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挿絵(By みてみん)




 キーラと別れてから、レイは院内の休憩スペースに向かっていた。乾きを訴えた喉を潤そうと思ったのだ。看護師が忙しなく行き来する廊下を邪魔にならないように移動し、広い休憩スペースへと辿り着いた。昼間だからか多くの人がいて、皆それぞれの時間をのびのびと過ごしていた。レイは自動販売機で缶入りの清涼飲料水を一つ買い、空いている席を探して座った。

 プルタブを起こして缶を開け、一口飲んでみる。喉から胃にかけて冷えた飲料水が通っていく感覚が心地よかった。レイは缶から口を話すと同時に、ほっと息をついた。

 ふと辺りを見てみると、自分が周りの人たちの視線を集めていることに気がついた。1階のここは来客用の休憩スペースであるはずで、周りは患者よりも見舞客のほうが多い。外来の自分がここにいても不自然はないはずだと思っていたレイは、どうして自分が注目を集めているのかすぐにはわからなかった。

 あまり気にする必要もないかと、再び飲料水を口に運ぼうとする。しかし、耳に入った声がそれを止めた。


「――あの人、芸能人かなぁ」

「うーん、テレビで見たことはないけど。でも、すごく綺麗な顔してるよね」

「いいわねぇ、あの人。うちの旦那もあれくらいになってくれないかしら」


 レイのなかで嫌悪感が膨らむ。次の瞬間には思わず読心リーディングを行っていた。感覚野に干渉し、知覚範囲を辺りに広げる。周囲に渦巻く感情が、彼の頭に理解されていく。


(……ふざけやがって)


 あるのは、好奇心ばかりだった。レイの顔立ちを見て、男性女性問わず誰もが興味に駆られていた。レイにとってこれは不快でしかなかった。膨らむ嫌悪感は次第に大きくになっていく。

 ふと、過去の出来事が回想された。

 ――産まれた頃より、レイには父親はいなかった。いるのは母親だけ。兄弟もいない。その母親も家に帰ることは少なく、彼は自分以外に誰もいない自宅で寂しい生活を繰り返していた。

 生活は貧しさこそないものの、取り立てて優雅であるわけでもなかった。不自由はないが、周りの同年代の子供たちと明らかに違うのは、家で一人で過ごす時間が多すぎることだった。

 しかし、そこに孤独感は不思議となかった。

 彼が、自分の母親をとても愛していたからだ。

 母親は彼と会うことこそ少なかったものの、会えるときには必ず母性を彼に向けていた。優しく、温かく彼を包み、彼の前では母親であり続けた。そんな母親の姿を見ながら彼は、幼いながらも母親が外ではどんな生活をしているのだろうと気になってはいたが、それを詮索することは決してしなかった。そうしてはならないような気が、どこかでしていた。

 ある日、彼の母親が切羽詰まった様子で帰ってきた。彼は普段通りに母親を出迎えようとしたが、それは叶わなかった。彼の手を引いて、母親が走り出したからだ。母親は彼を連れて家から飛び出すと、彼を車に乗せては自分も乗り込み、すぐにこの場をあとにした。彼は母親になにがあったのか尋ねたが、母親は『なにも心配はいらないわ』と答えるばかりで、説明はしてくれなかった。

 車は高架道路へと入り、走る速度はどんどん高速になっていた。そのときには母親は、いままで彼に寂しい思いをさせたことをひたすら謝り、これからは一緒に暮らしましょうね、と譫言のように繰り返していた。彼は母親の様子にただ事じゃないなにかを察してはいたが、大好きな母親と一緒に生活できることを想像して、素直に嬉しさを感じていた。

 気持ちが高揚した彼が母親を振り返り、新しい生活のことを話そうと思ったときだった。それは唐突に起こった。

 車のフロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが入ったかと思えば、母親が苦しそうに吐血を始めた。よく見ればひびの中心には穴が開いていて、母親の胸は赤く染まっていた。彼は一瞬なにが起こったかわからなくなった。直後、車は制御を失って動きを乱し、そのすぐあとには彼の重力は失われ、顔面に訪れた衝撃を最後に彼の意識は途絶えた。

