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幻蒼物語 ~ファンタズマブル~  作者: K. Soma
第一部 無限の断絶

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結晶少女 39

「あれはなんじゃ」

 

「あの建物はたしか…… "ユリアの導き" の僧や信者が集う場所で、導院とか言うものだ。中央広場の方に行けば一際大きい大導院がある。前にスピットから聞いた」

 

「宗教施設か、なるほどのう……では向こうのはなんじゃ」

 

「職人連盟の施設だな。魔物死骸の買取や防腐処理、特殊加工を行っている」

 

「ほう。もしかして、そういう施設は影孔整流(リリアニゼ)機の近くと決まっておるのか?」

 

「わからん……だが、そうかもしれんな。職人連盟の施設は確かにそういう立地条件が多い」

 

「あそこの兵士は何をしとるんじゃ」

 

「あれは巡回の衛兵だ。彼らでは処理できない事件が起きた場合、霊術で色のついた煙を立て応援の霊機兵を呼ぶ」

 

「あっちの方が騒がしいのう。なんかあるのか」

 

「あの道を行った先に市場がある。いつも賑わっている場所だが……もしかしたら腕の立つ旅芸人でも来てるのかもしれん。今年はギャランの建都二五〇周年記念で各種式典がある。そういう者たちが多く集うと聞いた。後で行くか?」

 

「じゃの。よろしくたのむ」

 

「うむ。任せておけ」

 

 とまあ、そんな感じで。

 

 興味津々で色々と訊いてくる結晶少女にクリーヴはその都度答えながら進んだ。

 

「うーむ、基本的な技術は言わずもがな、街の景観、衛生状態もそこそこの【レヴェル】にあるな……とはいえ、それでも【プロトタイプ・ワプムス】を意図的に生み出せる段階では到底ない……となるとあれはやはり……自然発生……極めて低い確率じゃがそういうことかの……」

 

「何をぶつぶつ言ってるのだ?」

 

「なんでもないわい。ただの独り言じゃ」

 

「む。そうか……それより着いたぞ。ここだ」

 

 二人は一軒の店の前で足を止める。ギャランのみならず他の国・都市でもよく見られる石造りの複数階建てだ。一階が店舗らしい。上部が弓なり(アーチ)状の木製扉、その横に立て看板が出ていて、潮に揺蕩(たゆた)甘藻(あまも)のような筆致でこう書かれている。

 

"翻車魚(まんぼう)微睡(まどろみ)亭"

 

「……なんじゃここは」

 

「"翻車魚の微睡亭" だ」

 

阿呆(あほう)、んなの見りゃわかるわい。(わし)の訊いとるのは――」

 

「とにかく這入ろうではないか」

 

 よほど待ちきれなかったのだろう、クリーヴが勇んで扉を開けた。紐づけされた硝子鈴が、チリィン、と甲高い音を鳴らす。

 

 中はやや手狭だ。掃除が行き届いていて、小綺麗な印象である。

 

「……龍の(ぼん)やないか」

 

 板場の奥から暖簾をくぐり大男が現れた。縦にも横にも長い巨漢である。だがそれ以上に特徴的なのは、白の法被(はっぴ)から覗き見える太い腕、そしてそこから生える(ひれ)である。首筋には(えら)(びょう)状の小さな鱗があった。

 

 魚人種である。店の名が示す通り、翻車魚(まんぼう)族の者。

 

 名はタディショ・オーシャサフィスという。アネディオーシャ都市同盟から海を渡ってきた "海僑(かいきょう)" だ。

 

 年歯(としは)は四〇を超えるだろう。穿(うが)たれた小孔のような黒目には、己の人生にしかと向き合ってきた者特有の情緒――信念や誇り、そして何より憂いを帯びた(かす)かな疲れのようなものが滲み出ていた。

 

「お久しぶりです。ご主人」

 

「ああ、ゆっくりしてきい……そっちの猫の娘さんは?」

 

「俺の恩人です。今日はその御礼がしたく一緒に来ました」

 

「そうか、坊は義理堅いな……まぁ座りい」

 

「はい」

 

 クリーヴは結晶少女を促し手近な席に腰掛けた。まだ開店から間もない時間のため、店内に他の客の姿はない。

 

「さ、何にする?」

 

 給仕の少年が淹れた茶に口をつけ、一息吐いたところでタディショが訊いてくる。

 

「スレネティ(ます)の精霊落としはありますか?」

 

 精霊落としとは魚や肉を塩と米飯で漬け込み、乳酸発酵させたアネディオーシャ都市同盟の伝統料理だ。発酵期間の長さで味や風味が変わり、熟成の進んだものは古霊(これい)落としとも呼ばれる。紀元前に聖樹ピシムスが人に授けた知恵の一つとされ、長い歴史を持つ料理である。

 

 なお、ファンタズマブルでは "輝く樹ピシムス"、"(あまね)く闇ワプムス"、"聖霊ユリア"、"邪霊カレン" は総じて固く実在が信じられているものの(今日(こんにち)でも各地に残る霊樹やガディア国が保有するとされるピシムスの存在が根拠である)、一方で精霊や妖精といった(たぐい)は有史後に生まれた新しい概念ないしは民間伝承であり、明確な一線が引かれる。

 

 精霊落としも古くは()れ魚、熟れ肉と呼ばれたが、文明の発達につれ発酵の機構(メカニズム)研究が進み(とはいえそれはまだ微生物全般を十把一絡(じっぱひとから)げに "精霊" と見なす粗いものだが)、自然と名が変遷したのである。

 

「すまんな、坊。鱒はまだあかん」

 

「む」

 

「今週はよう出てもうて、すぐ出せるんはないんや……今漬けてるもんでもあと二~三日は掛かるさかい、堪忍してや」

 

