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クレイドアタワーのある中央区と、都市の産業街にあたる東北区のちょうど境の位置に、レイの目指す場所はあった。キーラという人物はそこで非常勤で働いているのだが、今日はちょうど彼女の出勤日だった。レイは走らせていたバイクを停めると、メットを外して纏まってしまった髪を振り乱した。
ヴェルーリ総合病院。都市内最大の設備と人材を有した医療施設であり、人間、アンドロイド両種への治療行為を可能としている都市最高峰の医療機関だ。
レイはバイクを降り、病院へと足を運びながら読心を始めた。知覚範囲が広がり、病院全体を包み込む。収容されている患者や勤務者を含めた、大勢の感情が一挙にレイのなかで受信された。そのなかからキーラの感情を探し出して位置を割り出すのだが、彼女がいる場所はすぐに特定できた。彼女の感情は昔から、レイにとっては非常にわかりやすいものだった。実際に目にしてみれば、それはよく伝わってくる。
自動ドアをくぐると、消毒液の臭いを含んだ弱冷房の空気に、全身をくまなく包まれた。レイはこの臭いがあまり好きではなかった。レイにとっては病院は、忘れたくても忘れられないような嫌な思い出を孕む場所だった。とはいえ、憎悪に等しいくらい嫌っているわけでもない。キーラのことは大切な仲間だと思っているし、そんな彼女が働いている環境を、レイはそこまで嫌いになることはできなかった。
受付でキーラ=ヘイズとの面会許可をもらい、レイは院内を進んでいった。そして中庭へと通じるドアを開いて、屋外に出た。手入れの施された草木が広がる中庭は、太陽に照らされて鮮やかな緑を見せていた。いくつか設置されているベンチでは、患者や看護師たちが座って談笑している姿がちらほらと見える。レイはここに来るたび、いつもこの風景には感心させられていた。自然的にも、精神的にも良い環境を意識して整備が施されていることがわかるからだ。
果たして、キーラは中庭にいた。ベンチに腰掛けながら、二人のパジャマ姿の女の子と楽しげに話している一人の女性看護師を見つけると、レイはそちらに向かって歩いていった。女性看護師は首のうしろに接続端子が覗いている。近づいてみると、女の子たちが女性看護師の白衣の袖を小さく掴みながら、頻りになにかをねだっているらしいことがわかった。
「――ねーねーおねーさんっ、もっとたくさんおはなししてよー!」
「さっきの、竜と戦うお医者さんのおはなししてー!」
女の子たちはどちらも患者であるはずだが、二人ともそうとは思わせないくらい元気だった。もう回復して退院が近いのかな、とレイは漠然と思った。
嬉々とした表情で迫る女の子たちを、女性看護師は柔らかな声調で抑えた。
「今日はもうおしまい。お客さんが見えてるみたいなんです、ごめんなさいね」
「えー!」「いまがいいー!」
「また明日にしましょう? 明日はとっておきのお話を聞かせてあげますから。ね?」
二人の女の子たちは思いっきり残念がっていたが、渋々といった様子で頷いた。聞き分けの良い女の子たちの頭を、女性看護師は褒めるように笑顔を見せて撫でた。
「じゃーね、おねーさん!」
「また明日ねー!」
「はいはい、また明日」
女の子たちはぶんぶんと手を振りながら院内へと帰っていく。女性看護師も微笑みながら手を振り返していた。そして、二人の姿が見えなくなるまで微笑み続けた女性看護師はその後、大きく舌打ちをしながらベンチへと腰を下ろした。
「まったく、簡単にお話お話って。いつも神話を脚色して物語を考えるこちらの身にもなってほしいですわ。面倒臭くって仕方ない。……さて」
だるそうに背もたれに体重を預けながら足を組んだ女性看護師、キーラ=ヘイズは、先ほどまでの作られた笑顔とは別の、純粋な微笑みをレイに向けて言った。
「こうして会うのは久しいですね。また私の職務態度を笑いにきたわけですか?」
相変わらずな物言いに、レイは溜め息をついた。
「もう笑わないって。さすがに慣れたよ。お前が病院に勤めるって聞いた最初こそは腹痛くなるくらい笑えたけどな」
