兎と龍の邂逅譚 09
同日、夜。
スピットは街道を引き返し、学院への帰りを急いでいた。
その手には、蓋付きの小さな壺が抱えられている。
「……ちっ、こんな大雨になるたあな! ごめんね、うーちゃん! あともう少しだから、我慢してねぇええ!」
夜道で元々暗いのに輪をかけ、ザーザー降りの豪雨で視界は最悪だ。
スピットとうーが纏う魔物由来の防水繊維で織られたお揃いの雨合羽が、先ほどからひっきりなしにバチバチと横殴りの雨を弾いている。
「ふぅ~! ようやく到着だ……ありがとね、うーちゃん。急いでくれて、お兄ちゃん助かったよ」
暗闇の中、ようやく学院の灯かりが見えてきた。
スピットは早いところうーを厩舎へ戻すべく、急ぎ正門を抜けようとする。
――瞬間、眩き稲光。続けざまに天を目一杯叩き鳴らしたような轟音。どうやら相当近くに落ちたらしい。
スピットは思わずうーの歩みを止め、ぐるりと周囲を見回す。
「――む。戻ったかスピット」
そこでようやく気がついた。
正門のすぐ近く、雨具も使わず野晒で佇んでいたクリーヴの存在に。
「お前……⁉ んなとこで何してんだ……⁉」
「……君を待っていた。衛兵から外出したと聞いてな」
「だからって、そこでずっと待ってたのか⁉ 風邪ひくぞ!」
「俺の身体は丈夫だ。これくらいでは物ともしない」
そんなことよりだ――クリーヴは赤い瞳をスピットに向け、言った。
「……すまないスピット。俺が悪かった、この通りだ。許してくれ」
「お、おい――!」
「あれから一晩ずっと考えた。君の指摘通りだった。確かに君が俺の物を壊す理由はない。……報復狙い、と主張した俺が愚かだった。怒りで我を忘れていた……すまない」
「よ、よせよ……てゆーか、いい加減顔上げろ、な?」
「俺が君を信じないのに、君が俺を信じるはずがない、か……至言だな。実は昔、恩人にも似たようなことを言われた。……俺はまた、同じ過ちを繰り返してしまった」
「いーから! んなのいーからともかく中に這入んぞ!」
「どうか許して貰えないだろうか……もう一度、君とやり直させてくれないだろうか」
「……はぁ、ったくお前ってヤツぁ」
スピットは黒い空を見上げる。頬を叩き伝わる雨が、何やら妙に冷たい。
――それだけ熱いものが身体中を駆け巡っていた。
「……いーよ、許してやる」
「本当か……⁉」
「ここで嘘ついてもしゃーねえだろうが……。………。……あ~、それに、だ」
「……それに?」
「オレもよ、勢いで言ったとはいえお前が大事にしてるもんを虚仮にしちまったのは悪く思ってる……ま、それもあってコイツを買ってきたんだがな」
スピットは抱えていた小さな壺をクリーヴに示す。
「む。なんだそれは」
「あの鳩琴、ちゃんとまだ取ってあるよな?」
黄属性霊術は物質の生成と錬成を司る。
物質。大変に広い意味を持つ言葉だ。世界そのものを指す、と評しても過言ではない。
――では果たして、黄属性霊術はその全てを範疇に含むのだろうか?
