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とある少年の少々込み入った事情

作者: 橘紡

久し振りに投稿しました。


 

 カレンダーの三列目。

 そこに赤い丸印を見つけた時、少年は、まるで地雷でも踏んだかのようにギョッとした。



          * * *



 年末年始の慌ただしい時期が、足早に通り過ぎ、完全に落ち着きを取り戻した頃のことだ。

 俺は、いつものように佐藤家の晩飯に誘われていた。今日はすき焼きらしい。

 母親同士が仲の良い佐藤宅の食卓に、俺が顔を出すことは今までに何度もあった。

 夕飯時、佐藤家に着いた。

 インターフォンを押すと、小学生の耕太が出迎えに来た。

「カズ兄ぃ、いらっしゃい」

 俺の身長の半分くらいしかない背がしがみついて来る。

 土間を抜けて廊下を進む。急に開けたスペースがあり、そこに対面式のキッチンがあって、傍には仕切りのないリビングとダイニングがある。

 そこで、驚くものを見た。

「…………」

 美佐がエプロン姿で、台所に立っているのだ。

 美佐は、耕太の姉だ。俺と同い年で保育園から一緒だから、とうに見知った顔で兄弟のように育ったが、エプロン姿なんて中学の調理実習の時以来だ。家で料理をするというタイプにも思えなかった。

 腕を組み、苦い顔をしている美佐は、いつもは下ろしている髪を二つに結っていて、少し幼げな印象を受けた。

 それはそうと、彼女の鋭い視線の先には、黒い物体が鎮座している。何だアレは、と目を凝らすが、分からない。

 それは鮮やかな煮物や輝く白米の並ぶ筈の食卓テーブルでは、異様な存在感を放っていた。

 ソレの表面は、ススのように黒く、心なしかカップケーキのような形をしていたが、少なくとも食べ物ではない筈だった。そんなものを、エプロンを身に着けた美佐が睨みつけているのはどういうことなのか。

「なぁ、何してるんだ?」

 と声をかけると、ビクッと肩を大きく震わせ、あわてて美佐が振り返る。なびいた髪が頬を打ちそうになって、避けた。

「アンタいつからいたの!?」

 そんなに叫ばんでもいいだろうが。

「ついさっき。……何してんだ?」

「見りゃ分かるでしょ」

 いや分かんない。

 美佐が「それ、私が焼いたカップケーキ」とだけ言って、まばたきをする俺の横の席に着いて腕を組んだ。そして黙った。

 どうやら説明はそれだけらしい。

 改めて、何だこれは、と尋ねてもよかったが、それは野暮な気がした。

 スーパーやコンビニのいたる所に、『St.バレンタインデー』と、やたらハートの飛び交っているこの時期だ。

 何日か前、同じように夕飯に招かれた時に見た丸印を思い出して、どうにも複雑な心持ちがした。

 というか、ものすごく動揺した。

 親に抱っこされてた頃から傍にいる、男勝りでガサツなこの少女でも、そういうことがあるのかと。いや当然あるだろう、と思い直すが、意表を突かれたように呆けてしまう。

 まだ十四日には一週間程あるというのに、もう準備に取り掛かっているらしい。大方、練習していて失敗したのだろうが。

 それにしても、こんなに見事に焦げたケーキなんて見たことがない。ここまで来ると、もう一種の清々しさすら感じる。そう思いながら、無言でそのケーキを見つめた。そんな視線の意味を知ってか知らずか、美佐が語る。

「……うまく膨らまないし、なかなか焼けないし、イライラして、つい温度をぐいーっと上げてしまったのよ。それが敗因ね!」

 彼女はレバーをグイッと回す仕草をした。それはまるでパチンコで負けたオッサンに似ている。この調子ではまた同じ事を繰り返す。

 そうか、コレはそういう経緯で生まれたのか。成るべくして成ったのだなと納得した。

 ところで、先ほどから気になっていたが、こいつは一体何をそんなに偉そうにしているのだろう。

「そっか。……捨てないのか?」

 失言だった、と思ったのは彼女の顔を見た瞬間だった。彼女は一瞬、泣くかと思う程、眉根を寄せ、唇を結んだ。だがすぐにいつものような間の抜けた笑顔に戻り、そして大げさに「ガーン」と効果音を叫ぶ。

