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幻蒼物語 ~ファンタズマブル~  作者: K. Soma
第一部 無限の断絶

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結晶少女 36

 プチプチと皮が弾ける食感、シャリシャリと(かすか)かに刺激する種の歯ざわり、何より――口いっぱいに広がる甘酸っぱい味。本格的な旬は夏なのでまだ早摘みではある。しかしそれ(ゆえ)の心地よい酸味具合をクリーヴは気に入っていた。

 

 パーシィから "餌づけ" された例の木苺のことである。

 

 彼女と別れ自室に戻った後、クリーヴはさっそく一粒摘まんでいた。

 

「おぬしほんと、呆れるくらい "幸せ" そうに食すよな……」

 

 その様子を蒼い瞳でどろりと見ていた結晶少女が呟く。彼女は部屋の机と椅子に陣取っていた。ここ数日の奇妙な共同生活を介し、そこは彼女の領地とする不文律(ふもんりつ)が醸成している。机の上には少女が連日要求(リクエスト)しては、その都度クリーヴが甲斐甲斐しく図書塔から借りてきた本が(うずたか)く積まれていた。

 

「……ふぅ」

 

 しばらくしてようやくクリーヴが目を開ける。本当に微妙な差異で、余人にはきっと分からぬことだが、それでも結晶少女はそこにほんの少し恍惚の色が浮かんでは消えたことを見逃さない。

 

「……もうよいのか」

 

「うむ」

 

「何がうむじゃ、この阿呆(あほう)……」

 

「む? どうしたのだ急に」

 

「なんでもないわい……ただ毎度毎度、よくもそこまで真摯に食と向き合うと呆れておっただけよ」

 

「なんだ、もしかしてお前も食べたかったのか?」

 

「……はあ?」

 

 どうしてそうなる。結晶少女は言葉を失うが、クリーヴは気にせずいそいそと果物籠を手に近寄ってきた。

 

「これがいい。早摘みの中では熟してる方だ。甘味もかなりあるだろう」

 

「い、いやそうじゃなくてじゃの」

 

「ここ数日、俺はずっと不思議に思ってた。どうしてお前は何も食べずにそう本ばかり読んでいられるのだろうと。だが蓋を開ければなんだ、お前もやはり腹が減るのか。ほら、遠慮せず食え」

 

 ずいっと。クリーヴは比較的色合いの濃い木苺を差し出してくる。

 

 その赤い瞳にはどこか、自分の好きな物を勧める者にありがちなキラキラが浮かんでいた。心なしか尾も小刻みに揺れている。

 

 だが結晶少女は少し躊躇った後、静かに首を横に振った。

 

「む。どうしてだ。木苺は嫌いなのか?」

 

「……そうではない。気持ちはありがたいがの、この身体には食を味わう機能などつけておらぬ」

 

 少女の白い手がそっと薄い胸に乗せられる。

 

"忘れられた森" の地下で出会った結晶少女。今は自分の魂石に取り憑いていて、人目のない場所で見せるその姿は仮初(かりそめ)のもの……そういう話だったとクリーヴは思い出す。

 

「だがそうして口があり、歯があり、舌があるのだ。味わえないということはなかろう」

 

「……この身体からは余分な機能はすべて【オミット】しておる」

 

「おうみい? なんだ、なんと言った?」

 

「ああもお! とにかくそういう余分なものはすべて取り除いとる、とゆうことじゃ!」

 

「む。聞き捨てならんな。食を味わう機能が余分なはずあるまい」

 

「おぬし、一度言い出したらほんとにきかぬよな……ええい、わかった。わかったよ……」

 

 クリーヴの熱意に根負けし、結晶少女は差し出された木苺を口中へ放る。

 

 それで相手が満足するならそうしよう、といった投げやりな態度である。

 

 だが、

 

「!」

 

 くわっ。結晶少女の蒼い瞳が見開かれた。

 

 彼女は一瞬、本気で舌が爆発したかと錯覚する。

 

