結晶少女 06
「そろそろ煮えるぞ、スピット」
「おう」
霊石砲の整備をしていると、クリーヴから声が掛かった。
飯ができたらしい。スピットは通りがけにもう一度うーを愛で、クリーヴの対面に座る。
郷愁と唾液を誘う温かい匂い。今宵の献立はスピットが提供した故郷の豆味噌を使った鍋だった。
スピットは先に鍋の横に置かれた飯盒を手に取る。干し飯と干し茸を使った炊き込みご飯。こちらも茸の滋味をふんだんに吸い、ホカホカと炊かれた米がなんとも旨そうだ。
「鍋はまだだぞ、もう少しだけ待て」
「へいへい、まったくお前はこだわるねー。………。……にしても……はぁ~」
「む。どうしたのだ。溜息なぞ吐いて」
「いや、やっぱしよぉ……惜しいなあ、と思ってな」
スピットが荷台に積まれた<骸骨百足>に未練がましい流し目を送る。
「む。また金の話か?」
「いや、わかってんよ。借金は返す。それはもう俺も覚悟を決めたよ? ……でも、だなあ……三〇金貨、そりゃあくまで "調達課" に渡した場合だろ?」
「……ひょっとして "裏" の話をしてるのか」
「ご明察」
調達課というのはグランレーファ総合霊術学院の一部署で、正式名は物資調達課。この課は日用品からちょっとした娯楽品の販売に加え、霊機兵の調律に必要な物資の売買も取り扱っていた。
「いかんぞスピット。配給霊機兵で討伐した魔物は調達課へ。決まりではないか」
「そうなんだけどよ……でもアイツらあまりに阿漕じゃねえか。王都で売り飛ばせば普通に二倍……いや下手したら三・四倍の高値がつくぜ?」
「しかしその分、俺たちは日頃、霊石やその他物資を格安で調達課から購入できている。もっと言えば、そもそも霊機兵を一機配給という破格の待遇もそこに根差す……全体として見れば貸し借りなしだ」
「かぁー、まったく。お前はホント、変なとこで糞がつくほど真面目だねえ……やっぱ駄目かあ…… "裏" でさばけば少なくとも六~七〇金貨にはなると思うんだけどなぁ……」
"裏" とは、物資調達課を介さず直接民間へ売り渡す不正行為である。
無論、学院側も手は打っていて、例えば乗合馬車で一刻半ほどの王都ギャランでは、魔物死骸を扱った各種業者に学生から買取依頼があった場合、調達課へ通達が行くよう取り決めがある。
しかし、ではすべての店が一律模範的かと訊かれれば当然そんなはずがなく、中には事情を百も承知で取引に応じる業者も存在した。
「む。それに裏だと足元を見られるのでなかったか? 前にお前からそんな話を聞いた気がするぞ」
「あー、それなー……。確かに去年、どこぞのアホな貴族サマが実家から送られてくる金だけじゃ遊び足りず、裏に手を染めたものの結局は調達課にそこそこ色がついた程度。で、なら数を増やせと何度か裏通いしてる内に、バレて処分をくらってああ無念……って話はあったなぁ」
「うむ、それだ」
「まあこの話に関しちゃ、なんせ世間知らずの坊ちゃんだ。一方的にカモられてた気もしなくはねえが……でも向こうも商売、多かれ少なかれ足元見られる、ってのはあるかもなぁ……」
「不用意に危ない橋を渡るのはどうかと思うぞ――む、そろそろ頃合いだな」
話している間も鍋から片時も目を離さずにいたクリーヴは、呟くや否や、玉杓子を手に取り自分の茶碗に汁を注ぐ。
「あ! おい待て、話はまだ終わっちゃ――」
「……いただきます」
遅かったか。クリーヴが神妙な面持ちで水平に掌を交差させたのを見て、スピットは嘆息した。
クリーヴが食事の都度取るこの仕草は、彼の故郷、"古龍の里" 独特の風習らしい。なんでも聖霊ユリアでも輝く樹ピシムスでも国王陛下でもなく、食べ物その物へ捧げる感謝と供養の祈りだとか。
なんだそりゃ、というのが文化背景の異なるスピットの率直な感想である。
「輝く樹ピシムスよ、今日も我らに糧を与えて下さり感謝します……」
スピットも自身の信仰する "聖樹教" の形式で祈りを捧げた。本人的にはさほど熱心なつもりはなかったが、幼い頃から繰り返した習慣は身体に不可分に根づいている。
「………。」
