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幻蒼物語 ~ファンタズマブル~  作者: K. Soma
第一部 無限の断絶
3/83

結晶少女 02

 荒野と見紛うほど荒廃した森の中を、一人の少年と一匹の馬が進んでいた。

 

 実に奇妙な組み合わせだった。

 

 少年は年の頃は十代半ば、頭上でピンと伸びた長い耳が特徴の獣人種、茶兎(ちゃうさぎ)族である。

 

 名はスピット・ラピラービ。

 

 中々絵になる風貌で、通すべき場所を寸分の狂いなく通した鼻筋や柳のように細く流麗な眉、なによりぱっちりしつつも若干垂れ下がった焦げ茶の目が、完全なものから敢えて少しだけ外すことで成立する不思議な魅力を醸し出していた。

 

 有り体に言えば美少年。どこにだしても恥ずかしくない、紛うことなき美少年だ。

 

 王都ギャランを歩けば道行く婦女子の大半は、ほぅっと切なげな溜息を漏らすだろう。

 

 問題はそんな美少年どのが(またが)る馬だった。

 

 河馬(かば)のように扁平で大きな顔、とろんと眠そうな目つき、大木のように図太いがその分短い首と四肢……極めつきに「ぶるひひひひひ~ん」と珍妙な(いなな)きだ。しかもこの馬、どういう訳か保護眼鏡(ゴーグル)つきのゴテゴテとした覆面(マスク)をつけている。

 

 ……そもそも本当に、馬、だろうか。

 

 だが少なくともご機嫌で跨るスピットには、そんな疑念、挟まる余地は毛ほどもないらしい。

 

「お~、よちよち! うーちゃんは今日もお顔がかっわいいでちゅね~! 毛並みがつっやつや! うーちゃんは世界一かわいいお馬さんでちゅよ~!」

 

 などと(のたま)い乳白色の毛に頬ずりする始末。"うー" という名前らしい馬も飼い主の溺愛にご満悦で、頬ずりの度「ぶるひ!」「ぶるひっ!」「ぶるひひひひひ~ん!」と誇らしげに応え、覆面の下の目を細めるのだった。

 

「ふぅ~……しっかし」

 

 存分に頬ずりを堪能したスピットがぐるりと周囲を見渡した。

 

「うーん……いねえなあ」

 

 (いびつ)な光景だった。

 

 ひび割れた赤褐色の大地、削り取られたように大きく切り立つ崖、奇怪に捻じ曲がった醜悪な造形の木々……。

 

 かつてはおいそれと人が立ち入れぬほど豊かだった森や山々の雄大な姿は見る影もない。

 

"忘れられた森"

 

 その俗称だけに在りし日の(かす)かな面影を残していた。

 

「っとぉ⁉」

 

 異変が起きた。

 

 ひび割れた地面から勢いよく "何か" が飛び出し、囲うようにスピットとうーを襲撃する。

 

「あー、<根腕樹>(ねわんじゅ)か」

 

 襲い掛かってきたのは人の "腕" によく似た植物だった。

 

 ……植物? いや違う。正確にはその前に "元" がつく。より正しさを要するなら…… "魔物"。影孔(えいこう)により汚染された生物を意味する "魔物" の呼称を使わねばならない。

 

<根腕樹>は地下に潜伏し、自身の上を通った獲物に無数の "腕" で襲い掛かる魔物だ。腕は根が変異し発現した部位であり、絡め取った対象を地下へ引きずり込む。<根腕樹>の手に落ちた――ならぬ腕に落ちた獲物は、食虫植物の捕虫器にも似た本体に捕らわれ、最後には骨も残さず溶解される。

 

 奇襲に秀でた特質は厄介の一言であり、今でも年に相当数の犠牲者を出す危険な魔物だ。

 

 にもかかわらず、それと対峙したスピットは、余裕さえ感じるほど落ち着き払っていた。

 

「んー、<根腕樹>ねえ……。腕の部分は皮膜にすりゃ結構使えっけど、今回はなあ……」

 

