第90話 追い詰められていた少年
少年の家は街のちょっと奥まった少し暗いところにありました。いわゆるスラム街というものでしょうかね。
まさか公爵領の街の中にこんなところがあるだなんて思ってもみませんでしたね。
「君はここに住んでいるのでしょうか」
私が話し掛けてみるものの、少年は黙ったままです。私みたいにこぎれいな人とは話をしたくないのでしょうかね。ちょっと寂しく感じてしまいます。
そうこうしているうちに、少年はとある家の前で止まりました。いや、家というにはちょっと語弊がありますでしょうかね。
「驚きましたわね。公爵領の中にこんな場所があるだなんて……」
「……どこの街にも多分あるよ。貧乏になってまともな生活が送れなくなれば、誰だってこうなってしまうんだ」
少年は私に背を向けたままそういうと、板が立てかけてあるだけの場所の中へと入っていきます。
「お邪魔致しますわ」
あとについて中に入った私は、思わぬ光景を見てしまいます。
不衛生な環境すぎて、なんとも吐き気がしてしまいます。虫や害獣がいないだけまだマシですけれど、周囲の壁には穴が開いていますし、天井といってもどこかで拾ってきたような布と板で作られたお粗末なものです。河川敷などにあるほったて小屋というのが、表現としては近いでしょうかね。
そして、小屋の中には寝たきりになっている女性と小さな少年がいます。見た感じ、母親と弟でしょうか。
「元々ギリギリな生活だったのに、親父がいなくなっちまって、俺が支えるしかなかったんだ。だけど、俺はまだ小さいから働けない。だから、あんなことに手を染めざるを得なかったんだ」
「去年の頭にはもうスリ生活をしていましたよね? そのことを思いますと、もう二年近く経っています。よくこの状態で生きていられますね」
悔しがる少年を見て、私はつい事情を聞いてしまいます。
「あの頃はまだ同情で施しをくれていたからな。今年の夏くらいからすっかりなくなって、二人とももうこんなにやせこけちまった。……もう限界なんだよ」
なるほど、つまり去年のあの時は父親がいなくなってからあまり経ってない時だったのですね。こんなになりながらも、よく耐えてきましたね。
でしたら、ここは公爵令嬢として、この親子を助けませんと。
「どうでしょうか、私は食堂を開く予定にしているのです。施しをしてあげる見返りに、働いてみる気はありませんか?」
「信じられるかよ」
「まあまあ。このままではお母様も弟さんも死んでしまいます。いえ、生きているだけでもう奇跡的ですね。働いて下さるのでしたら、お二人を回復してあげられますし、生活の保障だってできます。いかがでしょうか」
少年を説得しながらも、私は少年の母親と弟を鑑定します。
見た目から分かるのは栄養失調ですが、もしかしたらと思って他に病気がないか探っていきます。
(不衛生がたたって、あちこちに問題が起きてきてますね。本当によく生きていらっしゃいますよ……)
あまりにもひどい状態に、思わず目を背けたくなります。
ですが、この状態を見て放っておけるほど、私は人でなしではありません。両手を突き出して、治癒魔法を試みます。
病気とかはまったく分かりませんけれど、ひとまず病原菌などもいない元気な状態を思い浮かべて魔法を使えばいいでしょうかね。
魔法はイメージ、これで何とかなると信じたいです。
「何をする気だよ!」
「病気をしているようですので、それだけでも魔法で治します」
「そんな無茶な!」
私の言動にいちいち文句を言ってきます。ですが、私はそんなことに構わず、しっかりとイメージした通りに魔法を発動させます。
お願いですから、ちゃんと治って下さい。
祈るようにしながら魔法を発動します。
しばらくはまったく効果があるようには見えませんでした。ですが、祈りが通じたのかお二人の顔色がどんどん良くなっていきます。
「母さん、ジル!」
少年が呼び掛けています。
「ウィル? ……私は?」
母親は目を覚ましましたが、弟さんは消耗しているのかまだ眠ったままです。ですが、呼吸はしているようですので、とりあえずは大丈夫そうですね。
「はいはい、少年も待って下さいね。君が保菌者である可能性は捨てきれないので、私と一緒にきれいにしちゃいましょうね」
「えっ?」
しれっと生活魔法の浄化をかけます。ついでに今いる場所にもです。
「あ、あの……、あなたは?」
母親が寝転がったまま、私に質問してきます。
「私はレチェと申します。近々、この街に食堂を開く予定にしている農園の主でございます」
「食堂の主様?」
私の言葉に、弱弱しくも母親が反応しています。
「はい。開業にあたりまして、人員が欲しいところなのです。そこで、あなた方がよろしければ、私のところで雇おうかと思います。どうでしょうか、衣食住は保証しますので、働いてみませんか?」
母親と少年は戸惑っています。
ですけれど、私のにこにことした笑顔を前にして、少年が代表して頭を下げてきました。
「よろしくお願いします」
「はい。悪いことからはしっかりと足を洗って、これからはきちんと働きましょうね」
私がそう呼び掛けながら右手を差し出すと、少年はその手をしっかりと握ってきました。
新しい従業員をゲットですね。