結晶少女 35
パーシィ・ケインゴルをただの村娘と侮ってはならない。
それはもう、やるときゃやる女なのだ。しかも計算高い。
で、そんなパーシィが今、何をしてるかというと、第四講義棟の裏、人目につかぬ一画で壁を背に後ろ手で人を待っている。
ほんのりと頬が上気し、匂い立つ新鮮な色香には花も恥じらわんばかりだ。
今日は赤の月、第四週、第四日。クリーヴとアンシェクが繰り広げた模擬戦から既に三日が過ぎていた。
「あ……」
待ち人来たれり。月を背に中央塔の方から土煙を立て駆けてくる者がいる。
「すまない、パーシィっ。待ったか?」
なんと。あの龍人種、クリーヴ・エインシェドラグだ。重要なことなので強調するが、ここは食堂ではない。
年頃の男女が二人……人目を忍んで落ち合う。
所謂 "密会" だ。あのクリーヴが。このパーシィと。
「い、いえ、いいんですよ。私もちょうど今、来たとこですからっ」
嘘である。本当は少し待った。
だがパーシィはそれを表に出さない。何しろ "これ" は、自分の意志でしていることなのだから……。
「む……そうか……なら、いいのだが……」
よほど急いで来たのだろう。この龍人種にしては珍しいことに息を切らしていた。
――いや違う。急いで来た、理由は必ずしもそれだけではない。
ゴクリ、と喉を鳴らすクリーヴ。その目は……野獣の如く光っている……気がしないでもない。
普段から変化に乏しいため確実なことは言い難いが、それでもそこには何か熱いものが秘められている……そして身を焦がす熱さに負けた彼は、今にも欲望を解き放ち、いざ獣とならんとしている……のかもしれない。
いずれにせよ、クリーヴが彼女に向け一歩にじり寄ったのは事実。
そしてパーシィも同調するよう、壁から離れ一歩彼に近寄った。まだ後ろ手のままである。彼女の視線は一瞬下を向き……上へ。引力が働いてるかの如く、クリーヴの赤い瞳に吸い寄せられる。何かを待っているような……否、出し惜しみするような、複雑で有機的な間。一つに結われたくすんだ桃色の髪が心細げに揺れる。
呼吸さえ忘れてしまいそうな緊張。時間すら止まりそうな緊迫――
静寂を破ったのはパーシィからだった。
「はい、クリーヴさん! 今回も木苺ですよっ!」
「かたじけない……!」
――まあ種を明かせばこうである。
パーシィは後ろ手に持っていた果物籠を取り出し、クリーヴは尾を振って受け取った。
要はこれもまた、パーシィ・ケインゴルによる "餌づけ" の一環。西食堂で給仕を務める彼女は、結構な頻度で余り物の恩恵に預かることが多い。それを定期的にクリーヴの夜食・間食に提供しているのだ。
「いつもすまない、パーシィ」
「いいんですよー、私が "好きで" やってることなんですから……」
パーシィはその言葉に意味深な差異を乗せ、さらには潤んだ瞳でクリーヴをじっと見詰めるが……無反応! この龍人種、せいぜい「そうか……」と相槌を返すのみ。
ただし、どういう訳か彼女にとってはこれも想定内の反応らしく、むしろ何か得心したようにコクコク頷き話を続ける。
「ところでクリーヴさん。この間の戦い、お怪我は大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ない」
「よかったぁ……スピットさんもすっごい心配してましたよ?」
「スピットがか?」
「ええ。もう最後、決着つく前の爆発を見た時なんて、泡吹いて倒れる寸前でした」
「むぅ……そうなのか? あの後会った限りでは別になんてことない様子だったが……むしろ、腹の虫の居所が悪いような感じさえした」
「あはははは! それはスピットさん、自分はあれだけ心配したのに肝心のクリーヴさんがケロッとしてるもんだから――あ、いけない。もうこんな時間」
パーシィの朗らかな笑いを鐘の音が遮った。消灯前の予備の鐘である。あと半刻の内に帰らねば互いの寮と宿舎に鍵が掛かる。
「そろそろ戻りましょうか」
「ああパーシィ、今日もありがとう。君から受けた恩は決して忘れない」
「ふふ、どういたしまして。それじゃクリーヴさん、また明日」
クリーヴの住まう男子学生寮は西、彼女の職員宿舎は南だ。二人は途中で別れ、それぞれの帰路につく。
「………………。」
しばらくして、パーシィがこっそり後ろを見返す。そこにはもうクリーヴの姿はない。他の誰も見当たらなかった。彼女は用心深く二度三度同じ確認を繰り返すと、
「たっはぁー、今日もよく働いたー」
しゃなりしゃなりの立ち振る舞いから一転、大股開きでノッシノッシと歩き出す。白の給仕帽を荒々しく取り、学院支給の絹の飾り紐を雑に外して夜風に髪を靡かせた。
「へーちょ! ……へーちょ、ぶぇええちょっ! ……でええい、ちきしょーめっ!」
泣く子も啞然とするような豪快なくしゃみを三つ。人差し指でぐいっと鼻を引いて悪態を吐く。なんとも……なんともオヤジ臭い所作である。
先の花も恥じらう乙女の姿と今の姿。果たしてどちらが本当の彼女なのか……?