「これだから人間は。向き不向きの基準を簡単に作るうえに、それに従順になりすぎなんです。無愛想で冷たいからといって、他人と触れ合えないわけではないんですよ、坊や」
「ということを、俺はあんたから学んだってわけさ」
「なるほど、それは嬉しくて涙が出ますね。機械風情にそんな人間芸はできませんけれど」
可愛らしい童顔を持つ彼女が作る笑みは、いつだって大人びていた。彼女はレイなんかよりもずっとこの世界を生きているし、その分だけ内蔵されたAIが学習を繰り返しているのだから精神面が成長するのは当然だ。だが、その笑みはどう贔屓目に言っても、彼女の面立ちと釣り合っているとは言えなかった。本人は『機械なんだからしょうがないし、顔を取り換えるような無駄金は払いたくない』と割り切っているが、レイは彼女の笑顔を見るたびにもったいない、と感じてしまう。
「ともあれ、会うのは本当に久しぶりだよな。元気してたか?」
「それはガイノイドにする質問ではないのでは? まぁ、私の体にバグもウィルス障害も機体損傷もない状態があなたの言う元気に値するなら、ここ最近の私は元気ですね」
「そうかい、ならよかったよ。そして先ほどはどうも。助かった」
レイの謝辞に、キーラは手をひらひらと振りながら笑った。
「別に、あの程度のシステムなら大した手間にはなりません。気にしないでくださいな」
「頼もしいな、相変わらず」
「それしか取り柄がありませんからね。カジノを荒らすよりもよっぽど簡単でした」
レイの謝辞は、まさに数時間前の事件の最中に彼が頼んだ、カーター宅の地下研究室へと繋がるドアのパスコードのアンロックに対して言っていた。あのときレイがシステムの解析を依頼した相手はキーラだった。あのような状況になると、A.L.I.V.E.隊員の誰もがまず、同じく隊員であるキーラに事態の打開を依頼する。それが彼女の、部隊内での役割だった。
キーラは一般的なガイノイドよりも高度な技術で造られた、ハイレリアと呼ばれるガイノイドだった。搭載されているAIが一般的なものよりも上等であるハイレリアは、それだけ他の機体よりも学習能力が高くなる。そんな彼女が好きこのんだ趣味は、コンピュータクラッキングと、賭け事だった。そのおかげか現在では彼女は、情報分野と計算分野においてエキスパートと化していた。それを知っているのはごくわずかの人たちだけだが。
彼女が人知れずクラッキングのエキスパートと呼ばれる理由の一つは、その技術とは別に、端末を使用せずともクラッキングを行うことができてしまうことにあった。彼女はクラッキングを好み過ぎるあまり、自らの機体に最先端のCPUとメモリを搭載し、それを機能させるシステムを構築していた。彼女は人間が自分の体を動かすのと同じ感覚で、意識するだけでネットサーフィンやクラッキングを行うことができてしまう。PCを前にせずにクラッキングをしてしまう彼女は傍から見ても怪しい動きをしている様子はなく、それが彼女の技術の秘匿性に一役買っている。
「ところで、あなたはなにをしにここまできたのです? まさか、ただ私に会いにきただけではないのでしょう?」
「まぁ、な。なんでもお見通しか?」
「あなたはいつも、用事がなければここには来ません。相変わらず薄情ですよね、昔は『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って私の胸に飛び込んできてくれたというのに」
「いつの話だよ。……だいたい、お前とプライベートで会ったところでなにを話すのさ。どうせ、口うるさく俺への注意ごとをぶちまけておしまいだろ」
「よくわかってるじゃないですか。だから私はあなたが大好きです」
キーラの意地悪げな微笑みに、レイは苦笑いを返すしかなかった。過去の思い出が蘇る。いつも言葉攻めで痛いところを突いてくるキーラは、時としてレイの心を存分に沈めてくるのだった。レイは何回か、そのせいで涙を流したことがある。彼の忘れたい出来事のうちの一つだった。
レイは嫌な思い出を掻き消しながら声を張った。
「仕事だよ。お前お得意の情報収集」
「ふうん。なにを調べればよろしくて?」
