転
全4話の短編です
拙作「底抜け姫~魔力袋の底が抜けた姫は魔法世界でチートできるのか~」執筆中に書き溜めたネタから一篇
俺の前にマグカップが置かれた。
湯気が立つその中身はどうやら白湯らしい。俺は無意識にそれを取り、そして両の手のひらで包み込むように持つ。
その熱が心地よく、腹の前でそれを温める。
「少しは現実が判りましたか」
ゆるゆると顔を上げると猿のような顔が、冷たく俺を見下ろす。
その声は思いのほか涼やかで、外見とのギャップが激しい。どうやらこのインプはメスだったようだ。
「……いただきます」
俺はそう呟いて、少しぬるくなったお湯を喉に流し込む。一度飲み始めると止まらず、最後まで飲み干してしまった。
インプ女が俺の手からひったくるようにマグカップを奪い、ポットからお湯を注ぎ、俺の前にお代わりを置く。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
不思議なものを見るようにインプの女が俺を見てくるので、その視線から逃れるように視線を彷徨わせる。
魔法のランプが下がった天井。殺風景な壁、無機質な床、一つしかない扉と、小さな窓、憎悪の籠ったゴブリン刑務官の瞳、そして、机の上に広げられた様々な資料の数々。
どうせ全部嘘に決まっている。俺を騙そうとしているんだ。
先生と呼ばれたオークの言葉も、この資料も全部デタラメだ。そうに違いない。
だが、何のために?
決まっている。俺がハイエルフの勇者として処刑されれば勇気ある者たちが俺に続く。俺を殉教者にしないためにも、俺にハイエルフを裏切らせる必要があるのだ。
その考えは俺の心に安定を与えてくれた。
そうだ、そうに違いない。それならばこんなに手間をかけた茶番にも納得がいく。
「ふぅ」
俺は白湯を飲み干し、机に置く。
「おい、インプ。こんな施しで俺は屈したりしないぞ」
「生憎だが貴様のお友達のように身体を売る仕事はしていない」
どうやら淫婦と勘違いしたらしいインプの女の言葉を鼻で笑う。
「そりゃそうだろうよ。こんな醜いサルを買いたがる男なんている訳ないよな。ゴブリンだってお前なんか願い下げだろうよ」
俺の言葉に目を見開くインプ。怒り出すかな、と思ったがその期待は裏切られた。
「あっ、はっはっはっはっはっ!」
一瞬驚いた表情を浮かべた後、インプ女は発作のように笑い出し、咽て咳き込んでもそのまま笑い続けた。
「何かありましたか?」
戻ってきたオークが、不思議そうに笑い転げるインプに問うが、笑いの発作が収まる気配がない。刑務官の説明を聞くと、オークは、そこからですか、と溜め息を吐く。
机と手錠を繋ぐ鎖が再度繋がれたのを見届けてからオークが俺の前に腰を下ろす。
「では、シロガネ君。再開しましょうか」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さて、基本的なことですが、キミはこの国の名をご存じですか?」
栄光のハイエルフ王国の名を貶める帝国が付けた名だとアルトリーナ達は使うのを嫌っていたので、俺も使う機会が無く、よく憶えていない。
「現在の名はゲルフェンシュミフ国といいます。ゲルフェン山脈の麓の国、というこの土地を表すエルフ語に由来しています。かつてこの地にあったのもゲルフェンシュミフ王国でしたので、その名をそのまま踏襲した形ですね」
「王国の“王”を奪って属国にしたんだな」
「帝国内にも多くの“王”国はあります。“王”を無くすことはヘーゲンダツ王からの提案によるものであり、帝国はそれを認めました」
「逆賊王が売国奴だからな。帝国に尻尾を振りたかったんだろ」
「売国奴というのは普通、自らの権益のために国を売る者のことでしょう? ですがヘーゲンダツ王は、自らが持っていた王権という権益を手放したわけです。無論、替わりとなる帝国内での地位も財産も求めていません」
「……………………」
「そして過去にこの国が“ハイエルフ王国”と呼ばれていたことはありません」
身体が動揺で震える。
「それどころかハイエルフという種族は存在しません」
「それは劣化エルフどもが勝手に!」
