結晶少女 21
「さて。では話を再び神話に戻しましょう。人が生まれ、ピシムスがそれを導き、蒼の大地ファンタズマブルに我々の祖先が広がった時期……学派や宗派により見解が異なりますが、おおむね紀元前数千年から一万年ほどだと考えられます。"聖樹教" では黄金時代と定義される期間ですね。ですがその黄金時代は、前触れもなく終焉を迎えました。
魔物の出現です。順調に栄え数を増やした人の前にある時期から突然現れ、執拗に人を敵視し襲い掛かる……それだけが目的としか思えぬ生態……食物連鎖から外れた存在……魔物です。人々は魔物に脅かされ、その繁栄に翳りが差しました。
ピシムスの――かつての "樹" の下に、あの "影" が戻ってきたのは、魔物の出現からしばらく経ってのことでした。少し長くなりますが、ここでもう一度、導約創世記を参照しましょう。第三章三九節です。そこにはこうあります。
"樹よ。あの小さき者どもは何だ"
"影よ。あの小さき者たちは人という"
"樹よ。お前は何故、人を自由にのさばらせている"
"影よ。私は人が好きなのだ。だから自由にさせている"
"樹よ。しかし、人は私を踏みつけるのだ。私はそれが許せない"
"影よ。しかし、人は足で地を歩く。お前を踏まぬことなど不可能だ"
かつて空から降り立つ一筋の光から生まれた樹と影は、言葉を交わす度に対立を深めました。
"影よ。それよりお前に訊きたい。近頃現れた魔物。お前はあれに心当たりがあるのではないか"
"樹よ。あれこそ私が作り出した新たな理から生まれし物だ。人を大地から消し去る存在だ"
そう、魔物の出現は人を憎む影によるものだったのです。だからこそ、魔物は執拗に人を狙うのでした。
……この点、魔物が人を襲う理由については今も諸説あり決着がついてませんが、少なくとも導約創世記ではこう解釈されています。
話を戻しましょう。互いに相容れぬ主張の末、樹と影は完全に決別しました。
"樹よ。もはや私は人を許さぬ。一日に百人を殺し、いずれはこの蒼の大地から葬り去ろう"
"影よ。それでも私は人を愛する。一日に百人を産ませ、いつまでもこの蒼の大地に存続させよう"
影は再び樹から離れました。その時から影は影でなく、大地を覆う闇となったのです。そう、皆さんご存じの通り、"輝く樹ピシムス" と相反する存在…… "遍く闇ワプムス" です。ワプムスは夥しい数の魔物を生み、また自らも進んで人を屠りました。こうして樹と闇の長きに渡る戦いが始まったのです」
講堂は静かだった。ある者は真剣に耳を傾け、ある者は何度聞いた話かと欠伸を噛み殺す。
「"神霊戦争"。今日では、そう語り継がれる戦いです。神霊戦争の終結は神話の時代の終わりと同時に、我々の歴史の始まりを定義します。しかし…… "神霊"。神の御霊。いったい何故、この戦いはこの言葉を冠するのでしょう? その答えは "神霊戦争" の実態と結びつきます。
大地を覆い、ファンタズマブルを自在に跋扈する "遍く闇ワプムス" に対し、"輝く樹ピシムス" は樹。大地に根を張り、動くことは叶いません。なのでピシムスは、ある時、己の身体と魂を二つに分けたのです。意志はないもののこれまで通りファンタズマブルに聖なる光を……霊子を供給する "輝く樹ピシムス" と、その御霊たる "聖霊ユリア"。自身の存在をその二つに分割したのです。
これはブレヴディルだと政治的に危ない話なので詳細は割愛しますが、現在でも "聖樹教" を厳守するガディア国と、"ユリアの導き" を正教とするパエスフォロア聖領。決定的対立の根本はここにあります。紀元前から変わらずピシムスを崇拝する "聖樹教" と、より尊いのはその御霊であるユリアとする "ユリアの導き"。長年戦争が尽きない原因ですね……話が逸れました、戻しましょう」
どうやらイダルティ個人には関心が強い話だったらしい。脱線を自覚した彼女は咳払いを挟み、軌道修正を図った。
「元の身体であるピシムスの下を離れ、自在に動けるようになったユリアは、いざワプムスに戦いを挑まんとします。しかし、ユリアの存在を知ったワプムスはそれに対抗しました。ワプムスもまた、己の身体と魂を二つに分けたのです。これまでと変わらず大地を覆い、膨大な数の魔物を生み、人を屠る "遍く闇ワプムス" と、その御霊である "邪霊カレン"。
