祓魔師
「というわけで、予告はしたわ。今からあなたを『討伐』する」
そう言って構えをとる彼女を尻目に隼人は屋上を退散する。一応、気分転換にはなったかもしれないが。
そうして屋上を出ていこうとする隼人を穂神は慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっと! どこに行くつもり!」
しかし、隼人は呼び止めに応じない。
「俺もう帰るわ。なんか疲れたし。あと、おまえ教会の信者か何か知らんけど俺はそうゆうの信じてないから、じゃあな」
と早々に階段を下り始める。
「くっ……! せっかく“予告“を完遂して一時はフェーズ4まで至ったのに! 彼の戦意喪失で私のフェーズは2までしか上がっていない……」
とか後ろから聞こえてくるが気にしない。
というか関わりたくない。
ああいうのは一度相手にすると非常に面倒くさいのだ。
(しかし、穂神があんな痛い娘だったとは……。顔は良いから高嶺の華みたいな扱いだったけどわからないものだ)
「仕方ない……。まぁ、フェーズ2なら拘束程度なら可能ね。待ちなさい! 立華隼人!」
(あーあー聞こえなーい! 俺には何も聞こえなーい! ていうかいい加減しつこ――)
階段を半分位まで降りかけた所で呆れて後ろの方を見たとき、そこに映ったのは宙を舞い、隼人に襲いかかってきた穂神湊の姿だった。
「うおおおおおおお!?」
咄嗟に彼女が繰り出してきた掌底を腕でガードする。
階段から跳躍して攻撃してきた分、落下速度が加わって打撃は重くなるので相応の覚悟はしていたつもりだった。
しかし……。
ゴキッという鈍い音が響き隼人の腕に激痛が走る。
右腕の肘と手首の丁度中間辺り。
そこを中心に隼人の右腕はあらぬ方向に曲がっていた。
「ぐあぁぁぁ! 痛ってえぇぇぇ!」
苦痛に悶えながら階段を転げ落ちていった隼人を見下ろし、穂神は
「あら、ガードしたの? 中々やるじゃない。でもおかげであなたは“戦闘態勢”に入ってくれていたから私の掌底の威力もギリギリで上がっていたようね、フェーズ3ってとこかしら。そして私の“近接縛り“は続いているからフェーズは再び2まで上昇する! 助かったわ、これなら問題なくあなたを殺すことができる」
とわけのわからない事を嬉々として話している。
殺すと明言する割にどうやら追撃を仕掛ける気はないらしい。舐められているのか、それとも何か理由があるのか、さっぱりわからないがこれ以上ここにいるのは危険すぎる。
(あいつの力、どう考えても普通じゃない。掌底で腕をへし折るなんて人間業じゃない。どうにか逃げる方法を考えないと……)
隼人は必死で立ち上がって逃げようとした。
この時間は校内に人がほとんどいない。だが、職員室の近く、せめて一階までたどり着ければ騒ぎに誰か気付いてくれるかもしれない。
(ここは3階と屋上間、死ぬ気でやればもしかしたら!)
「まさか、逃げられるとでも思っているの?」
シュッと風を切る音が聞こえ、その直後、こめかみに強い衝撃が走る。
視界が歪み、頭が揺れて最早まともに立つ事さえ難しい。
「――ッ!?」
隼人はふらつきながら壁に手をついて体勢を保とうとする。
いつの間にか目の前まで接近していた彼女の振り抜かれた拳を見るに、どうやらこめかみに裏拳を喰らったようだ。
そのまま彼女は隼人の首と折れた右腕の手首を掴み、壁に隼人の身体を叩きつける。
「化物風情が手を煩わせないでくれる? あなたは黙って床に這いつくばっていればいいのよ!」
次の瞬間彼女は掴んだ右手首を腕ごと肩の高さまで引っ張り上げてから思い切り下に押し曲げる。
当然、隼人の右腕は肘と手首の中間で折れているので手首から骨折部分のみがパキッと乾いた音を立てて直角に折れ曲がる。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁ!」
右腕に走る激痛に意識が飛びそうになり、穂神の目の前に崩れ落ちる。
右腕からは大量の血が流れ出ており、その出血点からは血にまみれて何か尖った物体が突き出している。
……隼人の折れた骨だ。
「わああぁぁぁぁぁぁぁ! 骨がぁぁぁぁぁぁ! 痛ってえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
もはや逃げる余裕などなかった。
痛みで全てが吹き飛んでいた。
「……ふん。思ってたより大した事ないわね。まぁ、いいわ。もう終わりにしてあげる」
そう言って彼女が取り出したのは銀色に輝く大型のリボルバー銃だった。警察が使っているのと比べると銃身が長く、口径も一回り大きい。
何故彼女がそんなものを持っているかという疑問など聞く気にはなれなかった。
その銃を見た瞬間、自分は生き残れないという圧倒絶望感に心を折られ、隼人は既に現実の認識を拒絶する程に追い詰められていたからだ。
ほとんど泣き笑いの顔を彼女に向けながら、
「まさか……本物じゃないよなぁ? おい……」
そう聞くので精一杯だった。
しかし、彼女は銃口を隼人に向け、
「偽物を持ち歩く理由がどこに?」
平然と言い放つ。その目はまるで害虫でも見るような冷たい目をしていた。
「さようなら、立華隼人。哀れな禁人に魂の救済を」
穂神が銃の引き金にかけた人差し指に力を入れる。
俺は死ぬ? 死ぬのか? 今度こそ……。
なんでだろう。一度目は死ぬ事に恐怖なんて感じなかったのに、何故今は死ぬのが怖いのだろう……。
(いやだ、死にたくない! 助けて! 誰か!)
