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元平民の貴族令嬢

作者: 川坂千潮




 男爵令嬢フィオレ・カゼッラはもともと市井で暮らしていた平民だ。

 早くに妻を亡くしたカゼッラ男爵は、穏やかな気質のメイドの娘と恋に落ちた。娘を後妻にと望んだが、娘は男爵家から姿を消してしまった。

 男爵は手を尽くしたが娘の行方は杳として知れず、それでも諦めきれなかった。親戚や友人から進められる縁談をすべて断り、娘を探し続けた。

 十二年後、ようやく見つけた恋人は既にはかなくなっており、粗末な家ではひとりの少女が暮らしていた。

 自分と同じ琥珀色の髪、顔立ちには──ああ、恋人の面影が。

 恋人が離れてしまった本当の理由はもう知ることはできない。だが、きっとこの少女が関係している。

 妊娠を打ち明けてくれていたらこの世界の全ての害意から守ったのに、そんな悔しさと、産んでくれて、育ててくれてありがとうという感謝と愛しさで胸が熱い。

 こうして男爵は、恋人の忘れ形見を養女にしたのだ。



 フィオレは十三歳になると国立の学園へ入学した。

 彼女の生い立ちは、誰かが吹聴するともなく知られていた。

どことなく憂いを帯びた、楚々たる娘の、貴族らしくあろうとたどたどしくも一生懸命な仕草。フィオレの一挙一動は貴族の息子たちにはまぶしく、いじらしく、つい彼女を目で追った。

 そうしてフィオレは男子生徒たちに囲まれた学園生活を送るようになった。

 なかには第二王子や、侯爵家の長男、司法長官の息子など、錚々たる顔ぶれまでいる。

 特に、元平民の側妃の子である第二王子は、フィオレの境遇に親近感を抱いているともっぱらの噂だ。

 今日も今日とて、フィオレは男子生徒たちと中庭で談笑している。


「すみません」

「カルロ、どうした?」


 第二王子に、カルロ・ファディーニ伯爵令息は声を掛けられた。


「そろそろオルガとの約束の時間になりますので」

「まあ、お急ぎください!」フィオレが云った。「婚約者さんと楽しいお時間を過ごしてくださいね」

「はい、失礼します」


 カルロは一礼し、足早に去っていった。


「あいつ、愛想がなくて悪いな」

「そんなことありません、カルロ様は真面目な方ですね」


 カルロはいつも第二王子と共にやってくるものの、ほとんど口を開かず姿勢良く輪の端に控えていた。

 フィオレが話しかければ返事はするが、淡々とした口調で、会話が盛り上がることはなかった。

 婚約者相手でもそんな調子なのだろうか。

 抱いた疑問はすぐに忘れた。

 



