5-2
「あーッ、自然の風最っ高ッ!」
窓を開けながら車を走らせていたレイは、つい大声で解放感を表現していた。外の空気をここまで美味しいと感じることは、彼の生きてきた人生ではなかなかないことだった。
数分車を走らせ、レイはプライベートで普段から通っている喫茶店に立ち寄った。そこでいつも通りホットカフェラテを頼み、適当な席に座ってお気に入りの味を堪能した。考えるべきことはいくらでもあったが、なにも考えたくなかった。やっと得たプライベートの時間を、事件のことで邪魔したくなかった。
でも、セラのことは頭の片隅に必ずあって、自分が彼女にどんなことをしてやれるのか、どんなことをしてやるべきなのかはぼんやりと考えたりした。自分の存在が彼女の救いになっていることは理解しているし、必要とされていることも理解している。だからこそ彼女になにかしてやりたいと思ったし、いまでは彼女を最後まで守り抜きたいという正義感も生まれていた。 帰り際にレイは、思いつきでケーキをテイクアウトした。どんな行動がセラを救うかよりも、どんな行動がセラを喜ばせるかを考えることのほうがずっと簡単だった。ティラミスとチーズケーキを買って、レイは喫茶店をあとにした。
店を出て車に戻ろうとしたとき、寄りかかるようにして車に体重を預け、車内を興味深そうに眺めている者が目に映った。その者が誰であるかすぐにわかったレイは思わず拳銃に手が伸びたが、公衆の面前でいきなり引き抜くわけにもいかず、いつでも構えられるように手だけ銃に触れ、睨むようにしてその相手を見た。
こちらに気付いたその者は、レイを見留めると車から離れて体をこちらに向けた。
「ケーキ、二つ買ってたよね。一つは私のぶん?」
「いつかデートする機会があれば買ってやるよ。……なにしに来た」
「そんなに警戒しないでほしいな、こっちは丸腰なんだから。いますぐ君の目の前で証明してみせようか?」
面白がるような眼差しをこちらに向けながら穿いていた白のロングスカートを捲し上げていくその者を、レイはすぐさま読心で把握しようとした。読み取れた感情からは、嘘を言っている様子はない。自分の行動がレイをどう動揺させるかを楽しんでいるようだった。
「あんたが武装していないことはわかった。でも用件がわからない」
「私はただ、君と二人きりで話がしたかっただけだよ。このあいだは邪魔なのがいたからね。いまからデートしない?」
信用しがたい相手であったが、レイの読心は相手が嘘を言っていないことを主張していた。それでも迷いが拭いきれないレイに、相手は選択肢を絞らせるような言葉をかけた。
「事件の捜査、行き詰ってるんじゃない? 私なら助けになれると思うけど?」
レイはしばらく逡巡したが、やがて車のロックを遠隔操作型キーで解除した。解錠された音が聞こえるとその者は、純粋な喜びを笑顔に乗せ、長くしなやかな黒髪を揺らしながら車の助手席に座っていった。
「ねぇ、君はドライブ中に音楽かけたりしないの?」
レイが運転する横で、黒髪の少女は不思議そうに尋ねてきた。レイは少女の自然体な様子に複雑な思いを抱きながら、とりあえず質問に答えることにした。
「音楽の趣味はなくてね」
「ふーん。じゃあ、趣味はなに?」
「……なぁ、なんのために俺と接触したんだ?」
「だから、私は君とデートがしたかっただけさ。君に興味がある」
「俺もそんなに暇じゃない」
「わかってるよ、忙しいことくらい。いまはやっと取れた時間なんでしょう? でもね、私も君に時間ができるのを待ってた。それこそ、君がセラと過ごしているあいだ、ずっとだ。やっと二人きりになれたんだから、少しでも君のことを知りたい」
「敵情視察のつもりか?」
「私はもう讃美歌の一員じゃない。何度も言ってるじゃない、私が君を知りたいと思うのは純粋な興味からだ」
「もう? ということは、かつては讃美歌に所属していたのか?」
「気になる?」
相手のペースに乗せられているような気がしてきたレイは、一度大きく息を吸って落ち着こうとした。が、少女が身を乗り出すようにしてレイの顔を覗き込んできたので上手くいかなかった。
「ちゃんと君の知りたいことも答えてあげるから、私の質問にも答えてよ。ねぇ、趣味は?」
レイはますますやりづらさを感じた。それは、この黒髪の少女の話術に乗せられているからという理由だけではない。
先ほどの顔を覗き込む姿、話すときの物腰の柔らかさ、表情……それらはどれも、セラとまったく一緒だった。もちろん、オリジナルはここにいる少女なのだから、表情や仕草に類似性が見られるのも当然であるということは頭では理解できている。しかし、感情はそれをすぐには受け入れられなかった。レイはつい、少女から視線を逸らしてしまった。
「そんな、露骨に嫌がらなくてもいいのに。少し傷つくな」
少女がほんの少し悲しそうな顔をしてみせる。レイはそれすらも疑わしく思えて読心した。
少女は、本当に悲しんでいた。レイはもう折れるしかなかった。