「いいえ。この地にあったゲルフェンシュミフ王国があった頃から、この地に住むエルフはファントムエルフ、またはドリームエルフと他種族から呼ばれ、自身でもそう名乗っていました。これは彼らが幻覚やイルミネーションの魔法を得意としていることに由来します。この王都もかつては夢の都と呼ばれ、多くの種族がそれを一目見ようと訪れる観光名所だったそうです」
「……それが今じゃ風俗店が並ぶ歓楽街か。お前ら帝国が、」
「夢の都と呼ばれていたのはもう500年も前の話です」
俺の言葉を遮るようにオークがぴしゃりと言い放つ。
「美しい夢の都を一目見ようと多くの者たちがこの地に集まりました。そんな観光客を相手にした商売のために、ファントムエルフは娼館を作りました。旅先で羽を伸ばした観光客を相手にその商売は当たり、そして多くのファントムエルフがそれに続きました。それに伴い女性という家畜の存在がより重要になっていき、やがては他国にまで出荷するようになりました。彼らにとってそれは旨みのある商売だったのでしょう。そして女たちが金を稼げるようになったことで、先に話した因習がより強固になっていったのでしょうね」
その光景を想像して、俺は陰鬱な気持ちになる。
美しいエルフの少女を買う、観光客たちの姿に吐き気を憶える。
「……じゃあ、ヴァイエルフってのは何なんだ?」
「何が理由だったのか、キッカケは何だったのか、そもそもそんなものが在るのかは僕にも確かなことは言えません。
当時の夢の都には多くの観光客が訪れ、都の美しさを誉めそやしたそうです。ですが美しいのはあくまでも魔法でそう見せているだけの見せかけです。
ゴミが堆積し、糞尿で溢れていても、幻覚ですべてを覆い隠すことできます。汚いものも、臭いものも、不味いものも、醜いものも全て、清潔で、爽やかで、美味しく、美しく見せることができました。
何が理由だったのか、キッカケは何だったのか、そもそもそんなものが在るのかは僕にも確かなことは言えません。
何時しかファントムエルフは現実を変える努力を厭うようになり、見かけだけをよく見せることに固執するようになっていきました。
しかし幻覚でいくら見た目だけ取り繕っても、食べる物は必要ですし、病気になれば薬が、寒くなれば暖が必要になります。いつしかこの国の財政は悪化し、人々の生活は苦しくなっていき、そんな現実から目を背けるため、余計に見かけを取り繕うことに汲々としていったのです。
もしかしたらその時既に、ファントムエルフは幻覚にかかってしまっていたのかもしれません。自分たちは他種族よりも素晴らしく美しい高等な種族である、という幻覚に。
超古代魔法文明というトンデモ本が当たり前のように本屋に並び、創作物の登場人物であるハイエルフと自分たちと同一視し、ファントムエルフとしての過去の歴史を否定し、書き換え、過去からハイエルフ王国があったと信じ込み、周辺国にもそのように扱うよう求めたのです。
劣化エルフという他種族への蔑称も、たった一冊のトンデモ本がキッカケで広まり、ゲルフェンシュミフ王国の時代には多くのヴァイエルフが、それを当然のことと考えていました。
ヴァイエルフというのはキミの言う通り蔑称です。
劣化エルフとバカにされた周辺諸国のエルフ諸種族が意趣返しとしてファントムエルフのことをヴァニティエルフと呼びだしたのです。虚飾に塗れたエルフ、それが何時しか省略されてヴァイエルフと呼ばれ、今に至ります」
そう言ってオークは何冊かの本を並べた。『超古代魔法文明とアーティファクトの秘密』『古代世界の超魔術』『大精霊が解き明かす超古代世界のハイエルフ』。背表紙には振りかけるだけでモテモテになる香水や、呪いをかける人工精霊などの広告が並んでいた。
「これは全て、この国のヴァイエルフが記した書物です。ですが現在ではこれを信じる者は少数派になりつつあります。少なくとも公の場で口にすれば白い目で見られる程度には事実が浸透しています。奴隷解放と教育の賜物ですね。ですがこういった出版物はなかなか減らない。キミも目にしたことがあるのではないですか?」
俺は聞こえないふりをして、その中の一冊を手に取ろうとするが、拘束されて届かない。見かねたインプの女が渡してくれる。笑いの発作の収まったようだ。