「ここ最近で、都市がバイオロイドの生成に関与していたか、また、関与していたなら生成に成功したのかどうかを調べてほしい。いま、都市にバイオロイド保有の嫌疑がかかってる」
「保有って、成功例を、ですか?」
キーラにしては珍しく、にわかには信じがたい、というように表情が変わった。レイは頷きながら続ける。
「都市防衛省に在籍している、ダニエル=カーターという人物の自宅の地下から発見された。バイオロイドの生成に伴うコスト、リスク、技術などのあらゆる面から見ても、その人物が個人でバイオロイド技術に手を出したとはどうしても考えにくいんだ。A.L.I.V.E.では都市の人間絶滅への危機意識が一枚噛んでるんじゃないかと踏んでる」
「生命に勝る富はない。……そんなことを胸張りながら主張して、馬鹿みたいにバイオロイド生成に資金投入していた時期がありましたね、そういえば。完全に言葉の意味を履き違えてましたけど。確か、随分と昔に技術は凍結されたはずでは? 本当に発見されたのはバイオロイドだったのですか?」
「ダニエル氏がそう言ってたんだ。間違いない」
「その言葉が嘘ではないと言い切れますか?」
「バイオロイドであると言われた銀髪の少女の、遺伝子のソースだと思われる少女にも会ってる。髪の色が対照的だったけど、まるで生き写しだったぞ。これが嘘だと言うなら、随分と大がかりすぎると思わないか」
「そもそも事件が大がかりじゃないですか。邸宅で銃撃戦なんて、そうそう起こることじゃない。それに、人の顔、肉体をそっくりそのまま人形に仕立て上げること自体は、スキャニング技術を使えば難しいことではありません。もちろん人形は生きてはいませんけれど。そのバイオロイドがしっかりと生きている証拠は?」
「医師が証明済みだよ。渡辺先生が担当してる。間違いなくバイオロイドだよ」
いまだ信じることができないのかキーラは懐疑的な目をレイに向けるが、やがてふっ、と笑うと彼女は立ち上がった。
「まぁ良いでしょう。久しぶりに骨のありそうな仕事みたいですしね、乗るとしましょう。ただ、協力するのには条件があります」
キーラは立ちはだかるようにレイの正面に立つと、レイを正面から見据えて続けた。
「任務は、いままで通り病院勤務と並行で取りかからせていただきます。よろしいですね?」
真剣な眼差しのキーラに、レイは彼女の素の心を見た気がした。キーラがこの仕事にかける気持ちが中途半端なものではないことを、改めて理解できたような気がしてレイは少し嬉しかった。
「いいんじゃないか? ずっとそうやって続けてきたんだし。好きなんだろ、ここの職場」
「助かります。いま、こっちの仕事でも手を放せないことが多くて。もちろん、隊員としての仕事も、もらえる給料分は必ずこなしてみせます。安心してください」
「別に心配なんてしてないさ。みんなお前には信頼を置いてる」
「嬉しいことを言ってくれるようになりましたね、あなたも。お姉ちゃんは嬉しいです」
キーラが相好を崩して笑った。そうやって笑っていればこいつも人に好かれるだろうにと、そんなことをレイは密かに思った。
「それと、一つ気になることが」
「なんだ?」
「都市にクラックを仕掛けるとなると、あとあと責任問題が面倒だと思うのですが、部隊としては平気なんですか?」
「ああ、大丈夫だ。法務省が全面的にこちらのバックに就く。なんの問題もない」
「なるほど。なら、遠慮なくいくとしましょうか。……さて、では私はまずなにをすれば?」
「今日は俺と一緒に来てもらう。バイオロイド、その目で見てみたいだろ?」
「なるほど。それはいい経験になりそうです」
キーラは期待するように声を弾ませた。そして踵を返し、院内へと戻っていく。
「本日の業務の引き継ぎをしてきます。どこかで時間を潰していてくださいな」
「急に仕事を上がることなんてできるのか?」
「都市に仕える部隊と掛け持ちで仕事をしていることは、ここの院長にはすでに伝えてあります。理解のある人でいつも助かってますよ、あなたと違って生意気なことも言いませんし」
「言ってろ。適当に休んでるから、すぐに見つけろよ」
「私はハイレリアですよ? あなたの行動予測なんて容易いものですわ」
「あっそ。じゃあ後でな」
レイはひらひらと手を振って、中庭をあとにした。