疑念
時刻22時2分。衛宮荘前。
少し急いだつもりだったのだが結局22時を回ってしまった。
「先輩、立華君はどの部屋に住んでいるんですか?」
「確か、204号室」
と言って2階の1番右端の部屋204号室を見るが電気の光は見られない。
「そんな……」
と私が落胆の声をあげるが、穂神は
「……もしかしたらもう寝ているのかもしれません。念のため部屋まで行きましょう」
と私を励ましつつ部屋の前まで連れていき、チャイムを2、3回鳴らすが反応はない。
今度こそ私は完全にヘタレこんでしまう。穂神も爪を噛んで完全に行き詰まったという感じの顔をしている。
私達が次の行動方針が見つからずに途方に暮れていると、不意に私の携帯から電話を知らせる音楽が流れ始めた。母親からだろうと思って着信画面を見ると――
「嘘……ヤト君!?」
穂神も私の発言に驚きを隠せずにいる。今まで何回掛けても反応が無かったがこれでようやく隼人の行方がわかるのだ。
私は通話を開始するや否や質問をぶつけた
「もしもし! ヤト君!? 今どこ!? 何してるの!? もー! 散々心配したんだからね! あと3分連絡なかったら警察に届けだしてたよぉ〜」
つい早朝に聞いていたはずの隼人の声がとても懐かしく聞こえる。
『あ、ああ。悪いなちょっと立て込んでてな。連絡忘れてた……。あの、警察はやめてほしいな、うん。すごく面倒になりそうだからさ……ね?』
「何? ヤト君? もしかしてなんか悪い事でもしてるの!?」
『違うって。とりあえず俺はもう家にいるから心配しなくてもいいよ』
そんな筈はない。なぜなら今私達がいるのは正真正銘彼の部屋の目の前で、主の不在をたった今確認したばかりなのだから。
「え? そうなの? 私今ヤト君の住むアパートの前に来てるんだけど……。ヤト君の部屋、電気点いてるの見えないよ? 確か2階の204号室だよね?」
一応、部屋を間違えている可能性を考慮し確認を取る。
『――! いやっ、そっちじゃなくて今は……友達の家にいるんだよ。泊まる事になっちゃってさ』
友達の家。そういう線もあったかと反省しつつ、私は今の表現に違和感を感じざるを得ない。普通友達の家の事を「家」と簡略化はしない。隼人の発言に疑惑が垣間見えた私はその「友達」について確認を取ってみる事にした。
「ふーん……。もしかしてそれって三浦君の家?」
『そ、そう! 春吉の家! 疑うなら春吉にも替わるか?』
適当に三浦春吉の名を出したのだが当たったようだ。これでその本人に電話を替わってもらえば真偽の判断ができるのだが、幸いにも隼人から提案してきてくれたので当然そうしてもらう。
「うん。お願い」
そう言うと少ししてピピッという音が耳に入り、その後にギギギという重い扉を動かした時のような音が聞こえてきた。
(おかしい、家の中でこんな音がするだろうか? 音の感じからして電子ロックのように聞こえたが……)
さらに疑惑を募らせる中、携帯に隼人とは別の男の陽気な声が響いてきた。
『あー、もしもし。お電話替わりました、三浦春吉です。』
「春吉君? 久しぶり。理子だけど」
『はい、理子さんお久しぶりです。いやぁ、今風呂入ってた途中だったんで時間かかっちゃって。』
「ああ、それで時間掛かっていたんだ。ごめんね、お風呂の邪魔しちゃって」
『……え? いえいえ、とんでもない、理子さんからの電話なら例えトラックに轢かれて死んでも生き返って出てみせますって!』
なんだか笑えない冗談だ。しかし、今は気にせず事情聴取の方を進める。
「もー、大げさだな。ところで今日、いつヤト君を泊まりに来るよう誘ったの?」
『……えーと、あいつが屋上から降りてきた所で誘ったから19時ちょいってとこですかねぇ』
特に春吉の発言に矛盾は無い。流石に彼は私が疑いを持って彼らと話している事に気付いているようだ。その証拠にかなり正確な時間を私に教えてきた。疑われていると自覚している者程自分の疑いを晴らすために自然と聞かれた事に対して余計に詳しく答えてしまうものだ。
推理小説などでありがちな『犯人程よく喋る』法則である。別に今回の件に犯人がいるとは思っていないが、少なくとも春吉には他者の疑念に対し敏感にならざるを得ない理由があるのだ。