――言うまでもない。こちらである。
パーシィ・ケインゴルはゴリッゴリの男社会で育った。
彼女はひた隠しにしているが、実はパーシィの実家は地方で結構名の通った傭兵団を率いている。もう少し詳しく言うと、日頃は先祖が領主の命を受け開墾した土地で林檎園を営むが、冬の農閑期になると一転、そんじょそこらの山賊が裸足で逃げ出す傭兵組織、"鉄の果実団" と化すのだ。ちなみに今や地方に広く知れ渡った脅し文句として『ウチの林檎がどうしてあんなに赤えか、知りてえか?』がある。
パーシィは生を受けてから長いことそのような家で育った。右を見ても左を見ても荒くれだらけ、前と後ろを見返せばそんな荒くれどもを尻に敷く女傑達……そうならぬ方が不思議なくらいの環境である。
パーシィは村一番の "わんぱく" 娘として名を馳せた。霊術・度胸・機転、どれをとっても同年代の少年どころか大の男すら顔負け。彼女が育つにつれ、周囲からの期待は加速度的に膨れ上がった(霊機兵が普及し "女子供でも戦える" という価値観が世に現れたのも大きい)。
転機が訪れたのはパーシィが一二歳の時。村の上層部で『パーシィを本気で戦士として育てみようや』、『やっぱ使役士がええんかのう』、『ちょうど前の戦いで鹵獲した霊機兵、あれに乗せてみっか?』などと話に上がった頃である。
村に人形歌劇団が訪れた。各地を旅する一座らしい。パーシィは覚えていなかったが、数年前にも一度村を訪れたようだ。収穫祭の時期になるとそういった旅芸人がよく来訪する。なにせ娯楽に乏しい田舎だ。パーシィも大いに期待して観に行った。
で。そしたら刺さった。刺さりに刺さりまくった。抜けないくらいに深~く刺さり込んだ。
大人たち曰く恋愛劇という部類らしい。舞台は王都、ふと出会う少年と少女、けれども二人は決して結ばれてはならぬ定め……。定期的に王都へ赴く用事があり比較的目の肥えた兄は『べたもべたでいいところ、ありゃもうべったべたって感じの話だったな』と酷評したが、パーシィはそれを拳で黙らす。
ただただ憧れた。煌びやかな王都に。何より女の子らしい世界とやらに。
そう、冗談みたいな話だがこの時になってようやく彼女は、どうやら自分の生活はだいぶ世間一般の女子から逸脱してるらしい、と理解した。
普通の女の子は綺麗で可愛いお召し物に憧れるらしい。自分の着ている服を見返した。野山を駆けずり回ったそれは黒ずんでてシミだらけのズタボロだ。おまけにさっき拭ったばかりの血が線を引いている。
普通の女の子は素敵な男の子との恋に身を投じるらしい。たまたま通りすがった村の男の子と目が合った。男の子は『やめてよねパーシィ! 僕じゃ熊狩りのお供は務まらないよ!』と叫ぶや否や脱兎の如く逃げ出す。……ちょっといいな、と思ってた子だけにわりと傷ついた。
そして何より――普通の女の子は戦わないらしい。
人形劇の冒頭、王都の路地裏で少女が破落戸数人に囲まれ、あわやのところ少年に助けられた場面。正直に言おう。パーシィはその時点で既に目を点にせざるを得なかった。
え、なんで? 数人くらい返り討ちにしちゃえばいいじゃない。
そう思ったからである。だからこそ話者がまるで『もう駄目だぁ、おしまいだぁ』的な悲痛極まりない口上をあげた際、不思議で仕方がなかった。
パーシィは最後に少女ながら実に哀愁を誘う溜息を吐き、自分が今、下に腰掛けているモノを見遣る。