否である。黄属性に限らず、霊術には明確な適用範囲が存在する。
まず、水もしくは氷・水蒸気の生成。不可能である。水を司るのは青属性霊術、黄属性では対応できない。そのため、何かの水溶液を得たい場合は、黄・青の複合属性霊術を使うのが一般的である。
続けて金・銀・白金に代表される貴金属および高い金銭的価値を持つ宝石類。これらは理論上では可能だが、実質的には不可能である。というのも、そういった類は生成・錬成共に莫大な霊子を必要とし、個人水準の霊術ではまず太刀打ちできない。一方、極めて高密度な霊子の結晶である霊石に頼れば話は別だが、それでも得られる量は微量で、消費する霊石の金額とまるで釣り合わない。逆に言うと、一部には消費霊石を考慮しても採算が取れる宝石類が存在し、そうしたものは霊石技術の出現前と後で大幅に価値が変動している。
最後に生命。これも不可能だ。一般に、黄属性霊術は生命に近づけば近づくほど、加速度的に難度が上昇する。血肉を生成・錬成し傷を癒すことは叶わぬし、例え死骸ですら真似ることもできない。それほどに生体は複雑なのである。故に生物由来の資源も同様で、例えば黄属性霊術で食料事情は解決しない。今も昔も変わらず、農家が育てる作物と狩猟・漁で得られた肉や魚、その他自然の恵みだけが人の口に這入る。油も同様で、黄属性霊術で生成した油は食用には適さない。また、衣類についても、絹、麻、亜麻、木綿、羊毛、革など、各地の環境に応じた植物・動物素材が広く使われる。
従って、黄属性霊術があるといえども、ファンタズマブルには今でも数え切れぬほど自然由来の産業・生産物が存在し、要所要所で欠かせぬ役割を果たしているのだ。
「……ほれ、これでどーよ」
スピットが王都まで買い出しに行った壺入りの漆もまた、その一つである。
「おお……! おお……!」
漆。同名の木から採取した樹液であり、霊術では再現できぬ塗料だ。
と同時に――陶器の継ぎでは他の追随を許さぬ優れた接着剤としても知られる。
「へへ、オレのじっちゃん、調律士になる前は陶磁器の職人やっててな。昔、色々教わったんだ」
言ってスピットは修復した鳩琴を手渡す。
本来の継ぎは複雑な工程を踏むため、最低でも週単位の時間を要する仕事だ。しかし、彼が祖父から習ったのは霊術を併用した簡易手法で、二刻もあれば十分に終わる。
あの後、うーを厩舎に預けたスピットはすぐさま修復に取り掛かり、どうにか日を跨ぐギリギリの時間で作業を終えたのだった。
「……けどわりーな、ちょっとばかし継ぎ目が残っちまいそうだわ。ほれ、こことか」
「関係ない……! そんなことは、関係ない……!」
「そ、そうか……?」
「君は、俺の大切な物を直してくれた……!」
クリーヴは大事そうに鳩琴を手に持ち、そっと胸へと引き寄せる。
なんだかそれは、鳩琴に施された装飾さながら、どこか幼さを感じさせる行為だった。
「ありがとうスピット……! 君にはどれだけ感謝しても、したりない……! 俺は君に恩を受けた……!」
「いいってことよ、気にすんな……。………。……にしてもよ、お前ってホントにそれ大事にしてんのな」
「ああ。とても大事だ」
「物を大切にするのは感心だけどよ……なんでだ? それって、何か特別なものなのか? 見た感じじゃ王都の露天でも覗きゃ似たようなもんはいくらでもありそうだけど……」
「………。」
クリーヴは一瞬沈黙し、手の中の鳩琴を見遣る。
だがすぐにスピットの方へ向き直り、告げた。
「……これは、恩人の形見なのだ」
「――え?」
「俺は昔その人に、並々ならぬ恩を受けた……だが、その人はもういない。これだけが、俺に残された唯一のものなのだ……」
「……お前、そういうことはもっと早く言えよ。そうすりゃオレだって、ああまで言わなかったさ……」
「いや、あの件に関しては俺が逆上したのが悪い。君には一切、非はないことだ」
「そうは言ってもよお……」
「とにかくスピット、ありがとう。君には本当に、感謝している」
「………。………………。………………………。」
「……む? どうしたのだ、スピット?」