 ……次に彼が覚醒したとき、全身がなにかに包まれていて、目すら開けることができなかった。激痛が身体を支配し、両手両足と顔は変な感じで、出来るのは周囲の音を聞くことと唸り声を上げることだけ。そんな暗闇のなかで覚醒した意識は、母親のことと、自分が意識を失ったあとの顛末のことばかり考えていた。その間に誰かに話しかけられたような気がしたが、あまりよく覚えていなかった。適当にやり過ごしたかもしれないし、そもそも話しかけられてなどいなかったかもしれなかった。

 そうして時間が過ぎ、やがて自分の全身を覆うものが取れたとき。

 光を取り戻した視界に最初に映り込んだのは、哄笑する研究員と、鏡に映る自分の変わり果てた姿で――


「――っ」


 レイは周囲の空気が変わったことに気付いた。飛び交う感情が不自然に乱れている。先ほどまでの好奇心は、軽蔑や非難、または恐怖へと変わっていた。その対象は先ほどと変わらず自分に向けられている。

 原因はすぐにわかった。自分が手にしていたアルミ製の缶はいつの間にか握りつぶされていて、変形に耐えられなかった箇所から中の飲料水が漏れ出ていた。別の箇所では缶の鋭利に破れた部分が手に食い込み、皮膚を切って出血していた。

 レイはポケットからハンカチを取り出し、こぼれた飲料水をまず拭き取った。次いで手の出血した所にハンカチを当てて、席を立って変形した缶をゴミ箱に捨てた。

 傷口がじんじんと痛んだ。かなり深く切ったようで、出血は止まりそうになかった。

 休憩スペースを出たレイは、すぐ近くの男子トイレに入った。自動の水道口に手を寄せて、血を洗い流していく。そのとき、眼前の鏡に目が行った。

 そこでは、いまの自分がこちらを見ていた。


「……見るな」


 腹の底から絞り出したような声が出る。それでも目の前には、食い入るように自分を見つめる自分がいた。

 過去が、思い出したように一気に去来した。今まで見てきた、自分の顔を見た人間の反応が脳裏で再生される。感動、畏怖、慕情、奇妙。いずれの場合も第一声は決まっていた。美しい、と。


「……だまれ」


 以前、自分の顔が変えられた理由を誰かに尋ねたことがあった。答えはこうだった。美しければ美しいほど、見た人間を一瞬だけ無防備にする。それは任務遂行に効果的だ。


「だまれ……ッ」


 研究員の哄笑。鏡に映された初めて見る自分。自分が自分でないような感覚に恐怖を覚え、震えが止まらなかったあの日。そんな自分の元に尋ねてくるのは、家族などではなく、様々な組織や部隊の人事部だった。彼らは口々に言った。こいつはいい。まるで芸術作品だ。


「だまれェ……ッ!」


 鏡から目が離せない。見たくもない自分が、異常の形相でこちらを睨んでくる。恐怖と怒りが内側で爆ぜ続け、水に触れていたはずの手は次第に腰元へと動いていた。

 そのとき、鏡の向こうの自分が、突然哄笑したような気がした。まるであの研究員のように。そして狂ったように笑いながらそいつは、あの研究員が言ったことと同じことを口にした。

 ――君は、傑作だ……!


「だァま れ え え え え え え え え え え え え えェェェェェェッッッッ!!」


 ホルスターから銃を引き抜き、鏡に向けた。震える手でセーフティを解除すると、標準を目の前の顔に合わせ、トリガーを強く引いた。




 だが、銃声は響かなかった(、、、、、、、、、)




「…………………………………………………………」


 横から伸びてきた手が、セーフティを再び作動させていた。その手は白衣を通していて、見ると、見慣れた童顔と大人びた眼差しがこちらを無表情で見据えていた。


「キー、ラ……?」

「………………」


 キーラはレイの手からそっと銃を取り上げると、弾倉を抜いてスライドを引き、銃がきちんとデコッキングされていることを確認した。発砲の危険性がないことがわかると彼女は、外した弾倉を再び戻して銃をレイの腰のホルスターに収める。