「……これといった趣味はない。ただ、カフェにはよく行くよ。考え事をしたり、作業をしたり、本を読んだり……そういったことは大体カフェでしてる。あと、酒を飲むのも好きだな。夜はバーに行くことが多い」
少女はじっと聞いていた。心なしか、目を少し輝かせているようにも見えた。セラも興味深いことには目を輝かせていたことを思い出したレイは、ここでも複雑な感情を抱かざるを得なかった。
気持ちを紛らわせようと、レイは少し張り気味に声を出した。
「で、どこに行きたいんだよ。まさか行く宛てもなくデートに誘ったわけじゃないよな」
「もちろん。誰の邪魔も入らない場所を用意しているよ。話が話だ、誰に聞かれてるかわからない場所ではしたくない」
「邪魔の入らない場所? どこだそれ」
「私の家」
レイは思いっきりハンドルを誤った。逆車線に飛び出しそうになる寸前でなんとか車体を持ち直すと、呆れた様子で言った。
「あのなぁ、敵か味方かもはっきりしない人間の自宅に、そう易々と行くと思うか?」
「ダメかな。女の家だよ?」
「馬鹿にするのも大概にしろよ。おちょくってるのか?」
「自宅って言っても、仮の住まいだよ。いまでは私も讃美歌と敵対し、追われている身なんだ。人気のない場所に様々なセキュリティを施して拠点とするのは、概ね自然な成り行きだろう? 通信妨害装置も完備しているし、盗聴などの心配もない。そしてなにより、私は敵情をある程度知っている。いわば重要参考人のようなものさ。君の味方だよ」
レイは今日何度目かの読心を少女に向けた。しかし、何度やっても彼女に嘘をついている様子はなかった。過去に、レイの読心が相手の感情を読み誤ったことはない。それでもここまで疑ってしまうのは、この少女との最初の出会いがあまりにも衝撃的であったからだ。
「……ああ、くそッ! こうなりゃもうどこへでも行ってやる!」
「ふふ、ありがとう」
「いいか、少しでも怪しい動きをしたら迷わず撃つからな!」
「それで構わないよ。私が君の味方であることをきちんと証明する、いい機会だ」
レイはむしゃくしゃする自分に苛立ちながら、少女の言うとおりにハンドルを切っていった。少女はそんなレイを見て楽しそうにしていた。
「――どうぞ、いらっしゃい」
少女は先にドアをくぐると、招き入れるようにしてレイを室内に迎えた。レイは拳銃を手にしながら、導かれるようにして部屋に入った。
ここは娯楽街の一角にある、いまはもう使われていないカプセルホテルの一室だった。カプセルルームが壁一面に並んでおり、それぞれのなかに、この少女が使用したのであろう生活品が乱雑にしまわれていた。なかには着用した後であろう下着なんかも放ってあり、レイはなんとなくそこからは目を逸らしながら室内を観察した。
ホテルは深夜営業の風俗店が並ぶ通りの外れにあり、昼間にあたるいまは通りは閑散としていた。辺りには風俗店のほかにラブホテルが乱立しており、このカプセルホテルがいかに需要がなく畳まれていったかが容易に想像できた。また、この場所はハイドアウトとそこまで距離は遠くなかった。なるほど、この少女がレイが一人になったところを突いて接触することができたのは、ここを拠点に、日頃からハイドアウトの出入りをチェックしていたからだろう。
少女はカプセルルームのうちの一つを開くと、なかにある装置が正常に作動しているかを確認していた。レイがPADを取り出して電波状況を見てみれば、画面には確かに圏外表示が現れていた。
「さて、話をしようか。さっきは私が質問してばかりだったからね、今度は君の質問に私が答える番」
少女は振り返り、レイに笑いかけた。その表情はセラが作るような純粋な笑顔とやっぱり似ていて、レイはどうしても直視できなかった。だから、自分の足元に視線を落としながら訊いた。
「バイオロイドを生成していたのは誰だ。本当に都市が技術を使用したのか?」
「直球だね」
「根本のことだからな。はっきりさせておきたい」
少女は室内に一つだけある窓に歩み寄り、外を見た。彼女の素肌が入り込む日差しに照らされる。その透き通るような白さは風に揺れる彼女の黒い髪と合わさって、見惚れてしまいそうな美しさを作り上げていた。
「レイ=オブズフェルド。特殊警察部隊に所属する君にあえて訊こう。君たち警察組織が、人間犯罪よりも機械犯罪に素早く対処できるのはなぜ?」
「なぜって……」
問い返されるとは思ってなかったレイは、わずかに戸惑いつつ、自分の知る知識で質問に答えた。
「遠隔監視システムが機能しているからだろ?」
「その通り」
――遠隔監視システム。機械犯罪防止のための措置として、アンドロイドの設計チームが考案し、都市からの依頼で実現化した機械犯罪防止システムのことだ。すべてのアンドロイド、ガイノイドに、行動記録を治安局に送信するための発信デバイスと、治安局から発せられる警告信号を受け取るための受信デバイスを搭載することでこのシステムは機能する。治安局はアンドロイドが起こすあらゆる言動をリアルタイムで受信し、局で管理している倫理判断プログラムに通すことで、その言動の正当性の是非を決定する仕組みだ。これにより、その機体がどの場所でどんな行為をしているかをプログラムが常に把握し、都市規定に違反する行為が行われればすかさず警告を送信。それでも違反行為をやめなければ即座に都市警察に通告し、その行為の危険レベルに対応した出動方式で犯罪に対処することになる。
