあげましょうか。寝ている幼馴染にキスしましたって。許可なくファーストキスを奪いましたって!」
「う、ぅあ、ご、ごめんなさ……」
椅子から落ちた体勢のまま、イルデはベッドに座った私を見上げた。
「神官になったら女性とお付き合いはできないものね?自由になる学生のうちに、思う存分キスくらいしておきたかった?」
「あ、あの……」
好きな人がいるくせに、私のことなんてどうでもいいくせに!
「愛する令嬢には告白もできないから、練習相手は幼馴染でもまあいいやってところかしら?」
「ち、ちが……ぶっ」
取り澄ました綺麗な顔に枕をヒットさせる。
「あなたなんか顔も見たくないわ。さっさと消えてよぉっ!」
気が昂って、最後は涙声になってしまった。
枕を抱きしめたイルデは、唇を噛みしめて立ち上がり、アリアドナ先生に何か言うと部屋を出て行った。
◆◆◆
物音がしなくなると、私はベッドに俯せになって泣いた。
泣きたくなんてなかったのに、勝手に涙が溢れてくる。
悔し涙?だよね。
好きな令嬢がいる幼馴染に、キスの練習台にされたから。
イルデが私のことなんて好きでもないくせに、キスしてきたから。
あんな奴、もう知らない。
勝手に王子と仲良くやっていればいいんだわ。
モブの私が、攻略対象キャラと幼馴染だったのが不幸の始まりだったのよ。