「本当にあなたは、一人にすると危なっかしい」


 淡々とキーラは言う。レイは力が抜けて茫然としていた。


「どうして、ここに……?」

「引き継ぎをしているあいだ、密かに病院ここのシステムにハッキングして院内各所の防犯カメラをジャックしていました。そして、あなたが懸念通りに危険な真似をしそうなのがカメラを通して見えたので、引き継ぎを一旦切り上げてここまで急いだんです。まったくもって、本当に一仕事ですよ」


 キーラはレイの手首を掴み、自分の目の前まで持っていった。てのひらの傷口をくまなく見ていく。


「結構、深く切っていますね。血がまだ止まっていない」

「放っておけば治るよ、大丈夫」

「馬鹿なことを言わないでください。手当てをしましょう。おいで」


 キーラはレイにハンカチを握らせると、手首を掴んだまま院内を連れ歩いた。迷いなく進んでいく様は、やはり勤務しているだけはあるな、とレイに思わせた。二人はすれ違う看護師たちの奇異の眼差しを集めながら、看護事務室へと辿り着いた。レイをすぐ近くの来客用ソファに座らせると、キーラはさっさとそこに入っていった。

 少しして戻ってきたキーラは、その手に救急箱を持っていた。そしてレイの隣に腰掛けると、掌の怪我の手当てを始めてくれた。


「理性が弱いのはあなたの短所ですよ。たかが他人の言葉で缶を捻り潰し、あげく銃まで取り出して発砲しようとするなんて、事情を知らない一般人が見たらただの精神病質者サイコパスです」

「……悪い、なにも言い返せない」

「当たり前です。どう考えたってあなたが悪い。曲がりなりにも正義を掲げる仕事をしているんです。公共物破損罪なんてつまらないことで正義性を損なわないでください」

「気をつけるよ」

「徹底的にお願いします」


 キーラは消毒液をレイの傷口に垂らした。それは想像以上に沁みたが、痛みが脳内を走っていく感覚が今のレイには心地よかった。いまだに体は熱く火照っていた。ぼーっとしていた頭が、痛みで少しずつ覚醒していく。


「生きるのは、つらいですか?」


 手当てを続けながら、キーラがそんなことを尋ねた。レイは少し考えて、正直な気持ちを口にした。


「……どうかな。人生をやめようかと思ったことは何度もあるけど」

「あら。どうして?」

「不自然に端麗なこの顔も、常人以上の力を持つ人工筋肉を埋め込んだ両手両足も、四肢接合の際に起こった拒絶反応がこじれて生じた変な能力も……。この体のすべてが、あらゆる任務の成功のために作られたのかと思うとやりきれなくなる。日常的に死を見つめるような仕事だからかな、『自分はなんのために生きてるんだろう』って、いつも考えさせられる」

「なら、辞めてしまえばいいじゃないですか。そんなにつらいのなら」

「…………」

「なにがあなたを、死と隣り合わせの部隊に居続けさせるのですか?」


 なにが自分をこの仕事に縛り付けているのか。それに対する明確な答えは、いまのレイは持ち合わせていなかった。ただ、いつから自分の存在についてこうも考えさせられるようになったのかは、はっきりとわかっていた。

 ――レイが初めてA.L.I.V.E.の任務に出たのは、12歳のときだった。任務内容はとある研究施設の襲撃で、その施設は、人体と機械を強引に接合させてサイボーグ兵器を量産することを主な活動としているものだった。親元のいない子どもや、医療費が払えなくなった入院患者、あるいは致命的なまでに五体不満足な状態に陥って医師から見放されてしまった患者などを次々に回収し、人体実験を繰り返していたのだという。当時のレイはそれなりに正義の意味も基準も理解していたし、その施設の行いが到底許され得るものではないこともよくわかっていた。そういった存在を抹消して平和を目指すことが自分の仕事なのだ、という任務に対する責任感もかなり強いものになっていたし、隊員としての誇りはほかの者にも劣ってはいない、と自負すらしていた。

 ……驕りだった。

 責任感など、銃口の前では一瞬にして霧散した。恐怖心に飲み込まれすぐには行動を起こせず、そのせいで、一人の少女を目の前で死なせてしまう結果となってしまった。

 その出来事はレイの心に後悔というしこりを生んだ。自分は弱い人間なのだ、という失望も生んだ。それはいまだに癒えずにいる。そして今後も、きっと癒えることはないのだろう。自分の存在がなんのために在るのか、なんのために在らなくてはいけないのかを、彼はいまだに、常に考えさせられている。