「……え? え、え? なんでじゃ? あ、()()()()っ。そんなはず、ないのに」

 

「どうやら気に入って貰えたようだな」

 

 クリーヴはうむうむと頷いた。何やら満足気である。密かに鼻の穴がひくひくと動いていた。

 

「い、いやいや、そういう話ではないんじゃ。え、なんで? どーして? ……は! も、もしかして……この小童(こわっぱ)と繋がったことで、こちらにまで影響がでておるのか……⁉ 意図せぬ【コリレイション】が生じてるのか⁉ 嘘じゃろ!」

 

「言ってることはさっぱりだが、とにかく気に召したようで何よりだ」

 

「あ、阿呆! そのような次元の話をしとるんじゃ――」

 

「む。なんだ? もっと欲しいのか」

 

 そんな訳なかろう! 結晶少女は即座に抗議しようとするが……視線が自然、すとんと落ちる。

 

 どこへ? クリーヴの手元、果物籠にだ。

 

 じゅるり。

 

 彼女にとって信じられぬことに、唾液まで分泌されていた。

 

「そ、その……!」

 

「いらないのか? ならもう下げるぞ」

 

「そ、そうは言ってなかろうに!」

 

「であれば食え。好きなだけ食え」

 

 クリーヴは机に惜し気もなく籠を置く。

 

 視線が意識から外れそこへ漂着した。結晶少女の白い手が、桜色の口が、自制から脱し勝手に摘まみだす。

 

 舌の上で踊り出す甘みと酸味、鼻孔を通り抜ける春の果実の香り。

 

 ――不覚にも手が止まらない。

 

「……よほど腹が空いていたと見える」

 

「ち、違うのじゃ。これは、これは……」

 

「これは?」

 

「えーっと、の……んーっと、のう………………あれぇ???」

 

 ……何もなかった。反論は皆無。

 

 頭の中が美味しさに無条件降伏して白旗を振ってる。

 

 ただそれだけだった。

 

「く、屈辱じゃ……! あの袋鼠の小娘に餌づけされとった小童が、よりにもよって(わし)に餌づけしとる……! ああ……、なんたる無様……!」

 

「よくわからんが喜んでくれたようで良かったぞ」

 

「そ、そんなんでは――」

 

「む。口が汚れてるな。ほら、拭いてやる」

 

「それくらい自分でできるわ! 子供扱いするでない!」

 

 結晶少女はクリーヴが近づけた手巾(しゅきん)をひったくり、ごしごしと唇を拭う。

 

 それをきっかけにようやく手が止まった。少女は得も言われぬ複雑な顔で、自己嫌悪半分、反省半分に両の手首で額を押しぶつぶつ呟く。

 

「こ、この儂が……この儂が……!」

 

「よし、なら明日の予定は決まりだな」

 

「……明日? 何の話じゃ」

 

「忘れたのか? この間、お前が言ってただろう。王都に行きたいと」

 

「ああ、そのことな……」

 

「明日は第五日、休日だ。行こうではないか」

 

「……そうさな、ここ数日で色々とわかりはしたが……やはりそちらも見といた方が良かろう。よろしく頼む」

 

「うむ。任しておけ。良いところに連れて行ってやる」

 

「なんじゃそれは」

 

「その時までのお楽しみだ」

 

「そうか……」

 

 結晶少女は疲れたように机に突っ伏した。

 

 クリーヴはもう良いかと判断し、果物籠を下げ元の場所へ戻す。

 

 その際に。

 

 まじまじと見た。果物籠。どれくらい減っているかを。

 

 続けざまに結晶少女。取り分けその細いお腹の辺りを。

 

「……おい、何か無礼なこと考えてないかの?」

 

 目が合った。ギロリと音がしそうなほど人相悪くこちらを()めつけている。

 

「いや、そんなことは考えてない。単に自然の摂理について思いを巡らせただけだ」

 

「……ほう、なんじゃその摂理とやらは。ゆうてみい」

 

「お前、便は出るのか?」

 

 鋭い "ぐー" が飛んできた。

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