こうして "聖霊ユリア" と "邪霊カレン"、この二柱の神霊の長きに渡る戦いが始まったのです。だからこそ、この戦いは "神霊戦争" として今日にまで語り継がれているのです」
(いかにも……アヤツのやりそうなことよな)
少女は――、
魂石の中で一人、薄い胸に重たいものを落とした。
「神霊戦争の結末は知っての通りです。数千年とも一万年とも言われる悠久の時の果てに、ユリアはとうとうカレンを討ちました。それだけでありません。ユリアはその後、我が身を犠牲にワプムスをファンタズマブルから消し去ったのです。導約創世記のみならず各地に残る伝承でも、"その刹那、夜空が貴く眩い光で満たされた"、と伝えられています。
こうして "輝く樹ピシムス" と "聖霊ユリア"、そして "遍く闇ワプムス" と "邪霊カレン" の戦いに終止符が打たれたのです。カレンは討たれ、ワプムスは消え……ユリアもまた散りました。残ったのはピシムスだけ。しかし、そのピシムスもかつてのように人々を導くことはありませんでした。何故ならば、その御霊たるユリアはもうどこにもいないのですから……。
以上の経緯の下で、人々はユリアに深い感謝の意を捧げ、いつまでも忘れぬよう、その後初めて作った暦に御名を残し――わたくしたちが日頃使う "ユリア歴" ですね――またある者はその感謝を信仰の源とし、"ユリアの導き" を開宗しました。そうして生まれた国がパエスフォロア聖領です」
(そんなものができとるとはのう……)
「以上が神話の終わりとわたくしたちの歴史の始まりです……さて、ではいよいよ本講義、霊機兵史概論としての本題に這入りましょう。ここまでの内容には、霊機兵と深く関連する内容が多々あります。まず、樹と影の再会前に突如現れ出た魔物。これは現代の学理ではどのように説明づけられるでしょう? そうですね、では……クリーヴさん、答えてくれますか」
「………。………………。………………………。」
反応なし。今もって開眼したまま寝ているので当然だ。
見かねたスピットが他の者に気づかれぬよう、後ろの席からクリーヴの頭目掛け霊術で作った小さな圧縮空気を射出する。
命中――の寸前、クリーヴは握ったままだった魂具でそれを打ち払う!
「む……⁉」
見事な技だったがあまりに空気を読めてない、空気を打ち払いはしたものの読めてない。気の毒だが誰の目にも、場違いなバカが狼藉を働いたようにしか映らなかった。
「……おはようございます、クリーヴさん。目は覚めましたか? では質問に答えて下さい」
「しつ……もん……?」
寝起きなのもあってかダラダラと、クリーヴの額に冷や汗が滴り落ちる。
「ええ、質問です。神話において、突如出現した魔物。これが現代ではどう説明できるか、です」
「しん……わ? まも……の? げん……だい……?」
まるで未開の地の原住民が都市部に誘拐されたかのようだった。クリーヴはパチクリと瞬きし、どうにか相手の話を理解しようとするも、そもそも座学は壊滅的。手も足も出ない。
『……人の数が順当に増えた結果、人口密度も上がり、影孔の濃度が魔物の出現閾値を超えた』
「む?」
『いいからそうゆえ。それが答えじゃ』
「すまん、恩に着る……」
クリーヴは結晶少女に小声で礼を述べ、そっくりそのまま答える。
イダルティは驚いたように片眉を上げた。
「そう、その通りです。影孔。別名、零霊子。近代になり発見された微粒子です。我々人が霊術を発動する際に消費された霊子……その残留分。霊子同様目に見えず、大気を漂って人以外の全生物を汚染する……すなわち魔物化すると同時に、魔物にとっては自身の存続に必要な唯一の糧です。神話ではワプムスが作った新たな理により魔物が生まれた、と伝えられますが、その正体とはすなわち影孔だったのです。
ここで重要なのが、魔物化へ至るには影孔の濃度にある閾値が存在する点です。影孔が発見される前、人は経験的に魔物が比較的栄えた地域に集中し生まれることを知っていました……知っていながらも有効策を打てず、繁栄の妨げとなっていたのです。
これこそまさに人と影孔、そして影孔と魔物の関係の裏づけです。神話での魔物の出現もまったく同じ論理で説明できます。人が順調に栄え、集落を形成し数を増やす……となれば当然、そこで使われる霊術も増え、消費された霊子、影孔の濃度も上がります。だから魔物が出現したのです。