 ゆったりした口調と裏腹にスピットは革帯(ベルト)から素早く短剣(ダガー)を抜き、打ち水でもするように右から左へ一文字に(くう)を切る。

 

 短剣は儀礼のそれでもかくやというほど装飾過多で、とても実用的ではない。しかし、(つば)に埋め込まれた宝石が緑色に光ると……刃先からシュっと鋭い風が吹きつけた。

 

 直後、地下から這い出てきた<根腕樹>の無数の腕が根こそぎ切断される。

 

 後にはスッパリ切れた断面が花壇のように並ぶのみ。

 

「もったいねえけど回収はなしだ」

 

 これぞ "霊術"。蒼の大地ファンタズマブルに生きる人々を有史前から支える "力" だ。

 

 霊術は赤、青、緑、黄、白、黒の六属性で構成され、スピットが今放ったのは大気と風を司る緑属性――圧縮した空気を刃のように射出する霊術である。

 

「うお⁉ どうしたうーちゃん!」

 

<根腕樹>を切り抜けたのも束の間、突然うーが一目散に駆け出した。

 

 次の瞬間、スピットたちが元いた場所に大きな岩の塊が()()()()()

 

<鉱石熊>(こうせきぐま)!」

 

<鉱石熊>。読んで字の如くの魔物であり、体表組織が複数種の鉱物や準鉱物の集合体に変異した熊だ。

 

 平時は岩などに紛れ擬態し、奇襲に優れた点は<根腕樹>に勝るとも劣らない。

 

 しかし<鉱石熊>は奇襲(それ)だけに留まらず、正面切って対峙しても手強い魔物である。

 

 最大の理由は鉱石に覆われた体表、その堅牢な鎧。

 

「かー、硬っえなやっぱ!」

 

 スピットは先と同様、圧縮空気の刃で即反撃したが……無損傷(ノー・ダメージ)。まるで歯が立たない。

 

「ならこっちはどうだ!」

 

 馬上のスピットが巨体に似合わぬ速度で追跡してくる<鉱石熊>目掛け、短刀を上から下に振る。短刀の宝石が黄色く発光すると切っ先から同色の光球が発射された。

 

 だが……光球の向かう先は<鉱石熊>ではない。その進路上だ。

 

 失敗か? そう思われた直後、着弾点から腕の太さほどもある鉄針が飛び出す。

 

 これこそが物質の生成・錬成を司る黄属性の霊術である。

 

 既に最高速に達していた<鉱石熊>は不意に現れた障害を(かわ)せるはずもなく……真っ向から激突!

 

 ……だが、

 

「効いちゃいねーってか!」

 

 勢いは衰えない。鉄針は先の緑属性に比べれば<鉱石熊>に損傷を与えたが、決定打にはならない。せいぜい体表をいくらか砕いた程度だ。

 

 敵を貫くには鋭さが足りない、質量が足りない。

 

 この黄属性霊術は現時点でスピットに出せる最大火力だ。何しろ敵の速さまで利用した攻撃である、それ以上は望むべくもない。つまり、スピットには<鉱石熊>を倒す手立てがなかった。

 

 ――窮地。

 

 されどスピットが端正な顔立ちに浮かべるのは、大胆不敵な破顔一笑だった。

 

「でかしたぞうーちゃん! アイツだよアイツ! あんだけの強度だ、アイツなら()()()()()!」

 

 スピットは利き手の左に短刀を構えたまま、逆の手で手綱を()り、何やら明確な意図でうーに走行路を伝える。

 

 荒野と評しても過言ではない "忘れられた森" を駆け抜けるうーとそれを追う<鉱石熊>。

 

 つかず離れずの逃走劇が続くかに思えたが……荒地から枯れ木が散見する岩山へと這入った頃、流れが変わった。

 

 スピットが再度短刀を構える。だがその刃先が向くのは後方の<鉱石熊>ではない。

 

 正面だ。より正しくは進行方向斜め右に位置する岩壁、小高く切り立った崖の壁面部。

 

