第24話 風が運んだ未来へ
霧の中を滑空する感覚は、不思議と恐怖を感じさせなかった。
風が翼のようにふたりを抱え、そっと落ち葉のように渓谷の底へ導いていく。
「……ルーク、大丈夫?」
アイリスが手を握りながら声をかけると、ルークは少し汗ばんだ額を拭って笑った。
「うん。こわかったけど、お姉ちゃんがいたから、飛べた」
彼の頬に、あどけないながらも確かな勇気の跡が浮かんでいる。
それは、ただの“弟”ではない。共に戦った“仲間”の顔だった。
やがて霧が晴れ、ふたりは草に覆われた小高い丘に降り立った。そこには、小さな村のような集落が見えた。けれど、見慣れた王国の建築とは異なり、木々と調和するように建てられた、不思議な雰囲気の家々だった。
「ここ……どこだろう?」
「おそらく……“風隠の里”。伝説に語られる、精霊たちと共に生きる民の村かもしれない」
アイリスは、数年前に読んだ古い書物の一節を思い出していた。王国の勢力が及ばぬ“風の谷”に生きる民たち――彼らは竜の力を崇め、過去には竜と心を交わした者もいたという。
「ようこそ、風の導きし者たちよ」
優しい声が響き、ふたりが振り向くと、長い銀髪を編み上げた女性が立っていた。年齢は不明だが、その姿からは凛とした気品と精霊の気配が感じられた。
「あなたたちは、あの霧の渓谷を越えてきたのですね。それは選ばれし者だけが辿り着ける場所です」
「……あなたは?」
「私はエルシア。この村を守る者です。そして――ルーク、あなたを迎えにきた者でもあるのです」
ルークが驚いて、アイリスの腕にしがみつく。
「ぼくを……?」
「ええ。あなたの中に眠る竜の記憶。それは、完全に消えたわけではありません。まだ、その力は眠っている。けれど――あなた自身の意思がなければ、目覚めることはない」
「ぼくの……意思」
ルークは顔を伏せて考え込む。アイリスはそっと彼の肩に手を置いた。
「無理に思い出すことはないよ。でもね、私は信じてる。たとえ姿が変わっても、ルークはルーク。私の大切な弟だって」
ルークはその言葉に小さく頷いた。
エルシアはにっこりと微笑んだ。
「あなたたちがこの村に来たのは、偶然ではありません。風が導いたのです。しばらくここで、羽を休めなさい。そして、自分の未来を見つけるのです」
ふたりは顔を見合わせ、静かに頷いた。
逃亡と追跡の果てに、ようやく辿り着いた静かな地。
それは、新たな始まりを告げる場所だった。




