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帯刀者           :約2500文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/04/29

 夜の帰り道。バイトを終えて重くなった体をほとんど惰性で前へと運んでいたときだった。

 ふいに前を歩く人影がちらちらとこちらを振り返り始めた。

 おれは眉をひそめた。この道は街灯がまばらなうえに、左右に等間隔に並ぶ木々がその光を遮り、アスファルトに濃い影を落としている。数メートル先でも輪郭はぼやけ、黒い塊が揺れているように見えるだけだ。何度目かの振り返りで、ようやくそれが女だとわかった。

 おれも後ろを振り返った。……が、誰もいない。どうやら知り合いを見つけたわけではなさそうだ。

 となると……ああ、そういうことか。おれは小さくため息をついた。

 たぶん、おれを警戒しているのだろう。無理もない。夜道で女が一人きり。むしろ、そのくらい用心深いほうが正常だ。

 もっとも、おれだって夜に前を歩くのが女だと痴漢だの不審者だのと疑われやしないかと無駄に神経を使う。そういうときは立ち止まってスマホをいじったり、靴ひもを結び直すふりをして先に行かせたり、逆に早足で追い抜いたりしている。

 さて今回はどうするか。距離を詰めれば余計に怖がらせるだけだろうし、ここは立ち止まってやり過ごすか――。

 そう考えた、そのときだった。女がぴたりと立ち止まった。

 そして、ゆっくりと振り返った――。


「か、刀……?」


 思わず声が漏れ、おれの足も止まった。女が脇に差していた刀をすうっと鞘から引き抜いたのだ。街灯の弱々しい光を受け、刃が一瞬鋭く光った。

 呆気に取られていると、女が無言でこちらへ近づいてきた。


「痴漢……」


「えっ!?」


 おれは再び背後を振り向いた――が、やはり誰もいない。だが今この女、確かに痴漢って……。じゃあ、おれのこと……?

 女は刀を上段に構え、じりじりと間合いを詰めてくる。

 いや、いやいやいや……なんだこれは。どうなっているんだ。痴漢? 違うぞ。いやそれよりも、なぜ日本刀なんて持っている。護身用? 本物なのか? そんな馬鹿な――あっ!

 ふいに数週間前に見たニュースが脳裏に蘇った。


 そうだ。女だけ帯刀が認められたのだ。


 たしか、ジェンダーギャップの是正だとか、グローバル基準がなんとかだの、フェミニズムがどうのこうのだの――正直、細かい理屈はよく覚えていない。ただ確かに、女が男に襲われたというニュースを見るたびに、どうにかならないものか、何か対策はないか、学校の体育の授業で護身術でも教えるべきじゃないか、なんて思ったことはある。

 夜道ではすぐ警察を呼べるようスマホを握りしめたり、電車では痴漢を刺せるように安全ピンをポケットに忍ばせている者もいると聞いたことがある。

 そう考えれば、確かに刀は強力な防衛手段ではあるだろう。ちなみに男が刀を持ったら死刑である。


「あ、あの、ま、待ってください!」 


 おれは後ずさりしながら、どうにか声を絞り出した。

 たしか施行は今月からだったはずだ。まだ一週間も経っていない。となると、この女はかなり新制度に乗り気ということだ。


「痴漢んん……! 首ぃぃぃ……!」


 女は唸りながら、じりじりと距離を詰めてくる。駄目だ。まともに話が通じる相手には見えない。

 逃げなければ。そう頭では理解しているのに、足が言うことを聞かなかった。膝が震え、芯から凍りついてしまったかのようだ。

 落ち着け。日本刀はそれなりに重いはずだ。女だっていつまでもあの構えを維持していられないだろう。腕が疲れて刀を下ろした瞬間に走り出せばいい。もし切りかかってきたら横にかわして、そのまま全力で逃げる。大丈夫だ。おれならできる。

 自分にそう言い聞かせながら女の動きを目で追い続けた。互いにじりじりと位置を変え、一定の距離を保ったままやがて街灯の淡い光の輪の中へと入っていった。

 光が女の顔を照らした――その瞬間、おれは思わず息を漏らした。

 醜く歪んでいる――。

 口元は涎で濡れて、ぬらりと光っていた。強く噛み締めているせいか、顔のパーツが中央へぎゅっと寄っている。小太りで、機敏さとは無縁そうだ。やはり疲れを待つか、振りを見て避けるのが得策だろう。  

 わずかに冷静さが戻ってきた。おれは女の動きに注意を払いつつ足先に神経を集中させ、いつでも飛び出せるよう身構えた。


「チー……チー……チェストオオオ!」


 ――今だ!


 女が叫びとともに刀を振り下ろした。光が空を裂くように走り、次の瞬間、刀はおれのいた位置をかすめてアスファルトに叩きつけられた。鈍い金属音が響いた。

 おれは身を捻ってそれをかわすと、そのまま女の脇を斜めにすり抜けた。全力で地面を蹴り、走った。

 振り返ると、女は影の中で黒い塊のように立ち尽くしていた。刀を斜めに持ったまま動く気配がない。

 よし、逃げ切った――がっ!? 


「あ、ぶあ、あ……」


 安堵した瞬間だった。腹に鋭い痛みが弾けた。次いで、焼けるような熱が広がった。喉の奥から何かがせり上がってきた――血だ。おれはその場に膝をついた。

 何かが刺さった。いや、何者かに横から刺されたのだ。

 おれはゆっくりと顔を横へ向けた。

 そこに立っていたのは、全身を黒で包んだ人影だった。顔は見えない。目元を除いて完全に隠している。ただその手には墨で塗り潰したように真っ黒な小刀が握られていた。


「し、忍びの者……」


 おれはゆっくりと地面に崩れ落ちた。

 その最中、視界の端に白いものが映った。


『不審者注意!』


 錆の浮いた看板にはそう書かれていた。

 背後から、ドスドスと重たい足音が近づいてくる。ガラガラと刀を引きずる音も。

 まるで鐘の音のようなそれを聞きながら、おれの意識は静かに闇へと沈んでいった。



 ◇ ◇ ◇



 数日後の朝、おれは病院のベッドで目を覚ました。

 やがてやってきた医師は、「最前は尽くしたのですが……」と目を伏せて、低い声で告げた。その後も何か説明が続いたが、おれの頭にはほとんど入ってこなかった。ただ、断片的な音として通り過ぎていっただけだった。

 医師は最後に小さく会釈し、部屋を出ていった。

 一人になったおれは、おそるおそる股間に手を伸ばした。

 ない。

 おれの――男の“首”は見事に切り落とされたらしい。



 ~嗚呼、散切りちんぽを叩いてみれば、文明開化の音がする~

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