 数日後、フィオレは食堂でカルロと令嬢を見かけた。

 令嬢は髪をひとつに束ねていた。リボンや髪留めといった装飾はなく、すっきりと清潔感が際立っている。

 フィオレは令嬢と面識がなかったが、カルロと親しげに向かい合って食事をしている彼女が、婚約者でなければ逆に驚きである。


「こんにちは、カルロ様」


 フィオレはひょこりとテーブルへ近寄り、挨拶した。


「どうも、カゼッラ嬢」


 相変わらずそっけないカルロにも、フィオレは慣れっこだ。


「もしかしてこちらの方が婚約者さんでしょうか」

「はい、俺の婚約者で──」


 令嬢が立ち上がった。


「初めまして、カルロ様と婚約しております、ジネヴラ・ルッソと申します」


 しゃんと伸びた姿勢はカルロとそっくりだ。


「初めまして、フィオレ・カゼッラです、カルロ様とはよくお話させてもらっています」

「カゼッラ様、お昼がまだでしたらご一緒しませんか?」


 ジネヴラからのまさかのお誘いに、令嬢同士の挨拶を静観していたカルロが咳き込んだ。


「よろしいのですか?お二人の時間にお邪魔してしまいません?」

「構いませんわ、ね、カルロ」


 カルロは水を飲むと「ジニーがいいのなら、俺は構わない」そう云った。


「ありがとうございます、では御言葉に甘えさせて頂きます」


 さて何を食べようかと考えて、ふと、カップルが食べていた豚の生姜焼きの皿が目についた。


「どうかしました?」

「いえっ、貴族の方が生姜焼きなんて意外で……」


 生姜焼きは、炒めた豚肉に生姜を加えた甘めのタレで味つけした料理だ。

発祥国ではライスが主食だが、学園の食堂ではパンとライスどちらにするか選べる。

 庶民に人気の料理で、貴族令嬢はあまり好まない。タレがしたたり落ちやすく、品良くキャベツと共に口に運ぶのがなかなか難しいのだ。


「私には身近な料理だったので、なんだか親近感沸いちゃいます」


 カルロもジネヴラも、ルッソ家の爵位を伝えなかった。フィオレが頭に叩き込んだ貴族名簿の一覧に、年頃の娘がいるルッソ家という貴族はいない。彼女はおそらく貴族でない。


「カゼッラ嬢」

「カルロ、いいの」


 婚約者が大切なのだろう、フィオレたちの前ではほとんど感情の起伏がないカルロが苛立ちをあらわにしている。いけない、挑発しすぎてしまった。


「この豚肉はアルバ肉といって、私の故郷で育てています」


 ジネヴラが説明する。アルバ肉といえば高級肉だ。


「カゼッラ様のお察しの通り、私は貴族ではありません、ただの村娘です」


 ジネヴラは、ためらいなく告げた。

 ジネヴラの父が村長を務める村は、養豚を生業としている。ジネヴラももちろん豚の世話をしていた。父は研究熱心だった。餌にこだわり、他の品種の豚と交配させ、とうとうアルバ肉が生み出された。

 最高品質の肉は貴族や富裕層から注文が殺到し、他国からの賓客のもてなしにも使われるようになった。


「他国との交易品にも選ばれました、それらの功績を受け、私が十一の時に、カルロのご実家から婚約が申し込まれました」


 大商会の会長であるファディーニ家の次男の婿入りだ。

 婚約を結ぶにあたって、アルバ豚の流通の管理。養豚場荒らし、豚肉を盗まれることのないよう防犯対策の徹底などを、ファディーニ家は約束した。


「要するに政略結婚です」


 どれほど高品質の肉だろうと、美味な加工食品が増えようと、貴族には、家畜業など小作人の仕事という認識が強い。


「肉屋は、それなりに顔が広いのですけどね」

「そうでなくとも、この国では階級にこだわる時代ではなくなってきている」


 身分関係なく学問を広める政策により、平民が頭角をあらわしつつある。王が国を統べているが、議会では平民が頭角をあらわしており、現在の司法長官は初の平民である。

 プライドの高い一部の貴族は面白くないようだが、ファディーニ家はルッソの村を蔑まなかった。

 養豚場、加工場の整備をし、加工用の最新式の道具まで送ってくれた。

 ちなみにカルロは、肉の質を落とさない保存方法の開発に力を入れている。


「私は村が大事です、性格だって今も村娘のままです、ですがカルロはそんな私のことを受け入れてくれました、二人で村を大切にしようと仰ってくれました、ですから私はそんなカルロに応えたいと思ったのです」


