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ハイドアウトにやってきたナタリーは、開口一番に不満をこぼした。
「もうっ、今日は非番なのよ? なんだってわざわざここまで出向かなきゃいけないのよぉ」
「そう言うなよ。どうせすることなんて特にないんだろ?」
「あるわよぅ。馬鹿にしないでよね」
「なにしてたんだ?」
「AV観賞、レズ物の」
「やめてくれ、なにも知らない女の子がいるんだから……」
どうしようもない人だな、と思う。しかし、性癖面は置いておいても、することがそれくらいしかないことに関してはレイは仕方ない気がしていた。
特殊制圧部隊という特異な職に就いてから、非番の日の過ごし方はどうにもわからなくなっていた。犯罪に対する公正な部隊組織と銘打っている以上、常に都市に渦巻いている犯罪に対処するべく、非番でも緊急事態には召集されることも少なくない。そうなると、たとえ名目上休暇という体裁を取っていても、自由にできることはそれなりに限られてくるのだった。部隊にとって非番とは、あってないようなものなのだ。
ナタリーは手提げのトートバッグからメイクセットとヘアカラー用品を取り出し、レジャーシートを床に敷いた。シートの真ん中には椅子を配置する。
「最近の若い娘たちは明るい茶髪が多いもんねぇ、似たような感じにしたらいいかしら」
「いいんじゃない? 本人に似合えばなんでも」
「茶髪が似合わない人間なんてそうそういないじゃない。……それと、せっかくだしカットもしちゃいましょうか。すごく綺麗な髪だしもったいない気もするけど、外に出るんじゃ見た目は変えてかないと。染髪料もそんなにないし」
「まぁ、そうだよな。状況が状況だし仕方ないか。それでいこう」
「オッケー。じゃあまず、髪の毛洗いましょうか」
バッグからシャンプーを手にしたナタリーは、レイのうしろで隠れるようにしているセラを手招きした。しかしセラは動こうとしない。
――……なにをするの?
怯えたような声がレイの感覚野を震わせる。レイは明るい調子を意識して答えた。
「セラの容姿だと、街中じゃどうしても目立っちゃうんだ。だから、あそこのお姉さんが君が目立ちすぎないように髪型を変えてくれるって」
――それって、痛くない?
「髪を染めるときに、少し頭皮に刺激が走るかもしれない。けど、君が耐えてきた痛みに比べたら埃みたいなもんさ。安心していい」
それでもどこか渋っている様子のセラだったが、レイが軽くセラの背中にぽんぽんと触れてやると、恐る恐るといった足取りでナタリーに近づいていった。
「別に捕って食おうってわけじゃないんだから。お姉さんとしてはそんなに怖がらないでほしいなぁ」
「どうだかな。本能的に感じてるんじゃないか、身の危険を」
「やめてよ。私が抱くのはコトミだけなんだから」
「それは一途なことで」
二人はシャワールームへと向かい、程なくして戻ってきた。シャンプーの心地よい香りが周囲に漂う。ナタリーはまだ髪が濡れているセラをシートの中央の椅子に座らせると、ヘアカット用のシザーズセットを腰に巻きつけた。レイはその様子を見て、少し感心してしまった。
「よく持ってるよな、そういうの。スタイリングなんて全部機械がやってくれるものだと思ってたよ」
「確かに、いまはそれが主流よね。無人化した美容室で、システムが提示する何千通りものヘアスタイル、カラー、メイクから好きなものを選べば、あとはすべてマシンがその通りに仕立て上げてくれるんだもの。……でも、そういうの私は絶対にイヤ」
「どうしてだ?」
「産まれ持った顔の造形はともかくとして、美しくなるためのことを自動で済ましちゃうのって、なんか違くない? 自分を美しくすることに努力してない」
真面目な顔をしてそんなことを言うナタリーは、巻きつけたセットからシザーズを一つ一つ取り出しては丁寧に状態を確認していく。
「ボタン一つで美しくなってしまったら、その人の美に対する意識はもうそこで終わり。たくさん努力をして、一生懸命になって美を手に入れた人とはやっぱり、輝き方が違ってくるのよ」
「……そういうものか?」
「それがわからないうちは、あんたもまだまだ子供ね」