ででーん、という謎の音が聞こえそうなくらい巨大な熊。その亡骸。
自分が仕留めた熊だ。山に這入ったら襲われ、激闘の末に討ち取ったのである。決め手は頚部背面の急所、延髄を黄属性霊術で生成した刃物で一撃。鮮やかな手並みだ。
パーシィの故郷は田舎なので人口密度も低く、昔から魔物の被害に遭うことは稀で、むしろこうした野生の獣に悩まされることが多い。この熊は数年前からここら一帯を派手に荒らし回り、数えきれないほど犠牲者を出してきた。月夜に現れては鋭い爪で襲い掛かることから、"月斬丸" というおどろおどろしい名まで付けられてる。
その "月斬丸"、自分がやっちゃいました――。
パーシィはもう一つ溜息を吐き、ちらっと熊の顔を見遣る。
……安らかな顔だった。そこはかとなく『最後にこんな強えヤツと殺りあえたんだ……いい熊生だった、悔いはねえ』的なことを呟いてる気がしなくもない。
村の大人達は諸手を挙げパーシィの討伐を褒め称えた。ついこの間収穫祭を終えたばかりなのに、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。まあ無理もない。これでもう "月斬丸" の恐怖に怯えることはないのだから。
荒くれどもが次から次へとやってきては、『やったなパーシィ、さっすがだぜ!』だの『次のお頭はおめえしかいねえ!』だの『◆◆◆◆◆◆◆いかすぜ!』だの好き好きに言って回った。
齢一二の少女、パーシィ・ケインゴルは眉間に指をあて黙考する。
……これが女子か? 女子なのか? あの人形劇に出てきた少女と自分、本当に同じ女子に分類していいのか……?
――否、断じて否である。
もうこんな村にはいられない。ここにいては永久に "熊殺し" とか "殺るときゃ殺る女" の悪名がついて回る。そんなの耐えられない。
決断するや否や、パーシィの行動は早かった。村を、延いては傭兵組織 "鉄の果実団" を率いる彼女の父、村長にその足で直談判に打って出る。
もうこんな生活はやだ、村を出る、王都に行く、と。
どんちゃん騒ぎから一転、村は阿鼻叫喚、上を下への大騒ぎである。
しこたま飲み酔っぱらった彼女の父が『おおいいさパーシィ、行けるもんなら行ってみな! ただしこの俺を倒してからだ!』と持ち掛け、秒で負かされたのも混乱に拍車をかけた。
悪鬼羅刹の如く暴れ回る彼女を止めるにあたり、村の腕利き十数人の尊い犠牲となった。
次の日。村の上層部が一堂に会し、パーシィがその中央で槍玉に挙げられる……が、どの面々も最初こそ威勢がよいものの、パーシィに "ギロリ" と音が出そうなほど睨めつけられた途端、蛭に塩、及び腰になる。中には『あ、林檎の様子を見に行かなきゃ!』など取ってつけた理由で中座する者も出た。
一番割を食ったのは "鎮圧部隊" の名目で急遽招集された荒くれたちである。『何かあったらすぐに突入しろ』とだけ命じられ、外で待機していた彼らは、口では『へ、なんだ娘っ子一人に大仰な!』、『親父たちも耄碌したもんだぜ!』、『もっと▲▲▲▲▲▲▲を引き締めて貰いてえもんだな!』と居丈高に構えるが、心の内では昨晩目にした "月斬丸" の穏やかな死に顔がちらついて仕方なかった。
