結晶少女 20
「古きを知ることで新しきを知ることができます」
寒々しい石造りの講堂。その壇上で、黒を基調とした教官服に身を包む婦人が良く通る声で述べた。
「大切なのは過去と過去との "繋がり" を理解することです。何故ならばわたくしたちの生きる "今" は、その繋がりの結実として存在するものだからです」
イダルティ・ゲールウィッゾ。婦人の名である。細身と独特の首の長さで知られる獣人種風鼬族、年の頃は二十代後半だろうか。緑がかった茶色の短髪で片眼が隠れ、額に魂石摘出痕が薄っすらと残る。頭部にちょこんと生えた小さく丸っこい耳に反し、銀縁眼鏡の下、黒目がちの大きな瞳は見る者にどこか冷淡な印象を与えた。
イダルティが階段状の講堂をゆっくりと見回す。
「毎度申し上げる通り、この講義で最も注視頂きたいのはその点です。ですからわたくしは、霊機兵史概論と題するこの講義でありますが、その範疇を意図的に拡大し、関連技術史の言及にとどまらず、時には前回のようにファンタズマブルに伝わる神話にさえ踏み込み、"今" へと至る "繋がり" を皆さんと一緒に探求する所存です」
"霊機兵史概論"。イダルティが担当教官を務めるこの講義の名称だ。
受講者の多くは履修を義務付けられた霊機兵科の学生だが、中にはちらほらと他学科と思しき者もいる。ある者は純粋に知的好奇心、ある者は密かに人気のあるイダルティが目当てだった。
後ろの方に座るスピットが妙に熱心な眼差しを……と思いきやその向く先は隣の女子、逢引の取り付けにご執心だった。女子の方もスピットの散々な悪評は知りつつ、これだけ整った顔に間近であれこれ褒めそやされ、悪い気はしてなさそうだ。牙城を崩すまであと二手……いや三手といったところか。
クリーヴは最前列の席にいた。先ほどから微動だにせず、薄っすらと開かれた赤い瞳で虚空を凝視している。
……寝ているのだ、目を開けたまま。器用なヤツである。
この龍人種、座学にとことん対応してない。本人にも不思議で仕方なかったが、講義の場に足を踏み入れた途端、自然と睡魔に襲われる。姿勢を崩さず目を開けたままなのは、本人なりにどうにか抗った証だ。結果は見ての通り惨敗だが。
では何故、そんなお世辞にも勤勉と言い難いクリーヴが、わざわざ最前列の席を選んだかというと、それは偏に、
(ほう……神話、のう……)
彼の魂石に潜む結晶少女の頼み故だ。
客観的には妙な絵である。少女の希望で、クリーヴは講堂備えつけの胡桃の木机に己の魂具――寸法を間違えた釘のように無骨で実直な刺突剣を載せた。赤虎目石の魂石は壇上のイダルティの方へ。利き手はしっかりと柄を握ったまま。眠ってはいるものの、そこに少しでも誰かが触れようものなら彼は即反応・反撃するだろう。
魂石には替えが効かない。それを基とした魂具も同様である。なので、使役士にとって最も警戒すべきは魂具の紛失・盗難であり、戦場育ちのクリーヴにとってこのような防衛行為は、不可分な習慣として根づいていた。
「それでは前回のおさらいも兼ね、神話と、そして先端の学理ではそれが何を意味するかについてお話しましょう」
講義が始まる。一部の学生は「またかぁ」「うへぇ……」と呻くが、イダルティは歯牙にもかけず淡々と語り出した。
「皆さんご存じの通り、遥か昔この蒼の大地ファンタズマブルに人はいませんでした。獣と鳥と、虫と魚だけがいました。そこにある時、空から一筋の光が降り立ちます。光はやがて一本の "樹" と、その "影" を生みました。"ユリアの導き" の聖典、導約創世記の第一章三節にはこうあります。
"樹よ。お前は今日もこうして大きくなる。私はそれがうれしい"
"影よ。お前は今日もそんなに伸びていく。私はそれがうれしい"
そう、獣も鳥も、虫も魚も言葉を持たなかったため、樹と影は互いを唯一無二の友としたのです」
『っ』
魂石に潜む少女の胸中に――一瞬、言いようのないほど複雑なものが走る。
「ですが蜜月の時は長くは続きませんでした。ある日、影は樹の前から忽然と姿を消したのです。樹は嘆き悲しみました。その頃には既にファンタズマブルの隅々にまで根を張り巡らし、天にも届かんばかりの大樹となった樹は咽び泣き、幾日も世界を涙で濡らしたのです。……やがて涙も枯れ果てた頃、何者かが樹に問いかけました。
"樹よ、偉大なる樹よ。あなたは何故、そんなにも悲しんでおられるのですか"
影ではありませんでした。樹や影に比べれば遥かに小さき者たちです。それも沢山いました。
樹は問います。
"小さき者たちよ。お前たちは何者だ"
"樹よ。我らは貴方の涙から生まれし者です。貴方の涙が、我らに新たな体を授けたのです"
その者たちにはいくらか違いがありました。獣の尾と体毛を持つ者もいれば、鳥の翼腕を持つ者もいる。虫の甲殻を持つ者もいれば、魚の鱗と鰭を持つ者もいる……さらには少数ですが、それらが混じりあった出で立ちの者もいました……言うまでもありませんね。その者たちこそ我々の祖先、樹が "人" と名付けた新たな種です」
