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「――あれ? 君たち二人が一緒に来るなんて、随分とめずらしいじゃないか」
レイとキーラの姿を見留めると、渡辺啓輔医師は二人が座れるよう椅子を二つ用意した。二人が用意された椅子に座ると、渡辺はデスクに広がっていたカルテを丁寧にまとめて片付け、すぐ近くにいた女性看護師に紅茶を二人分用意するよう指示してから二人と向き直った。
「レイくんは全然久しぶりじゃないよね、昨日会ったし。でも、キーラさんは本当に久しぶりだ。元気にしてましたか?」
渡辺が明るく尋ねると、キーラはわかりやすく溜め息をついてみせた。
「まったく、坊やといいあなたといい……機械に元気かどうか訊くのもどうかと思うのですけれど」
「あはは、言われてみればそうですね。まぁでも、久しぶりに会う人にこれを訊くのは僕ら人間の習慣みたいなものなんですよ。そう言わずに付き合ってやってください」
やがて、女性看護師がカップに入れられた紅茶を二つ運んできて、レイとキーラの前にそれぞれ置いた。二人はいただきます、と断ると、紅茶に口をつけた。
「それにしても、」
渡辺は顎に手をやりながら、面白そうに笑みを浮かべて言った。
「機械も飲料水や食料を摂取できる時代になってるわけですもんね。脊髄部の接続端子が見えなければ、本当に人間そのものだ」
「私としては、そこまで人間に近づける必要はあったのかと思いますけどね。人間の体内消化から排泄までの時間を考慮して、飲食物が口に入ってから排泄に至るまでの経路を複雑化して時間を稼ぐなんて。そもそも我々機械は栄養を必要としないので、消化という概念がありませんからね。膀胱や直腸の仕組みも再現して便意までシステム化してるんですから、アンドロイドを作る試みが始まったときは相当人口が少なかったのでしょうね。寄り添う相手すらいない者が多かったのでしょうか」
「でも、便はキツイにおいがするわけではないし、尿だって、今日なんかはきっと紅茶の香りがするわけでしょう? そこは少し羨ましいですけどね」
「口にしたものがそのまま出てくるので、見た目は最悪ですよ。そんなに興味がおありなら写真を撮ってそちらにお送りしましょうか?」
「え、本当ですか? ぜひお願いします」
「ちょ、ちょっと先生、さすがにそこは断ってくださいよ……」
渡辺の返答に耐えられず、レイは思わず横から口を出した。渡辺はごめんごめん、と頭を掻きながら苦笑いしていた。
「さて、君たち二人が来たのはバイオロイドの視察のためだったよね。さっそく部屋に通してあげたいんだけど、その前に……」
渡辺は先ほど積み上げたカルテの束から、器用に一枚を選んで取り出した。
「レイくんは昨日の検診、途中で終わっちゃったんだったよね。先に続きをやっちゃおうか」
「あぁ、そうだった。お願いします」
レイの定期検診で行われるのは主に3つの項目の診察だった。1つは筋繊維の健常性の確認、2つ目は既存の臓器の負荷の有無、3つ目は『読心』の性能チェック。総じてかかる時間は4~5時間ほどにまでなってしまうのだが、主に時間をとってしまうのは筋繊維の項目と既存臓器の項目で、読心の性能チェックは比較的短時間で終わってしまうものだった。しかし、昨日は筋繊維の診察が終わり、既存臓器の診察に取りかかっている途中でA.L.I.V.E.出動の命令を受けてしまい、既存臓器の診察が終わったところで急遽この医療施設をあとにしたのだ。
「仕事柄、普段から読心は使っていると思うんだけど、どうだい? その際に頭痛とかはあったりする?」
尋ねながら、渡辺はデスクに備え付けられていたキーボードパネルを操作していく。
「いえ、特には」
「索敵のために知覚範囲を思いっきり広げることもあるよね。その際に体に違和感は?」
「感じないですね、少し体が熱くなるだけで」
「相当な集中力を必要とするだろうから、体温と心拍数の上昇は避けられないだろうね。でも、どちらも上昇値が高すぎたら、極端な話だと死に至ることだってある。使いすぎは禁物だよ」
「でも、どれだけ使っても倒れるほど体に異常をきたしたことはないですよ?」
「今まではそうだったかもしれない。けど、今後もずっとそうだとは限らないんだ。もしこの力を酷使して、少しでも体が異常のサインを出してきたら、すぐに使うのをやめること。いいね?」