最後まで果敢に立ち向かったのは彼女の父である。昨晩パーシィにボコボコにされた生傷が痛々しい中、彼は村の長として優秀な後継者を、そして一人の父として娘を、何とか村に留めようと手を尽くした。最後にはなりふり構わず泣き落としにまでかかる。
だがパーシィは頑として首を縦に振らない。
そのまま丸三日膠着が続き、やがて見かねた彼女の母と祖母がパーシィの側につく。特に祖母。村長の母だ。眼光鋭く、今でも周囲からは村の真の意志決定者として恐れられる。領主を始めとした各方面に人脈もあった。
……世には二種類の男がいる。己の娘と妻さらには母まで敵に回して自我を通せる男とそうでない男だ。
気の毒なことにパーシィの父は後者だった。
こうして彼女は一三の春、新たな門出を迎える。残念ながら希望した王都ギャランでの働き口は見つからなかったが、そこから乗合馬車で一刻半ほどのグランレーファ総合霊術学院で住み込みの給仕職にありつけた。
……後から聞いた話では、学院に知人を持つ祖母が裏で手を回してくれたらしい。皆の手前、旅立ちの日には『あんたの人生だ、好きにするがいいさ……でも二度とウチのを跨がせやしないよ。あんたはこの村の者じゃなくなるんだ。それをしかと肝に命じて行きな』と厳しいことを言われたが、今でもパーシィはちっとも変わらず祖母を尊敬し慕っている。
最初の一年は目が回るような忙しさだった。何しろこちとら山出し娘である。配膳一つとってもわからないことだらけ。その都度頭が焼け付きそうなほど困惑した。ここでの生活をやり抜くのは熊と戦うより難しい。
それでも何とかやっていけたのは、パーシィ自身の頑張りも勿論あるが、何より大きいのは職場の先輩、姐さん方に面倒を見て貰ったからだろう。その年の新入りはパーシィ一人だったのもあって、随分と可愛がって貰った。今でも彼女達には頭が上がらない。……まあ、姐さん方からは色々と良からぬことも半ば無理やり教えられたし、部署を越えた女同士の対立に巻き込まれもしたが……しかしそれはそれ、基本姿勢は素直に感謝である。
一四の春には大分余裕を持って日々を送れるようになっていた。姐さん方にお洒落も教わり、一人で王都まで行って買い物に興ずるようにもなる。念願叶い、あの "熊殺し" がとうとう普通の女の子に羽化したのだ。そうなるとあれこれ欲も出てくる。買いたいもので次から次へと目移りしたし、何よりそう、あの人形劇のような……とまではいかずとも、分相応でいいから恋愛を経験してみたくもなった。
きっかけは同室の姐さんである。『お金が欲しいなら王都で料理屋か酒場の給仕でも掛け持ちしたらどうだい?』と。そういうのもあるのか。話を聞くと、なんでも本当はいけないことで、厳しい規律で知られる東食堂ならそんな真似をすればただでは済まぬが、パーシィの務める西食堂は結構緩く、板長も内々では許してるらしい。出勤日は世間一般で休日の毎週第五日か六日のどちらかにするのが普通で、行き帰りの乗合馬車の乗賃や入都料を差し引いても中々稼げるらしい。
よし、じゃあやってみっか。
行動力のある女、パーシィ・ケインゴルはその場でそう決め、後日別の姐さんから王都の酒場を紹介して貰う。
あれがすべての過ちだった――後に "熊殺し" を遥か上回る黒歴史として、海よりも深く後悔するとは夢にも思わず……。
実際に働きだしたのは黄の月、初夏の訪れの時期である。最初は客層の違いに戸惑い、特に酔っ払いの扱いには手を焼いたものの、あしらい方を覚えてからは難なくこなせた。幸い職場の同僚たちにも恵まれ、すぐに打ち解ける。