「……それはヴァイエルフとオーク族の濡れ場を描いたエロ漫画ですね」
しかしそこに描かれているハイエルフは、俺の知っている美少女ではなく、ブタのような鼻を持ち、牙が生え、乳房が4つもあった。そして描かれた下品な描写の数々に思わず目を背けた。
「他にもヒト族やゴブリン族など、様々な種族とヴァイエルフの組み合わせが描かれています」
開かれた数々の本の中でハイエルフと様々な種族の濡れ場が描かれていた。ただ、不思議なことに本によってハイエルフの姿は異なっていた。
その中で一冊の本に目が行った。それはヒト族向けのもので、俺の目から見ても美少女として描かれていた。だが、俺が注目したのは別の理由であった。
「僕の個人的な好みを言わせてもらうなら、乳房が二つしかない女性に欲情するなど想像もできません。ですが、異種族との性愛を好む変態というのが一定数居ることについて、とやかく言うつもりはありません。成人した当人同士が合意の下行うのであれば、他人がとやかく言うものではないと考えています」
俺は微動だにせずアルトリーナ王女によく似たハイエルフの美少女の濡れ場を描いたエロ漫画の表紙を見つめていた。
「ですが、このような作品を多数出版、出荷、輸出して変態趣味を広めるというのは、どうにも眉を顰めざるをえません。純朴な青年がこういった作品で道を踏み外すのはやはり心が痛みます」
俺が見つめるエロ漫画の表紙にはこう書かれていた。作者:アルトリーナ王女、と。相手役は異世界人の黒髪黒瞳の少年勇者らしい。
「キミが所属していた反帝国主義者たちの根城は、その本の出版社ですね」
ハイエルフ×ヒト族のエロ本を裏返すと奥付には見慣れた出版社名が書かれていた。
「ヴァイエルフ……いや、設定上はハイエルフとの異種性愛をエロ漫画で広め、それに感化された若者たちをこの地に集め、風俗店で幻術を使って実際にそれを体験させる。まあ、観光地への集客や、商売の仕方としては理解できますが、好ましいとは思っていません。あ、失敬。これは僕の個人的な感想です」
エロ本の中で、異世界人の勇者はオークの山賊砦からハイエルフの美少女を救い出し、その後、十数人を相手にくんずほぐれつの大乱交パーティーに突入していた。
ガルッガ砦での戦いの後、似たことをした覚えがあった。人数は5人だったけど。
恋人が自分を題材にエロ本を描いていた? いや、そもそも本名でエロ本描くか? そうだ!
「これは彼女が描いたものじゃない。大体、王女様が本名でエロ漫画描くわけないだろ」
「うん、その通りだね」
オークは写真と束になった書類を出した。
名前の入った看板を手にした美少女の写真を俺はひったくるようにして取り、それを見つめる。
「アルトリーナ……無事でいてくれたか」
「アルトリーナ王女というのはペンネームです。本名ケルトナ。今年87歳になり何人か娘もいます」
「はちじゅ、」
年齢に絶句する。俺の初体験の相手は田舎の婆ちゃんより年上なのか?
「ケルトナは異種性愛を主に扱うカストリ雑誌に作品を載せる漫画家であり、社長が所有する家畜の一人でもあります。帝国法ではとっくに自由の身なのですが、身に付いた奴隷根性はなかなか抜けないようですね。因みに旧王家との血縁が無いことは確認されているので、王女ではありません。
社長と共に帝国からの独立を標榜する組織の一員ではありますが、これは資金集めのための名目に過ぎず、実体は違法娼館経営と人身売買を主な収入源とする犯罪組織です。これは逮捕された本人達が白状しています」
オークは写真を掲げて、アルトリーナ=ケルトナ?の顔写真を示す。
「キミの知るアルトリーナ王女というのはこの写真の彼女で間違いないですか?」
「ああ……」
「では、これでは?」
オークの合図でインプが写真を取り、呪言を唱えると写真の中の彼女の姿がみるみる変わっていった。
「こ、れ、は」
写真には毛を剃った猿のような写っていた。皺くちゃで疎むような目つきは見ているだけで気分が悪くなってくる。
「インプ?」
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