最後に私は春吉についさっき気になったある事柄についての確認を取るため1つ質問をした。
「ねぇ、春吉君の家って一軒家?」
『……はい、そうですが、それがどうかしましたかぁ?』
「ううん、気になっただけ。春吉君、隼人をよろしく頼むね。じゃあ、もう一度ヤト君に替わってくれる?」
『……はい、ハヤトの事は任せてください、明日もきっちり登校させますから』
そう言って春吉は隼人に電話を手渡したらしく、ゴソッとノイズが入る。
「もしもし? ヤト君? とりあえず事情はわかったけど今度からはちゃんと私にも相談してね?」
『おう、わかったって。でも理子姉もあんまり夜中に外ほっつき歩くなよ?』
「誰がそうさせてると思ってるのよ」
上から目線のセリフに少し怒りを感じた私は嫌味たっぷりに言い返す。
『う……。ごめんなさい』
「わかれば、よろしい! それに大丈夫よ、友達も一緒だもの。でも、心配してくれるのは嬉しいな……。じゃあね! ヤト君。あんまり遅くまで二人ではしゃいでちゃダメだよ」
『わかってる。じゃあね、おやすみ理子姉……』
通話が切れる。
同時に私は確信してしまった。
「やっぱり、ヤト君は何かを隠してる……」
「……どういう事ですか?」
穂神は真剣な顔つきで私に尋ねる。
「元々、連絡がこんな時間まで来ない時点で疑念はあったのよ」
しかし、私はその可能性を考慮できなかった。信じたくなかったから。そこに隼人と春吉との通話が来て私の疑惑の芽は一気に開花したんだ。
でもまだ疑惑だけだった。それが確信に変わったのは春吉が私の最後の質問に「一軒家」だと答えた時だ。私はあの不可解な電子音と扉の音は彼らがマンションに居て、隼人が春吉に会話を聞かれないようマンションの外で掛けたのだと推測した。だからもう一度マンション内に入るためにロックを解除したんだと。もちろん一軒家にも電子錠を導入している家は少ないが確かにある。だが、その場合はそもそも外で電話をする必要がない。マンションよりも広いのだから家の中で電話する方が自然だ。
つまりマンション位しか当てはまらないのだ。あの音が鳴ってから春吉が電話に出る状況が。それなのに、春吉は自分の家が一軒家だと答え、私は確信したのだ。
彼らが何かを私に隠している、と。
そんな内容の説明を私は穂神に話していた。
穂神はただ黙って下を向いている。
「そして、これは私の勘違いかもしれないけど……」
私は続けてもう1つの推論について述べようとしていた。
普段の私の精神状態ならこんな事は言わないだろう。この推論は隼人の件の推論よりも確証が薄く、言わば勘のようなものだ。
だが言わずにはいられなかった。言って否定して欲しかったのだ。こんな推論が当たってしまったら私は立ち直れないかもしれない。
「……穂神ちゃん、あなたがヤト君達の隠し事について知ってるんじゃないの? 聖十字教会の祓魔師さん」
「…………」
穂神は下に向けていた顔を上に戻し、私を信じられないとでも言いたげな表情で見た。
「やめてよ穂神ちゃん、そんな顔……間違ってるって言ってよ、こんな推論当たってるわけがないんだから……!」
穂神はその言葉を聞くとまた悲しげな表情を浮かべ、重苦しくその口を開いた。
「いつ、そう思ったんですか?」
彼女から否定の言葉は無かった。むしろそれらの推論が全て当たっていると言わんばかりの返答だった。
私は悔しさや悲しさや憎悪にまみれた複雑な感情を必死に心の奥底にしまい、彼女の質問に答える。
「最初は私のみっともない姿に同情して手伝ってくれているんだろうと思っていた。でもさ、穂神ちゃん積極的過ぎだよ。あんな風に行動方針から全部考えてくれて……。あれじゃ私があなたの都合のいいよう動かされてるように感じちゃうよ」
「……失敗でしたね。でしゃばりすぎました」
「それから屋上への階段での出来事にも違和感を覚えたわ。あの時はつい納得しちゃったけど、よく思い出してみるとあれって誘導尋問の応用よね? 私の返答に応じて怪しまれない自然な状況を作ったんじゃないかって思ったのよ。だから私はあの時の情報を反対にして考えた。あなたはヤト君と会っていて絵画なんて描いていなかった。掃除は絵画の情報により信憑性を与えるためのフェイクってね」
