結晶少女 41
夕陽がギャランを赤く染め上げる。大天守の円屋根に描かれた王家の家紋が、斜陽の中で色とりどりに煌めいていた。
ところどころ舗装が崩れた石畳の道に、クリーヴと結晶少女の影法師が長く伸びる。二人は "翻車魚の微睡亭" で精霊落としを堪能した後、一日かけて王都を巡った。午前中は王立図書館や歴史博物館を訪れ、午後は市場や貸本屋、芝居小屋などにも足を運んでいる。
「むぅ……」
クリーヴには一つ、解せぬことがあった。
「ん、どうしたんじゃ?」
他ならぬこの結晶少女についてである。今日一日、一緒になって各所を巡る内、少女の見せた表情は基本的に明るく楽し気なそれだった。勿論、この年寄り臭い少女がそこらの町娘のように黄色い声をあげ、箸が転んでも可笑しいといった態度を取るはずがない。感慨深げに頷いたり、目を細めたりした様子から、クリーヴがそう判断しただけである。この龍人種にしては珍しいことに、その推量はあながち的外れではない。
だが同時に――白く幼い顔には時折り、酷く暗い影が落ちていたのも事実。
まるで何かに嘆くような、自分を責めるような、戒めるような……そんな辛く苦しそうな表情。
「……何か不愉快な思いでもさせてしまったか?」
「はあ? いきなり何を言っとるんじゃ。そんなことはないぞ」
「だが、お前の顔色は時々優れないようだった。俺はそれを気にしている」
「おぬし……!」
「もしかして、厠でも探してたか? それならそうと言ってくれれば――」
げしぃ! ほんの一瞬だけ、なんかこういい雰囲気になりかけたが、そんなものは夢幻の如く雲散霧消し、後には結晶少女の容赦ない足蹴が残された。
「いたいぞ」
「うっさい阿呆! それより早く魂具を出せ、儂はもお戻る!」
二人は来た時同様、一般区画と貧民窟の狭間、人気のない真空地帯に這入る。
クリーヴが刺突剣状の魂具を抜刀すると、結晶少女はあっという間に蒼き光の粒と化し、赤虎目石の魂石へ戻っていった。
呼びかけても反応はない。
どうやら怒らせてしまったようである。それだけは色々とアレなこの龍人種にも理解できた。
「む?」
一般区画へ戻る途中、思いがけない人物と出会った。
「クリーヴか……」
腹立たしいほど愛くるしい円らな瞳、あちこちにふさふさと体毛を生やした小柄な太っちょ体型。
ジョヴィエルである。
「ふん、こんなところで会うとは奇遇だな」
「ジョヴィエル。今日はアンシェクは一緒でないのか?」
「ああ、アーシェは今頃イダルティ教官から出された特別課題でひいひい言ってるよ」
「そういえば本人からそんな話を聞いたかもしれん」
「たまには自分でどうにかしなければアーシェのためにならんからな……お前の方こそ今日はあの兎と一緒でないのか?」
「ああ。スピットは逢引で出ている」
「またか……ついこの間、パーイン嬢に刺されたばかりというのに……あいつの辞書には反省という言葉が黒塗りされてるんじゃないか?」
「むぅ……それを言われると痛い」
二人は顔を合わせるとこれくらいのやり取りはしていた。
スピットさえ絡まねば、ジョヴィエルにクリーヴと敵対する理由はないのだ。先日の件も元はといえば朝食時のスピットの挑発が原因である。
ちなみにクリーヴとジョヴィエルの距離感は、そのままスピットとアンシェクにも当て嵌まった。
「ジョヴィエル、お前は何をしていたのだ?」
「ん、僕か? 何、王都で掘り出し物でもないかとな」
「素材店でも回ってたのか」
「ああ。とはいえ目ぼしい品はなかったがな……時間の許す限り、後いくつか回るつもりだ」
クリーヴらは日頃、安さを理由にグランレーファ学院の調達課だけを利用するが、金銭的事情が許すなら、ジョヴィエルのようにギャランまで赴くのも悪くない。
調達課は基本、学生が討伐し課に引き渡した魔物の死骸が主力の品揃えだ。それだけでも悪くはないが、魔物は影孔から生じ、そして影孔は消費霊子の属性・総量に影響される。つまり、魔物の生態系にはある種の "地域性" が現れるのだ。そのため、調達課のような限定された供給源に頼ると、どうしても偏りや手の届き辛い箇所が現れる。
その点、ギャランはより広い地域から魔物の死骸を回収するため選択に幅があった。また、かなり値は張るものの、近隣の港町から届く交易品で異国の魔物の希少部位が出回ることもある。路地裏近くに集まった小規模な店も馬鹿にできず、独自の流通経路で時々妙に通な品を揃えていた。
「この間は惜敗を喫したが、次はこうはいかない。今度こそアーシェが勝つ。覚悟しておくんだな」
最後にジョヴィエルはそう言い残し去る。夕日が彼の行く道を照らしていた。
はてさて。スピットはいるだろうか。
中央広場への道すがら、そろそろ時刻は青二つ。この時間帯で中央広場にスピットの姿があれば、帰りもうーに乗せて貰えるし、でなければ乗合馬車を探さねばならない。
スピットがいるかどうかはその日の逢引次第で、これまでのクリーヴの経験的には七割方は上手く事が運ぶようだった。
「む?」
まだまだ中央広場までは遠い。地理的にはむしろ貧民窟の方が近いくらいである。人通りは皆無ではないものの、うらびれた通りだ。
その路傍に。
何やらゴミみたいなものが落ちてた。
ゴミ……いや違う。にしては妙に哀愁を誘う。
ボコボコに叩きのめされ、命からがら、這う這うの体で逃げ延びてきたような……そんな有様。
見るからに切ないズタボロの生き物である。ちなみに頭上には見覚えのある栗色の長い耳があった。
まあ、要するにスピットである。
「……どうしたのだ、スピット」
声を掛けてみた。一見したところ命に別状はない。
「うぅ、聞いてくれよクリーヴぅ……酷いんだぜ、ア、アイツらったらよぉ……!」
何故か友の頬には目にも鮮やかな照紅葉が二つ。まるで両の側から平手で目一杯ぶっ叩かれたかのようである。損傷はそれに留まらない。あちこちにげしげしと足蹴にされたのであろう靴跡や痛々しい朱線を伴う引っかき傷、果ては簀巻きにして水場にでも放られたか、見るも無残な濡れ鼠の姿。へーちょへーちょと凍えて繰り返すくしゃみが何とも哀れだった。
事情を尋ねてみると、何やら色々としでかしたらしい。
『こいつ最低じゃな……』
話を聞き終えた結晶少女は思わずそう零した。一方クリーヴはイマイチわかってないらしく、
「……つまりお前は、一銀貨で二銀貨の買い物を試みた、というような話か?」
と首を捻る。
スピットがぷるぷると、生まれたての小鹿のような儚さで立ち上がった。
「もういい……帰ろぜ、クリーヴ……な?」
クリーヴが無言で肩を貸そうとする。
が――その寸前。
スピットがふと長い耳をピンと立てあらぬ方を見遣った。先までの憔悴から一転、真剣な面持ちである。彼はすぐさま古龍の友へ向き直った。
クリーヴは既に駆け出していた。




