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幻蒼物語 ~ファンタズマブル~  作者: K. Soma
第一部 無限の断絶
4/83

結晶少女 03

 ふむ。中々に可愛い子である。

 

 スピットは目の前の女子をそう評した。

 

 場所はグランレーファ総合霊術学院のはずれ、第四講義棟の裏。暮れなずむ夕日が学舎を茜色に染め上げる。

 

 辺りに人はいない。二人きりだ。

 

 二人きり。昼と宵の狭間、二人きりの世界。

 

「あのさ……」

 

 スピットは何か口にしかけるも言い淀む。空回りした思考が、震える胸の奥の感情が、言葉を遮るのだ。

 

 それだけ今の状況に、目の前の相手に、参っていた。

 

「そのさ……」

 

 落ち着きなく自慢の栗色の髪と長い耳を()き上げ、もう一度、面と向かって相手を見た。

 

 一つ下の学年、新入生の女子である。

 

 ほっそりした体つきと潤んだ丸い瞳がなんとも魅力的だ。

 

 ()()()()()()()()()さえなければ、もっともっと魅力的だった。

 

「い、一旦おちつこう。な、な?」

 

 青ざめたスピットはぷるぷると震えながら相手を宥めた。

 

 両手は "ぱー"。何も持たず、服従の意を示すと同時に "それ以上近寄るな" という抗議を暗に伝えたかった。

 

 伝わらなかった。女子はぐいっと一歩踏み出しスピットを壁際にも精神的にも追い詰める。

 

「……わたくしは十全に落ち着いていますわ」

 

「そ、そうか。そりゃよかった。はは、落ち着き大事。超大事……」

 

「………。」

 

「そ、それでさ。手に持った、その……名状しがたき刃物のようなもののことなんだけど――」

 

「スピット様は!」

 

 泣かれた! (せき)を切ったようにボロボロと泣き出された!

 

 女子、号泣、刃物……スピットの中で血生臭い未来予想図が広がる!

 

「スピット様、あんなに……優しく、してくれたのに……あの時の言葉、嘘、だった、のですか……⁉」

 

 呼吸の度に肩を上下し発せられたその言葉は、支離滅裂で要領を得ない。

 

 だがそれでも、

 

(あんなに? 優しく? あの時の言葉? 嘘――?)

 

 断片的な情報を元に、スピットの頭はこんな時でなければ発揮されない演算性能(パフォーマンス)で事態の解決に向け動きだす。

 

 スピットは議論の開始地点をこう定めた。

 

 ――そもそも誰なんだコイツは?

 

 ……最低である。客観的には最低だが、スピットの主観ではいかんせん動かし難い事実だった。

 

 彼にしてみれば目の前の女子は、昼食後唐突に呼び止め夕方ここに来るよう一方的に告げてきた謎の女子である。面識はおろか見覚えすらなかった。

 

『かー、っぱ色男はつれーっすわ!』、『罪って知らぬ間につくられちまうもんすわ!』などとウキウキでノコノコやってきたつい少し前の自分を呪いたい。

 

 議論を再開しよう。

 

 下級生、新入生。それは制服の首巻き(スカーフ)の色で判明している。

 

 次。

 

 新入生。季節は春。入学からまだ間もない。にもかかわらず自分との接点……。

 

("ラーバンシャスの夕べ" か……!)

 

 スピットに電光の如き閃きが走った。

 

 端的に言えば "ラーバンシャスの夕べ" とは飲食を伴った新入生歓迎会である。"人との繋がりが智を深化させる" が座右の銘だった三代目学院長ラーバンシャス・グランレーファの提唱に端を発し、かれこれ二〇〇年近く続く伝統ある行事だ。

 

 見覚えのない新入生と接点ができたとすれば、その会以外に考えられない。

 

 何しろ今年の "ラーバンシャスの夕べ" で、スピットは記憶をなくすほど酔い潰れたのだから……。

 

(見たことねえ人参酒があったんだよな……それが飲み口がよくって……そこまでは覚えてんだけど……)

 

 おそらくその夕べ、自分は "何か" しでかした……!

 

 スピットの目が自然と泳ぐ。泳いだ先に偶然映ったのは巨人の如き(オーラ)を発する女子の頬や首筋、手の甲に生えた体毛。

 

(ゲエッ、鹿()の子模様……!)

 

 スピットの背にダラダラと滝のような冷や汗が流れた。

 

 何がマズイか説明しよう。

 

 ここグランレーファ学院は獣人種を主とする国、ブレヴディルに属する。ブレヴディルは国王を頂点とし貴族が補佐する封建国家だ。当然その国王は獣人種であり族名は……勇鹿(ゆうろく)族。

 

 白斑混じりの薄茶の毛、"鹿" の子模様を特徴の一つとする。

 

 無論、鹿族と言えどもピンキリで、この国で最も貴き鹿族もいれば庶民に混じり日々を送る鹿族もいる。

 

 だが目の前の少女は、

 

「黙ってないで、何か仰ってくださいまし……!」

 

 強い意志に根差した目、特有の言葉遣い、高慢な振る舞い……、

 

(ぜってー貴族だ!)

