5-1
「……よし、今回はここまでにしよう。お疲れさま」
レイがそう告げると、セラは静かに息を吐いた。二人はハイドアウトで、お互い向かい合うようにしてソファに座っていた。レイはPADで起動していたテキストエディタを閉じ、保存したファイルをそのままA.L.I.V.E.本部へと転送した。
「疲れた?」
――少しだけ。でも平気。
「そう。強い子だ」
軽く頭を撫でてやる。セラはくすぐったそうに笑った。
セラに対して正式な聴取を行ったのは、今回が初めてだった。辛かった過去を思い出させるようなことまで聴くのは憚られたが、セラは最後まで、嫌な顔一つせずに応じてくれていた。レイは自分のコーヒーと、セラのためのフルーツジュースを用意してリビングに戻ると、セラにジュースを手渡し、ソファに深く腰掛けた。コーヒーを口にしながら、宛てもなく視線をぼんやりと放り投げる。
――あの、ごめんなさい。役に立てなかった?
ふと、セラがそんなことを尋ねてきた。見てみればセラのレイを見る目は申し訳なさそうで、レイは慌てるように首を振った。
「いやいや、そんなことないよ。貴重な話だった。本当に助かってる」
――うそ。そういう顔してない。
レイは困ったように頭を掻いた。表情から伝わってしまったのだろうか。
セラから訊けた話はどれも、本当に貴重ではあった。しかし、今回の聴取でわかったことは、セラに施された実験がどれだけ凄惨だったかということと、バイオロイドであるセラの肉体が、真人間とほぼ同等なレベルであること、そしてダニエル=カーターが、セラのいた実験施設で唯一の善人であった、ということだけだった。実験施設の場所、規模、それから『エリック』という施設の最高責任者の存在の詳細は依然わからないままだ。
本当に必要な部分が、まったく見えてこない。あの事件以来、都市、讃美歌ともに表立った動きがないことも不思議だった。バイオロイドを巡った争いであったはずが、現在そのバイオロイドがA.L.I.V.E.の手中にあるというのにどちらも静観を保っている。
「――おーい、レイ坊。来てやったぞー」
間延びした声を出しながらやってきたのはニクソンだった。両手に抱えるようにして持っている筐体にまず目が行く。ニクソンはその視線に気づくと、掲げるようにその筐体を持ち上げた。
「ゲーム機さ。ちょっと古いハードだが、十分遊べるはずだ」
セラと出掛けたときに、セラがゲームアーケードにご執心だったことはメンバーに伝えてあった。きっと、その話を思い出してわざわざ持ってきてくれたのだろう。
「それ、家から持ってきたのか?」
「ああ、こいつは俺の私物。よぅし、セラ待ってろ。こいつは俺のガキの時代に華を咲かせた代物さ、きっとお前も気に入るぞ」
立体映像デバイスと筐体を繋げると、ニクソンはゲーム本体を起動した。筐体は微弱な音を立てながら稼動し、ホロデバイスも筐体から受け取った信号に合わせて自動で起動した。
「さぁ、どのソフトがいい? ジャンルは多彩、ストーリーだって重厚なものばかりだ。どれもオススメするぜ」
ニクソンがセラの目の前に数々のゲームソフトを広げると、セラの目が途端に輝いた。やはりゲームは好きみたいだ。セラはわずかに迷った様子を見せたが、数あるうちの一つを指差すと、ニクソンにソフトの読み込ませ方を教えてもらいすぐにプレイし始めた。その際、いつも手に持っているメモ帳にペンでさらさらとなにかを書き記すと、それを破ってはニクソンに手渡した。
「彼女、だいぶ心を開くようになったな」
こちらへとやってきたニクソンが、セラからもらった紙切れをひらひらさせながらソファに腰掛けた。
「なんて?」
「あぁ、『ありがとう!』ってさ」
ありがとう、どういたしまして、おはよう、こんにちは、おやすみ……そんな、当たり前のような会話が、きっといまのセラには必要なことなのだろう。そう考えるとレイは、セラが自分以外の人間にも心を開いていくことが少し嬉しく思えた。これは紛れもなく彼女の成長だ。
「で、どうだ? なんかわかったかよ」
レイが飲んでいたコーヒを横から取って飲み干したニクソンが、和やかな調子を崩さずに言った。聴取のことを言っていることはすぐにわかった。
「まぁ、収穫がゼロってわけではない。けど、決定的なことはなにも」
「その収穫ってのは?」
レイはPADを操作し、空中にホログラムを浮かび上がらせた。データファイルを選択し、そのまま表示させる。
「セラの話を聞く限りでは、施設でのダニエルは心理テストや、学問を教えるようなことばかりしていたみたいなんだ。んで、とりあえずダニエルの経歴を洗ってみた結果がこれ。どうやら彼は学生時代、官僚育成系の大学に進学して日中は政治関連のことを学ぶかたわらで、夜間は別の大学で心理学を専攻していたようだ。もともと父親が官僚で、ダニエル本人が官僚職についたのも父親の望みがあってのことらしい。けど、本人は心理学のほうが好きだったんだな。だから、研究する側になることを願った。妻のメグミも、ダニエルがそのようなことを日々口にしていたことを供述してるようだ」
「その、施設の場所は?」
「それはさっぱり。セラは自分が連れ出された記憶がまったくないらしいんだ。過度の実験で気を失ってたんじゃないかって。目を覚ましたときにはヴェルーリの軍部医療機関だってさ」
「そうか。ほんと、なかなか見えてこねぇ事件だな」
「そっちはなにか掴んだか?」
「お前と似たような状況さ。決定的なことはなにも」
二人して溜め息をつく。捜査状況が芳しくないのは明らかだった。
「もう何日間ハイドアウトに籠ったかな……」
「なんだよ、こないだセラと出掛けて以来、外出したりしてねーのか?」
「外に出るとやっぱり、危険が伴うからさ。あのときは聴取を円滑に進められるうよう、セラの気分転換のつもりで外に出たけど、できれば避けたいってのが本音だ」
「じゃあずっとここに箱詰めか? 体が腐るぞ」
「そろそろ腕あたりがぽろっと落ちるかもな……」
「だったら少し出てこいよ。俺が見ててやるから」
レイは天にも昇る気持ちになった。ニクソンの提案がまるで天使のささやきのように思えて仕方なかった。セラを悪く思うつもりは毛頭ない。しかし、できればこのお守り役から、少しくらいは解放されたいというのがレイの本音だった。
「俺はもう今日の業務は終わらせてる。幸い、懐かしのゲームもあるわけだしな。多少の時間稼ぎくらいならしてやるよ」
レイは最後までどうしようか迷ったが、ここは素直にニクソンの提案に乗ることにした。セラに告げると間違いなくついてきたがるので、彼女がニクソンと一緒になってゲームを楽しんでいる隙に、こっそりとハイドアウトをあとにした。