「そうでしたか……」

 

 しゅん、と目に見えて落ち込むクリーヴ。心なしか尾までしなしなと萎れている。いつもは感情の起伏に乏しく何を考えてるか知れぬヤツだが、こういう時にわかりやすいのは一つの人徳かもしれない。

 

「……代わりに鶏肉の精霊落としはどうや? そっちならまだぎょうさんあるよって」

 

「鶏肉の精霊落としっ。アンシェクから聞きました。とてもおいしかったと」

 

「おお、あの長羊の坊か。そういえば先週来てくれはったな」

 

「では是非、それを二つお願いします」

 

「わかった。ちょっと待っててな」

 

 タディショは頷き、板場で仕事を始める。

 

 それを見てクリーヴはむふぅと鼻息を立て、満足げに尾を振った。

 

 そこへ結晶少女がじっとりとした非難がましい視線を送る。

 

「……おい」

 

「む。どうした」

 

「よくわからんがここはつまり、小料理屋なんじゃろ」

 

「そうだ」

 

「ならなんで勝手に儂の分まで注文を決めておるんじゃ」

 

「む。もしかして鶏肉は嫌いだったか?」

 

「そうではないが……」

 

「ならよいではないか。とにかくここの精霊落としは絶品なのだ。まずは試してくれ。勿論、その後は好きなように頼んでくれていい」

 

 中々強気な台詞である。だが実際、クリーヴは金銭面で困ってなかった。学費や生活費は奨学生(ゆえ)に免除だし、何より定期的な魔物狩りで結構ため込んでいる。

 

 貴族御用達の高級料亭ならともかく、こういった庶民向けの店なら気兼ねなく楽しめた。

 

「おまたせしました」

 

 少し経って給仕の少年が皿を運んでくる。

 

「おお、これがっ」

 

「………………。」

 

 盛り付けられた鶏肉の精霊落としを見て、二者二様とでも言うべき反応を見せる二人。

 

 クリーヴは一見分かり辛いが、その実、赤い瞳の奥にキラキラと光を浮かべている。

 

 一方の結晶少女は何やら妙に複雑そうな面持ちだ。

 

「どうした、食わないのか」

 

「いや、その……のう?」

 

「大丈夫だ。見た目はぐちゃっとしているし独特の匂いもするが、これは腐っているのではない。こういうものなのだ」

 

「そんくらい知っとるわい。何せ(わし)が……いや、今はそれはいいとしてじゃな」

 

「ならいってみろ。賭けてもいい。絶対うまいぞ」

 

「ううむ、しかしのう……てゆーかな、龍の小童。ごちゃごちゃ言う前におぬしが食したらどうじゃ」

 

「俺はお前の反応を見届けてから食べたい」

 

「……なんとなくわかってきたがおぬし、ところどころで妙にめんどくさい性格しとるよな」

 

「む。もしかしてイヤだったか?」

 

「そういう訳ではないが……ええい、わかった、わかったよ」

 

 クリーヴの密かなキラキラ攻撃に根負けした結晶少女は、とうとう切り分けられた精霊落としに箸をつけパクリと頬張る。

 

 くわっ。蒼い眼が見開かれた。それだけで既にすべてを物語った感が否めないが一応明記しておこう。

 

 うまい。

 

 分類としては古霊落としに近いのだろう。かなりの長期間に渡り発酵させたはずだ。魚ならドロドロに溶けきっただろうが、この鶏肉にはまだいくらか肉の繊維が残る。その食感がにくいのだ。発酵の下地となった塩と米は今や完全に旨さと酸味に代わり、噛みしめた肉繊維に奥行き深い味を付与している。

 

 確かに匂いは独特だが、臭いというより乳酪(チーズ)に近い。むしろ不思議と食欲を掻き立てられた。

 

 極めつけはさりげなく添えられた醤油。ギャランやアネディオーシャで広く用いられる穀物や海産物を元とした(ひしお)ではない。これは…… "肉" だ。それも鶏肉。鶏肉を塩と麹で発酵させた肉醤(にくしょう)。旨味・塩気という点では一般の醤油と共通するが、その在り方がまるで異なる。鶏肉を昇華させたが如き旨さの権化。

 

 そんなものまでかけたらそれはもう。

 

 きゅ~っ、である。

 

「む。気に召したようで何よりだ」

 

「……確かにうまいにはうまいが何故おぬしがそうも得意気になる」

 

「俺は得意気になどなってないぞ」

 

「そういうことはひくひく動かしとる鼻を止めてから言えい」

 

「むぅ……まあいい。ちょっと俺はご主人と話してくる」

 

「はあ?」

 

 結晶少女がぽかんとするのも構わず、クリーヴは板場の方へ行き、店主に何やらひそひそと話し掛けた。

 

 タディショが少女の方をチラッと見てから少し口元を緩め、頷く。

 

 どうやらそれで話がついたらしい。クリーヴがとことこ戻ってきた。ちょっと腹が立つくらい、妙に満足気な顔である。

 

「何を話してたんじゃ?」

 

「秘密だ」

 

「なんか腹立たしいから話すんじゃ。話せ」

 

「よいではないか。なに、別に悪い話ではない……それよりどれ、いよいよ俺も戴くとしよう……む?」

 

 カツン、と甲高い音がした。箸が皿を突いたそれである。

 

 クリーヴと結晶少女が二人して見遣る。

 

 少女の皿。

 

 空っぽだった。

 

 どうやらこの結晶少女、自覚のない内に目はクリーヴ、手は皿と口元を忙しなく行き来させていたらしい。

  

 しばし、沈黙が場を制する。

 

「……俺のでよければいるか? いや、それよりあともう二つか三つ頼むか?」

 

 結晶少女は木靴でクリーヴの爪先を踏みつけた。

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