「そう言うお前は相当な努力家なんだな、きっと」
「あら、輝きを求める女はいつだって努力家よ? 愛する人をそばに置いておくために、それが一番必要な事だもの。……さぁ、始めましょうか」
ナタリーがヘアカットをしていくこと約30分。セラの背中まであった髪は肩口のところまで短くなり、前髪は目の上で切り揃えられていた。毛先は適度に梳いてあって厚ぼったさもない。その仕上がりは、美容に関心のないレイの目から見ても上手いとわかるほどだった。
ナタリーはセラを連れてもう一度シャンプーを終えると、今度はヘアカラーに取りかかった。独特のにおいが辺りに広がるなか、彼女はセラの髪をやさしく撫でるようにしながらカラーリング材を塗布していく。
「こんなものかしら。30分ほどでカラーリングは終わりよ。終わったら頭流して軽く手直しして、メイク始めましょうか」
「……あぁ」
「なによ」
「いや、大したもんだなぁって。随分手際がいいからさ」
感嘆した様子のレイに言葉は返さなかったが、横眼から見てもナタリーが嬉しそうにしていることはすぐにわかった。彼女があまり見せない表情だっただけに、レイは新鮮な気持ちでナタリーが作業する姿を見ていた。
やがて30分が経過し、セラはナタリーに連れられて三度目のシャンプーへ。そして戻ってきたセラを見たとき、レイは思わずへぇ、と声を漏らしていた。
まだ濡れているセラの髪は、綺麗な茶色に染まっていた。そこには『天使』と呼ばれていたときの造られた神々しさはない。いかにも馴染みやすい、自然な雰囲気が彼女から溢れていた。
「かなり変わったな。綺麗に染まってる」
「もともとの髪質が良かったからね。きっと、乾かしたらもっと綺麗に色が出るわ」
果たして、その通りだった。ドライヤーで髪が乾かされてみると、セラの髪は艶のある明るい茶色になっていた。街中で、若い人たちがよくしている髪色だ。これなら外に出ても不自然ではないだろう。
ナタリーは乾いたセラの髪にシザーズで手直しを加えたあと、メイクセットを広げ、派手すぎず自然に映えるようなメイクをセラに施した。果たして、セラは先ほどまでとまるで別人のように生き生きして見えるようになった。
「お待たせ。これでおしまい」
ナタリーが手鏡をセラに渡す。セラは鏡に映る自分の顔を見て、驚いたように目を見開いた。頬を触ったり、ときにはつねったりして、鏡に映っているのが本当に自分であるのか確かめてすらいた。その様子は傍から見ればとても人間味に溢れて見えた。
「やっぱり素材がいいと腕が鳴るわね。久しぶりに夢中になった」
「わざわざすまなかったな。ありがとう、助かったよ」
「気にしないで、こっちも楽しめたから。それに、一つ気づいたことがあるの」
おもむろにそんなことを言うナタリーに、レイは表情で先を促した。すると……
「家で観るより、ここの立体映像デバイスと音響で楽しんだほうが絶対にエロいと思うのよ」
「なんの話だよっ!」
「さぁ、私は自分の時間を楽しむから、あなたたちも行ってきなさいな。もうランチ時よ?」
つい先ほどまで感心していたレイだが、最後にはナタリーの普段通りの開けっ広げた性格に大いに呆れてしまった。レイとしては自分たちがいる状態で卑猥な内容の映像を流されても困るので、すぐにでもセラの手をとってハイドアウトをあとにしようとした。が、セラがすぐ近くにいない。どこだろう、とレイが視線をさまよわせたときにはセラはレイの脇を抜けてナタリーに駆け寄っていて、先ほどナタリーに渡された手鏡を、手のひらサイズの紙切れ一枚を一緒に添えてナタリーに返していた。
ぺこりと頭を下げてレイのもとへと戻ってくると、セラはレイの手をぎゅっと繋いで、レイを連れてさっさとハイドアウトから出ようとした。レイはセラがナタリーに渡した紙切れが気になり、そちらのほうをずっと見ていた。
少しすると、紙切れを見ていたナタリーが、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ふふっ。どういたしまして、お嬢さん」
ナタリーがそう言ったのを聞いて、レイはセラに視線を移した。
セラの頬はなぜだか、照れたように赤く染まっていた。