クリーヴが黙々と、まるで今日が最後の晩餐とばかりに一口一口じっくり噛み締め味わうのを目にし、スピットはフルフルと首を横に振った。
この龍人種、食事中は絶対に、一言たりとて話さない。美味い・不味い関係なしに、常に全身全霊で食と向き合う。これに関しては彼の出身、"古龍の里" の風習でなく、あくまでクリーヴ・エインシェドラグ個人の哲学だった。
「"幸せ" そうでなによりだヨ……」
スピットがちょっぴり毒を混ぜぼやくものの、クリーヴはまるで気にしない。時に静かに目を瞑り、鼻で、舌で、歯で、喉で、胃で、存分に食事を堪能する。
"幸せ"。これも幾度となくクリーヴから聞かされた話だ。なんでもこの友人、とにかく幸せになりたいのだとか。そして今のところ、食事は最もそれに近づける行為だとか……。
(女に興味がないとそういう着地になんのかねぇ……)
スピットは漬物の燻製を乳酪で挟み、ポリポリと咀嚼しながらそんなことを思った。
自分とは何もかも違うのに不思議と馬が合う。
スピット・ラピラービにとってクリーヴ・エインシェドラグとはとにかくそういう存在だった。
「――っ!」
突如、クリーヴが茶碗を宙に放って駆け出した。
「ちっ!」
一拍遅れてスピットも続く。
せっかくの料理がひっくり返り、地べたにぶちまけられるが二人とも見向きもしない。
クリーヴは降着姿勢の霊機兵、<白鋼>に乗り込んだ。その間にスピットはうーに跨り抜刀する。
短刀から圧縮空気の刃が飛んだ。射出先は彼らと焚火を挟んで向こう側。その場所から朦々と砂煙が立ち上がってる。今しがた、そこで小規模な落石があったのだ。
落石自体は問題でない。二人が事前に仕掛けた罠が作動しただけだ。なにせここは "忘れられた森"、魔物が跋扈する危険な土地だ。そこで野営を行う以上、相応の準備と対策は必須である。
問題は…… "何が" 来たか。ただその一点に限る。
<根腕樹>水準か、<鉱石熊>か……はたまた<骸骨百足>級か。
事前に付近の魔物はあらかた討伐したが、掃討範囲の外から新たな敵が侵入する可能性はつきまとう。
油断はできない。このような場合、速やかに敵の戦力を見極め次の手を打つ。
クリーヴとスピットはそう動けるよう訓練されていた。
「まだかクリーヴ⁉」
連続して攻撃性の霊術を放っていたスピットが問う。<根腕樹>のようにこれだけで片がつけば言うことない。しかし、そうでなかった時に備え、<白鋼>、そしてその騎槍状の霊石砲が必要なのだ。
「よし、もういいぞスピット」
<白鋼>の起動が完了した。クリーヴと機体の神経系が接続され、光――すなわち電気と磁気を司る白属性の霊術が発動し、<白鋼>を構成する魔物の死肉は第二の肉体として使役される。少しくぐもった出力音声は魔物の声帯類を複数組み合わせ発せられたものだ。視覚・聴覚も同様である。最後に霊子回路が立ち上がり、クリーヴと霊石砲が霊子的に繋がることで、騎槍に人以上の霊術的火力を発揮する準備が整った。
「あとは任せた!」
<白鋼>が騎槍を構えたのを見て取るや、スピットはうーの手綱を繰り場を譲った。
間髪入れず飛び掛かる<白鋼>。手にした騎槍は<骸骨百足>の時同様、弾倉部の強い黄光と共に切っ先を爆発的に長く鋭く伸長させる。
周囲は暗く、敵の姿は捉えられない。だがそれでも、スピットが牽制で放った霊術でおおよその位置に見当はついていた。
騎槍はそこを貫く………………はずだった。
「……なんだありゃ」
スピットは助力として、白属性霊術の光球を何者かに向け放っていた。
言うまでもなく視界確保のためである。だが……わからない。
いつまで経っても敵の姿が見えてこない。
闇夜に目が慣れぬのか? ……違う。そうではない。
敵が闇なのだ。
闇そのもの。蠢く闇。黒い霧。漆黒の靄。
そうとしか言いようのない、得体の知れぬ "何か" が、ずり……、ずり……、と少しずつこちらに這い寄っていた。
騎槍は闇の表層に阻まれ停止している。
――どこにも逃げ場はない。
そんな陰惨たる未来を暗喩するかの如く……ピタリと静止していた。