兄と弟
腹を裂かれ、膝を付くラインハルトを、ベイルは蹴り上げる。そして、仰向けに倒れたところを、肩に深々と剣を突き立てた。
「あががっ……」
剣は肩を貫き、床に突き刺さっている。ラインハルトは自由を奪われ、出血も酷いようだ。放っておけば、その運命はここで尽きるだろう。
「そのまま、ゆっくりと死ね」
ベイルは力なくラインハルトから離れると、コアのつながる階段を昇り、ついに大聖女に触れた。
どれだけ、この瞬間を思い描いたのか。そのために、どれだけの痛みに耐えたのか。すべては、この瞬間のためだ。彼女を人として、蘇らせるこの日のため。しかし、ベイルの意識に彼女の声が伝わってきた。
――ベイルくん、もういいよ。君にはもっと幸せな未来があるはず。違う人と、違う場所で……幸せになれるんだ。だから、私のことはもう……。
拒絶である。
彼女は理解していた。
自分が離れれば、この星がどうなってしまうのか。彼女の気持ちを知って、ベイルは痛みに耐えるよう目を細めるが、すぐに温かい笑顔を浮かべた。少年時代、彼女に向かって、そうしたように。
「スイさん、迎えに来たよ。こんなところで、ボヤボヤしていても良いことなんて何もない。さぁ、行こう。もう一度、夢を掴むために」
それは、かつて彼女が彼にかけた言葉だった。閉じこもって、世界を拒絶した自分を救ってくれた言葉。
それでも、彼女は自由を求めようとしない。求めようと、思えなかった。
「と、止めろ。あいつを止めるのだ、フレイル!」
死に絶えそうなラインハルトが、助けを求める。しかも、その相手は意外なことに、フレイルだった。ラインハルトは主張する。
「あの女を引き剥がせば、この星は支えを失って滅びる。もうあの女は星の一部なんだ。星の傷を塞ぐために必要な存在なのだ。それを強引に引き剥がせば、生きとし生きる者すべてが滅びるぞ!」
それを聞いたフレイルは酷く動揺した。嘘だと否定してしまいたかった。
「に、兄さん……?」
事実かどうか、それは分からない。しかし、フレイルには王としての責任がある。何も答えない兄に、彼は不安を覚えた。
「答えてくれ、兄さん。やつが言っていることは、本当なのか?」
コアの下まで駆け寄ってきたフレイルを、ベイルは睨み付ける。
「動くな、フレイル! また俺の邪魔をするつもりか? 俺の願いを奪うつもりか!?」
「そ、それは……」
「俺はお前の人生に干渉しない。だから、俺に干渉するな」
ただ、兄の想いを遂げさせてやれたら、どれだけ楽だろうか。しかし、彼には妻がいる。子どもがいる。何よりも民を……この星を守らなければならない。
「……そうはいかない。俺はトランドストの王だ。この大地に生きるすべての生命を守る責任がある。兄さんだけに、勝手を許すわけにはいかない!」
「貴様は自分勝手に女を手に入れただろう。そのくせ、俺には責任を求めるのか。卑怯な裏切者が!」
それはフレイルの古傷をえぐるようなものだった。再会した兄から出てくる言葉の中で、最も恐れたものである。それでも、フレイルは自分の立場を全うしなければならない。それが、彼の生き方だった。
「何を言われてもいい。裏切者の汚名だって受けよう。だが、人の命は守る!」
「俺はスイさんを助ける。それだけだ!」
「あんたはいつもそうやって、自分の好きなことだけを追いかけて……」
蘇るフレイルの感情。兄が死んだと知らされるまで、ずっと抱いていた妬みが、湧き上がる。確かに、自分はあの人に嫉妬の念を抱いていたのだろう。
だが、今はそういった個人的な感情で動いているのではない。
守るものを、この星で営みを続ける尊いもののために、彼は兄に刃を向けるのだった。
「人は、いつまでも子どもでいられないんだよ。その場から離れろ、兄さん!」
弟の言葉に、兄の表情は歪んでいく。
奪われた月日が、すべて恨みと言う炎にくべられて行った。
そして、その炎が再び揺れる。
邪魔者を殺すために。
「だったら、殺す。殺してやるぞ、フレイル!!」
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