「ひどいカズキ、冷たいっ! カズキがそんな子だったなんて! 私、悲しいっ! この時期の女の子はナイーブなのっ。手荒に扱わないでちょーだいっ! 察しなさいよ、このピンと張りつめた空気を!」

 どこら辺が張り詰めてるんだ。いつも通り、ゆるゆるのビニョンビニョンではないか。

 美佐には、落ち込んでいたり悲しかったり、そういった自分の気持ちを隠したい時、やたら声を張って元気に見せる癖があると知っている。

「無神経っ。デリカシーがない!」

 と、まだ叫んでいる彼女を一瞥する。

 エプロンに飛んだ小麦粉とか。腕まくりした袖のしわとか。そこから伸びる白い腕についたクリームとか。その手で触れたのだろう、頬に付いた間抜けな跡とか。

 一瞬だけ見つめて、そらす。

「ごめん」

 胃がムカムカしてきた。

 こんな黒焦げのモンを、捨てる以外にどうするんだ。

 大体、料理できないくせに、見栄を張って手作りにしようなんて、どうかと思う。レシピを見ながらだって、出来るかどうか知れない。

 どうせこれも、いつもの『男料理』みたく、目分量で適当にしているに決まっている。洋菓子作りで、そんなことは普通あり得ないが、こいつならやりかねない。

 証拠に、流しにはボールやら泡だて器が乱雑しているにも関わらず、計量カップなどの部類は一切見当たらない。

 こんな事じゃあ、来週に間に合うわけがないじゃないか。

 ため息をつく。

「……あのさ美佐、洋菓子を目分量で作ろうなんて、無茶だと思う……」

 言うと、彼女はまるで「初耳ですよ、そんな事」と言いたげに、キョトンとした。

 場に沈黙が落ちる。

 こいつは……、仮にも好きな男に送ろうっていう菓子を、一体どんな代物にするつもりなんだろう。


          *


 愛の力というものは偉大なのだろうか。


 焼き上がった、まだ熱を持ったカップケーキは、見事に膨らんでおり、見た目もちゃんとカップケーキだった。食べてないから味の保障はないけれど。

 あとは冷まして、デコレーションすれば、完成だ。

 ここまで、本当に長かった。

 俺は、どうにもこうにも心配で、翌日も佐藤家に顔を出したのだった。

 すると案の定、

「ゴホ、そんな事したら、飛び散るに決まってるだろ、ゲホッ、小麦粉なんだから!」

「ごめんなさい! 悪かったわねっ、服、真っ白にしちゃって! ケホ、ケホッ」

「お前それで謝ってるつもりかっ?」

 とか。

「ココア十五グラムってスプーン何杯?」

「はかりで量ってくれ」

 とか。―――それで結局、

「危なっ、何やってんだ。恐いわっ、お前が包丁持つと! 何でチョコ刻むだけでこんな……。ああ、もうっ、貸せっ」

 見ていられるわけもなく、花柄のエプロンを身に着ける羽目になったのだ。その姿を見て美佐が吹き出した時は、本気で一発殴ってやりたかった。

 そんなこんなで、今に至る。隣で、

「出来た!」

 感動! と美佐の声が跳ねた。

 俺は出来上がったカップケーキを一瞥して、エプロンを脱ぐ。

 着慣れないエプロンからやっと解放された俺が、仏頂面で、

「本通りにすればな、猿でも出来……」

 美佐に睨まれて、言葉の先を飲み込んだ。

 瞬間、彼女がプッと吹き出して笑う。そして、改まってこちらに向き直り、

「手伝ってくれて、ありがと」

 と、ぺこりと頭を下げた。

 結った髪がさらりと首筋からこぼれる。頭を上げると、軽く横髪をなでる仕草をした。

 それから唇をほころばせて、おだやかな瞳で見つめてくる。

 瞬間、彼女の方を見た自分を後悔した。

 ……見てはいけないものを見た気がする。

 これは、なんだかマズイ。

「……どういたしまして」

 適当に答えて、すぐに後ろを向いた。

 よく分からないけどマズイ。非常にマズイ。

 あまりこちらを見ないでほしい。みぞおちの辺りがくすぐったくて、どうすればいいのか分からなくなってしまう。

