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現在0時50分レイとオージッドは、邸宅の外壁に背中を合わせるようにしながら所定の位置で待機していた。二人の仕事は、突撃班4人がスムーズに突撃できるように邸宅内をかきまわすことが目的となる。予定では、午前1時を境に事態を動かすことになっていた。あと少しで、この豪邸は戦場となる。
レイは腰のホルスターに収めていた拳銃にそっと触れた。銃の冷たい鉄材の感触が、緊張を幾分か軽くしてくれる気がする。長年使い続けてきたこの銃は、彼の身を守るための手段であると同時に、彼に力を与えてくれる戦力だった。彼にとっては戦友のようなものであり、彼は祈るような気持ちで銃を撫でた。
「レイ、調子はどうだ」
右隣で同じく待機していたオージッドが尋ねてきた。レイはオージッドの言葉の意味をすぐに理解し、それに答えるように辺りの『読心』を始めた。
自身の脳髄に集中的に干渉して、感覚野を活性化する。それにより高まっていく五感をゆっくりと束ねていき、灯火に空気を送り込むようにそのまま増幅させていった。周囲の人間、機械たちの感情の情報がレイのなかに流れ込んでいく。感情の状態やその位置、それに付随して、周囲にいる感情を有するあらゆる存在のいる場所、人数が把握される。
最初に察知したのは、鍛えられた平常心だった。誇り、使命感、正義感……長年培われてきたそういった感情が、幾重にも重なりあって、泰然自若の精神を築き上げている。さすがだな、とレイは素直に思った。これはオージッドの感情だ。
徐々に知覚範囲を広げていく。それはまるで、水面に落ちた水滴がその波紋を広げていくかのようだった。落ちる水滴は次第に大きくなり、広がっていく範囲のなかでは様々な感情が、まるで通信機器から発せられる電波のように飛び交い、入り乱れていた。
自然と閉じていた目を開き、レイはそっと口に出した。
「……そこの塀の向こう側の道を、通行人が左からやってくる。性別は男。少しイライラしてるな。ライターの火がつかないみたいだ」
オージッドは塀の向こうを見る。果たして、左からやってきたのは年若そうな男性だった。その男性は煙草を口に咥えながら手で覆いを作っていて、そこからは断続的に回転式の発火ヤスリの音が聞こえてくる。どうやらヤスリ部分が擦り減ってしまっているのだろう、男の口元が火の明かりで照らされることはなかった。ヤスリの音と一緒に耳に入る舌打ちと唸り声が、男の苛立ちの程度をよく表している。
「上出来だ。そのまま邸内の様子を把握しろ」
「もうやったさ」
レイは短く返すと、マスクの右耳にあたる部分に指で触れて通信機能を立ち上げ、告げた。
「総員に報告。各自アップロードされている邸宅の立体構造図と照らし合わせて聞いてほしい。敵の人員配置がわかった。邸宅の正面玄関を入るとすぐに上下階吹き抜けの大広間になっていると思うけど、二階正面に10名、二階左右に6名ずつ、計22名が上から正面玄関をマークしてる。侵入者を見つけたら上から一斉射撃を浴びせるつもりだ。それだけじゃない。一階左右に小部屋が2部屋ずつあって、そのそれぞれに2名、計8名が待機して不意打ちを狙っている。入ってまず見える、広間の上下階を繋げる大階段は1階を完全に制圧するまで上るな。挟み撃ちにされる。それと、2階廊下から向かった先の寝室に敵が4名、そこに人質3名も捕らわれている。以上が総合の敵戦力だ」
レイが言い終えて耳から手を放すと、横からオージッドが言った。
「2階寝室から上に上がる階段があるな。データにはそこも寝室となっているが」
「相当、過保護なご両親なんだろうさ。きっとそこは娘の寝室だよ。娘の行動がなるべく目に映ってないと心配でたまらないんじゃないの」
「なるほどな。だが、好都合だ。俺たちは3階から侵入する。まずは人質の保護が優先だ」
オージッドは先ほどレイが行ったのと同様にして通信を起動する。
「レイの報告は聞こえていたな? この状況を考慮したうえでの、最適戦略を提示する」
オージッドが作戦の説明を始めた。レイも、他の隊員も皆、全員がオージッドの言葉に聞き入った。オージッドは自身の考案した作戦を余さず提示すると、最後にこう言った。
「――いいな。全員、生きて帰るぞ」
『『『『『了解』』』』』
全員の返答が重なる。そして、マスクバイザーの右上に表示されているデジタル時計は0時59分55秒。56秒。57秒……
やがて、秒を表している数字が00になると同時に、オージッドが静かに告げた。
「A.L.I.V.E.、状況開始」
その言葉を境に、レイとオージッドは素早く壁から離れ、行動を始めた。
『いいな。全員、生きて帰るぞ』