打ち解け過ぎた。月の色が黄色から緑に変わる頃、パーシィは酒場の板前から猛烈に口説かれる。経験が零に等しかった、年上の男に幻想を抱いていたのもある、何より月並みな言い方だが……恋に恋するような年頃だった。
結果、パーシィはその板前と秘密裏に交際を開始する。相手は自分より八つ上だった。正直当時ですら本当に好きだったかと訊かれると微妙で、"好きになろうとしていた" というのが正鵠を射るかもしれない。それでも次から次へと新しい経験をし、胸が躍ったのは覚えている。だからこそ、袋まで捧げる付き合い――彼女ら袋鼠族はお腹に育児嚢という袋を持ち、要するにこれは "何から何まで許しちゃったよ" という婉曲表現だ――まで発展したのである。
夏が終わり、秋に這入った青の月。結末は唐突に訪れた。ある夜、板前が切り出す。どうしても自分は魚人種の国、アネディオーシャ都市同盟に行きたい。そこで素材の味を活かすことに長けた魚人料理の神髄を修行したいのだ。それは自分の幼い頃からの夢で……とうとうその資金が溜まり、旅立つ時が来たと。
パーシィは驚き戸惑い狼狽える。泣いて引き留めた。ならなんでこんな関係を求めたかとも憤った。何より……それならば自分も連れて行けと強く訴えた。だが彼は頑なにそれを認めない。まだまだ君は若い、自分の人生に巻き込む訳にはいかないと……。
別れの日、パーシィは学院と酒場で貯めたお金の大半を彼に渡した。せめてこれで良い包丁でも買って欲しい、その包丁を自分だと思って大切にして欲しい。そんな健気な思いを込めて。彼もまた感極まったのか、手で顔を覆い隠し、身を震わせて喜びそれを受け取った。
……ここで話が終わればどれほど救われるかしれない。これだけなら一夏の甘い幻想、散っていった初恋、そういうまあまあ綺麗な思い出として納得できただろう。罷り間違っても "黒歴史" とは定めない。
――だがそうはならなかった。現実は滑稽なくらい残虐だったのである。
木枯らし吹き荒ぶ黒の月、西食堂の食材調達でちょっとした手違いが起き、パーシィは給仕仲間と一緒に王都から離れた漁村を訪れた。寂れた村である。年頃の娘が見て面白いものは何もない。さっさと用事を済ませ学院に戻ろう、そう仲のいい姐さんと話していると――
何とも年期の這入った家から一人、男が飛び出てきた。
いや、違う。飛び出てきたのではない。扉ごと蹴飛ばされてきたのだ。
何事かと姐さんと一緒になってまじまじ見てると、扉の奥からそれはもう、如何にも漁村の肝っ玉系な奥方様が現れ、男をこれでもかとばかりに罵る、蹴る。やれ××××塗れのロクデナシだの、▲▲▲▲▲▲▲にも劣る蛆虫野郎だの、◆◆◆◆◆◆◆・▼▼▼▼だの。口汚さではパーシィの故郷といい勝負である。あまりの剣幕に奥方の太い腕にちんまりと抱かれた乳飲み子が泣き出した。男はひたすら平に伏し謝る限り。話を聞くにどうもこの男が飲む・打つ・買うの三拍子揃った遊冶郎で、此度も通算何度目か知れぬ不義を働いたようだ。
ゴシゴシと、目を擦る。
パチパチと、瞬きする。
おかしいな、彼である。
何度見返しても自分が袋まで捧げたあの板前だ。
今頃遠く離れた異国の地で料理修行に励んでいるはずの。
………。
………………。
………………………。
"熊殺し"、復活の日であるっ!!