 短刀が空を切ると複数の小さな黄光球が岩壁に向け射出された。着弾後、壁面から同質の岩が横に突き出し、複数で構成されたそれらは、傍目には階段(ステップ)に見えぬこともない。

 

「跳んでくれ、うーちゃん!」

 

 スピットが手綱を緩め身体を軽く前傾させると同時に、うーが一段また一段と岩で作られた階段を駆け上がる。

 

 特筆すべきは階段の強度の絶妙さだ。各段はうーが跳び越えると同時に崩れ、後に続く<鉱石熊>の侵入を許さない。このような繊細な制御こそが、黄属性霊術を得意とするスピットの真骨頂だ。

 

「よーしよしよし、計算通り!」

 

 スピットは新たな階段を作るべく、次の光球を放つ。

 

 なるほど、どうやらこのまま崖の上まで登りきり<鉱石熊>から逃れる目論見………………()()()()

 

 スピットが続けざまに放った光球は、上でなく()()()()()だ。

 

 せっかく数段を駆け登ったのに、今度はそれと真逆に()()()()()、そのような方向に新たな階段が作られた。

 

 これでは何も……意味がない。どころか状況の悪化だ。ここまで登った分だけ、そしてこれから降りる分だけ――つまり、上下の移動に要する分だけ、<鉱石熊>との距離は詰まる。

 

 事実、<鉱石熊>はもうすぐそこだ。さらに悪いことに、最後の階段をうーが降りた際、着地のためどうしても時間的な損失(ロス)が生じた。

 

<鉱石熊>がスピットとうーに襲い掛かる……()()()()()

 

「はっはあ! きたきたきた!」

 

 突如として、<鉱石熊>が宙を舞った。というより……宙に()()()()()()

 

 見れば<鉱石熊>が通り過ぎようとした岩壁には暗く深い穴が穿たれていた。大の男が数人横に並んで進めるほどの洞穴。

 

 先のスピットが作った階段は、この洞穴を上下に迂回する経路だったのだ。

 

 何故か? その理由は今となっては至極単純。

 

 ――()()()()を避けるためだ。

 

<骸骨百足>(がいこつむかで)のお出ましだあ!」

 

<骸骨百足>。最たる特徴はその巨体である。真正面から捉えれば、一見<鉱石熊>と大差ない。しかし、正面から外れ、少しでも横から覗き両者を比すれば差は一目瞭然、蛇の如く長い胴体の巨大さに戦慄を覚えずにはいられない。冠する "骸骨" の由来は、節を除き全身を隈なく覆う白い甲殻である。この甲殻は<鉱石熊>よりさらに硬く、耐熱性・耐腐食性などあらゆる面で優れている。

 

 気性は荒く、かつて一晩で集落を滅ぼした事例もあることから、一部の地域では<白骨龍>の異名を取る。

 

「はは、喰ってら喰ってら」

 

<骸骨百足>の "嗜好" は鉱物類であり、過去には鉱山での出現もあった。この巨大な魔物からすれば<鉱石熊>など蜜滴る甘美な果実に過ぎない。

 

 ……そう、"嗜好"。この点が魔物とは何かを理解する上で肝要である。

 

 魔物は食物連鎖から "外れた" 存在。自身を汚染した影孔(えいこう)さえあれば存続でき、その代償に繁殖を含むすべての生理的欲求が総じて消失する。

 

 なので今、人の背丈ほどもある(あぎと)でけたたましく音を立て、<鉱石熊>を力任せに噛み砕く行為も、<骸骨百足>にしてみれば生理的欲求が命じる食事にあらず、あくまでただの "嗜好" である。例えるなら獣が獲物をいたぶるようなものだ。その証拠に、先ほどから<鉱石熊>だったものの大半は口からボロボロ落ちゆくが、<骸骨百足>はそれに見向きもしない。

 

 だが、そんな魔物にも唯一、種によらず、状況にもよらず、ただ忠実に本能として遂行する原則があった。

 

「お、気づいたか」

 

 それこそが……()()()()

 

 魔物はそこに人がいるならば、執拗に襲い掛かり命の剥奪を狙う。ファンタズマブルに現存するすべての国の学理が集っても理由はなお定かでないが、とにかくそのように仕組まれた存在――そうとしか解釈しようのない存在である。

 

 そして今。白骨状の甲殻で縁取られた眼は、爛々と黒い炎を燃やし眼前の小さな獲物を()めつけていた。

 

 スピットは……微動だにしない。その場にうーと留まり、<骸骨百足>を見上げるのみ。

 

 恐怖で竦み動けないのだろうか……?

