1-3
レイが放った掌底が男の顎を打ち抜く。男は意識を失い倒れ伏し、レイは縛られたまま転がされていたカーター親子のそばに駆け寄った。
「お怪我はありませんか?」
「あ、あぁ、どこにも……」
現在、2階寝室。作戦通り3階から侵入したレイとオージッドは素早くここまで移動し、敵戦力4名を迅速に対処したところだった。室内には、銃や刃物を装備している男たちがぐったりと倒れている。レイはダニエル=カーターを拘束していたロープを解き、続けてメグミとキリエのロープも同じように解いていった。メグミはロープが解かれるなりすぐにキリエを愛おしそうに抱きしめてしまい、おかげでキリエの拘束を自由にするのには少し手間取ってしまった。レイが拘束を解いているあいだ、オージッドは床に伏したまま動かない敵のそばでしゃがみ込み、携行している装備を確認していた。
「想像以上に装備が充実している。素人ではないだろう、とは思っていたが……」
「早いところ人質を脱出させよう。いまの戦闘で、何人かがこっちに気付いてる」
「相変わらず素晴らしい能力だ、『読心』というのは。……さて」
オージッドは立ち上がると、憔悴しきった様子で座り込んでいるダニエルを見下ろした。
「都市防省参謀本部所属、ダニエル=カーターだな。保護状がヴェルーリ政府から届いている。ここから脱出するぞ」
オージッドがいまだ座り込んでいるダニエルに手を差し伸べる。ダニエルはその手を取ったかと思えば、すがるようにオージッドに乞うた。
「私などより、妻と娘を安全な場所に……っ!」
「現在、3階の安全は確保されている。そこの窓から降りればもう命の危険に怯える必要はない。あなた方は我々にについてきていただければそれでいい」
オージッドの言葉に、ダニエルは申し訳なさそうに難色を示した。
「悪いが、私はまだここを出るわけにはいかないんだ。『天使』を回収してからでないと……」
「……天使? 天使とは?」
「彼女は、人類の今後を担わされていたんだ。ここでまた奴らの手に渡ってしまったら、私が起こした行動はただ、家族を危険に晒しただけで終わってしまう。それは絶対に避けなくてはならない。彼女はもう、解放されるべきなんだ……っ!」
両手で頭を抱えたダニエルは、明らかに動揺していた。オージッドは彼の手を半ば強引に引き自分の顔を見させると、少し声を荒げて言った。
「ダニエル=カーター。落ち着いて説明していただきたい。天使というのは一体? 人類の今後とはどういうことだ?」
「話すと、どうしても長くなる。詳細は『天使』を無事に確保できたときに話そう。いまはまず、妻と娘をここから助け出すことを優先してくれ。……頼む」
ダニエルの切実な様子を前に、オージッドは迷うことなく言い放った。
「単刀直入に言おう。この状況下においてダニエル=カーター、あなたは我々の任務の効率に支障をきたす要因でしかない。まずは3階窓からあなたたち3名を脱出させる。のちに我々が邸宅全体の安全を確保。『天使』という存在の救助は、その後で心置きなく行えばいい」
オージッドは自分の手にすがりつくダニエルを、今度こそ助け起こした。
「家庭の安全がなによりも最優先なのだろう。なら、あなたが最後まで夫人と御息女のそばで心の支えになってやるべきだ。命の危険からは我々が守る。異論は認めない」
「……あぁ、もっともだ。恩に着る」
話が纏まったところで、レイもメグミとキリエの手を取ってそっと立ち上がらせた。手を放してオージッドのほうに預けようとしたが、キリエはレイの手を放そうとしなかった。
「ねぇねぇ。おにいさん、騎士さん?」
キリエは生き生きとした顔でレイにそう訊いた。レイは思わず感心した。人質として命の危険に晒されていたというのに、キリエの笑顔は微塵もそれを感じさせなかった。
「ママが言ってたの。『もう少ししたらきっと助けが来るわ。それまでの辛抱よ』って。『それって騎士さん?』ってわたしが訊いたら、『そうよ。とても強くて、素敵な人よ』って。わたし、ご本たくさん読んでるから騎士さんがいるってことは知ってるよ? あなたが騎士さんなの?」