「なるほど、それで私と立華君の間に何かがあったと推測し、私も同じく立華君を探していたから先輩の捜索に協力的だったという事ですか」
私が次に言おうとした事をそのまま穂神が説明する。つまり、私の推測に間違いは無かったのだ。強烈な絶望感が私の心を支配し始める。
「先輩、まだ1つだけ説明が終わってないです。何故私が聖十字教会の祓魔師だと?」
穂神はさっきとは異なり、微笑を含んだ表情で私に訪ねた。
「……気付いたのはさっきの不良達を倒した時。グラサンにアッパーをする初動で腰を少し落としていたでしょ? その時あなたの腰紐に付けられた黒のロザリオが見えたの」
「――! 見えたんですか? あの動きが」
「初動だけね。それで気付いたのよ、黒のロザリオは聖十字教会の証だからね」
穂神は最初は驚いた顔をしていたが、ふと思案顔になり
「あれ? それでも私が祓魔師である事まではわからないですよね。信徒だって同じロザリオを付けてますし」
「私があなたを祓魔師と判断した理由はその戦闘技能とロザリオを付けている位置の2点からよ」
「んん? 話が見えないのですが……?」
「1つ目の戦闘技能は一目瞭然。何かしらの戦闘訓練を積んでないとあの動きはできない。しかも聖十字教会の証を持ってるって事は聖職者の中で唯一戦闘訓練をしている祓魔師か武闘家の信徒以外にはありえない。でもロザリオの位置的に信徒ではありえない」
「そう、そこがわからないのです。ロザリオの位置に何があるのです?」
と穂神は不思議そうに尋ねる。彼女はこの取り決めを教えられていないようだ。
「簡単な話よ。あなたは訓練の中でロザリオをそこに付けろと言われたんでしょうけど信徒は普通ロザリオは首に掛けるかポケット、カバンに入れるのが原則。一方であなたのような聖職者はロザリオを腰紐に付けるのが原則なのよ。つまり、あなたは聖職者で戦闘もできる祓魔師しかありえない」
そうなのかという顔をしながら自分のロザリオを見つめ、悲しげに微笑むとそのまま私を見つめて
「はい、ほとんど正解です、先輩」
と拍手を送られる。
私は穂神のその行動で完全に今まで抑えていた感情が抑えきれなくなり、爆発するのを感じた。
次の瞬間、私は彼女の腕を強く掴み、感情に任せて叫んでいた。
「最初っから私を利用する気で近づいたの!? 何で嘘を吐いたの!? 全部、全部計算通りって事なの!? ねぇ!」
穂神はただ私にされるがまま、私の腕で揺らされているだけだった。そうして私が叫び疲れた所で彼女は口を開く。
「ほとんどって言ってるじゃないですか、先輩。まず、最初からあなたに近づこうとしていたわけじゃありません。今朝のやつは本当に偶然です。でも、立華隼人の家族にも近しい存在と知り、彼の行方不明という事態に混乱しているあなたを見た時、あなたを利用しようと即座に思いつきました。」
「……じゃあ、何で屋上であんな嘘を……!」
私は下を向いたまま尋ねる。顔を上げたくなかった。
「余計な詮索をされるのを避けたかったからです。あなたがわかっていて言わないのか本当にわかっていないのかはわかりませんが、私は聖十字教会から彼の討伐を命じられてこの学校に潜入しました。正確には彼が討伐対象の条件と合致していたから彼の討伐へ動いたのですが。そして今日、私は彼の討伐に臨んだのですが、三浦春吉という邪魔が入って逃げられてしまいましてね。その時に荒れてしまった屋上の階段を修復していた所にあなたが立華隼人を探しにやって来たのです。絵画の話しはその時咄嗟に思いついた嘘です」
私が1番聞きたくなかった言葉が彼女の口から放たれた。『討伐』という言葉。ではやはり、あのバケツの水を赤色に変えていたのは……。
「なんで、ヤト君が殺されなくちゃいけないの? 何もやってないのに」
声が震え、私の目から涙が2、3粒こぼれる。
「そうですね、彼は何もしてないのかもしれない、でも仕方がないんです。彼は悪魔に憑かれてしまったんでから」
「悪魔に憑かれた? だったらその悪魔を追い払ってよ!」
私は懇願するように穂神に叫ぶ。
しかし、彼女は首を横に振る。