イダルティは一拍置き、また長い首で講堂をゆっくりと見回した。
「樹はいなくなってしまった影の代わりに人を慈しみ育てました。人が安らかに暮らせるよう、力を与えたのです。樹の放つ聖なる光により、人は自然を操る術、霊術を得ました。それだけではありません。樹は人が豊かに暮らせるよう、知恵をも授けました。衛生観念や倫理に文化などです。樹が与えた "力" と "知恵" ……これにより、人は大いに栄え、子を産み、大地に広がりました。樹は遠く離れた場所の人々にも聖なる光を届けるため、ファンタズマブルの隅々まで張り巡らされた根から、己の分身たる小さな樹を各地に芽吹かせたのです」
ではアンシェクさん――イダルティは前触れなく、学生を一人指名した。結晶少女から見て左斜め後ろに座る男子である。背高のっぽの毛むくじゃら。少女の第一印象はそんなとこだ。
イダルティが問う。
「神話にでてくるこの樹とは、いったい何のことを指すのでしょう? そしてその放った聖なる光とは?」
「ナ、ナぁ~⁉」
クリーヴ同様、座学に熱心でない類のようだ。アンシェクという名らしい学生は、見ていてなんだか気の毒なくらい……いやここまでくるとちょっと可笑しいくらい、あたふたと慌てふためいた(本人に自覚はないだろうが、どことなく「ヨヨイのヨイ!」じみた律動である)。多分、質問が何だったかすら把握していない。
それを見かね、アンシェクの隣に座る男子が肘で小突いた後、ぼそぼそと何か告げた。
(あの小童はたしか……)
朝食の時、やれ貴族がどうのと不穏な発言をしたスピットに険しい視線を送った少年だ。腹立たしいほど愛くるしい円らな瞳……間違いない。霊機兵科所属の受講者が過半数を占めるこの講義で、額に琥珀の魂石を持つということは……調律士だろうか? アンシェクと真逆の小柄な太っちょ体型だが、どうやらこちらが兄貴分らしい。
アンシェクは九死に一生さながら隣の少年に感謝し、意気揚々とイダルティに答えた。
「も、勿論それは "輝く樹ピシムス" なんだナ~、イダルティ教官~。それと、聖なる光の方は、霊子なんだナ~」
……なんだか妙に間延びした気の抜ける声である。
「正解です。でも今度からはジョヴィエルさんに助けて貰わずとも、ちゃんと自分で答えて下さいね。さて、話を戻しましょう。いつしか人は樹を敬い、その御言葉に従い、"輝く樹ピシムス" もしくは "聖樹ピシムス" と崇拝するようになりました。今日の "聖樹教" の始まりですね。私たちが日々霊術の恩恵に預かるのは、今もガディア国奥地に現存するとされるピシムス、そして各地にあるその分身、"霊樹" が大気中に霊子を散布しているからです。
ではここで一度、話題を現代に移しましょう。この霊樹、現在では政治・経済・軍事のどれをとっても非常に大きな意味を持ちます。それは何故でしょう。理由を教えて下さい、アンシェクさん」
「ナぁ~⁉」
一難去ってまた一難。今度は質問こそちゃんと聞いてたものの、答えがわからないらしい。
アンシェクはほとんど涙目になって隣のジョヴィエルを窺うが、即座にイダルティが釘を刺す。
「今度はお友達の力を借りずに」
「そんナぁ~⁉」
狼狽えるアンシェク。まるで調子の外れた音楽に合わせ踊ってるかのようだ。
結晶少女は途中から奇っ怪な踊りの行き着く先の方が気になったくらいだが、あえなく時間切れ。答えられずじまい。
「ではアンシェクさんに代わってわたくしから。前述の通り、霊樹とはピシムスから根を介し伝わる霊子を大気に散布する存在です。従って、その近隣では非常に高密度な霊子環境が成立します」
「あ――」
今になってアンシェクが間の抜けた声を漏らした。隣に座る少年、ジョヴィエルがやれやれと短い首を横に振る。
「そう、すなわち霊樹付近では、霊石鉱脈が極めて形成されやすいのです。霊石の重要性については今さら語る必要もありませんね。霊石砲に始まり影孔整流機など様々な機関に応用され、枚挙に暇がありません。近代社会は霊石技術により開拓された、と評して過言でないでしょう。先のスレネティ戦争すら、そもそものきっかけはスレネティ高原地下で新たに見つかった霊樹および霊石鉱脈です。
ブレヴディル王国、パエスフォロア聖領、ガディアノザ・セクリトゥリ、アネディオーシャ都市同盟……現代の四大国はどれも領土内に多数の霊樹を保有します。霊樹の質と数が、そのまま国力に繋がるのです……もっともガディア国だけは厳密に言えば霊樹ではなく、原初たるピシムスの保有のはずですが……長年国交を断絶しているため詳細はわかりません。政治的・宗教的に対立が絶えない原因ですね」
うんうん、そうそう、おいらもそれが言いたかったんだナ~、などとコクコク頷くアンシェクだったが、イダルティがそこに冷や水を浴びせた。
「アンシェクさん、あなたには特別課題として次回までに近代における霊樹と文明発展の関係をまとめた原稿を提出して貰いましょう」
「ひ、ひえ~!」
あわれアンシェク、きみのことは忘れない――講堂内にそんな思念が立ち込めた。
合掌。