 

 ――いや違う。その顔は勝利を確信した薄い笑み。

 

<骸骨百足>がスピットに襲い掛かった!

 

「じゃ、あとまかせたぜ……クリーヴ」

 

 次の瞬間、小高く切り立った崖から何者かが飛び降りる!

 

 何者か……いや、ただの人ではない。にしてはその身体は()()()()()。<骸骨百足>とは比ぶべくもないが、それでも成人男性二人ないし三人にも及ぶ全長だ。

 

 刺繍を思わせる精緻な模様が這入った鎧で全身を覆うその者は、己の全長を上回る騎槍(ランス)を手にし、崖から飛び降りた勢いのまま<骸骨百足>に迫る。敵の背後を取る形だ。

 

 いやしかし………………まずい、これでは()()()()()()

 

 仕掛けるのが一瞬遅かった。<骸骨百足>との距離が縮まらない。このままでは敵がスピットに達するのが先だ。

 

 そう思われた刹那……騎槍が強く発光した。その黄光の眩さは先のスピットの霊術とは比べ物にならない。

 

 よく見れば、騎槍は奇妙な成り立ちをしていた。護拳(ごけん)の先に、細長い樽を複数組み合わせたような、まるで回転式弾倉じみた構造がある。眩く力強い光はその内の一つから発せられていた。

 

 ――伸びる。

 

 ただでさえ大きかった騎槍が爆発的に、しかしただ一点を明白に目指し、矢のような速さで伸長する!

 

 後に残されたのは……とてつもなく長く鋭く巨大な鉄針。

 

 その切っ先がスピット目掛け前傾姿勢だった<骸骨百足>の甲殻間を巧みに潜り抜け、正確に中枢神経を破壊する。

 

 騎槍の主が宙で甲殻を蹴りつけ着地したと同時に……<骸骨百足>の巨体が地に落ちる。

 

 朦々(もうもう)と、砂塵が巻き上がった。

 

 

 

 

 

「きぃぃぃいやっほぉおおおおおおおおお!!!」

 

 うーから飛び降りたスピットが欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の様相で快哉を上げる。

 

「粘った甲斐あったぜ!」

 

 陽気な足さばきで踊り出すスピットの横に、先の騎槍を手にした巨人が跪いた。

 

 なだらかな背が天に晒され、正中線に沿って真っ二つに割れる。

 

 中から出てきたのは……龍人種の少年、クリーヴである。

 

「見ろよおい! やったぜおい! 外殻はほぼ無傷、筋肉にだって縦走筋にも横走筋にも余計な損傷はねえ! これならいくらしみったれの調達課の連中だって三〇金貨はだすぜおい!」

 

 スピットがほくほく顔でクリーヴの下へ駆けつけ、その肩をべしべし叩く。

 

「大金だよ大金! そんだけありゃ豪遊できる! 王都であのイケすかねー貴族サマがた御用達の "金の菜箸" に行ったって、余裕でおつりがくる! ああそれだけじゃねえ、前からずっと気になってた霊石砲回りの霊子回路だってこの機に一気に改修して調律を――」

 

「ああそうだな、スピット」

 

 もみくちゃにされるがままだったクリーヴが事も無げに呟いた。

 

「――なによりこれでお前の借金が帳消しじゃないか」

 

 ピタリ。時が止まったようにスピットの動きが凍りつく。

 

「冷めること言うなよナ……」

 

 スピットはその場で頭を抱え込み、もののあはれを誘う切なげな溜息を漏らした。

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