オージッドの指揮を受け、正面玄関付近で待機していた突撃班4人は同時に「了解」と言葉を発した。A.L.I.V.E.隊員全員の心が一つになったような気がした。
――気のせいだった。
先ほどの統一感のある返答が嘘であるかのように、突撃班は張りつめた様子をまったく感じさせず、むしろ日常と変わらないくらいの緩い心持でいた。配置にはついていても、オージッドの状況開始の号令を聴くとすぐに皆、マスクを外してしまっていた。
「ねぇコトミ、これ終わったらうちに来てよ。こないだの続き、しましょう?」
化粧で整えられた顔を笑みで彩ったナタリー=ジュリアスは、目の前で装備の確認をしていたボーイッシュなショートヘアのガイノイドに抱き着いた。
「今日は日が昇るまでするからね。こないだコトミ、疲れたとか言って先に寝ちゃうんだもん」
突然絡みついてきたナタリーを横目にちらりと見ると、コトミ=桐乃江は自分が愛用している自動小銃の状態確認に注意を戻した。
「一応いま任務中だぞ? そういうのは後にしろよ」
「いいじゃない別に。で、来てくれるの? 来てくれないの?」
「言う必要なんてあるか?」
「声に出さなくちゃ伝わらない」
ナタリーは意地悪げな調子でいたが、その表情はすぐに驚きに変わった。コトミが前触れもなく、ナタリーの首筋に口づけをしたからだった。
「今日は『休憩なしで朝までコース』だ。泣き事言っても止めねぇぞ」
「……ふふっ。それは楽しみね」
首筋に当てられた唇に、ナタリーは自らの唇を重ねた。敵が待ち受けているであろう邸宅の正面玄関の右手で、そんな行為に恥ずかしげもなく熱中できる女二人を見て、左手で待機していたニクソン=コールリークは複雑な気持ちになった。隣で煙草をふかしている長身の男につい嘆きをこぼす。
「なぁ、あっちの同性愛者たちどうにかなんねぇ?」
短い金髪をがしがしと掻くニクソンの横で、ディソル=レヌイエは煙草を咥えながら、分けられた長い前髪から覗く双眸を細めて笑った。肺に入れていた紫煙が彼の笑いに合わせて吐き出される。
「どうにかしたい気持ちはわかるよ。でも、二人とも結構な美人だからもう少し見ていたい気持ちもある」
「けどよぉ、なんかムカつくんだよな」
「あんなのいつものことだろう? 本当は羨ましいんじゃないのかい?」
「馬鹿言え。それはてめぇじゃねぇのか?」
「悪いね、俺は妻子持ちなんだ」
「俺だって結婚してるさ」
「じゃあなんだい。嫁がガイノイドだから物足りないとか?」
「おいおい、冗談でもそんなこと言うなよ。ちゃんと愛し合ったうえで籍を入れたんだ。それに、妻はコトミと同じ、セクサロイドだからそっちの生活も不自由してない」
なぜか自慢げに胸を張るニクソンに、ディソルは冷ややかな流し目を送る。
「だったらなにを不満に思うわけ? こっちも同性愛者になろうって言うのか?」
ディソルの発言ののち、二人は思わず顔を見合わせた。お互いの目線が様々な部分を行き交う。顔の造形、体格、それから……
「……おえ」
「ほんと悪い俺が間違ってた。こんな生産性のない想像に時間を割いてしまうなんて……」
ったく、任務直前だっつのになんで空えずきなんてしてるんだか。ニクソンがそう心中で毒づいたとき、周囲にガラスが割れる音が響いた。ディソルが煙草の火を揉み消して立ち上がる。
「あっちは侵入したみたいだね。こちらもそろそろ動こうか」
「だな。……おいコラそこの二人、ちゅーはもう終わり! 状況開始すんぞ!」
ニクソンの叫ぶような声に、名残惜しそうに見つめ合っていたナタリーとコトミは渋々といった様子で立ち上がった。それぞれがマスクを装着すると、4人は作業に取りかかった。
正面玄関のやや大きい扉の付近には、扉を囲うようにして4つの小型爆弾が設置された。手慣れた様子で各爆弾を操作した4人は正面玄関から充分に距離を取ると、爆弾に背を向けて体を丸めこみ、起爆体勢に入った。コトミが叫ぶようにして指揮をとる。
「全員大きく口を開けて、できるだけ耳をふさぐようにしな! カウント5! 4、3、2、1……押せ!」
直後、激甚な衝撃と爆破音が背後でうねりを上げた。爆発による風圧が4人の体を薙いでいき、敷地外に集まっていた一般人たちの悲鳴と歓声が遅れて沸き起こる。4人は正面玄関の扉が吹き飛んで開放されたのを確認すると、それぞれの配置にすかさず戻った。ナタリーとコトミは玄関口の右手に、ニクソンとディソルは左手に移動して壁に背を合わせる。
「3階で窓ガラスが突然割れて、すぐに邸宅入口が爆音と衝撃に襲われた。これで警戒は二分されるだろうね。さて、相手方の平常心はどこまで保てるのかな」
楽しむようなディソルの声に、ニクソンは口角を上げて同調する。
「まぁ、普通ではいられないだろうさ。上も下もどんちゃんしてちゃ、当然焦りが生まれてくるわな。あとはレイ坊の騒ぎ方次第だ」