 

 そうとしか思えない。

 

 そしてそれは確率的に妥当でもあった。グランレーファ学院は再来年で開院二五〇周年を迎える由緒正しき学術機関。時代の変遷により今でこそスピットのような平民学生も一定数在籍するが、それでも過半数は依然として貴族の子弟である。

 

 さすがに王族直系の姫殿下とは思えなかったが(であれば蜂の巣をつついたような噂の弾幕が飛び交う)、その近縁、相当にやんごとなき家のご令嬢な可能性は充分あり得る。

 

(やっちまっただ! 貴族の娘っ子に手え出しちまっただ!)

 

 ガクガクと膝が笑いだした。

 

 スピット・ラピラービは自他共に認める美少年である。本人もその強み(アドヴァンテージ)を重々承知し、流した浮名は数知れず。

 

 それでも。スピットの中では明確に定めている一線……というより数々の手痛い教訓から学んだ黄金の経験則があった。

 

"面倒そうな相手には手を出さない"、である。

 

 だというのに、

 

(やっちまっただやっちまっただやっちまっただ……!)

 

 よりにもよって、自分は貴族の娘に手を出してしまった……! それも相手は近代になって現れた金で爵位を手にした元平民の貴族――新興貴族ではない。物腰から察するに、由緒正しき血筋と伝統を何よりも重きとする古くからの貴族――血統貴族だ。

 

 どうしようもない。ついでに言うなら逃げ場もない。

 

「さあ、スピット様……!」

 

 女子が一歩、また一歩と詰め寄ってきた。

 

 もはや互いの息遣いすら掴める距離である。

 

 女子が手にした凶器の刃先がスピットの腹に触れた……!

 

「……すまない」

 

 スピットは覚悟を決めた。

 

「何故謝るのです⁉ やはりやましいことがあるのですね⁉」

 

「いや、違うんダ。キミのその、あまりに美しい瞳を見ていたら、ついぼうっと……夢中になってしまってネ」

 

「え……!」

 

「いけない子ダ……。この間の…… "ラーバンシャスの夕べ" で出会った時から、キミはずっとボクを夢中にさせていル……」

 

「まあ……!」

 

 しゃあっ、いけるぞこれ! スピットは内心密かに快哉を叫んだ。

 

 スピットが決めた覚悟。それは諦観でも観念でもない。

 

 どこまでも喰らいつき立ち向かう……つまりそう、どうにか誤魔化し切り抜けるという、そういう屑じみた覚悟だった……!

 

「でも、それなら何故、こんなにもわたくしを放っておいたのです……? スピット様のことを想う度、わたくし、こんなにも胸が苦しかったというのに……」

 

「それはボクも一緒だヨ。キミのことを考えるだけで夜も眠れなかったサ……キミの……その、えーっと………………月のように綺麗な瞳が、ボクを狂わせるのサ……」

 

「……うれしい」

 

 語尾が怪しかったり台詞が拙いのはご愛嬌だろう。何しろスピットの腹には今もって狂気の刃先が触れたり触れなかったりしている。止まらない膝の震えを見るによく頑張ってる方だ。

 

「……わたくし、わたくし、こわかったのです。だって、同級生のアンウゥさんもプアームさんも、みなさんこぞってスピット様の良くない話をするのですもの……。なんでも上級生の方々から聞いた噂で、スピット様は月替わりでお付き合いする人がコロコロ変わるだの、一度に六人の恋人を作って日替わりで逢引を重ねただの……」

 

「そんなの嘘に決まってるヨ……ボクの目に映るのはキミだけサ……」

 

「そうですよね……きっとそうだと思ってましたわ。だってスピット様は、とても嘘を吐くようなお人には見えませんもの……!」

 

 先ほどから嘘しか吐いてないお人に向けられた言葉である。

 

「そうとモ……サア愛しい人、キミのその、白魚のような美しい手を握らせてくレ……」

 

 頃合いと睨んだスピットは目の前の女子の肩を抱き、そっと左手で彼女の両手を包み込んだ。

 

(早くその物騒なもんしまい込め……!)

 

 ただひたすらにそれだけを念じながら。

 

「……いけません。いけませんわ、そんな……」

 

 女子はぽっと顔を赤らめる。

 

(……ちょろいな。手え握ったくらいでこれか。……あー、こりゃきっと "ラーバンシャスの夕べ" でもなんもなかったな……多分、酔って少しおだてたぐらいだ……ったく、これだから貴族は。今時そんくらいで刃物なんか持ち出すなっつーの)

 

 自分のことを棚に上げ随分な言いざまである。

 

 だが確かに形勢は悪くない。流れはスピットに向きつつあった。

 

「サア、キミの手ヲ……!」

 

「――まし」

 

「へ?」

 

()()()()()()()()()()()()……」

 

 女子は赤らめた顔をスピットの胸に押しあて、とんでもないことを言い出した。

 

(名前……⁉ いやいやいや、知らねーって!)