「悪魔に憑かれるという表現は一般人に対して言う隠喩のようなものです。実際は悪魔そのものになったという方が正しいでしょう。ああなってしまったら、禁人になってしまったら。もう殺すしかないんです。世界のために」
「そんな……理不尽すぎよ。あなた達はそんな事のために人を殺し、そのために人を欺き利用するのが使命なの? ねぇ!」
穂神は少し俯いたまま黙っていたが、今度は笑顔で私に向かって
「はい、その通りです、先輩」
と言い放った。諦めのこもった淋しい笑顔だった。
私はその瞬間全ての力が抜け、その場に座り込んでしまう。抑えられなくなった感情は既に大粒の涙となって溢れ出していた。
泣き崩れる私を背に最後に彼女は言った。
「先輩、私は夜明け前までに彼と決着をつけるつもりですよ。そしてそれは相手も同じでしょう」
「……え?」
「言われたんでしょう? 三浦春吉に明日しっかり登校させるって。聞こえてましたよ?」
私は思い出した。そうだ、確かに春吉は言っていた明日も隼人を登校させる、と。
「私と彼らの敵対関係が露呈した今、同じ建物、集団の中に一緒に居る事は不可能です。つまり、相手も明日の夜明け前には仕留めると宣言しているも同然なのですよ」
「え?……それじゃあ――」
穂神に言葉を掛けようとするが彼女の真剣な視線が私の言葉を遮る。
「生きていたら、また明日学校で会いましょう、先輩。その時は彼らは死んでいますが。それと、あなたを利用した事について謝る気はありませんので」
彼女は去り際に私にそう言った。しかし、最後に小声で
「――でも、あなたとはもっと違う出会い方をしたかったです」
そう言い残して私の前から消えるのだった。
☆
それから30分くらいその場で泣いていただろうか。
私は泣き疲れ、衛宮荘を後にし、自分の家に帰っていた。制御しきれない失意にのまれながら。穂神湊に利用され、隼人には助けすら求められず嘘をつかれ、そしてこれから朝までの間にどちらかが死ぬというのに自分は何もできないのだ。
結局あれだけやって知りたくもない事実を知っただけだった。
(ここまで生きるのが辛いと思った時は今までに1度もなかった)
すると、私はついさっきまで1人でうなだれながら歩いていた道に1人の男が増えている事に気付いた。
服装を見る限りは神父といったなりだが、どうにも神に仕えるような雰囲気ではない。
身長は190cmはあるであろう高身長だが、後ろに流して紐でまとめられている銀の長髪、彫りの深い顔立ち、金色の目、どれを見ても正確な年齢が測れない。20代前半でもありえそうだが、50代後半でもありえそうな不思議な顔立ちをしているのである。また、腰からひび割れた黒のロザリオを下げているのも奇妙であった。
それらの不可解な感じがこの男の不気味さを形成しているのかもしれない。
ふと、神父は私を見ると
「生きるのが辛いか? 娘よ。だがそれは当然の事だ、人間の生は試練の道。辛い事柄の連続で形作られている」
と急に説法のようなものを説き始める。しかし、私は何も言わずただ神父の言葉に軽く耳を傾けるだけだ。
「だが、娘よ。辛いことがあるからこそ幸せがあるように、この世は何か2つのものが互いに影響しあう事でそれぞれを形作っているのだ、まるで翼のように。お前はお前を形作る対のためにも生きねばならぬ。お前が死ぬ事を許されるのは主がお前をお呼びになるか、対の者と共に死ぬ覚悟を決めた時のみと知れ」
「私の……対……のため?」
「その通りだ。お前を形作る対は一体誰かな?」
「そんなの……決まっている。私を形作るのはヤト君だけ!」
すると、その答えに神父は満足げに笑うと私にさらに尋ねる。
「では、今貴様の対はどこだ?」
「……いない」
「ほう、ならば私が迷える対の片翼をもう片翼のもとへと導こう」
その言葉に私は瞬時に生気を取り戻す。
「……本当に、ヤト君の所に行けるの?」
その言葉に神父は大きく頷き、
「対の者同士は引かれあう。主の導きに従えば時間はそうかからずあるべき場所に辿り着くだろう。しかし、そこでお前を待ち受けるのは絶望のみ。それでも共に来るか、娘?」
私はいつの間にかその問いかけに迷いなく頷いていた。
「よろしい、それでは行こうか、主の導くままに」
「ヤト君、待ってて! すぐにあなたの元に行くから!」
決意を言葉に変え、私は神父の後に続く。