 アルバ肉のお得意様には貴族が多い。それに伯爵家と繋がれば、社交界を避けるわけにはいかない。

 そうして、ただの村娘は、元平民の男爵令嬢から見ても貴族令嬢らしく写った。


「伯爵夫人に色々と教えて頂いてばかりの日々です、社交的で華やかなカゼッラ様は、私などよりきっともっと素敵なレディになられるでしょう」



 フィオレは、この後の記憶がほとんどない。



 どうにか昼食を済ませ、食堂から離れた。


 浴びせられた痛烈な毒を中和しようと、ふらつく足取りで誰も居ない場所を探す。


 フィオレは、伊達に母が亡くなっても一人で生活していたわけではない。

 己の立場はしっかり把握していたつもりだ。

 孤児が突然貴族社会に放り込まれるのは、首に刃物を常に突きつけられているようなものだ。

 親子の情で引き取ってくれた父のお荷物になりたくなかった。だから入学前から死に物狂いで令嬢としてのいろはを学んだ。

 第二王子が寄ってくるのは、恋に夢中なふりをしているだけ。

 側妃の子といえど王族として育てられているのだ、自分なぞに親近感なんて抱くわけがない。

彼を傀儡の王として祭り上げようと、娘に籠絡するよう命じる貴族の餌役を、嬉々として演じている。あいつ、変人だわ。

 侯爵家の長男も、カルロも、餌の護衛のようなものだ。

 他にフィオレに群がる男だって、単なるあそびだ。

 デートに誘われたこともあるが、身持ちの悪い女と認定されては堪らない、全て断っている。

 誰も、決してフィオレに真剣に恋慕しているわけではない。

 それくらいわかっている。

 わかっていて、あえて利用されている。

 貸しとして、釣り糸になってあげている。第二王子はフィオレの思惑など想定済みだろう。それでもフィオレから離れないのだから、せいぜい大金でも用意しておきなさい。


 だと、いうのに。


 いつから、男が群がってくることが当たり前と思うようになった?

 いつから、貴族令嬢たちの忠言が鬱陶しくなった?

いつから、女子生徒たちの嫉妬を気持ちよく感じるようになった?


「………………」


 いぎゃああああああああああああああ!


 ──恥ずかしい!


 手玉に取ったと酔って浮かれて! 満足して! こんな馬鹿げた状況を楽しんで!


「母さんに申し訳が立たない……ッ」


 流行病で寝たきりになってからも、ずっと娘を心配していた母。優しくてなんでも知っていて、貴族のマナーなんかより、あなたにもっとたくさん教えてもらいたかった。

 でも、父の手を取ることを選んだのは自分だ。


「最ッ悪だわ……」


 それに、なにより!


「ジネヴラ・ルッソ……」


 家畜の世話に明け暮れていた娘は、伯爵の息子の妻となる覚悟をしていた。

 あんな同級生がいたなんて知らなかった。

 腹が立つ。

 調子に乗ってしまった自分に、村娘と酷い差がある自分に。あああああそうよ自業自得よ!


 ──あの女に負けたくない


 こんなのは一方的な敵愾心だ。

 今のフィオレが、ジネヴラの足下にも及んでいないことだって理解している。

 そもそもフィオレは、ジネヴラの眼中にない。

 食堂では皮肉を云ってきたが、きっとそのうち忘れるだろう。

 感情は止められない。

 貴族になりたかったわけじゃない。だが貴族として生きることを選んだ。この国では身分が絶対ではなくなってきている、覚悟が必須ではない。何もなくても貴族令嬢にはなれる。

 それでも、貴族と共に生きることを選んだ少女を知ってしまったから。

 将来はどこかの貴族や商家に嫁入りか。女の身でもそこそこ働いて生きていけるのだから、学び甲斐はあると、入学当時を思い出せたから。

 このままではいられない。


「カゼッラ様?あの、大丈夫ですか……?」


 階段の隅で蹲っていたフィオレに、同級生の女子生徒が心配そうに声を掛けてくれた。


「すみません、ちょっと、急にめまいがしてしまって」

「まあ大変、医務室へ行きましょうか?」

「いえ、もう落ち着きました」フィオレはすくりと立ち上がった。「ご心配おかけしてすみません、ありがとうございます」


 何もないフィオレは、まず、姿勢を伸ばすことからやりなおした。


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