人騒がせな空騒ぎ! 04
その日の夕方、西食堂にて。
エファットに配膳された夕食、そこに添えられた甘夏に何者かの手がぬぅっと伸びた。
その者は予め懐に忍ばせていた錐の如くか細い小刀を抜く。
刃先には――毒が塗られていた。
文献を読み解き錬成した特殊な毒である。摂取すれば臓腑を焼き、明日の品評会になど到底出られなくなる毒。
唯一の欠点はそのままでは異常に苦く、嚥下の前に吐き出す可能性があることだが、その苦みは果物の酸味で中和できる。
故にこうして、甘夏の表皮越しに毒を塗った小刀を目立たぬよう刺し、刀身でその果肉に僅かでも触れさえすれば、誰にも気づかれることなく目的を果たせる。
目的。
……そう、自分にはもはやこうするしかない。
恥ずべき行為の自覚はある。"聖霊ユリア" が世に御座せば、きっと神罰を下されただろう。
だがそれでも。
それでも、自分にはもうこうするしかないのだ。
これより他に、道は――
「それ以上は……いけない」
その時、不意に誰かに肩を掴まれた。
身を強張らせ振り向くと、そこにいたのは龍人種。
龍人種古龍族の少年、クリーヴ・エインシェドラグ。
彼は赤い瞳で見詰め、言った。
「もうやめるんだ………………エファット先輩」
その者は――エファット・チプモークはその場で項垂れ、小刀を床に取り落とした。
「エファット先輩……」
「やっぱり、きみにはバレてたか……そうだよな……そうだと思ったよ。なんとなく、そんな予感があったんだ」
「"過ぎたるは猶及ばざるが如し" というではありませんか……」
「そうだね……確かにこれじゃあ、やりすぎだ。悪知恵を働かせ過ぎだね……策士策に溺れるってヤツだよ」
「エファット先輩、俺は――」
「いや、いいんだクリーヴ。皆まで言わないでくれ。こうなった以上、正直に白状するよ……。………。……そう、きみの想像通りさ。僕は自分で自分に毒を盛ろうとしていた」
「何故そんなことを……⁉」
「おや? 流石のきみでも理由まではわからなかったようだね……まあ、個人的なことだから当然か」
「先輩は、明日の品評会を控えた大事な身体ではありませんかっ」
「……そう、まさにその品評会が原因だよ。僕は毒を飲み、体調を崩して、品評会を欠席するつもりだったんだ」
「そんな――」
「賭けてもいい。明日の品評会はね、ジイールが最優秀賞だよ。それもぶっちぎりでね……きみも昼、見ただろ? 彼女の作品。まだ些細な欠点こそあるものの、職人連盟の人たちがあれに食いつかないはずがない……いるもんだね、天才ってやつは。僕が三年かけて必死に学び身に付けた以上のことを、彼女はたった一年で修得した……いや、実質半年かな? 去年の前半はほとんど新入生向けの共通科目を履修してたはずだから、とんでもない速さの成長だよ。……今回の品評会、僕なりに最善は尽くしたつもりだけど、彼女には到底かなわない。前々から次はそうなるだろうなって思ってたけど、今日の昼休み、つくづくそれを痛感したよ」
「ですが、それとエファット先輩が毒を呷ることと、どう関係があるのですか?」
「言っただろう、クリーヴ。明日はジイールのぶっちぎりだって……多分、僕も何らかの賞は取れるだろうけど、彼女と比べれば月と鼈。ほとんど相手にされないだろうね……。主役は彼女、僕はせいぜいその背景ってとこさ……。………。……でもね、一方でもし僕が明日、誰が見てもやむを得ない状態で品評会を欠席したら、どうなると思う?」
「……わかりません。俺には」
「いやらしい話なんだけどね、僕はこの通り苦学生かつ模範生で通ってて、先生方からの覚えもいいんだ。それに今回、僕がどれだけ品評会に意気込んでるかもちゃんと見せてきた。……だからね、そんな僕が欠席したら……十中八九、先生方は後日、なんらかの形で挽回の機会をくれるんだよ。個人的に職人連盟の人たちに僕の作品を紹介できる時間を作ってくれる……とかね」
「……やはりわかりません。それでどうなるというのです? そんなことをしても、彼女の作品に負けるのは変わらないのでは」
