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幻蒼物語 ~ファンタズマブル~  作者: K. Soma
第一部 無限の断絶

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結晶少女 33

 学院を鳥瞰(ちょうかん)すると、敷地のおよそ中央に一際(ひときわ)背の高い石造りの塔がある。この塔は事務・学務を取り扱う各部署や学院の来歴を辿る歴史展示室などに加え、最上階に学院長の執務室を設けていた。

 

 細身と独特の首の長さで知られる獣人種風鼬(かざいたち)族の婦人、イダルティ・ゲールウィッゾがいるのは執務室の隣、応接室である。細く長い爪の生えた手には羊毛で織られた書類入れ、中には今年度運悪く彼女が担当する羽目となった七面倒な業務がぎっしりと詰まっている。

 

 イダルティは一心不乱に外の光景に見入っていた。

 

 腕利きの職人が生成したに違いない透明度の高い硝子窓が開けられ、春の陽気と爽やかさを含んだ風が彼女の短髪(ショート・ヘア)を撫でる。緑がかった茶色(オリーヴ・ブラウン)の毛先が魂石摘出痕の残る額を(くすぐ)った。

 

 イダルティは一瞬たりとて目を離さない。銀縁眼鏡の下、片方が髪に隠れがちな黒い瞳は異様な熱を帯び観察し続ける。

 

 どこを? 演習場をだ。白銀の巨人と金色(こんじき)の巨人が(しのぎ)を削り、そして今、決着を迎えた場所。防護壁より遥かに高いこの塔は、何にも遮られず実によく見渡せる――

 

「やあやあごめんなさい、イダルティさん。お待たせしました」

 

 振り返ると、扉を開きいそいそと這入ってくる巨漢の老人の姿があった。

 

 大きく垂れ下がった耳、小さくしょぼしょぼながらも奥に柔和な光を浮かべた目。彼こそがここ、グランレーファ総合霊術学院の現・学院長、獣人種嶺象(れいしょう)族のオルム・グランレーファである。年齢は今年で六五。威厳よりも先に親しみを感じさせる人となりだ。

 

「おや、何を見ていたのですか?」

 

「……演習を見ていました」

 

「ははあ、なるほどなるほど。どうですか、今の学生は? あなたの目から見て」

 

「よして下さい。わたくし如きが言えることなぞありません」

 

「ははは、これはまたご謙遜を。あなたとて腕の立つ使役士ではありませんか」

 

 額の魂石摘出痕が示す通り、イダルティは使役士をしていた過去を持つ。もっと言えば、この学院の霊機兵科の卒業生でもあった。

 

 なお、オルムの皺が刻まれた額にも同じく魂石摘出痕が認められるが、これは彼が第二世代霊機兵の概念実証にあたり自らを試験体としたからである。オルム自身は純粋な学理の追求者、強いて言うなら調律士よりの立場だ。

 

「それにイダルティさん、あなたはスレネティ戦争でも立派にファウスの片腕を務めたでしょう?」

 

「そんな……」

 

 ファウスとは副学院長のファウス・ルーナヴィスタを指し、彼の後見人的立場にあるオルムは正式な場でもない限り親し気に呼ぶ。

 

 獣人種を主とする国ブレヴディルにおいて、ファウスはスレネティ戦争を終結に導いた英雄であり、かつてイダルティはその指揮下にいた。

 

「……恐れ多いことです。わたくしがあの方の片腕など」

 

「でもファウスも言ってましたよ。あなたは実によくしてくれたと」

 

「本当ですかっ」

 

 日頃変化に乏しいイダルティの表情に、ほんの少し明るいものが浮かぶ。

 

 だがそれも一瞬。次のオルムの言葉で雲散霧消した。

 

「ええ、ええ、本当ですとも、本当ですとも……だからね、イダルティさん? その手に持った分厚~い書類。もうちょ~っとだけ、何とかならないかなあ?」

 

 ぴきり。イダルティの額に青筋走る。

 

 青筋は雄弁に物語っていた。『このジジイ、人のことおだてておいて結局それが狙いかよ……!』と。

 

 今年度イダルティに回された面倒な業務とは、学院長の補佐である。それも主に事務面での。細かい予算の遣り繰りや承認に報告書・陳述書の処理、式典の調整や運営委員会の管理に加え、果ては王国との折衝の下準備まで。

 

 なんで自分がこんなことせにゃならんかと心底嫌気が差したが、それでもイダルティはきっちりやるべきことを済ませ、成果を持ち込んだのである。残りは本当に自分には権限がない案件、下手に手を出せば黒と言わずとも限りなくそれに近い灰色なものばかりだ。

 

 それをこのジジイ……!

 

 ひくひくひくひくひくひくひく。イダルティの眉と口角が痙攣の如く不気味に脈打つ。

 

 そんな彼女の心の繊細な動力学(ダイナミクス)なぞ露知らず、オルムはパシンと音を立て、"ぐー" にした両手を合わし拝み倒す。一応これは "ユリアの導き" で祈りを捧げる際の正式な所作なのだが、どうにもこのジジイがやるとぶりっ子じみてて腹が立つ。

 

「ね、ね? お願い、イダルティさん。もうほんと、オルム一生のお願い」

 

 この学院長、極めて優秀な頭脳、清廉潔白な人柄、厚い人望、と三拍子と揃ってるが、それでも一つ困ったところがあった。

 

 とにかく事務仕事をサボりたがる悪癖を持つ。で、サボった時間で何をやるかというと研究だ。要するに研究馬鹿である。イダルティを待たせたのもそれが原因だ。なんでも『あともうちょっとで式が解けるんだよ、イダルティさんっ』だとか。知るか。頭が切れる分、経営・広報・政治、やろうと思えば何でもこなせるので一層(たち)が悪い。

 

 あーあ、学院長なんか早くファウスに譲りたいんだけどなぁ――というのが最近よく口にするボヤキだった。

 

「……おかしいですね。学院長の一生のお願いはこれで七度目のはずですが」

 

「え~、そうかな~? ……でもほら、ぼくももう年だからさ? そういうとこ、あるよね」

 

 ぶちん。イダルティの中で結構やばいものが切れた。

 

「……ええ、わかりました。いいですよ、学院長。この書類、もう少し私の方でなんとかしましょう」

 

「え、ほんと? やりぃ」

 

「その代わりっ」

 

 ピシィ! イダルティが細く長い爪で机を指す。

 

 応接室備え付けの上等な机だ。

 

 その上にはイダルティの持つ羊毛の書類入れと同じものがあと五つ並んでいる。

 

「あれ、全部学院長にやって貰いますから」

 

「えええええええ⁉」

 

「本当はこの後、わたくしがやるもの、あなたがやるものに分けるつもりでしたが、仕方ありませんよね。わたくし、こうして仕事が増えましたから」

 

「ま、待ってよ! イダルティさんっ」

 

「では失礼しますっ」

 

 カツカツカツカツカツカツカツと(かかと)を鳴らし、足早に執務室を立ち去るイダルティ。有無を言わせぬ態度である。

 

 後には聞くも涙、語るも涙、オルムの悲痛な断末魔だけが残された。

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