我ながら情けないと思った。一度は死んだはずなのにこうも貪欲に生への執着がはびこっていたなんて思いもしなかった。
でも、もうおしまいなのだ。自分は今度こそ死ぬ、そう確信した。
絶望と諦めが隼人の心を支配し始めたとき、聞き覚えのある声が隼人の耳に響いた。
「よう、中学生。ピンチか?」
その瞬間、隼人の後ろから一つの影が飛び込んできた。
その影は一瞬動揺した穂神の隙をつき、彼女のリボルバー銃をキレのある蹴りで後ろに弾き飛ばす。銃は彼女の後ろの階段の中段位の所に落ちている。
同時に隼人はその飛び込んでき影の姿を捉えた。
くしゃくしゃの天パに挑発的な目、そして隼人を中学生とからかう親友、三浦春吉の姿を。
☆
春吉は隼人の方を見てニヤリと笑うと
「待ってろ、ハヤト。すぐに助ける!」
そう言って穂神の方に向き直る。
(ダメだ! あいつとは戦っちゃいけない! あいつは危険すぎる!)
隼人はなんとか春吉に彼女の危険性を伝えようとするが、恐怖と激痛でまともに喋る事ができない。
「よう、確かお前、俺らと同じクラスの穂神だよな? 何やってんだよ?」
隼人がなんとか喋ろうと手をこまねいているうちにもう春吉は戦闘態勢に入りつつ穂神と話し始めていた。
このままではまずい。春吉が隼人の二の舞になってしまう。
そんな隼人の焦燥を他所に春吉は続ける。
「何か物音がすると思って来てみれば……。これはちょいとやりすぎなんじゃあないのかい?」
「ちっ! 一般人に目撃されたか。でもまぁ、いいわ。あなたも拘束して記憶を消してあげればいいのだから」
最初は春吉の乱入に困惑が隠せない様子だったが、今は随分と冷静で余裕のある表情だ。
「はっ! この三浦春吉を拘束だぁ? やってみろ! オラァ!」
そう叫ぶと春吉は拳を振り上げて穂神に突進する。
しかし、対する穂神は何をするでもなくただ冷徹な目で春吉を見つめている。
「おいおい! ガードしなくていいのかぁ!?」
「必要ないのよ……今はね」
彼女が何を言っているのか理解できないが、どうやら本当にガードもカウンターすらする気がないようだ。
そのまま春吉が拳を穂神の顔にむけ繰り出すが…。
「なーんてね!」
なんと拳は穂神の顔の寸前で停止し、そのまま春吉は穂神の横を走り抜けた。
「――しまった! フェイク!?」
穂神が驚いて春吉が走っていった方向に顔を向けた瞬間、その眉間には先程弾き飛ばされた銀のリボルバー銃が向けられていた。
銃を持っているのはもちろん春吉である。春吉は階段上から穂神を満面の笑みで見下ろす。
「ハッハッハ! 残念だったな穂神! 最初からこっちが本命だったんだよぉ!」
流石にこれには穂神も為す術がないのか両手を上げてじっと春吉を睨みつけている。
「そんな情熱的に俺を見つめられると照れるねぇ! でも、悪いけど容赦はしない」
「……ボソッ……」
「ん? なんだって? 微妙に距離があるから小声じゃきこえないぜ?」
その時隼人は穂神の背後に握りこぶし位のぼんやりと赤く輝く複雑な文様が突然現れたのを見た。
春吉から見れば穂神の身体が重なるので死角になっている。
(なんだ? あの宙に浮かぶ不気味な文様は……)
次の瞬間、頭がぐらぐらと揺れ、血管が痙攣しているかのような激しい痛みに襲われる。
見ると春吉も同じように頭を抑え、痛みに悶え苦しんでいる。
その隙を突かれ、春吉は銃を奪われ、その拍子に階段から落ちて隼人の横まで転がってくる。
「ぐっ! この痛みは一体!?」
隼人はすぐにあの赤い印が関係していると直感した。
なんとか指差しで春吉に赤い印について伝える。
「――! あれは……そういうことか」
春吉は何か納得したような反応を見せると、ゆっくりと立ち上がり隼人を担ごうとする。
穂神が追撃に来ないか見ると、何故か穂神も壁にもたれかかって苦痛に顔を歪ませており、銃を両手で隼人たちの方に銃口を向けるので精一杯の様子だった。
(何故穂神にもダメージが……?)
突然、一気に隼人の体が春吉に持ち上げられ、春吉は苦しそうに一呼吸置くと
「とりあえず……逃げるぞ!」
そう言った瞬間、ポケットから小さめの球を取り出し、放り投げる。
同時に穂神もトリガーを引いた。
――パァン――
乾いた音が鳴り響く。隼人にも春吉にも当たった様子は見られず、周りを見ると弾丸は隼人たちの後ろの壁にめり込んでいた。
さらに、次はボンッという爆発音とともに大量の煙が周囲を覆う。
「はっ! 天はどうやら俺たちに味方してるみたいだな! ここは退かせてもらう!」
「くっ……! 目くらまし!? 待て!」
穂神は煙玉で完全に翻弄されており、その隙に春吉と担がれた隼人は階段を駆け下りていった。
「はっはっはっ! 待てと言われて待つバカはいないんだよなぁ!」
春吉は意地悪な笑みを浮かべ、高笑いしている。
気づけば頭の痛みは既に消えており、多少楽になったのを感じる。
しかし、彼の額の大量の汗と異常な呼吸の荒らさを見る限りでは、どちらにせよ今の自分たちに余裕があるとは言えないだろう。
一体俺に何が起こっているんだ?
何が始まってしまったんだ?
もう何もわからない。
これまでの事について考えているうちに、ついに限界が来て精神の糸が解けたのか、いつの間にか隼人は気絶してしまっていた。