人を不幸にする女
私はすぐにエリオットのもとへ向かった。手術中の彼の魂は、まだ肉体から離れていない。医者たちに気付かれないよう、治療を行い、エリオットは奇跡的に回復したと見られたが……。
「ヴェルトさん、貴方は説明する義務があると思います」
まだ目を覚まさないエリオットの傍らで、エリシャは私を睨み付けた。そこで、私は気付く。ついこの前まで子どものだったエリシャが、いつの間にか成長していたことに。そして、出会ったころからは想像できないような、敵意に塗れた視線を私に向けた。
「貴方は何者なんですか? 兄は聞くべきでないと貴方を庇いますが、私たちはここまで巻き込まれているのです。しっかりと説明してくれなければ、納得できません!」
確かに、エリシャの言う通りだ。私はこんな事態に陥るなんて想像せず、幼い二人に過ぎた力を与えてしまったのだから。
二人を奉る街は、すでに一つの国と同等の力を持ち、まだ大人とは言えない年齢の兄妹が、その頂点に君臨している。それは異常な状態と言って間違いなかった。
エリオットが目を覚まし、私は自分が何者なのか、二人に説明した。もちろん、この惑星の人間からしてみると、理解できるものではないはず。エリシャは頭を抱えた。
「全部、ヴェルトさんのせいじゃない! 私たち人類が、どれだけ異形生物に苦しめられてきたのか、ヴェルトさんは分かっているのですか!?」
エリシャは私に対し、明らかな敵意を抱いていた。
「もう私たちを巻き込まないでください。貴方は人を不幸にする女よ。誰にも関わらないで、一人で生きるべきだわ」
エリシャは席を立つ。
「兄さん、行きましょう。この街を出て、平穏な日常に戻るの」
しかし、エリオットは動かなかった。
「……僕は残る」
「兄さん?」
エリシャは信じられなかったようだが、エリオットは強い意志を持っているようだった。
「僕たちがトランドストシティから離れたら、残された人は混乱してしまう。ここには、霧の脅威から逃げ出した人たちが集まっている。僕は彼らを再び霧の中に放り込むようなことはしたくない」
「そうかもしれないけど……。私たちの責任じゃない」
「いや、少なからず僕たちに責任はある。それに、僕は……ヴェルトさんと一緒にいたい」
その発言に、エリシャは目を細めた。私にも妹がいるから知っている。あれは軽蔑の目だ。
「信じられない。この女がどんな存在か、十分に分かったでしょ? これ以上、関わるべきじゃない」
「……僕はそう思わない。彼女の過去を知ったからこそ、僕は彼女の力になりたいと思った」
「そう。兄さんはもっと賢い人だと思っていた。お願いだから、私のことは巻き込まないでね。聖女の役はこれまで。後は二人で好きにやってください」
ほどなくしてエリシャは街から姿を消す。聖女は新たに影武者が立てられたが、オリジナルの不在を誤魔化すためにも、そのディテールを固める必要があった。このときから、聖女は「星の巫女」から力を預かった女性であるという伝承が始まるのだった。
そして、エリオットが十代を終えようとしたころ、彼はこんなことを言った。
「ヴェルトさん。僕は自分が死ぬまで、何をすべきか決めたよ。自分の運命を、宿命を理解したんだ」
「……何をするつもりなの?」
彼は純粋な笑顔を私に見せた。
「ヴェルトさんを帰してあげたい。この星から解放して、故郷に帰してみせるんだ」
私は言葉を失ったが、涙を流していることに気付いた。涙なんて何年ぶりだろう。千年ぶり。いや、三千年。五千年かもしれない。
「ヴェルトさん?」
エリオットは慌てるが、私は首を横に振った。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
私は気付いていなかった。永遠の孤独の果てに、自分が故郷に帰りたいという感情が沸き起こっていたことに。
「エリオット、ありがとう。だけど、私は大丈夫。もうこの惑星から独立して、星に帰るなんて……どうやっても不可能なんだから」
「そんなことはない。僕は絶対にやってみせる」
そこから、エリオットはトランドストシティの象徴という立場から離れ、科学者として研究に打ち込んだ。霧の仕組みを調べ、呪木の存在を発見する。他にも、地核の発見や惑星のコアまで。十年、二十年と時間をかけて、研究を進めた。
エリオットは真面目な研究者だったが、彼を変えてしまう事件が起こる。それはエリシャからの手紙だった。
「エリシャのやつ、十五歳と十歳の子どもと霧から逃げるために、移動する日々を続けているそうだよ」
「……どこにいるのかな。エリオットさえよければ、私が迎えに行くよ?」
エリオットは首を横に振る。
「ヴェルトの力は借りたくないらしい。ただ、早く研究を進めて霧を根絶してほしい、って」
「そんな……」
この時期、トランドストシティの外で住む人間の生存率は非常に低かった。
なぜなら、霧の発生率は高くなっているものの、聖女が存在しないトランドストシティ以外の地域では、その対処法がなかったからだ。
私だって、常に世界中を見渡せて、すべての霧に対処できるわけではない。トランドストシティを守るだけで精一杯なのだ。
「一刻も早く、霧から自衛する手段が必要だ」
エリオットは研究を続けるが、そんな方法は簡単に見付からない。そんな中、数年が経ってエリシャから再び手紙が届く。エリオットは何が書いてあったのか、私に説明しなかったが、見なくても理解することは可能だ。
『下の子どもが死んだ。これもあの女のせいだ』
エリシャからの手紙を見てから、エリオットはより研究に打ち込むようになってしまう。これでは、体を壊してしまう。いや、魂をすり減らしてしまうではないか。
「エリオット、もしかしたら方法があるかもしれない」
私は教えた。人類には、私の因子を受け継いでいるものが存在する。その遺伝子を強く持った人間の才能を伸ばせれば、私の力を借りなくとも、霧を自ら除去できるかもしれない、と。