「――ん? あ、ああ、いや、なんでもねえ。なんでもねえよ?」
なんとはなしに気恥ずかしくなったスピットは長椅子にどさりと身を預ける。
そして思った。
(コイツって、まあ、なんてつーか……その………………結構イイ奴、なのかも、な……)
どこまでも真っすぐで、飾らない。
建前など言わず、思ったことを正々堂々相手に示す。
それは黙々と背中で語ることもあれば、こうして直接に言葉にすることもある。
それはなんだかとても――眩しいものだった。
「……さ、それよりもだクリーヴ」
「ああ、わかっているスピット。残りの時間、やれるだけのことをやろう」
「ったりめーよ」
現在時刻は黒四つ。日付が変わる間近で、もう寝ている者もかなりいる時間だろう。
正直スピットとしても眠い。超がつくほど眠い。
いつもならまだなんてことない時間だが、昨晩厩舎で夜を明かし、そこからさらにギャランに行き来してで、身体の休まる時がなかった。
本音を言えばこのまま長椅子でぐっすり眠りたいが……ここでやらねば、絶対後悔する。それだけは確かだ。
いつだって後悔とは、力を尽くさなかった過去の自分に向けられるのだから。
「クリーヴ、やっぱお前ん方じゃまだ速く動くのは無理そうか……?」
「すまん……だいぶ慣れては来たのだが、やはり戦闘機動は厳しい」
「ん~、そうかぁ……」
スピットは休息を要求している頭をガシガシと掻き毟る。
なんとはなしに、長椅子に放り出されていた冊子を手に取った。
それは二日前に図書塔で借りた、<鉄傀儡・三型一七式>の簡易調律書である。
本当は昨晩にでも読もうと思っていたが、お流れになっていた。
スピットは今の内に目を通そうと手に取りパラパラと捲りながらクリーヴとの会話を続ける。
「……お前の方で、何か思うところはねえか?」
「原因についてか?」
「おうよ」
「むぅ……それなのだが」
クリーヴが何やら言い辛そうに口籠る。
スピットは簡易調律書の目次の内、ふと目に留まった見慣れぬ項目に興味を惹かれつつ訊いた。
「なんでもいい。まずは正直に言ってみてくんねえか? 使役してるお前自身の感覚の話で」
「わかった………………以前にも話したことだがな、やはり俺にはどうしても機体に不具合があるとしか思えん」
「んぅ~……それかぁ……」
何でもいいから言ってみてくれ、と切り出した手前、スピットも頭越しに否定し辛い。
だがそれでも、どうしてもそれが原因だとは思えなかった。
否、本音を言えばそうであって欲しいとすら願っていたが(であれば事態は一歩前進する)、これまでに彼が繰り返した検証が、それを許さない。
機体の不具合。既に数え切れぬほど可能性を洗い出し、精査している。自分の頭の中では到底収まらぬ量になり、今では検証結果を一つ一つ紙にまとめ、何か思いついた際はまずそれと見比べ着想の重複を調べねばならぬくらいだった。
特に機体の初期不良。
何度も何度も検証した。だが結果は変わらない。配給霊機兵の<鉄傀儡・三型一七式>は使役しやすいくらいだ。現に何年も使役から離れていたスピットすら、問題なく動かせる。
他の同期生も同じはずだ。これまで霊機兵に触れたことがなかったような者とて、今ではそこそこの動きになっている。
ひと昔前ではあり得ぬような習熟の早さだが、事実として皆そうなのだ。
「う~ん……」
簡易調律書を片手に悩むスピットを尻目に、クリーヴがぼそりと呟いた。
「むぅ……この機体は」
――そこから三つの出来事が一度に重なった。
一つ、これは時計を持たぬ彼らの知るところでなかったが、とうとう日付が変わり、第五日から第六日へと移った。
二つ、またも近くで落雷があったらしい。重く圧し掛かる轟音と、大地の震動がこの格納庫にも伝わった。
三つ、スピットの目が簡易調律書のある項目に釘付けになる。そこにはこう書かれていた。
"中枢神経系における使役補助霊石の選択実装"
最後にクリーヴが呟く。
「この機体は何故、あんなにも過敏に応答するのだ?」
スピットが天啓を得た瞬間だった。
――奨学生査定まであと一日。