このシステムの発現により、機械犯罪は数字としては確かに減少した。また、犯罪が実際に起きても素早く対処できるようになったことが都民からは高く評価され、古くから設置されているシステムではあるが、その後も様々なバージョンアップを重ねて現在に至っている。
「アンドロイドと人間の違いはね、その身体が機械かそれとも生身の肉体か、なんて簡単な話じゃない。監視されているか否か、だよ。人間なら当たり前に持っている産まれながらの自由を、アンドロイドたちは持っていない。いまやアンドロイドは人間と類似した身体を持ち、人間と類似した心まで持っているのに、自由の有無という点では決定的に人間と違う。……だから、|人間になろうとする者が現れた」
「……脱法アンドロイドのことを言ってるのか?」
「そう。都市規定により製造工程の段階ですでに内蔵されている遠隔監視用の発信・受信デバイスを、あとから人為的に摘出した機体――脱法アンドロイド。つまるところ、その両デバイスさえなければ機械たちは治安局の監視の目をくぐり抜けることができる。……けどまぁ、都市がそんなことを許すはずもないよね。アンドロイドの脱法を可能にしてしまうほどの技術者を、都市は自らの技術部に取り入れるか、あるいは都市法違反として処罰したわけだ」
アンドロイドの首筋には、繊細な神経回路と記憶保存チップが配置されている。またアンドロイドの胸部、人間の心臓と同じ位置には、動力を機体に供給するための自律型電力増幅基盤が備わっている。どちらもわずかに損傷を与えるだけで機体生命の維持に関わる問題に発展するのだが、都市はアンドロイド監視のための発信・受信デバイスをそれぞれ機体の首筋と心臓の内部に設置することで、アンドロイドの脱法化を防ごうとした。しかし時代が進むにつれ、やがてそれらを無事に摘出できるほどの技術を持つ者が現れた。都市はそういった人材をはじめはスカウトし、技術部の人間が足りてくると次第に厳重な処罰を与えるようになった。いまでは、そういった都市規定に抵触するような技術を都民が学習することは禁則事項とされている。それでも、その禁則事項を破る者が後を絶たないのが現状ではあるが。
ただ、任務上、倫理観念を逸脱する行動を取る可能性を有していることから、都市に属する部隊員だけは自身の機体の脱法化が認められていた。特許を得ることで、都市技術部のエンジニアによるデバイス摘出手術を受けることができる。オージッドやキーラ、コトミもそうだった。彼らが敵に対して射殺、あるいは高難度のクラッキングを行っても倫理判断プログラムに警告されずに済むのは、そのためである。
「だいたい、いくら特許で認められているといっても、デバイス摘出手術にはかなりの金額がかかるそうじゃないか。技術料だけじゃない。構造上、両デバイスに辿り着くまでに多くの部品をダメにしてしまうから、それらを新品に代替せざるを得ないがために金がかかる。特に電力増幅基盤周辺がヤバいらしいね。技術者たちもできればやりたくない手術だろうさ」
「……結局なにが言いたいんだ? それとバイオロイド技術になんの関係がある」
「そうだねぇ。……あ、そうだ、このあいだのドンパチで出た遺体の鑑識、終わってる?」
「いや、まだだけど。なにせアンドロイドばかりだったからな。精密な鑑識には時間がかかる」
「そっか。じゃあ、鑑識の結果を先に教えてあげよう。あの場にいたアンドロイドはみな、脱法アンドロイドだ」
レイは一瞬耳を疑ったが、冷静さは失わなかった。この少女は自分がかつて讃美歌に所属していたことを、先ほどの車中で確かに言っていた。それが本当であるならば、彼女が讃美歌側のステータスを把握していても不思議はない。
また、レイにとっていまの少女の証言は、真相を理解させるには充分な情報だった。少女の顔を見てみる。少女は静かに頷きを返すことで、その辿り着いた真実が正しいことを主張した。
この少女が言いたいことはつまり、讃美歌という組織には、何人ものアンドロイドたちに脱法手術を受けさせられるだけの潤沢な資金がある、ということだ。
――部隊は最初、ダニエルの邸宅の地下からバイオロイドが発見されたとき、ダニエルの私財だけではバイオロイドの生成は不可能だという観点から、ほかにバイオロイド技術の実施に関わっている存在がいると考えた。ここまではいい。
部隊の考え違いはここからだ。彼はダニエルが都市防衛省参謀本部に所属していること、また、都市がバイオロイドを保有していたダニエルの処遇を保留していることから、もしや、都市がバイオロイドの生成を扶助しているのではと思い込んでいた。
だが、それは違う。
「……バイオロイドを生成していたのは、讃美歌か」
「そういうこと」
次回に続く……