……また、このことから我々は一つの大胆な帰納を行うことができます。"樹" と袂を分かった "影" ……遍く闇ワプムス。その正体についてです。
神話中において、特筆すべき性質が一つ。それはワプムスが魔物の生まれる理を作ったのみならず、自身もまた夥しい数の魔物を生んだと記されている点です。このことから、現代の学理ではワプムスは超高密度の影孔を常時纏う、もしくは生成できるような存在ではなかったか、と考えられています……これ以上は仮説に仮説を上塗りする議論が続き、確かなことは言えませんが、ともかくワプムスとはそのような特性を持つ者だったと考えられています」
「わぷ……むす……?」
クリーヴが生まれ育った僻地の中の僻地 "古龍の里" では、ファンタズマブルで広く信仰される "聖樹教" や "ユリアの導き" と異なる、自然そのものを崇拝する独自の信仰だけが存在した。
従ってクリーヴはそれら二大宗教と無縁な人生を送っている。名前くらいは知っていたが、あくまでその程度で、教義は勿論、世間一般で常識とされる聖典・神話についても知識はほぼ皆無だった。
だがそれでも、
(ワプムス……)
この言葉。つい最近、誰かから聞いた気がする。
果たして誰だったか……クリーヴがそれを思い出す前に、イダルティが話を再開した。
「霊機兵は魔物の死骸を構成要素とします。ですから魔物、ひいてはその発生原因である影孔の理解を深めることは、本講義、霊機兵史概論としても非常に有益でしょう……では引き続きクリーヴさん、次の質問です。この影孔、誰が、いつ、発見したものでしょうか?」
「⁉」
「一つ手がかりを提供しましょう。影孔を発見した人物……それは当学院とも大変所縁深い方です」
「……わかるか?」
クリーヴがこっそり魂具へ、その内に潜む結晶少女へと問いかけた。
『阿呆、わかる訳なかろう……。学理の話ならともかく、儂がおぬしらの歴史について知っとることなぞ、昨晩読んだ本とここで聴いた話がすべてよ』
「むぅ……そうか……むぅ……むぅ」
唸りつつだらだらと冷や汗を流すクリーヴを見て、イダルティは見切りをつける。
「誰か他に答えられる人はいませんか?」
彼女が長い首で講堂内を見回すと、短い手を高々と挙げる者がいた。
腹立たしいほど愛くるしい円らな瞳のずんぐりむっくり……アンシェクの隣の席、例の少年である。
「ではジョヴィエルさん、お願いします」
「はい、イダルティ教官。影孔は今から約八〇年前のユリア歴一〇四九年、ファウス副学院長の祖父君であられるアダマーティ・ルーナヴィスタ卿により発見されました」
「その通りです。よく勉強していますね」
「これくらい貴族たる者であれば常識です……もっとも、教養のない平民にはそうではないようですが」
ジョヴィエルは愛くるしい瞳を精一杯いじわるくし、クリーヴを一瞥して鼻で笑う。それに続き、彼と同じ血統貴族を中心とした静かな嘲笑が巻き起こった。
が。
当のクリーヴはまったく我関せず。そもそもジョヴィエルの発言が皮肉とすら気づいてない。
その意味ではむしろスピットの方が口説きを即中断し、こめかみをヒクヒクさせながらジョヴィエルを睨みつける程度には気にしていた。
「……ジョヴィエルさん。ここグランレーファ学院はオルム学院長の代から貴賤の違いを学道に持ち込むことを是としません。そのような発言は控えて下さい」
「ですがイダルティ教官――」
「そのようなことを言うのであれば」
食い下がるジョヴィエルを制し、イダルティがきっぱりと述べた。
「わたくしのゲールウィッゾ家もとうの昔に爵位を剥奪されています。わたくしはその時から平民です。そのような平民から学ぶことなどないのではありませんか?」
「それは、その……」
ゲールウィッゾ家の没落は耳に新しくない。そういった話題に聡い貴族の子弟なら、知らぬ者はいないだろう。
ただそれでも、イダルティの気品に満ちた物腰や、これまでの実績に裏打ちされた実力・聡明さは、今なお多くの学生の尊敬を集めている。
ジョヴィエルもまた、その一人だった。
「軽率な発言でした……お詫びします、イダルティ教官」