 それから美佐は、いつもの気の抜けた声で、

「あ~よかったぁ、間に合って……」

 後はラッピングをして、とパタパタとスリッパを鳴らしながらはしゃいでいる。

 後ろで、悶々とする少年に気づかずに。



 ところで、相手は一体誰なんだろう。

 頬なんか淡く染めて、目もうっとりさせてあんな嬉しそうに笑うから、つい相手はどんな奴なのだろうと、ふと気まぐれに思った。

 いや、俺には全くもって関係ないのだけれど。

 椅子の背もたれについた手が、水に触れたように冷たかった。

「それにしても分からんな、お前の好みのタイプなんて」

 独り言のようにつぶやく。

 本当に分からない。

 昔は、クラスの女子を苛めて半泣きにさせた男子を泣きわめくまでこらしめるような、勇ましい少女だった。それにしては、やたら綺麗な包装紙やリボンを集めるのが好きな、妙にミスマッチな奴だと思っていた。

 とにかく、以前からずっと『よく分からない奴』なのだ、彼女は。

「内緒」

 振り向かず、いつもの調子で答えた彼女は、リボン、リボンと呟きながら、部屋を歩き回っている。



 新品のリボンと包みを取り出した美佐が、多少血走った目を寄せ、フルフルと小刻みに震える指先で慎重にリボンを結んでいく。何度かよれよれになったり、曲がっていたりで、やり直してばかりだったが、三十分もかけて、

「……よし」

 そっと手を離し、ずっと止めていたように息を吐く。

 ソレを両手でそっと持って、自分の目の前に掲げ、見つめる。

 そして、その小さな顔が優しさでほころぶ。春の光を浴びた花のように笑う。

 それを見た瞬間、俺は、肩がガクーっと重たくなるのを感じた。

「…………」

 あー、身体が重い。

「……俺、帰るわ」

 やけに疲れてしまった。

 そりゃそうだ。ここ連日、部活帰りにくたくたになってから佐藤家に立ち寄って、大騒ぎしながらカップケーキを作っていたのだから。それ以外に理由は決してない。

「え、もう?」

 驚く彼女を呆れた顔で見返し、

「『もう』って八時半まわってるから。……それじゃあ」

 それだけ言って、足早に玄関を出た。


          *


 外は静かだった。冷たい二月の風が、頬に突き刺さる。

 指先がやけに熱かった。

 まばたきをする度、彼女の表情がまぶたに映る。

 ケーキを見つめて微笑む、あの横顔。

 俺は感覚の鈍る手を何度も閉じたり開いたりしながら、重たい足を止めてしまわないように前へ、前へとやった。

 白い息が後ろに流れるたび、次第に心拍が激しく打つ。

 きっと、彼女に見初められた男は、大変だ。あれ程、手先が不器用な人類はあいつしかいない気さえする。

 料理も出来ないし、勉強もできる方ではないし、運動神経は底々良いはずなのに鈍くさいし。怒ると後が恐いし、馬鹿力で、意地っ張りで、可愛気がないし。短気だし、人の言う事聞かないし、すぐわめくし、時々突拍子もないことを仕出かすし。

 あと、毛ほどの色気もない。

 頭の中で一通り悪態をついた後、また先ほどの彼女の顔がまぶたをよぎる。完成したケーキを眺める、あの温かな春のような……。


 見てはいけないものを見た……気がする。


 小さな咳払いが、静かな道に溶けて消えた。

 あの時の彼女の表情を、もし彼女の意中の男が、見たなら。

 もしあんなにも嬉しそうな彼女の笑顔が、自分のせいだと知ったなら。

 どれだけ鈍感で、無神経な奴だって、



 ―――きっと、恋におちる。






いかがでしたでしょうか。

楽しんでいただけたら幸いです。

男が主人公の話は書きやすい。なんか気を使わないでいいところが。

これからも機会があったらどんどん書いていきます。

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