結晶少女 13
くるくると廻る万華鏡の如く、スピットは時々刻々と表情を変えた。
最初は『何言ってんのコイツ』とでも言いたげな怪訝顔、その次は『おいおいマジかよ』と少しずつ疑いが別の何かに変わる驚き顔。途中、なんとも形容し難い遠くを見るような目を挟んだ末に、最後には息継ぎすら置き去りにしそうなほど緊迫した面持ちとなった。
それはまるで、予期せぬ敵の大群に出くわした戦士の顔。
それでも大切な者を守るため、決して背は向けぬ男の顔。
「……という訳なのだ」
ここはグランレーファ総合霊術学院、食堂である。夕食を食べ終えたクリーヴは、スピットに事の顛末を包み隠さず伝えた。地下へ転落し、結晶少女と出会ったこと、その助力を得た末、敵に打ち勝ったこと……すべてである。
あれから一日が経っていた。蒼の大地ファンタズマブルでは、夜空に浮かぶ月の色を基に暦が定められ、一年は六ヶ月、一ヶ月は六週、一週は六日である。この暦に従うと、今日は "赤の月、第三週、第六日"、昨日なら "赤の月、第三週、第五日" となり、毎週第一日から第四日が平日、第五・六日は休日だ。
クリーヴとスピットは昨日の朝、すなわち第五日の休日早朝から "忘れられた森" に赴いて<骸骨百足>を討伐し、その後、あの蠢く闇もとい肉人形に襲われたものの、なんとか今朝方こうして帰還を果たしたのである。
それから先も慌ただしく、霊機兵運用に伴う諸般の事務手続きに加え、あの後しっかり回収した<骸骨百足>の死骸を物資調達課へ引き渡し(これでスピットの借金が帳消しとなった)、クリーヴは医務室で治療、スピットは<白鋼>の修理と調律に追われていたら、あっという間に夕方になり、ようやく食堂で一息吐けたのだった。
そして食後、頃合いと見たクリーヴがスピットに何もかもを打ち明け、今に至る。
「どうして――!」
真剣な面持ちのスピットがわなわなと長い耳を震わせた。
どうやらこの友人もここにきて事態の複雑怪奇さを共有してくれたらしい。
助かった。こんな突拍子もない話、信じてくれるか心配だったが、さすがは入学以来、二人隊を組んだ友。いざという時は頼りになる。阿吽の呼吸とはこのことか。
などとクリーヴがうんうん頷いてたら、
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ!」
スピットが突然、目の幅涙をぶわっと流し始めた。
何やら様子がおかしい。
「……どうしたのだスピット?」
「ああ、そうさ! 前から俺も薄々思ってたさ! そんなはずはねえんじゃねえかって! いくらなんでも男に生まれてその年で、そんなことはねえんじゃねえかって! でもよ! これじゃあんまりだあ!」
「さっぱり話が見えん。何のことを言っている?」
「お前の性癖がやべー方向に捻じ曲がりつつあるっつー話だよ!」
「む……?」
「結晶に閉じ込められた女だと⁉ 尻尾もねー、体毛もねー、どころかどの人種にも当てはまんねー女だと⁉ そんな女が出てくること自体、お前の抑えに抑え込まれた性欲が、ぎゅるっぎゅるんに捻じ曲がりつつある何よりの証拠だあ!」
がたっ! クリーヴの帯刀する刺突剣……赤虎目石を埋め込んだ魂具が、柄で勢いよく食卓の下を叩く。
だが興奮状態にあるスピットはそんなこと歯牙にもかけない。立て板に水よろしく説き続けた。
「いもしねー女を求める! ああオレにだってわかる、わかるさ! そういう時代もあったよ! 確かにあった! けどな、所詮理想は理想! 人はいつか地に足をつけなきゃならねえ! それをわかるんだよクリーヴ!」
がた! がた! スピットは四半刻に渡り延々と自説をぶち上げたが、ことある度に魂具が食卓を不穏に叩く。叩き続ける。
まあともかく、結論だけを述べるとこうだった。
この兎、こちらの話を毛ほども信じちゃいない。
「はぁ、はぁ……! っつーことだ! わかったな、クリーヴ……⁉」
「むぅ……要するに、俺の見たあの少女は、持て余した俺の性欲が見せた幻想……お前の言いたいのはそういうことか?」
「そうだ! やっと――やっとわかってくれたな! オレぁうれしいよっ!」
がたん! 本日一番の勢いで魂具が食卓を叩く。あまりの衝撃に空の食器が跳ねカラカラと音を立て回った。
ここにきてようやくスピットが異変に気づく。
「ん? どしたん、それ。魂具か? なんかガタガタ言ってっけど」
「話すと長くなる。気にするな」
「そっか、ならいいけどよ」
「む。それよりスピット、そろそろ出よう。給仕たちが片付けを始めたがってる」
ふと気がつくと給仕服に身を包んだ少女たちが湿度の高い視線を二人に向けていた。
「あーもうそんな時間か……だな、行くか……でもクリーヴ、忘れるなよ! お前さえその気ならすぐにでも誰か紹介してやる! 困ったらいつでも言え? な? もっと自分を自由にしてやんだ! 正直になんだよ! なーに、大丈夫さ。黙ってさえいればお前も顔はイケてんだ。黙ってさえいれば!」
「……もしかしてお前は俺を虚仮にしてるのか?」
スピットとはその後、男子寮の前で別れた。野暮用があるとニヤニヤしていたので、十中八九、女絡みだろう。忙しないことだ。
クリーヴは男子寮に這入り、階段を上がって自分の部屋に向かう。
いつも通りの無表情、見ようによっては神妙とも捉えられる顔つきだが、その時考えてたのはこうだ。
(むぅ……確かに俺は男女の機微など知らん。それに比べスピットは厄介ごとを起こすのも多いとはいえ場数を踏んでいる……戦場では経験が物を言う時が確かにある……アイツが言うならそうかもしれん……)
だから部屋に這入るなり、クリーヴは訊いてみた。
ブルブル震える刺突剣を抜いて訊いてみた。
「む……で、どうなのだ? 実のところお前の正体とは、持て余した俺の性欲が見せた幻想だったのか?」
「なわけあるかこの阿呆!」
"ぐー"。疾風の如き神速の "ぐー"。クリーヴの顎を的確に捉えた。
刺突剣に埋め込まれた魂石……赤虎目石から、少女の上半身が飛び出ていた。