ララバイ村
高濃度の霧の中、赤服たちは動き回った。聖女の力が及ばないのであれば、ライムたちは逃げ出すほか道はない。幸いなことに、エレベーターは彼女らを乗せ、何事もなく地上まで移動した。
「危なかったですね。しかし、何が起こっていたのでしょうか」
命からがら地上に戻ってきたライムは、フレイルに説明を問いかける。
「私も混乱している。答えてくれるとしたら……」
ベイルしかいない。フレイルは死んだはずの兄の姿を探すが、どこにも見当たらなかった。
「どこに行ったんだ……?」
「エレベーターから出たら、そそくさと去って行ったわよ」
平然と答えるリリア。彼女は窓の外に視線を向け、立ち去るその姿を眺めているようだった。
「なぜ引き止めないんだ!」
肩をすくめるリリアの前を横切り、フレイルが窓の外を覗くと、馬に跨って掘削施設から離れる黒づくめの姿が。
「ライム、彼らを追うぞ。私の護衛としてついてこい」
「しかし、地下の霧とラインハルト博士はどうするのですか? 少なくとも厳重に監視した方が良いと思いますが」
「そうだな。博士は異常だった。……リリア、君が指揮を執ってくれ。掘削施設を包囲して、誰一人として逃がすな」
「それは良いけど、人手が足りないわ」
「すぐに用意させるさ。それまで、頼んだぞ」
フレイルは一足先に掘削施設の外へ向かう。ライムはその背を眺めながら、リリアに声をかけた。
「姉さまはいいのですか?」
「何が?」
「襲撃者の正体はベイル兄さまだったのでしょ? 聞きたいことも、たくさんあるのでは?」
リリアは肩をすくめる。
「どうかしらね。今はそれどころじゃないし、王に指揮を任せられたのだから、私はそれを全うするだけよ」
「そうですか。では、代わりと言うわけではありませんが、私がベイル兄さまの首根っこを掴んで、ここまでお連れしましょう。お望みなら、姉さまに謝罪させますよ?」
「そうね、お願いするわ」
ライムとリリアは別方向へ動き出す。ライムは王の後を、リリアはエレベータの出入り口を固めるために。
「あの、聖女様……。例の噂は本当なのですか?」
元の少年の姿に戻ったメラブが、どこか不安げにライムに質問を投げかける。
「噂って?」
「王様とベイリール王子は、兄弟でリリア様を取り合ったっていう話しですよ。けっこう庶民の中でも有名な話だったと思いますが……」
「メラブ、王族のゴシップを口にするなんて不敬ですよ」
窘めるイリアだが、その口元には笑みが。
「で、ライム様。実際はどうなのです? 噂が本当なら、先程のやり取りも色々と際どいものに思えましたけど」
つまり、フレイルは微妙な関係にあった兄と妻を会わせないためにも、ここの指揮をリリアに任せたのではないか、と言いたいのだろう。ライムは表情を変えず答える。
「ベイル兄さまが何を考えていたのか知りませんが……少なくとも、あの二人は個人の想いより、国や民のために動くはずですよ。王族としての誇りを全うするタイプですから。まぁ、外野は黙っておきましょう」
淡白なライムの回答に、メラブもイリアも何を言えることはなかった。
「兄さんは、どこに向かったと思う?」
馬車に乗り込むと、フレイルはすぐに方向性について話し合いを始める。その表情を見る限りは、落ち着いた様子だ。
「それは、私よりもフレイル兄さまの方が予想を立てやすいでは?」
「……分からない。思うことが多すぎて」
しばらくの間、二人は口を閉ざして、それぞれの想いを巡らせたが、フレイルはつい先程見たばかりの光景を思い出してしまう。
「あれは、スイさんだった。まるで、石に変えられたみたいな姿で……」
「きっと、生きている。そう信じたいところですね」
頷くフレイルだったが、その瞳に宿る光が悲しみから閃きへ変化した。
「そうだ、第38調査地区の名前はなんだった?」
「名前、ですか?」
「もともとの名前だ。村か街があったのだろう?」
「はい。確かララバイ村と言ったはずです」
「ララバイ村……」
フレイルは指先を顎に置き、記憶の中から聞いたことのある、その響きを探って行く。
「スイさんの出身だ。この近くにスイさんの生まれ育った家があるはずだ」
「そこにベイル兄さまがいる、と言うのですか?」
「そうだ」
「この状況で、そんな悠長な時間を過ごすでしょうか?」
ベイルは国が管理する施設を攻撃したテロリストと言える。さらに、かつての想い人が無残な姿で、しかも生死不明な状態で囚われていたのだ。生家を訪ねて感慨にふけっている場合ではないだろう。そうライムは指摘したかったのだが、フレイルはどこか苦々しい表情で、鼻を鳴らして笑った。
「行くよ。あの人は……彼女の家が残っているなら、そこに行く」
フレイルの頭には、在りし日のビジョンが走馬灯のように流れ、思わず眩しそうに目を細めてしまう。
「だって、兄さんはスイさんのことが大好きだったから」
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