「わかってくださったようですね。では話を戻しましょう。ジョヴィエルさんが答えて下さった通り、ファウス副学院長の祖父君、アダマーティ・ルーナヴィスタ卿により、影孔は発見されました。ルーナヴィスタ家は "月の叡智の一族" とも呼ばれ、"武" の名門グランティガ家、"智" の大家グランレーファ家と並び、古くからブレヴディル王家を支えてきました」
「――!」
グランティガ家。その言葉が出た途端、いつもはむっつり押し黙るクリーヴの顔に、ほんの僅かだが変化があった。大切な何かが胸によぎり、在りし日の面影を懐かしむような、惜しむような……そんな横顔。
「ルーナヴィスタ家は代々大変優秀な方々の輩出で有名です。アダマーティ卿は先ほど申し上げた通り影孔を発見され、それまで謎に包まれていた魔物の生態について多くのことを明らかにしました。そしてファウス副学院長に至っては、霊機兵の同期損失軽減処置の確立に始まり、挙げたしたらきりがないほど多くの分野で顕著な研究成果を残されています。最近では特に古代史の解明にご専念されているようですね。また、ブレヴディル王国の民であれば誰もが知る通り、先のスレネティ戦争の終結にもご貢献されています。"英雄ファウス" の名は今なお色褪せませんね」
イダルティの言葉に幽かな熱が乗りかけるが、彼女は瞬時にそれを押し殺す。
「ルーナヴィスタ家の偉業はそれだけではありません。アダマーティ卿のご息女、すなわちファウス副学院長の母君であられるリリアン・ルーナヴィスタ女史もまた、霊機兵開発史において極めて重要なご貢献をされました。どなたかご存じでしょうか? ……はい、ではもう一度ジョヴィエルさん、お願いします」
先の失点を取り返すべく意気込んで挙手した彼が的確に答えた。
「影孔を "整流" する、という新しい概念を提唱し、またその実証を行いました」
「その通りです。影孔の整流。今では彼女の名を取り、影孔整流と呼ばれるのが普通ですね。これは大変に意義ある発見です。この発見があったからこそ、わたくしたちの普段の生活で、魔物に襲われる恐れがほぼなくなったのですから。ジョヴィエルさん、影孔整流についてもう少し詳しく説明できますか?」
「はい、勿論です! リリアン女史はまず、父君のアダマーティ卿がご発見された影孔を深く研究され、結果、夜間になると影孔が一時的に地上から上空へ浮上する性質を持つと明らかにされました。整流とは、都市部など人口の多い地域にて、この浮上した影孔を緑・黄の複合霊術で一方向に吹き飛ばす処置です。普通は霊石を用いた装置で行うことが多く、そのようなものは影孔整流機と呼ばれます。この整流過程により、影孔の蓄積を未然に防ぐことができ、その地区での魔物の発生を抑えることができます」
「ええ、大変宜しい。よくご勉強されていますね。なお、影孔整流機については、本学院にも設置されています。人口は都市部に比べ大したことありませんが、学術機関のために使用霊石量が多く、そのために影孔排出量も増えてしまうからです
……ちなみにご存じでしたか? リリアン女史は一連の発見と開発を、皆さんと同じくらいの年で行ったのですよ?」
これは知らぬ者も多かったのだろう。講堂が俄かにざわついた。
「ご静粛に……はい、では次にこの影孔整流により、その後どのように世界が変わったか、ですが……これも答えられますか、ジョヴィエルさん」
「え、それは……えっと、先ほどイダルティ教官も仰ったように、魔物の脅威に怯えることがなくなった、ということでは?」
「ええ、勿論それも大きな意味を持ちますが、この講義ではそれ以上に重要な点があります……どうでしょうか?」
ジョヴィエルは愛くるしい瞳をぎゅっと絞り考え込むが……答えは出ない。
元来彼が得意とするのは調律で、"どの魔物のどの部位がどういう素材として優秀か" とか "霊機兵に搭載する兵装をどのように選択すべきか" といった話題なら無類の強さを発揮するが、こういった歴史的な背景や意義となるとやや弱い。それでも人並以上にしっかりしてるのは、彼が努力を惜しまない類だからである。
「では、他の方はどうでしょう? 答えられる方はいますか」
躊躇なく挙手したのは……なんと、スピットだ。
彼は静まり返った講堂内で淀みなく述べる。
「影孔整流によりもたらされた重要な結果……それはさっきジョヴィが言った "魔物の発生を防ぐ" って点を別の角度から考察すると見えてきます」
スピットはわざわざジョヴィエルの方を見ながらぬけぬけと言った。