姐さん方には先に帰って貰った。都合よく男はそのまま家を追い出されたので、闇夜に紛れ奇襲する。二年弱の空白を感じさせない鮮やかな動き、キレキレの手際。あっという間に予め目をつけていた漁具倉庫に男を拉致・監禁した。
で、問い詰める。昔取った杵柄、そこらの山賊顔負けの拷問術で。
白状させた内容は次の通りである。
まず男は八つ上どころじゃなかった。一五も上だった。一五。自分の年齢、一四よりさらに一つ上の一五。つまりは三十路直前のおっさんだ。言うまでもなく妻子持ち。さっきの怖い奥方と赤子に加え、上の子があと四人いるとか。ざっけんな。
男は普段は鰊漁で生計を立てるが、毎年夏は休漁期、流れの板前として王都へ出稼ぎに行く。パーシィは運悪くそれに出くわしたのだ。ざっけんな。
自分が別れ際に渡したお金、これまでこつこつ稼いで貯めた大事な財産。博打でスって綺麗さっぱり使い切ったらしい。ざっけんな。
で、何より一番大事なこと。女房子供のある身でどーして自分に擦り寄ったか。
訊いてみた。
相手の弁はこうである。
『そりゃだって。男だもの。そういうとこ、あるよね』
鉄の忍耐力と自制心でどうにか命までは取らないでおいた。残される家族が不憫だ、知らずとは言え不義の片棒を担いだ負い目もある。ただし、男は足腰立たぬまでボコボコにしてやった。
ちなみにそれからひと月も経たぬ内にパーシィはもう一度漁村を訪れる。念のため酒場内で訊き回ったところ、三股が発覚したからだ。男にはその後の人生で二度と林檎を直視できぬであろう、深ーい心的外傷を植えつけてやった。
パーシィが寝酒を覚えたのはこの頃である。
それはもう最初は酷かった。びゃんびゃんと泣き、くだを巻く。また同室の姐さんが優しいのだ。酒に付き合うばかりでなく、すべてを打ち明けると『あんたも大人になったんだねえ……』としみじみ呟き、いつまでも愚痴を聞いてくれる。尋ねてみるとこの姐さんも男に泣かされた過去を持つらしい。
男は全員クズだ! 浮気したヤツは全員▼▼▼▼を切り落とせ!
二人は夜ごと過激な議論で盛り上がった。
姐さんが嫁入りし学院を去ったのは翌年の秋である。
まあそりゃそだよね、姐さん器量好しだし。パーシィはその事実を冷静に受け止めた。
勿論、散々世話になった姐さんだ。進んで送別会の取り纏めを引き受けたし、皆でお金を出し買ったのとは別に、個人的なお祝いの品を感謝の念と共に渡している。姐さんはぽろぽろと涙を流し喜んでくれた。『あんたもいつかはいい人が見つかる、めげんじゃないよ』とも言ってくれた。
その通りである。いつまでもあんな男に騙された過去を引き摺るのは癪だった。
……ただまあ、急ぐこともあるまい。いや、むしろ慎重であるべきだ。そう、慎重さ。あの時自分に一番欠けてたもの。もうちょっとこう、自分を大事にしよう。そんで色々勉強していこう。次こそはちゃあんと、自分が胸を張って好きだと言える人を見つけるのだ。じっくり行こう。
で、そうこうしていたら――ふと気がつくと後輩達から妙に湿度の高い視線を送られてる。
男を知らない不憫な先輩……、誰も寄せ付けない鋼鉄の女……。
嫁入りした姐さんの美点の一つとして、とにかく口が堅かったのがある。パーシィは最初、話が回るのも止む無しと覚悟したが、あの姐さんは本当に誰にも口外しなかったらしい。また他の姐さん方もパーシィの様子から薄々察したようだが、無理に問い質すことはなかった。
結果がこれである。
パーシィが学院に来て四年目、一六の年。寄ってきた男を立て続けに何人か断っていたら、いつの間にかついてた二つ名。
"鉄壁のパーシィ"
なんだそりゃ。彼女は愕然とした。"熊殺し" に比べればマシなものの、後輩にまで舐められるのは気に喰わない。
どうしたものか。そもそもなんでこんな異名がついて回る?
