第128話 ウィルソン公爵一家
レチェの元に通告が届いてから三日後のこと、公爵領の公爵邸にレイチェルの両親が到着していた。さすがに学園に通うルーチェは来ていなかった。
「これは兄上。本当に来られたのですか」
「久しいな、リキシル。どうだ、レイチェルの様子は」
屋敷に到着するなり、ウィルソン公爵はリキシルにレイチェルのことを尋ねている。
よっぽど心配になっているのだろう。やらかしたとはいっても、公爵にとっては大切な娘には変わりないのである。
そわそわと落ち着きのない様子に、リキシルは困った様子を見せている。
「兄上、とにかく落ち着いて下さい。レイチェルなら頑張っていますから」
「本当にか? いくら公爵領とはいえどもあんな端っこの方で細々と暮らしているのだろう? 私は気が気でないよ」
「あなた、落ち着いて下さい。そんな様子では、リキシル様も話がしたくてもできませんよ」
「ぐぬぬぬぬ……、そうだな」
公爵夫人になだめられて、公爵はようやく少し落ち着いたようである。
この様子にリキシルはようやくほっとしたようだ。
「とりあえず落ち着いて話した方がよさそうだな。執務室で話をしようか。資料もあるから具体的な話がしやすい」
「ああ、そうだな。お前に任せておいた領地の経営。それもチェックさせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ。任された以上はちゃんとやってますからね。家令たちにも確認してもらって下さい」
「分かった」
公爵たちは、執務室へと移動する。
応接用のテーブルを囲むと、飲み物が運ばれてくる。
「それで、なにから話をしたらいいかな、兄上」
「レイチェルのことに決まっておろうが!」
リキシルが確認をすると、間髪入れずに公爵から答えが返ってくる。
まったく、相変わらずの溺愛っぷりだなと、リキシルはつい心の中で笑ってしまう。
リキシルは秘書に合図をして、レチェ商会の資料を持ってきてもらう。
「レチェ商会? なんだそれは」
「知らないのか。レイチェルが商会長を務める商会の名前だ。今はレチェという偽名で活動しているんだよ」
「なぜだ?」
リキシルの言葉に公爵は疑問を抱く。
「レイチェルは、自分が公爵令嬢ということを隠しておきたいからだよ。なにせ魔法学園の入学試験に落ちるっていう失態をやらかしたんだ。家に迷惑をかけないために偽名を使っているんだよ」
「そ、そうか……」
レイチェルの気遣いに、思わず黙り込んでしまう公爵である。
とにかく黙ったまま、差し出された資料にじっと目を通している。
「食堂か。今回の視察対象になっているが、状況はどうなのかな」
「視察するのなら、自分で確認した方がいいでしょう。私から言うことは特に何もありませんよ。渡した資料から、だいたいの経営状況は察しが付くでしょうよ、兄上」
リキシルの言葉に、確かにその通りだなと納得してしまう。
「そういえば、アンドリュー殿下やルーチェが言っていましたけれど、ラッシュバードを飼っているって本当なのですか?」
公爵夫人がつい尋ねてしまう。
「それは本当ですよ。眷属化もしているようでして、ずいぶんとおとなしいとは聞いています。今は増やす方向でやってみたいだが、私にはまったくその意図が分からないというものだよ」
「魔物をそんなに大量に置いて、レイチェルは大丈夫なのだろうか」
「それこそ、城と魔法学園の役目じゃないんですかね。アマリス様もラッシュバードを飼われていらっしゃるのでしょう?」
「まあ、確かに、そうだな」
あれこれ話をするものの、リキシルから的確に返されてしまい、公爵はどういった話をしたらいいのか完全に詰まってしまっていた。
仕方がないので、公爵は黙ったまま資料をずっと眺めている。
「それにしてもリキシル様」
「なんでしょうか、義姉さん」
代わりに公爵夫人がリキシルに質問をする。
「どうしてここまで詳しい資料をお持ちなんですかね」
「ああ、それはあそこには知り合いがいましてね。そこから伝手で情報を集めているんですよ。なにせあそこは公爵領の中でも他国と最も近い重要拠点ですからね」
「確かに、そうだな。人の出入りの激しい場所だが、そんなところで食堂などやっていて、レイチェルは無事なのだろうか……」
資料を見つめがらもレイチェルの心配をしている公爵の姿に、リキシルもさすがに親バカだなと呆れてしまう。
いい加減に話題を変えようと、秘書に命じて他の資料も持ってこさせる。
「まあまあ、兄上。レイチェルのお店に関しては視察に向かうわけですから、それ以外の場所のことも話をしましょう。自分の仕事で忙しいとはいっても、領地を持っている以上は領主として仕事をしてもらいませんとね」
「ああ、そうだな。お前の言う通りだ、リキシル」
レイチェルのお店の資料をひと通り見終えた公爵は、資料を手元に置いて、公爵領の資料へと手を伸ばす。
仕事をしている姿はさすが公爵だなと思えるが、その実態はただの親バカである。自分の娘たちを愛してやまない父親、それがウィルソン公爵なのである。
「よし。では、早速明日にでも店の視察に向かうとしようか」
「承知致しました、あなた」
「私も同行しますよ、兄上」
そんなわけで、ウィルソン公爵、公爵夫人、弟であるリキシルの三人が揃ってレイチェルの経営する食堂を訪れることになった。
何事もなく視察が終わるのだろうか。公爵夫人とリキシルはちょっと心配そうに公爵を見つめているのだった。