結晶少女 14
「まったくおぬしときたら……おぬしときたら! 阿呆じゃないかの⁉ あああ、阿呆じゃないかのう⁉ くぬ! くぬ、くぬ!」
げし、げしぃ! 今や魂石から完全に出て、何の不自由なく全身を顕現させた少女がクリーヴを容赦なく足蹴にする。
言うまでもなくあの結晶少女……いや、今となっては "元"・結晶少女か?
目は下向き三角、歯はギザギザ、<火吹蜥蜴>のように大口から火を吐き出さんばかり。
怒ってる。怒りに怒り狂ってる。どうやら感情的になると声が震える類らしい。
「いたい。やめろ。やめてくれ」
「いーや、やめん! 誰がやめてやるものか! 反省せい! 猛省せい! くぬくぬ!」
しばらくの間、見るに堪えない折檻が続いた。
「……むぅ。気は済んだか」
「くぅ……まったく、ケロッとしおってからに……! おぬし、本当にわかったのか⁉」
「ああ、わかった。少なくともお前は、俺の性欲とは一切関係がない。それに」
幻想でもない――クリーヴがきっぱり言い切ると、少女はまだぶつくさ文句を零しつつも、ペタペタと素足で歩いて椅子を取り、そこに勢いよく腰掛けた。
ちなみにここは一人部屋。椅子は一つしかない。仕方なしにクリーヴは寝台に腰掛けた。ついでにそろそろ暗くなってきたので油灯の風防を取り、霊術で点火する。光を司る白属性霊術でも明かりは確保できるが、長時間の発光は霊子を甚く消耗する。なので、夜間にはこういった油灯がよく使われた。
「おい」
「なんじゃ……⁉」
「せめて名前くらい教えてくれないか」
「名など……ない! とうの昔に捨てたわ!」
「むぅ……」
取りつく島もない。あの地下空洞で出会った時から変わらぬ秘密主義。
てごわい。
(いったいどうしたものか……)
クリーヴは腕を組み黙考した。
状況を整理するとこうである。まず、この少女、自分の魂具……より正確に言えば、その鍔に埋め込まれた魂石に取り憑いている……らしい。
言うなれば、結晶少女から魂石少女へ転職した……らしい。
普段は魂石に潜むが、出ようと思えばこうして仮初の肉体を顕現させ、実体化できるとか。
なんだそりゃ、というのがクリーヴの正直な感想だった。
「いいかおぬし、せいぜい儂に感謝せいよ?」
少女は足と腕を組み、"ふんす!" と鼻息荒く尊大な態度である。
「あの時……助力を約束し実行に移した瞬間、儂はおぬしへの影響をどうにか最小限まで押さえ込んだ」
「ああ。さっき医務室でも言ってたな。夕食になり尻切れ蜻蛉になってたが」
「そのおかげでおぬしは、今すぐにとはいかんが、少し時間があればまた元に戻れる……言うなれば今は仮契約、といった状態じゃ」
「それでお前は今、その仮契約とやらを解くために色々としてくれてる、ということか?」
「そうじゃ。こうして仮初の肉体で顕現しとる今も、本体はおぬしの魂石の中で少しずつ解除に取り掛かっておる……だというのに! だというのに、おぬしときたら……! あああ、あのような世迷言を……!」
思い出し笑いならぬ思い出し "怒り" とでも言うべきか、少女がまたわなわなと震えだした。
ちなみに彼女が纏う服は結晶に封じられていた時と同じく、尼僧の法衣に似た例のアレである。白を基調とし、ところどころに朱の線が引かれた衣服。どういう訳かこちらから見て左の襟が前で、法衣とは逆だ。靴や靴下は履いておらず、剥き出しの素足が晒されている。
白い御足が腹立ち紛れにその辺のものを蹴る寸前、クリーヴは "ふぅむ" と思案顔を見せた。
「その仮契約とやらが解除された時、お前はどうなるのだ?」
「それは……」
少女が目を逸らす。
「おぬしが元に……儂に憑かれる前の状態に戻るのじゃ。儂とて同じよ。元に戻る」
「それはまたあの地下空洞に……結晶に戻るということか」
「………。」
しばし眉を顰め、無言の首肯。
それでいいのか――とは訊かなかった。以前にも同様のことは訊いている。あの地下で、暗闇で、ただ一人結晶に封じられる……少女はそれを贖罪と言っていた。
自分で自分に課した罰だと。
頑なな態度だった。誰に言われようとも曲げぬ決心。そのようなものを感じた。
ならばそれは……口を挟めることではない。
「そうか……であれば俺はこの限られた仮契約期間、お前に最大限礼を尽くすとしよう」
「は、はあ? 何言っとるのじゃ突然」
「お前こそ何を言ってるのだ。どう考えてもそれが必然だろう。お前の言う通り、俺はお前に命を救われた。俺が今日、朝昼夕と変わりなく食事にありつけたのも、友と何気ない会話を交わせたのも、すべてお前のおかげだ」
「あれを何気ない会話というのもどうかと思うがのう……」
「言われるまでもなく、お前には感謝している。最上級の感謝を捧げている。本当に世話になった、ありがとう」
「よ、よせい。そんなあらたまって」
「だから俺にはその恩に報いる義理がある。できることなら何でもしよう。気兼ねなく言ってくれ」
「そんなこと突然言われてものう……さっきは物の弾みで感謝せいと言ったものの、助力を決めたのはあくまで儂じゃ。おぬしがそこまで気負うこともあるまいて……気持ちだけ受け取っておくよ」
「それでは俺の気が済まん」
受けた恩には必ず報いよ。それもまた "古龍の里" の教えだった。
「そうかのぅ……うーむ、では……そうじゃな。時間のある時に一度、王都ギャラン、じゃったかの? ともかくこの近隣で一番栄えとる都市に連れて行っとくれ」
「わかった。なら今週末の休日、そうしよう……しかし、そんなことでいいのか?」
「うむ。こうなった以上、今の文明の【レヴェル】を直接見て知っておきたいからのう。幸いにもここは学び舎。ある程度はここだけで充分じゃと思うが、やはり実物も見ておかんとの……」
「れーべう……なんだ? なんと言った?」
「ああ気にするでない、ただの独り言よ……それより龍の小童、暇じゃ。この辺の本、適当に読ませて貰うぞ」
クリーヴの返事を待たずして、少女は棚から一冊取り出しパラパラとめくる。そして本の途中、半分くらいの場所から真剣に読み始めた。
あれは応用霊術学の参考書。あんなのを読んで面白いかとクリーヴは訝しむが……しかし存外、楽しんでいる。少女は時に片眉を上げ時に疑わしそうに目を細めつつも、基本的にはふむふむ頷き興味深げだ。
「むぅ……」
であれば邪魔をするのは悪い。
クリーヴは寝台から腰を上げ、押し入れを開き翌日の準備を始めた。
「あの【プロトタイプ・ワプムス】……【クオリティ】的には出来損ないもいいとこじゃがやはり気にかかる……何故あのような者が今この時代に現れたか……残りの時間を使って調べねばならん……偶然ならばよいのじゃが……」
油灯の淡く暖かみを帯びた光が、少女の横顔に陰影を作っていた。