第27話 この手を離さない
静かな朝靄のなか、アイリスはひとりで森を進んでいた。
夜明けの光が木々の隙間から差し込み、地面に金の模様を描いている。
その手には、ルークがくれた銀の鱗がしっかりと握られていた。
あれから三日が経った。
追手を振り切り、山を越え、谷を渡った。けれど、ルークの姿はどこにもなかった。竜の咆哮が止んだ夜、彼の気配も遠のいた。
まるで夢のように消えてしまった――そんな不安すら、心をよぎっていた。
「信じてる……。あなたがそう言ったから、私は……」
小さくつぶやく。
だが、返事はない。
ただ、朝の静けさだけが包み込んでいた。
そのときだった。
風がざわめき、ひとすじの光が目前に差し込んだ。
精霊の泉で見たものと同じ、温かな気配。
目を細めると、森の中にひとつの影が立っていた。
白銀の髪、透き通るような肌。少年の姿。
「……ルーク?」
アイリスの声が震えた。影がこちらへ一歩、また一歩と近づいてくる。
瞳は、あの竜と同じ深い金色に光っていた。
「姉さま」
その一言で、全てが溢れた。
アイリスは駆け寄り、ルークをその腕に抱きしめた。
少年の体は温かく、確かに生きていると伝えていた。
「無事だったのね……!ルーク、本当に……!」
「ごめんね。ちょっとだけ……夢の中で、昔のことを思い出してた。でも……姉さまの声が聞こえたから、戻ってこられたんだ」
ルークの言葉は柔らかく、けれど芯のある強さに満ちていた。彼はもうただの“保護される存在”ではない。選び、歩むことができる、小さな旅人になっていた。
アイリスは顔を上げて、彼の瞳を見た。
「ルーク。これからどうしたい?また追手が来るかもしれない。でも……私は、あなたとならどこへだって行くわ」
ルークは少しだけ考えてから、にこりと笑った。
「どこでもいい。姉さまと一緒なら、どんな場所だって怖くない。……だから、ぼくが守るよ。今度は、ちゃんと」
その言葉に、アイリスの目から涙が零れた。けれど、それは悲しみの涙ではない。長い長い夜を越えて、ようやく差し込んだ朝の光のような、安堵と希望の涙だった。
ふたりは手を繋ぎ、森の出口へと向かって歩き出す。
かつての世界では失われてしまった手。その温もりが、今また確かにここにある。
新しい土地で、新しい名前で、新しい日々を――ふたりでまた始めよう。
もう、離さない。
この手は、何があっても。
――それは、白銀の竜と少女が選んだ“未来”だった。