 それこそが、もしかしたら、人を救うことを生業とするこの部隊に、彼がいまだ所属し続けている理由なのかもしれない。

 キーラはガーゼを傷にてがい包帯をきつくならない程度に巻いていくと、手の甲の辺りで包帯を切り、包帯留めをそこに当てた。すべての処置を終えると彼女は、使った道具を救急箱に戻し、それを自分の脇に置いて足を組んだ。

 ソファの背もたれに体重を預けたまま、天上の一点を見つめているキーラを見る。レイはどう言葉を切りだせばいいかわからなくなって、とりあえずだんまりの姿勢をとることにした。


「坊や。今日あなたがここに来たときに私と話していた女の子二人組、覚えてますか?」


 不意に、キーラがレイを見留めそう言った。レイは静かに頷く。


「どう思いましたか? 言ってみてください」

「え?」

「あの二人を見たときの第一印象を言ってみてと、そう言っています」

「あぁ、まぁ、そうだな。元気いっぱいだったし、もう少しで退院するのかなって思ったよ」

「……もしそう感じたのなら、あなたよりもあの子たちのほうがよっぽど強いですね」


 なにが言いたいのか掴めなかったレイは、表情でキーラに詳細を促した。彼女は体を起こし、組んでいた足の左右を組み替えながら続けた。


「あの子たちのうち、一人はあなたの想像通りです。一週間もしないうちに退院できる。けど、もう一人は重篤患者です。たぶん、もって2ヵ月。脳の病気でしてね、腫瘍が異常量できてしまって、神経系への癒着も始まっていたから手術は不可能でした。本当は、歩くのもつらいはずです」


 キーラの言葉は信じがたいものだった。あの子たちのうちのどちらかが死ぬ? あんなに元気だったのに? レイにはそうは見えなかっただけに、驚愕は大きかった。あまりに元気だったから、患者であるかどうかすら疑問を抱いたくらいなのだ。


「その子は、自分がもう退院できない体であることを知らされています。そして、友人がもうすぐ退院することも知っている。でもね、命も、友も失うことがわかっているというのに、あんなにも元気を装うんです。最後の最後までそうありたいと願う心が、彼女にそうさせているのでしょうね。彼女は、いまを必死に生きています」


 キーラは、そっとレイの頭に手を置いた。撫でることも揺さぶることもせずに、ただ彼に触れていた。


「体を作られているわけではないけれど、あの子だって日常的に死と見つめ合っています。でも、人生をやめようと諦めたことはきっとないでしょう。あなたは、いまを必死に生きようとしていますか?」


 言葉が、キーラの手を伝って染み込んでくるような気がした。レイは考える。自分は、必死に現在を生きようとしているだろうか。胸を張って、そう言えるだろうか。


「……ごめん、わかんないや」


 そう答えると、頭に触れていた手が優しく撫でるように動いた。レイはなぜだか、涙が出そうになっていた。


「いつか、あなたもわかるときが来ます。生きることが、なによりも大切なことなのだ、と」

「……そうかな」

「そうですよ」


 キーラは自分の胸に触れる。大人びた、顔に似合わない笑顔を見せながら。


「あなたは、私のような機械とは違う。そこにある心は、作り物なんかじゃないでしょう?」

「……あぁ、たぶん」

「なら、大丈夫です。きっと、いつか気づく」


 最後にぽん、と頭を叩くと、キーラはソファから立ち上がり、救急箱を手にした。その仕草は本当に姉のようで、レイは昔を思い出して少し懐かしくなった。


「さて、引き継ぎの続きをしてきます。もう院内で銃を取り出してはダメですよ?」

「わ、わかってるよ」

「いい子で待っていてください。すぐ戻りますから」


 すたすたと看護事務室に戻っていくキーラの背中に、レイは聞こえないように呟いた。


「だから、いつまで子ども扱いするんだよ」


 自分が自然と微笑んでいたことに、レイ自身は気づいていなかった。




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