閑話1
その女神に初めて出会ったのは、いつか手篭めにしようと狙っていたリタにちょっかいを出そうと街に繰り出していた時だった。わざとイヤらしい声を掛け近寄ったところ、斜め下から睨め上げる様に睨みつけられたのだ。
その瞬間、体が竦み動けなくなった。あまりのプレッシャーに、思わず悲鳴が漏れたがそれも致し方ない事だろう。取り巻きのペレスも同じように威圧された様だ。ここ何年もサボって体を鍛えていないオレと違って、それなりに冒険者稼業に精を出している筈のペレスがだ。
彼女がリタに諭されてその場を立ち去ってからも、オレ達は暫くの間その場から立ち上がる事は出来なかった。襲ってきたのは猛烈な怒りだった。蔑んだ目で見やがって、と。
オレはこの近辺を治める領主である、デニゼンツ家に生まれた。親父であるクピッツに顔が似ていない事から、小さい頃から貴族連中からは母の浮気が疑われたり、直接的にそのことでイジメを受けたりということもあったのだが、実際にはオレを妊娠した…結婚したての時期には父が焼きもちを焼くから、という理由から、出入りの業者に至るまで男性を周りに近づけなかったし、初めての性交ということもあってか、サルのように激しく母を求めてしまい、体力が続かないからと母がぐったり寝てる時間が長かったということで、そんな間男の入り込む余地なんてこれっぽっちもなかった、というのが両親である2人の見解である。無論、魔法による血縁関係の調査も受け入れた結果、実子であることは証明されている。
オレが生まれてからも父と母の中はとても良好で、オレですら疎まれるような状態であった。それでも愛情は注いで貰っていたのは今になって見ればしっかりわかる。10歳下の妹が生まれてからは2人の興味が完全にそっちにいってしまったことで疎外感を味わい、あちこちの街で好き放題し始めてからも、父は頻度は少ないものの叱るという形で愛を示してくれていたのだが、オレはそれに気付くことはできずあちこちで女性を手篭めにした。魔物退治についても本来地方を治める者の義務ということで実際に手勢を率いて従事するのが仕事であるのにそれもサボるようになってしまった。
その結果として街や街道の治安も、オレが任されている地方の状態は悪化し、町の住民からもブクブク太ってくオレに対して蔑む視線が投げかけられていたのである。今になってしてみれば、いろいろなことを誤解した挙句の暴挙による自業自得な訳だが、女神がオレの目を覚まさせてくれるまではそれすら気付けない状態だったのだ。
ちゃんと謝れるじゃねぇか、と言ってくれた時のあの、女神の微笑みはオレの目に焼き付いて今も離れない。
彼女以外の女性に対しての興味が一遍に吹き飛んだオレは、女漁りを辞め関係を清算すると、数年ぶりに真面目に訓練を始めて街道の治安維持に精を出した。ちょっとずつ体が締まっていくのに気が付いたのか、妹がボソリと呟いたのが聞こえた。
「お兄さまが真面目に働くと、すぐ痩せるのね。痩せるのはカッコよくなるからいいけど…真面目なお兄さま、なんか気持ち悪い。」
妹よ、兄は悲しい。
◇◇◇◇◇
「おい、ジャレット。そっちの塩梅はどうだ?」
「今オーガの群れを誘導してる。そっちは?」
「こっちは今のとこ、ゴブリン3体の群れだな。」
シオリのアネゴがゴブリン討伐の依頼書をカウンターに持っていくことがわかった瞬間、あっしはアネゴファンクラブの面々に声を掛け、森へと向かった。
目的は一つ、アネゴへのゴブリンの供給。何せ、アネゴは既にべらぼうに強い。あっしよりも強い魔物もきっと狩れるだろう。そうであれば、バンバン倒して貰って、ランクを上げて貰えればあっしやファンクラブの面々もグループを組む事が出来るようになるはずなのだ。
現状ではギルドのランクが3ランク離れると同じグループとして申請をして一緒に活動することが事実上出来なくなる。何せゴブリンの依頼書(D、E、Fのみ受領可)を見て貰えばわかるように、受けられるランクが低レベルに制限されている。高レベルになればゴブリンなど狩っても身入りも悪いし、戦力も過剰過ぎる。それに、魔法の武器でもない限り、どんなに雑魚相手でも使えば損耗するのが武器なわけで。
しかも高レベルの者が低レベルの者と組んだとすると、経験値は高いレベルの者に多く入ってしまうのだ。それでもある程度は入る為にレベル的には少しは追いつくように見えるのだが…長い目で見るとレベルの低い方が経験値的には損をする仕組みになっていることが、一緒にグループとして活動するのを妨げる結果となってしまっているのである。
「しっかし、無人の野を征く、といった感じだな、アネゴはよ。腕の振りが速すぎて殆ど見えねぇぞ。気が付いたらゴブリン共の頭が飛んでらぁ。」
遠眼鏡を覗いている奴がボソリと言う。まぁ、さっきトロルを連れて行ってゴブリンと同じ扱いであっさり一刀両断という姿を見れば、その気持ちはよくわかる。
「おい、誰だよ。結構な数のゴブリン来てねぇか?ジャレット、おめえも気をつけろよ。」
「おう、もう行く。」
あっしは引き続きオーガを誘導する任務に戻ると、一応アネゴの進路も確認する。このまま放っておけばアネゴと鉢合わせしそうなところまでオーガを誘導すると、ゴブリンの数が確かにぐっと増えてきているのに気付いた。基本ノープランで進んではきているが、誰かゴブリンの上位種でもいる集落にちょっかいを出したのだろうか。木々の間を高速ですり抜けてゴブリン達が列をなしている大元を探して奥へ奥へと進んでいくと、そこには確かにゴブリンの集落が存在していた。
「確かに手っ取り早いっちゃあ早いけどよ…。」
「大丈夫だって、シオリのアネゴならここのボスのキングだって食えるさ。それよりも俺たちの贈り物を仕込みに行こうぜ。ゴブリン達が誘い出されてるから、奴らの宝の山に突っ込むだけでいいからな。」
「お、おう。っておめえ、直接アネゴにわたさねぇのか?」
独り言に応える形で現れた、ガンポスだったかーーヒキガエルに雇われてたと思ったがーー奴は嬉しそうに笑うとこう言った。このゴブリン共の誘導はこいつの仕込みのようだ。
「偶然を装って手に入れさせてよ。それで使ってもらえたりしたら本当に気に入ったってことだろ?…それに、敵対してた野郎から貰っても使ってくれるとは限らないってのもあるからな。」
「それでいいのかよ…。」
「おうよ。見かけるたびにニヤニヤしてえのよ。」
…あっしにはとても理解出来ない世界だ。見かけるたびにニヤニヤしてるのを見られたら、アネゴのことだから、何ニヤニヤしてんだ、バカにしてんのかって言われるか、無言で裏拳を食らわせられるのが関の山だろう。
まぁ、アネゴの生活をサポートするつもりで金の代わりに持っていたアクセサリーの類でも幾つか混ぜときますか。そう思ってガラクタの山をひっくり返したところで不思議なことに気が付いた。
防具の類が殆どないのはその損耗状況からしてよくあることだとは思うが、武器の量が妙に多いのだ。しかも業物、魔剣が何本か混じっている。輸送中の商隊が襲われでもしたのか、それとも高レベル冒険者が敗れたのか。後者はよっぽど下手を打たない限りゴブリンキング程度に敗れることはあまり考えられないことではあるから、恐らく前者だとは思うのだが。疑問には思ったものの、これ以上留まるわけにはいかない、と手持ちのものを山に積み上げると、その場を後にした。