いくつかのパネル操作のあと、機械的に天井が開き、そこから装置が降りてきた。頭にかぶるのであろう、ヘルメットのような形をした装置だ。レイは慣れた手つきでそれをかぶり、留め具でしっかりと固定した。検診のときは毎回使う装置なので、レイにとっては慣れた動作だった。渡辺がそのままパネルを操作し続けると、やがて装置が起動音とともに稼動を始めた。
「じゃあ、僕の心を読んでみようか」
「はい」
レイは渡辺にいくつか質問し、その度に渡辺を読心した。渡辺はレイの質問に対し、正しく答えたり、ときには嘘をついたりして、レイの読心の正確性を確かめていった。
「――うん、問題なし。脳波も安定して、ストレスも少ないみたいだね。もう外していいよ」
レイは言われた通りにかぶっていた装置を外した。渡辺はカルテにさらさらと淀みのない手つきでペンを走らせると、それをスキャナーに通し、デバイスでデータ化処理をした。
「毎回こんなことをしているんですか?」
レイの検診の様子を初めて見たキーラは、大変ですね、と続けて言った。レイは肩をすくめてみせる。
「今日やった項目はそこまで大変じゃないさ。でも、他の項目は本当に時間食うし退屈だから、そっちは未だに好きになれないかな」
「そこは本当に申し訳なく思ってるよ。でも、必要なことだから仕方ないんだ。……にしても」
渡辺はデバイスのモニターに注目し、感嘆した様子で言った。
「相変わらずすごい能力だ。君に隠し事はできないね」
「もともと隠し事するような性格でもないじゃないですか、先生は」
「お? 褒めてもらっちゃった」
「いや、決して褒めてはいないんですが」
「え……」
渡辺が衝撃を受けたような顏をするのと、ほとんど同時だった。突如、周囲に呼び出し音が鳴り響いた。渡辺はパネルを操作して応答した。
「はい、どうぞ」
『渡辺先生。A―237の患者が意識を取り戻しました。至急こちらに来てください』
「お、これは良いタイミングだったかもね。了解、いま向かうよ」
渡辺はそう告げて通話を切ると、レイとキーラに「じゃあ行こうか」と言って立ち上がった。明らかに自分たちも一緒に行くことを促していることに疑問を持ったレイは思わず尋ねた。
「あの、先生。キーラはともかく、俺は病院業務なんてできませんよ?」
「なに言ってるんだよ、君の仕事じゃないか。目を覚ましたのはバイオロイド様さ」
バイオロイドが目を覚ましたと聞いて、レイは少し驚いた。まさか目を覚ますなんて、想像もしていなかった。カーター宅で彼が目にしたバイオロイドは、まるで起きることがないかのように眠っていたからだ。
バイオロイドの覚醒を意識するとレイは、途端に緊張を覚えた。細胞レベルから作り上げられたという人造人間と会話をした経験など過去にあるわけもなく、自然と気を引き締めていた。でも、重要参考人の聴取は必ずレイの担当であったし、読心の力を持つレイにとっては造作もないことであるはずだ。そう自分に言い聞かせながら、レイは渡辺のあとについていった。
「なぁ、レイくん」
「はい?」
「僕を恨んでいるかい?」
ふと渡辺が口にしたセリフにレイは一瞬戸惑ったが、なぜそんなことを急に訊いたのか、彼にはすぐに理解できてしまった。
「上からの要請があったとはいえ、君のその体の、基礎設計をしたのは僕だ。実際に手術をしたわけではないけれど、でも、僕の計算が甘かったせいで、君は一時的に細胞の拒絶反応に苦しみ、挙句の果てには厄介な能力まで身についてしまった。……人の心が読めてしまうなんて、そう良いものでもないだろう。君は、僕を憎んでいるかい?」
「そんなこと。……まぁでも、最初はそうだったかもしれません」
自分の術後の姿を初めて見たとき、そして読心の力が自分にあることが発覚したときは、レイは自分の周りのあらゆるものを憎んでいた。そうでもしないと耐えられなかった、というのが正直なところだ。
でも、いまは違う。
「いまでも辛いことはあるし、死にたくなることもあります。でも、どうであっても先生は、俺にもう一度人生をくれた恩人です。これまで世話になってきて、そして今後も世話になり続けるであろう担当医師でもあります。感謝こそすれ、恨みなどしませんよ」
「……そうか。なら、よかったよ」
そう言った渡辺の声色は、どこか安堵を含んでいたようにレイには思えた。レイはどう声をかけたらいいのかわからなくなり、とりあえず黙っていることにした。キーラはもとより二人の会話に興味はないみたいで、一言も喋らなかった。