 

 何しろ面識もなければ見覚えもなかった女子である。名前なぞ知る(よし)もなかった。

 

 だがもしここで、あてずっぽうで言い間違いでもすれば、その時こそ腹にある硬ーい感触は容赦なくスピットの肌を貫くだろう。

 

「……どうしたのです、スピット様? さあ、あの夜のようにまた耳元で囁いてくださいまし……」

 

 どうする……? どうするどうするどうする⁉

 

 額一面に脂汗が浮き出てきた。窮地(ピンチ)である。

 

(お助けください、お助けください、輝く樹ピシムス……!)

 

 とうとう自身の崇める神にまで祈りを捧げだしたその時……、

 

「――む。こんなとこにいたか」

 

(しめた、誰かきた! これで助くるっ!)

 

 そう思ったのも束の間、スピットの顔が引きつけを起こしたように固まった。

 

「ク、クリーヴ……!」

 

「探したぞスピット」

 

 女子と自分の二人だけ、逃げ場もなく、まるで悪夢の密室だったこの地に新たに闖入したその者は、スピットのよく知る人物だった。

 

 頬や首元、手の甲に硬そうな紫紺の鱗が生え、腕と足の一部が甲殻に覆われており、鋭い爪と強靭な尾を有する。

 

 獣人種を主とするブレヴディル王国のみならず他の国でも軒並み珍しい少数種族――龍人種の少年、クリーヴ・エインシェドラグだった。

 

「どうも霊機兵の使役応答が悪くてな。おそらく神経系に同期由来の雑音が出てると思うのだが……」

 

 霊機兵。それは死霊術に起源を有する現代戦の(かなめ)を担った人型機動兵器の名称である。

 

 ここグランレーファ総合霊術学院は当初こそ霊術に関する基礎学理追求のみを目的とした学術機関であったが、時代の変遷につれ、実用を重視した応用学科や軍学校ミリタリィ・アカデミィ的性質を持つ軍事教育部門の設立・併合に至った。

 

 スピットとクリーヴは共に "霊機兵科" という軍事教育部門に所属し、それぞれ霊機兵の開発・整備を行う "調律" 専攻と、操縦・運用を行う "使役" 専攻に在籍している。

 

 調律・使役専攻の学生は通常二人隊(ツーマン・セル)を組み、学院から配給される霊機兵を共同で管理・運用する。

 

 スピットとクリーヴは入学間もない頃から組んでいて、今では互いに気の置けない友人だった。

 

 だが、

 

「ク、ククク、クリーヴ……! あのな……!」

 

 偶然とはいえこんな窮地にそんな友と出くわしたにしては、スピットの様子は妙だった。

 

 おこりのようにガクガクと震えている。

 

「む。どうしたのだスピット。顔色が優れんぞ」

 

 何故か。その理由は単純である。

 

 気の置けない友人だからこそ、スピットはよく知っていた。クリーヴの気質を。

 

「そのな……!」

 

 この龍人種の少年は、スピットが聞いたこともなかった "古龍の里" と呼ばれる僻地の中の僻地出身であり、さらにはその後()()()()()を辿ったのも相まって、ありとあらゆる常識が欠落している。

 

 つまりそう、一言でいえば "ボケ" なのだ。それもどうしようもないほどの。

 

 クリーヴ・エインシェドラグは空気が読めない――!

 

「わわわ、わりーんだけどよ、今立て込んでんだ。用なら後に……」

 

「む? 誰だその女子は」

 

「あう!」

 

「もしかして、例の基礎霊術科のアーネスとかいう女子か?」

 

「あう、あう!」

 

「む。いや違ったか。そういえばその女子とは先月別離したと言ってたな。では応用霊術科のジピィだったか」

 

「おう! おう!」

 

「む。それも違うな。確かその女子は "ラーバンシャスの夕べ" の次の週に別離したと聞いた」

 

「あ″~! あ″~、あ″~!」

 

「制服を着てるということは学院や酒場の給仕でもなし……ふう、まったくどうしてお前はそう(せわ)しなく相手をすげ替え――」

 

 ぶすり。

 

 クリーヴが最後まで言い終えるのを待たずして、スピットの体内に狂気が挿入された。

 

 ぐはぁ。

 

 スピットはなすすべなくその場に崩れ落ちる。

 

「――スピット⁉ どうしたんだスピットオオオ⁉ おのれ貴様、何の恨みあって我が友にそのような狼藉をっ!」

 

 薄れゆく意識の中、スピットは風に舞ひ散る花びらの如き儚さで呟いた。

 

「それはオレの台詞だヨ……」

 

 合掌。

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