「……はは、どうかな。案外、君の騎士はあそこの厳めしいおっさんかもしれないよ」
レイは、キリエに笑いかけながら人差し指をオージッドに向けた。オージッドは無表情で事の成り行きを傍観している。
「えーっ、あの人は違うよう。だってあのおじさんより、おにいさんのほうがかっこよくて素敵だもの。おにいさんが騎士さんなんでしょう?」
キリエの何気ない本心に、レイは困ったように笑った。普通なら嬉しいはずの言葉が、彼にはとても鋭利な刃のように感じた。だから、自分の声から感情が消えたことに気付かないまま、無意識に言葉を返していた。
「ありがとう。……でもね、かっこよくて素敵な騎士なんてとんでもない」
キリエの無邪気な姿に、どうしようもない眩しさと悔しさを覚えていることに、レイはこのとき初めて気づいた。出かかった言葉は止められそうもない。
「継ぎ接ぎの人体模型みたいなものさ。君のような幸せな子供は、知らないほうがいい世界だ」
オージッドがカーター一家を3階へと連れて行くのを見送ってから、レイは拳銃を手に取った。使い慣れた愛銃のスライドを引き、弾薬が装填されていることを確認してから射撃準備を行う。彼には、5名の人物がこの2階寝室を目指して向かって来ていることがわかっていた。
レイは自分の感覚野に干渉し、その5人の心情を把握した。5人とも、寝室から聞こえてきた明らかに不自然な物音から、侵入者の疑いを強く持っているようだった。彼らに迷いや不安はなかった。着実に自分たちの使命を果たすのだという強い意志すら感じられた。おそらく彼らは、レイの姿を目にすればすぐさま弾丸を撃ち込むだろう。レイのなかに程よい緊張感が生まれた。愛銃を握る力が、自然と強くなっていった。
ついに、5名が寝室のドアの前まで辿り着いた。5名はお互いの動きをそれぞれ確認し、突入のタイミングを見極めていた。そうしていることが、レイにはすべてわかっていた。
だからレイは、ドアが蹴破られた瞬間に、正面に立って銃を構えていた男を迅速に沈めることができた。
一瞬で味方が一人倒れたことに、他の4人は動揺を隠せなかったようだった。レイはその様子をすぐに理解し、発煙弾を投げ込んだ。たちまち煙が辺りに立ち込め、視界が不明瞭になっていく。敵4人はとにかくこの場を離れようと一斉に距離をとろうとしたが、レイは寝室を飛び出して素早く弾丸を放ち、敵を無力化した。読心によって敵の位置を正確に把握していたため、レイは一人一人を確実に仕留めていた。
この銃声によって、大広間にいる者たちのすべての注意が一瞬こちらに向いたことを理解した。レイはこの機を逃すまいと、大広間に向かって駆け出した。
大広間から数人が廊下へと入ってきては、レイの姿を見留めると一斉に射撃を始めた。しかし、レイは彼らがいつ銃を打ち込んでくるのか理解していた。彼らが『撃とう』と思考したことがはっきりとわかっていた。レイは彼らの意思が行動へと反映されるまでにその場で回避し、銃撃をかわしながら迎撃した。レイの弾丸は着実に相手の眉間に撃ち込まれていく。
レイは大広間へと繋がる開き扉を蹴破り、その向こうへと躍り出た。ここからは隙につけこんだ優位な立場からではなく、少対多の不利な立場からの戦いになることはわかっていた。レイは感覚野への干渉を強く行い、周囲の感情の起伏を残らず把握しようと努めた。
様々な思考が読み取れる。レイは、自分がこの場に登場したことによって周囲の空気が混乱していく様子を体感して、思わず笑みをこぼした。先ほどまで冷静に正面玄関に注意を向けていたはずが、いまではまったく統制がとれていなかった。そのすべてを自分が引き起こしたのだと実感して、ちょっとした愉悦感が自分のなかに生まれていることがレイにはわかった。