ジョヴィ、というのはジョヴィエルが気心知れた者にだけ許す愛称である。
スピットとは気心知れてるどころかいがみ合ってる仲だ。奇妙なことに、貴族の中でも珍しく、ジョヴィエルは平民のスピットを対等に扱っている。と言っても手と手を取り合うそれでなく、互いに敵視しあった "対等" だが……入学後の早い時期から、二人はずっとそんな感じだった。
それで今は、ねちっこいとこのあるスピットが、ジョヴィエルが先ほどクリーヴに言い放った皮肉、"教養のない平民" 云々が腹に据えかね、意趣返しときているのだ。
まったく男の子というのは困った生き物である。
「別の角度……それは、魔物の発生を防げるんなら、その逆、魔物を意図的に発生させることもできる、っていう点です」
ほう――イダルティが片眉を上げ、先を促す。
「言い方を変えればこれは、魔物の出現を人が管理できるようになった、ってことです。事実、今ではどの国もそういう処置を取ってます。複数地点から影孔整流の方角を厳密に定め、地図上で交点を設ける……つまり、影孔処分地域です」
「あ――!」
ジョヴィエルが愛くるしい瞳を大きく見開いた(かわいい)。どうやらスピットの言わんとする内容に先回りがついたらしい。
「影孔処分地域っていうのは、色んな町や都市からの整流が届くもんだから、影孔の密度が格段に上がります。魔物が発生するくらいに。もっと言ってしまえば、アダマーティ閾値を超えるくらいに。だもんで、気の毒だけどそこら一帯の生き物はどんどん影孔に汚染され、結果として魔物がひしめく地域ができます。例えばこっからだと一番近いのは "忘れられた森" ……正式な名前はブレヴディル王国第一影孔処分地域、でしたっけ? あそこが該当します」
"忘れられた森"。先の休日にスピットらが訪れた地である。
あの場所は、人工的に魔物の発生確率を高めた地域だったのだ。
通称である "忘れられた森" の名は、昔は豊かだった森や山々の雄大な姿が、影孔汚染による魔物の発生で見る影もなくなったことに由来する。
「で、多分イダルティ教官が求めてる答えはこれだと思うんだけど、そうやって魔物の発生を制御できるようになったことが、一つの "義務" と一つの "供給" を生んだんだ。
まずはそうやって次々に発生する魔物を定期的に討伐する "義務" ……そうでなきゃ溢れ出た魔物が近隣の集落に行っちまうかもしれない……まぁその辺は今でも色々問題があるって聞きますけど。。
もう一つの "供給" っていうのは、その討伐した魔物の死骸をどうしたかって話。オレのじっちゃんの代ってことだからだいたい五〇年くらい前? その時期に、魔物の死骸を死霊術で操り作戦に従事させる、って戦法ができたんだ。だから爆発的に魔物の死骸や処理に対する需要が増えて、その供給源として、影孔性分地域は今も役立ってるって話。だからこの講義、霊機兵史概論でも、影孔整流の話は大事だよ……ってとこじゃないすか?」
スピットは話を切り、イダルティの反応を待った。
「大変宜しい。よく理解されてますね」
「いやーははは、こういうのは昔から親父やじっちゃんから愚痴混じりの苦労話で聞かされてたもんで……ま、苦労知らずのどこぞのお坊ちゃんには? 縁のないことでしょーが」
ここでスピットはわざとらしくジョヴィエルの方をちらっと見る。ジョヴィエルは怒りでプルプルと震えていた(かわいい)。
こういうあてこすりを忘れないあたり、スピットのねちっこさが如実に表れている。
「やめなさい、スピットさん。先ほども言いましたが、本学院では学道の場に身分の違いを持ち込むことを是としません」
「はーい、すみませんでしたー」
口ではそういうものの反省の色は見えなかった。
スピットは "仇は討ったぜ" 的ないい笑顔で揚々とクリーヴの方を見遣る。
で、当の龍人種はどうしてたかというと、
「………。………………。………………………。」
寝ていた。相変わらず、半目を開けて、虚空を凝視して。
スピットはにわかにバカバカしくなり、再び隣の女子とのおしゃべりにかまけた。
だから彼は知らない。
その時、イダルティが――どこか冷たさを感じさせる黒目がちの大きな瞳が、ほんの僅かな間とはいえ、異様な迫力でクリーヴの魂具を捉えていたことを。
スピットは知らない。
クリーヴも知らない。
誰も知らない。




