結晶少女 44
スピットは兎族だけあって耳がいい。それは霊術のみならずあらゆる肉体能力に秀でた古龍族のクリーヴも同様だ。
一番の幸運は、彼らが貧民窟の近くにいたことだろう。
ウィンサがただならぬ剣幕で叫んだパーシィの名を聞き、二人は即座に駆けつけたのだ。
その後は速やかに貧民窟を去り、安全な場所まで退避したところで、ウィンサが二人に大層感謝し、彼女らの酒場で一杯やってけと勧めた。
で、一杯が二杯に、二杯が三杯となり……気づけばもう良い時間。二人は店を出ることにした。
「やーもお、ほんろよかっら! ふらりがぶじでほんろによかっらのら! なあクリーぬ~!」
「そうだなスピット。それよりもう行こう。そろそろ出始めないと、下手をしたら城門が閉じてしまう」
「うんうん! いこう、いこう! じゃ、こんろのやすみ、いっしょにれかけよーね! ウィンサぁ!」
話が通じないほどへべれけである。この兎、ウィンサと店の女の子たちに終始囲まれ、ちやほやされで、大層ご満悦だった。
一方クリーヴも心なしか満足気な顔である。彼は食事中に一切喋らない類なので、途中から食卓の置物よろしく、ひたすら酒と肴をいつもの如く全身全霊で堪能していた。そしたら酒場の板さんに妙に気に入られ、次から次へと馳走になったのである。
ちなみにこの龍人種、酒精の分解も尋常でなく早い。飲んだ量はスピットと大差ないがケロリとしてる。
「ほら、パーシィ姐さん! クリーヴさん、行っちゃいますってばっ」
「ちょ、ちょいとおやめよ――」
クリーヴがスピットに肩を貸しながら軒先に出ると、後ろからパーシィがウィンサに押され、心太の如くにゅるりと出てきた。
「あ、クリーヴさん。スピットさんはウィンサが先に馬宿へ届けておきますからー」
「む?」
「ではでは、後は若い二人でよろしくですー」
「お、おバカ! 何言ってんだい、あんた――」
「パーシィ姐さん、ご健闘をー」
「ああ、もうっ」
あっという間にウィンサはクリーヴからスピットを預かり、すたこら進んでいく。
残されたのはクリーヴとパーシィだけ。
……何やらパーシィの様子がおかしい。手と足が一緒になって歩き出し、回れ右したと思えば、唐突にばしぃっと自分で自分の頬を張り、もう一度回れ右して結局こちらに向き直る。顔色は赤くなったり青くなったり、目はぐるぐると廻って視線がそこら中を泳いでいて、極めつけは「キ、キエエ~ッ」とあげた怪鳥のような奇声、そこに丁寧に添えられたばっさばっさと羽ばたきを思わせる身振り手振り。
一言でいえば、残念な生き物と化していた。
「……大丈夫か、パーシィ?」
「ま、またそれっ! ……だだだ、駄目なんです、それだけはほんと、駄目なんですってば! 私も今日、はじめて自分で知りました! 弱いんです! 弱点なんです! どうやら急所です! 息の根が止められてしまいます!」
「むぅ……何を言ってるかさっぱりわからん」
「そ、そうじゃなくってですね! えっと、その――」
すーはーすーはーすーはーはー。
おもむろに深呼吸を繰り返すパーシィ。それでようやく、少しは自分を取り戻せたらしい。
彼女はたどたどしい口調で言った。
「……今日は、危ないところを、助けて頂き……本当に、ありがと、ございました」
「君には日頃から恩を受けている。あれくらいは当然のことだ」
「~~っ! ……そ、それと! ……今まで、その……その……」
すみませんでした――それだけ言い、パーシィは脱兎の如く酒場へ駆け込んだ。
「む……?」
何がすみませんなのだろう、とクリーヴは首を捻るばかり。
ちなみに直後、酒場からは「見てたんですか⁉」とか「信じらんない!」とか「姐さんを殺してあたしも死にます!」だのパーシィの絶叫めいたものが聞こえてくる。
『ふん……よかったの』
クリーヴの思考に結晶少女の声が響いた。
「よかったとは……何がだ?」
『知らん。ちっとは自分の頭で考えい』
「むぅ……」
それっきり少女の声は途絶える。
仕方なしにクリーヴは馬宿へ歩を進めようとした。
その時、
「教官殿……?」
一瞬、見覚えのある後ろ姿が視界に這入る。
が……その影はすぐに路地裏へと消えた。




