誰か助けて
ドレンは学院の先輩だった。私が入っていたコミュニティの先輩で、たくさんのイベントを成功させ、誰からも注目される先輩。容姿端麗でありながら、いつも場を盛り上げ、後輩たちから尊敬の目を向けられている。
そんなドレンに恋心を抱いていたのだけれど、今ではそれがどんな感覚だったのか思い出せない。
「ねぇ、ドレン。今日って祈祷師の夜間講義じゃないの?」
「体調悪いって言っているだろ。今日は休む」
今のドレンはただのだらしない男だ。体調が悪いと言うので、ご飯を食べさせてあげようと思ったのに、顔色は悪くないし、体温も平熱。ただ、仕事の後に社会人向けの講義に出ることが面倒だったとしか思えなかった。
「あのさ、この前……お父さんに言われたんだけど」
黙っているつもりだったが、我慢できなかった。
「お前はグリン家の人間なんだから、そろそろ将来のことを考えろ。パートナはいるのか、って」
ドレンは布団にくるまって背を向けたままだが、返事はあった。
「将来って、そんなの決まっているだろ。俺が祈祷師の資格を取ったら、一緒に星を出るんだ」
「ずっと、そう言っているけどさ……いつ資格取れるの? 次の試験日、そろそろだよね? 落ちたら、次は五年後だよ? そしたら、私の方が先に巫女になっちゃう気がするけど」
そう言うと、ドレンはゆっくりと身を起こし、こちらを見た。
「何だよ。何が言いたいんだ」
「だから……ちゃんと真面目に勉強しているのか、気になっているだけだよ」
ドレンは身を起こしてベッドの端に座り、こちらを見た。
「勉強してるって言っているだろ」
「でも、今日も講義休んだよね」
「体調が悪かったから仕方ねえじゃん」
「……熱もないし、咳も出てないし、それくらいなら講義出れたんじゃないの?」
ドレンは深いため息を吐く。
「俺は仕事しているんだよ。昼間はずっとアリみたいに働いて、すごく疲れてるんだ。学院生のお前には、この苦労が分からないだろうけどな」
「……それ分かってて、今の道を選んだんでしょ? 嫌だったなら、ちゃんと学院生のときに資格取っておけばよかったじゃん」
「あのときは、コミュニティの活動で忙しかったんだよ!」
声が荒っぽくなる。この辺でやめておくべきのに、私も溜まっているものがあった。
「祈祷師や巫女を目指していた先輩たちは、同じ状況でちゃんと資格取ってたよ? みんな忙しそうだったけど、ドレンだけ取れなかったじゃん。だったら、ドレンに問題があるんじゃないの?」
ドレンが立ち上がると、近くに置かれていたグラスを手に取り、何の躊躇もなく、それを投げつけた。私の耳のすぐ横を飛び、後ろの壁に当たって砕ける音が。
「俺はリーダーだったんだよ! 他とは違う!!」
「一緒だよ! ドレンと同じくらい忙しい先輩はいたってば!」
「何も知らないくせに、分かったことを言うな!」
ドレンは私の胸倉を掴むと、思いっきり手の平を打ち付けてきた。手加減はなかった、と思う。勢い余って、私は床に倒れたのだから。
「出てけ! お前がいると胸糞悪くなる!」
「こっちのセリフだって!」
初めて殴られたときは、ただ謝った。でも、今となっては言い返せるくらい慣れてしまった。が、それはドレンの怒りをさらに買うだけだ。
「俺が誰のために働いていると思うんだ! 朝から夜まで働いて、その後は勉強するんだぞ? 呑気な学院生に説教される覚えはないんだよ!」
「だから、自分でその道を選んだでしょ! 同じこと繰り返し言って、馬鹿なんじゃないの!?」
「……」
最後の一言はさすがに余計だったかもしれない。ドレンの表情に、何かが入り込む瞬間が見えた。
「お前、マジで殺すからな」
そう言って、ドレンが詰め寄ってきた。
「殺せるわけないじゃん。ほんと馬鹿」
しかし、ドレンは躊躇うことなく暴力を振るう人間だ。私は急いでリュックを手に取り、外へ出る。ドレンはよれよれの部屋着で追いかけてきたが、人の気配を感じて大人しく帰ったようだ。だた、すぐにドレンからメッセージが入った。
『許してやるから戻ってこい。俺も悪かった』
夜の公園で、それを眺めながら考える。ドレンは常に荒れているわけじゃない。休みの日は車を出して、色々なところに連れて行ってくれるし、バースデイやアニバーサリは必ず祝ってくれる。優しい時だってあるのだ。だから、試験にさえ受かってくれれば、元に戻るはず。
でも、それはいつの日になるのだろう。涙が止まらなかった。誰か助けて。この袋小路から、私を救って。錯乱しそうな頭を抱えていると、再び通信が入る。ドレンからだ。
そう思ったが、実際はブルノからだった。
「特に用事があったわけじゃないけど、君の声が聞きたくなって……。ヴェルト?」
ブルノは私の異変にすぐ気づいた。そして、私はずっと我慢していた気持ちを、彼に打ち明けてしまう。
「お願い、ブルノ。私を助けて」