考えてみた。おそらくそれは自分が寄り付く男を次々と断るのに加え、その、こう、つまりは女子女子したところを――意中の人がいますよ、という態度を見せぬからだろう。パーシィはそう結論づけた。要は領土問題と同じである。国は領土を持って体を為す。女子らしい活動を見せない自分は領土を持たぬ国と同じだ。それでは外交の場に出られない。舐められて当然である。
さりとて困った。次こそはちゃんと、胸を張って好きと言える人を見つけたい。そこだけは譲れないのだ。理想は可及的速やかにそういう人を見つけることだが、残念ながら現状どこをどう探してもいない。となれば次点の策に移らざるを得ない。
擬装だ。
要件はこうである。傍から見れば自分が好意を寄せてるように見え、その実そうでない関係。加えて相手も自分に好意がなく、いつでも綺麗に終われる間柄。そういう付き合いをできる人。
そんな人いるわけないか~……。宿舎の寝台の中、パーシィは落胆する。今は姐さんが去り、自分一人の部屋だ。考えが煮詰まり、ふて寝を決め込もうとしたその時、
パーシィに電撃走る。
いた。そんな人が、いたのである。
去年、霊機兵科に入学した龍人種の少年。クリーヴ・エインシェドラグ。あの変わり者だ。
クリーヴは黙ってさえいれば結構モテる。顔立ちは整ってるのだ。しかも優秀ときている。また、希少な龍人種という特殊性が一種の神秘に繋がり、実は入学後、複数の女子から積極的に声を掛けられた。その中には学生のみならずパーシィのような職員もいる。
だが口を開くと駄目だ、壊滅的だ。
それらの女子をあの龍人種は『すまないが俺はまだ発情期を迎えていない。だから君の要望には応えられない』だの『よくわからんが恋人というのはつがいになる訳でなし、子をもうける訳でもなし、なのに交尾だけはする奇妙な関係のことだろう? 俺には無理だ、諦めてくれ』だの、散々な言い草でこっ酷く振っている……いや、多分本人にその自覚はなくバカ正直に応じただけだろうが、結果としてはそうだった。あまりのアレ具合に一時は学院の女子の大半を敵に回しかけたが、表面化する前にスピットが大慌てで各方面を駆け回り、どうにか事無きを得た。
……いい! いいじゃないの!
パーシィは夜中、布団から飛び起きパシンッと膝を打つ。クリーヴはまさに今、彼女が必要とする人材だった。どう間違っても彼が自分に恋愛感情を寄せることはない。さらに言えばそんなクリーヴ故に今ではどの女子から見向きもされないのだ。これでもし、本気で彼に好意を持つ者がいれば、やれ泥棒猫だのと誹りを免れ得なかっただろうが……大丈夫! 問題ない!
そうと決めてからのパーシィの動きは早かった。さすがは行動力のある女、パーシィ・ケインゴルである。
次の日にはクリーヴの行動を具に観察し、『なるほど、女の子に興味がないからその分食欲に傾くんだ……』と奇妙な納得を覚えた。
であれば善は急げ、パーシィはその日の夕食から例の "餌づけ" を開始する。
最初はクリーヴもこちらの意図に気づかずただただ不思議そうにしていたが、やがて『パーシィはいつも多めに盛り付けてくれるっ』と経験則を見出したらしく、配膳時、彼女が近づくだけで小刻みに尾を振るようになった。
……なんだか近所の野良犬でも手懐けたようである。悪い気分ではなかったが。
その内に二言三言と言葉を交わすようになり、こっそり会うようになり……。
今に至る。
後輩たちもパーシィに対する評価を変えた。
ゲテモノ好きの先輩、"如何物喰いのパーシィ"。
……なんだかあまり改善されてない気もするが、少なくとも例の湿度の高い視線は収まった。どころかむしろ、多くは陰ながら応援してくれてるようである。こちらの意図などついぞ知らずに。
であればこれで一件落着――。
「へーちょ! へーちょ、ぶぇええちょおっ! ……ちぇ、まったく今夜は冷え込むや……うへへ、こんな日は林檎酒を熱燗できゅ~っとね……」
どこに定めてるとも知れぬ胡乱げな目で、見えぬ御猪口をクイっと呷るパーシィ。
……返す返すもオヤジ臭い娘である。だがこれが彼女なのだ。
最後にこの言葉を繰り返そう。
パーシィ・ケインゴルをただの村娘と侮ってはならない。
やるときゃやる、計算高い女なのだ。
ついでに熊も倒せる。




