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第21話 精霊樹の記憶

結界の向こうに広がっていたのは、まるで別世界のような景色だった。

淡い青と緑の光が満ち、空気はひんやりとしているのに、どこか温かい。

精霊の息吹を感じさせる、穏やかで神聖な場所だった。


ルークは足元の苔を踏みしめるたびに、小さく輝く粒子を舞い上がらせていた。その姿が幻想的で、アイリスはしばし見とれてしまう。


「ここ……不思議なところだね」


「うん、たぶんここが……精霊の泉の入り口だよ。父さんが昔、伝えてくれたの。竜と人の狭間に立つ者が、帰るべき場所だって」


アイリスの声に、ルークは小さくうなずいた。


二人は、ひときわ大きな樹の根元へと歩を進める。その大樹は森の精霊の化身とも言えるような存在感を放っており、幹に触れるだけで、胸の奥が温かくなるような感覚を覚えた。


樹の中心には、小さな泉があった。透明な水面に近づくと、泉の奥から淡い光が浮かび上がる。そしてその中に、ぼんやりと映し出されたのは……まだ幼かった頃のルークの姿だった。


「……これ……」


「これは……記憶?」


泉の中の映像は、次第に鮮明になっていく。そこに映るのは、かつてルークだった少年が、母の膝に抱かれ、笑っている姿。幼き日々の情景が、まるで昨日のことのように描き出されていた。


「……おかあさん……」


ルークがぽつりと呟いたその瞬間、泉の周囲に精霊のような光が集まり始める。それはまるで小さな蛍のようで、ひとつ、またひとつとルークの周囲を回り出した。


すると泉から、柔らかく透き通る声が響いた。


『――名を取り戻した竜よ。あなたの記憶は、風の中に溶けてしまった。しかし、ここに来たことで、その記憶は再び芽吹き始めています』


「誰……?」


『わたしはこの泉を守る精霊。この泉に触れし者に、選択を与える者です』


アイリスが慎重に一歩前へ出る。


「選択……?」


『人の子よ。あなたは、この竜の魂に人の姿を望みますか? その願いは、代償とともに叶うでしょう』


アイリスはルークの方を見た。ルークも、静かにアイリスを見つめ返している。


「アイリス……。ぼく、人の姿になれるの?」


「できる。でも……代償があるって」


『そう。代償は、“一つの記憶”。それは、あなたたちが選ぶこともできますが……』


アイリスは迷った。記憶を一つ失う――それは、今のルークにとって、あまりに重いのではないかと。


だが、ルークは静かに頷いた。


「大丈夫。ぼく……お姉ちゃんがくれた名前は、絶対に忘れたくない。それさえあれば、他が少しぐらいなくても……ぼく、またお姉ちゃんとちゃんと歩きたい」


その言葉に、アイリスの胸が締めつけられる。どれほどの覚悟を持って、ルークがこの願いを口にしたのか、痛いほど伝わってきた。


アイリスはそっとルークの手を取り、泉に差し出した。


「この子に、人の姿を。代償は……わたしの記憶から払います」


「えっ……お姉ちゃん?」


精霊の声が一瞬、ためらうように間を置いた。


『あなたの記憶……よろしいのですか?』


「いいの。わたしはあの子に、未来を歩いてほしい。わたしのことを少しぐらい忘れてもいい。ルークが笑ってくれるなら、それでいいの」


沈黙が訪れたあと、泉がふわりと光に包まれた。そして次の瞬間、ルークの身体がやさしい光に包まれ、その輪郭が変わっていった。


その光の中で、アイリスはただ――祈った。


「どうか、あの子が、あの子でいられますように――」


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