「そう、負けるね。そこは変わらない。……でもね、僕の見え方は変わってくる。彼女に劣った大勢の内の一人でいるか、ただ一人でいるか……もしそういう場が設けられたら、普通は単に作品の発表だけでは終わらないんだよ。その後、懇親をかねてちょっとした食事なんかがある。学生で参加するのは僕だけって状況でね……。つまり僕が目論んでたのは、端から勝負は諦めて、職人連盟の人たちに顔を売りたい、人脈を作りたいっていうだけの話なのさ。それが、僕が自分で毒を呷ろうとした理由」
「………。………………。………………………。」
「……軽蔑してくれていい。本当に、本当に姑息で情けない魂胆だよ。自分でもそう思う。金もない、実力もない者が、せめて人脈だけでも、と働かせた浅知恵さ」
「エファット先輩……」
「……でも、こうしてきみに止めて貰って吹っ切れたよ。やっぱりこんなのは駄目だ。やり過ぎだ。……明日はちゃんと、正々堂々勝負して、できる限りのことをするよ……きっと、ジイールもそれを望んでいる」
「俺は――」
「それとね、クリーヴ。今朝からずっときみに謝ろうと思ってたことがある……実は、僕が自分で自分に毒を盛ろうとしたのは、これで二回目なんだよ」
「……というと?」
「昨日の夕食に出た鬼木天蓼、あったろ? 本当はあれで毒を呷るつもりだったんだ……品評会直前の前日より、その前から体調を崩してた方が説得力あるからね……。でも……駄目だった。毒は仕込んだものの、いざとなったらびびっちゃってね……それで結局、通路に捨てたんだ。そうしたら――」
「俺が食べてしまったということですか……」
「……ごめんっ! ごめんよ、クリーヴ……!」
「いえ、過ぎたことです。それはもういいのですが――」
「でも、やっぱり龍人種ってすごいんだね。肉体的にも霊術的にも秀でた一族だってのは聞いてたけど、まさか毒にまで耐性があるとは思わなかったよ。……あれ、普通の人なら一週間はのたうち回る毒だったんだぜ?」
「そうだったのですか……⁉」
「それをたった一晩で中和しちゃうなんて驚きだよ……。………。……さて、じゃあそろそろ僕は行くよ。迷惑を掛けてごめんね、クリーヴ……それと、ありがとう。目を覚まさせてくれて。あのままじゃほんとに」
"過ぎたるは猶及ばざるが如し" になっちゃうとこだったよ――最後にそう言い残し、エファットは去っていった。心なしか、憑き物が落ちたように晴れやかな表情である。
その後ろ姿を見送っていたクリーヴの思考に、サフィアの弾んだ声が響いた。
『おい、すごいではないかクリーヴ! まるで "俺様探偵コキィ" さながらじゃのうっ!』
「………。」
『いったいどうやって見破ったのじゃ⁉ あの縞栗鼠の小童が自分で自分に毒を盛ろうとしてたなど!』
「………………。」
『まったく、今度という今度ばかりは脱帽じゃわい! おぬしがこんな推理の大才を隠し持っておったとは!』
「………………………。」
『ちょっと言ってみてくれんかの⁉ コキィの決め台詞、"俺様に見通せぬ謎などねえっ!" って! ちょっとでいいんじゃ、言ってみてくれんかのう⁉』
「お、俺――」
『お⁉ おお⁉』
「俺はただ――」
『おおん……?』
「俺はただ、エファット先輩を諫めようとしただけなのだ……」
この時になって、ようやくサフィアは気づいた。
クリーヴの様子が妙であることに。
何やら――だらだらと脂汗を流している。
『諫めるって……毒を呷るのを止めようとしたってことじゃろ? ちゃんと諫められたではないか』
「ちがう。俺はただ、食べ過ぎを注意しようとしただけなのだ……」
『はあ⁉ なんじゃそれ⁉』
「お前も昨晩、言ってたではないか……食べ過ぎは良くないと……。エファット先輩は、随分と長いこと甘夏を手に悩んでいた。だから俺はてっきり先輩が、腹一杯にもかかわらず食うか食わざるかで悩んでいるのかと――」
『勘違いしおったということか⁉』
「むぅ……むぅ……」
『な、なんちゅうしょーもない……!』
「だから俺は言ったのだ…… "過ぎたるは猶及ばざるが如し" だと……」
『んなもん知るかこの阿呆!』
「むぅ……だがこれで一つ、わかったことがある」
やはり俺の腹は丈夫だ――言ってクリーヴはなんだか自慢げに胸を反らすのだった。
人騒がせな空騒ぎ! 了