多種多様な思考がレイのなかで把握される。彼らが抱く焦りや怒り、恐怖などが、まるで手に取るように。彼らが慌てて銃を構えることも、そのあとで引き鉄を引くこともすべて理解できていたし、それらを組み合わせていくことで、自分がどこに体を移動させれば弾丸が接触しないのかも感覚的に理解できた。事実、そこへと回避移動したレイを、飛び交う弾丸が傷つけることはなかった。これによって、周囲が驚愕に支配されたこともすぐにわかった。
レイは踊った。そうしているのだと勘違いしてしまうほど、彼の動きに淀みはなかった。撃鉄が火薬を破裂させる音が響き渡るなか、レイは自分も負けじと引き鉄を絞っていった。やがて、階下からも銃弾が飛来してくるようになった。1階大広間の4部屋で待機していた要員たちがついに姿を現し、こちらに標準を合わせていた。レイはマスクの耳に手をあてて叫んだ。
「いまだ! 突入してくれ!」
直後、短く返事が返されたかと思えば、正面玄関から4人が流れるように展開した。階下の敵戦力は迅速に殲滅され、そのまま4人は2階へ。
「レイ坊、よくやった!」
ニクソンはレイの隣で銃を構えた。ディソルはニクソンと背中合わせに位置取り、周囲の敵を沈めていく。
「レイくん、ご苦労様。少し手伝ってくれるかい?」
「あいよ」
レイも射撃に加わり、やがてこの周囲の制圧が完了する。少し離れたところで、ナタリーとコトミも殲滅を無事に終えたようだった。辺りを静寂が包み込む。
「しかしまた、派手に争ってしまったねぇ」
小声で言ったディソルの声はよく響いた。大広間は嵐が過ぎ去ったような惨状だった。爆破による木材やコンクリート材の破片。銃撃戦によって割れた絵画の額や花瓶。床のいたる所で犯行グループの死骸が転がり、血が飛び散っていたり、アンドロイドのパーツが散らばっていたりしている。レイは通信を立ち上げて告げた。
「オージッド、制圧完了だ」
『よくやった。現場の処理は都市警察に引き継げ。手続きはニクソン、お前が率先して行ってくれ。他隊員は至急現場から退去。都市警察を刺激しないようにしろ。我々が暴れた後始末をすべて任せることになる。彼らもいい気はしないだろう』
全員が了解の意を伝えた。オージッドとの通信が切れる。
「めんどくせぇんだよなぁ引き継ぎ。あっちがイライラしてんのすげぇ伝わってくるんだもん」
ニクソンの嘆きに、一同は口々に応援や冷やかしを入れた。
都市警察とA.L.I.V.E.は、その系統が違っている。警察機構として政府の下にいながら独立している都市警察と、政府の直属としてその位置を確立しているA.L.I.V.E.。両関係があまりよくないことは想像に難くない。都市警察が管轄している事件を政府の命でA.L.I.V.E.が捜査権を強制獲得することもあれば、都市警察で対応しきれない事件をA.L.I.V.E.に任せざるを得ない場面もある。それらは自分たちの山を横取りされる苛立ちや、事件を解決しきれない自分たちの不甲斐なさを容赦なく突きつけられることにほかならなかった。加えて、捜査権を都市警察が持ったままA.L.I.V.E.に現場制圧だけを求めた場合の後始末は都市警察が行わなければならず、彼らがA.L.I.V.E.を良く思わない理由は十分すぎるほどだと言えた。
ニクソンが都市警察の一人に事情を説明しに行き、ほかの隊員たちも口を慎みながら静かに邸宅をあとにしようとした、そのときだった。
――――――、――――、―――――――……
レイの感覚野がわずかに震えた。彼は思わず立ち止まってしまい、歩き続けていたコトミの顔がレイの背中にぶつかった。「うわっぷ」と不意を突かれたような声がうしろで漏れる。
「……ったく、急に立ち止まんなよ、うしろ閊えるだろが。早く出ねぇとあとで怒られるぞ?」
「わ、悪い。でも声が……」
「声だぁ? そらきっと、死んだ兵士たちの恨み声さ。ほら、呪われる前にさっさと出るぞ」
レイは納得しがたいといったふうにコトミを見た。アンドロイドの恨み声、果たしてそうだろうか。聞こえてきたのは間違いなく、女の子の声だった。
「先、出ててくれ。ちょっと行ってくる」
「はぁ? いいわけねぇだろ……ってコラ、話聞けよ!」
コトミの怒鳴り声を無視して、レイはいま降りてきた大広間の階段を再び駆け上がった。